第254話 SS:超えてくれますか
ロザリンドは、現状のもどかしさにやきもきしていた。
コロセウムで息を呑む名勝負が量産され、あのアストラエ王子までもが限界を突破して華麗な勇姿を見せつけているというのに、ロザリンドは大会を敗退して以降何も成果と呼べるものを出せていない。
やれることはやっているが、理想と現実の落差が大きいせいかどうしても自分が矮小な存在に思えてしまう。
現在、選手襲撃事件の目撃証言リストが捜査メンバーを困惑させていた。
「目撃証言ゼロ……被害もストップ……」
「こりゃあ、逃げられましたかねぇ」
どことなく仕事が減ったと嬉しそうな気のする捜査統括のシェパー大臣に、その場の全員が意気消沈する。もし本当にそうならば、聖盾騎士団とクルーズ警備隊の面目は丸潰れだ。両者とも険しい顔を突き合わせ、話し合う。
「海から逃げた可能性は?」
「聖艇騎士団が四六時中巡回している海路をか? しかも今、船はルルズからは出ていない。海外に出るにはどう足掻いても陸路を通って別の港に行く必要がある」
「陸の検問は厳しい。荷物チェックまで聖盾が行っているくらいだ。それにルルズ自体、そう広い町じゃない。出たら気付くだろう」
「武器やローブを町に捨てて一般客に紛れて出ることは可能では?」
「我々の動きを嗅ぎつけて王国内にか……海外渡航者は全員手形確認が必須故、犯人は王国側の可能性が高いな」
「現時点での憶測はお控えなさい。本当に犯人が外に出たかの確認も取れていないのですから」
クルーズ側の棘のある発言に、祭国警備隊の隊長のシェリー・ラダマントが釘を刺す。年齢は五十代程のマダムだが、その鋭い視線を受けて嫌味を口にした警備員の額に冷や汗が浮かぶ程には威厳と実績があるようだ。
今はほんの牽制程度だが、状況が長引けば空気は剣呑になっていくだろう。聖盾騎士団の部隊長である騎士リフテン・ネーデルヴァイドもそれは重々承知だが、有効な策がないのも事実だ。
「立ち入り検査に踏み切りますか?」
「まだ動きを悟られたくない。派手な行動は確証を得てからにしたい」
「とはいえ、現状手詰まり感が否めませんな」
「せめて犯人の目的が定かであれば……」
余りにも情報が少なすぎる相手のせいで、目標を絞ることも出来ない。せめて犯人がまだ町にいるかどうかさえ分かれば少しは意識に纏まりが生まれるのに――そう思っていた時、暇そうに部屋の隅で話を聞いていたナギが唐突に口を開いた。
「野良試合じゃね?」
「……は?」
脈絡のない言葉にロザリンドは当惑する。
自分の意図が伝わっていないと感じたのか、ナギは頭の後ろに組んでいた手を解いて前のめりになる。
「ザコ冒険者から段々ランクを上げて戦って、サヴァーとはガチった訳だろ? 四星冒険者倒して自信つけて、今度は大っぴらに野良試合始めたんじゃね?」
「野良試合って……時折町で起きるあの乱痴気騒ぎか?」
「何を言うかと思えば……賭けで負けたり場の空気に呑まれた馬鹿どもが、選手の真似事でゲリラ的に行う決闘が町のあちこちで行われているのは知っている。おかげで治癒士が儲かって仕方ないようだな」
「血の気の多い馬鹿の騒ぎに、態々追われる立場の人間が参加するか? 根拠のない憶測より犯罪者心理というものを考慮すべきだな」
聖盾団員が、そんな馬鹿なとでも言いたげに肩をすくめる。そこには平民の浅知恵が出たと言わんばかりの侮蔑がほんの少し見え隠れする。ナギがそれに気付いて不快そうに眉を顰めるが、ロザリンドはそれを手で制して続けるよう促す。
「根拠を聞かせてください」
「野良試合っつっても度が過ぎると唯の殺し合いだから、ちゃんと野良なりのルールがある。その中の一つに、後腐れのないよう互いに相手の詮索はしないし、顔隠しても文句言わねぇってのがあんのよ。実際、野良試合に参加してる奴の中には負けたときに顔割れ嫌がって選手用ローブで顔隠してる奴も多い」
それはすなわち、合法的に顔を隠しながら戦いを続けられるということだ。
予想外の大胆な隠れ蓑を見逃していたことに、祭国警備員が唸る。
「確かに……クルーズあるところ野良試合あり。我々も度を過ぎた戦いにならない限りは遠くからの様子見程度で済ますし、互いに納得して試合が終わったらそれ以上手を出すことはない。手に負えないと思ったら野次馬からすぐに通報が来るし、民衆の自治が機能している状態だ」
「そーそー。だから顔隠した犯人が野良試合しても、サヴァーの時みたいにやりすぎな大怪我負わせなけりゃ話はそれでおしまい。変な武器使ってたとしても、野良試合じゃ普段使わない武器持ち出すのもよくある。武器での身バレが嫌だってやつも多いしな。見物客もそうさ。ルールさえ守れば警備員にチクったりしねぇ。根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だしな」
「これは、ぬかったわね。もっと早く警備隊が気付くべきだったわ」
日常的に行われる野良試合に慣れ過ぎて逆にそれが盲点になっていたのか、シェリー・ラダマントが険しい顔をする。聖盾側は野良試合の仕組みに馴染みがなかった事と、観客の暗黙の了解まで情報が回っていなかったのかざわついている。
「戦いは事件にならず、数ある意味のない騒ぎとして雑踏に消えていく、という訳ですか……!」
「ザットー? よく分からんがそういう訳よ! ……多分」
(……やはり、ナギさんの一般視点はこの捜査班に欠けたピースを埋めてくれる)
「へへへ、俺って調査の才能まであっちゃうんだなー」
(若干のお調子者感があるのがそこはかとなく不安ですが、毒を以て毒を制す的な対応でなんとかしましょう)
まだ確定とは言い難く犯行目的も不明瞭だが、確かにその方法ならば周囲に悟られずに犯行を――いや、合法的な戦いを続けることが出来る。
やはり、ただ観客席で見ているだけなのは性に合わない。
今、与えられた状況と環境でベストを尽くす。
ロザリンドが騎士団に入団してから学んだことが、今、試されている。
(犯人はわたくしたちが何とか致します。ヴァルナ先輩はただ優勝のみを……!)
こうして調査隊は新たに調査範囲を広めていく。
その中にあって、一人浮かない顔の人物が一人。
(つまり私の責任も継続か。トホホ……)
事件がルルズを離れれば自分も責務から解放されると密かに思っていたシェパー農産大臣は、いったいいつになれば謂れのない責務から解放されるのかと現状を嘆いた。こんなことなら身内と一緒にクルーズになんて来るのではなかった、と。
◆ ◇
『魔王との戦い終わったら、アンタどうすんの?』
『え? なんだよ藪から棒に』
厳密にはどこだったか、いつだったか覚えていない。
しかし、シアリーズはそのやりとりを鮮明に覚えていた。
『成り行きでここまでは来たけど、アンタそもそも正式には冒険者ですらないでしょ? 戦い終わった後、アンタ何して生きていくの? その腕ならアタシくらいの冒険者には成り上がれると思うけど?』
『いやぁ……あんまり考えてないなぁ。ほとぼりが冷めるまで世間から逃げたくはあるけど……はぁ。何で田舎でひっそり暮らしてた俺がこんなことを』
彼との出会いを思い出す。
あの日、一流冒険者としての日々に微かな倦怠感を覚えていたシアリーズは緊急の個人依頼を貰った。
とある木箱の運搬の護衛。たまにある仕事だ。
翌日までの指定場所到着の為に魔物の出現が多い道取りを突っ切る必要がある上に、中身が重要な取引物。大商人は特に、この手の依頼で金を惜しまない。シアリーズはほぼ二つ返事で依頼を受けた。
そして運搬も中頃に差し掛かったとき、あの二人と出会った。
『すみません! 荷物の運搬を頼んだ者ですけど、中身間違えたんで入れ替えてもらえませんかっ!?』
『お、お願いしますごめんなさいっ!』
一人は、当時まだ駆け出しの無名冒険者だったリーカ・クレンスカヤ。あの頃はごめんなさいが口癖の引っ込み思案な少女だった。
そしてもう一人が――冒険者でもないのが丸わかりな田舎者全開の恰好をしていた癖に、剣だけ一丁前に立派な一人の男、クロスベル。
『アンタたちねぇ……荷物をすり替えてパクろうなんて手口が古過ぎるのよ。どきなさい。でないと力づくで退かすわよ』
『ヒィィィィっ!! ちょ、ちょっとクロスベルさん、あの人『藍晶戦姫』ですよっ!! 大陸最強の一角ですよっ!?』
『退けるかァッ!! 俺の禁断のブラックヒストリー、『♰孤独煌めく星の唄♰』は世間様には見せられない史上最悪の
『ピャァアアアアアごめんなさいごめんなさい戦いますぅっ!!』
ここで馬車を止めて刃を握ったのが、運命の分かれ道だった。
『――今でも思い出す。片方だけとはいえ七星にまで至ったアタシの剣が叩き落とされたのは初めてだったわ』
『その節は誠に申し訳ございませんでした……』
消え入りそうなクロスベルの謝罪に笑う。
話の流れはこうだ。
実はシアリーズが運んできたブツは、件の『魔王』が町中で解き放つために用意した冬眠状態の魔物であり、それと同時期にダミーの荷物が同時に町へ送られていた。そのダミーの箱が偶然にもクロスベルのブラックヒストリーを封印した箱と同じ見た目で、取り違えられたようだ。
その取り違えの原因が別の仕事で積み荷の護衛に来ていたリーカがスッ転んで荷物が散乱したせいであり、彼女は責任を感じておっかなびっくりクロスベルに付き合ったということだった。
結果、勘違いで大当たりの箱を開けてしまったシアリーズたちは、魔王の割とシャレにならない企てを知ってしまい、事態収拾の旅に出ることになったのである。
冒険者は依頼が法に抵触する内容だった場合、その場で依頼を放棄する権利がある。その後始末まで協力する義務は基本的にない。それでもシアリーズは二人に付き合った。
それは七星冒険者としての最低限の責任感。
そして、己と互角以上に亘り合ったクロスベルへの強い興味だった。
旅は短いが楽しいものだった。どこか三枚目気質なクロスベルだが、決める場面ではしっかり決める。女に余り免疫がない割によく好かれる。それに、クロスベルは変な男で甲斐性無しだが強かった。
戦いの中で相手の癖を掴むセンスと、田舎で便利屋をやっていた頃に培った筋力と手先の器用さは戦闘でも遺憾なく発揮された。最初は光る所はあるが総合的にはシアリーズに見劣りする実力だったが、この間の訓練で初めて完全に降参に追い詰められてしまった。
最初は面白がってからかっていたのに、自分と互角以上で同年代で、七星という立場をまるで気にしないクロスベルにシアリーズは次第に心惹かれていった。
『ねぇ、約束覚えてる?』
『約束? どのだよ?』
『アンタがアタシに勝てたらキスしてあげるって奴』
『……あ、ああー! 最初に訓練した頃にそんな話あったっけ!?』
ボロ負けしたクロスベルに挑発半分でかけたはずみの言葉で、クロスベル自身はやはり強く意識してはいなかったようだ。シアリーズも当然キスの権利を上げる気はなかったが、さほど真剣に覚えていた訳ではない。負けた後にふと思い出したのだ。
『いや、いいよ。なんか勝負事の勝敗でキスって不純っていうか――』
気恥しそうに顔を背けようとしたクロスベルの頬を掴み、シアリーズは唇を重ねた。十秒ほど、彼の唇の温かさを堪能して手を離すと、クロスベルは顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせていた。
『奪っちゃった』
『おおおお、お前ー!? 俺をからかうためにしたのかぁ!?』
『馬鹿ね。アタシはしたいと思ったことしかしない主義よ。冗談半分でやるほど安いキスじゃないんだから』
『へ? ええ?』
当惑するクロスベルに、シアリーズは正面から向き合った。
『好きよ、貴方の事。冒険者辞めていいくらいには』
『しあ、りーず……』
『知ってる。リーカにも告られたんでしょ? 知ってるけど、アタシもこの気持ちを嘘には出来ない。アタシね、王国の海が豊かな島に土地を一つ買ってるの。大陸のややこしい話の届かないあの国の平和な港町で料理屋でも開いて、暫く静かに……少しは女らしいこともやりたいの』
彼がその場で即断できるほどの判断能力があるとは、シアリーズも思っていなかった。だから返事は今すぐとは言わなかった。
『返事は魔王をとっちめてからでいい。アタシ、一か月後には移住するよう手続きもしてあるの。だからそれまで答えが出なかったら、王国のジマル島で待ってる。イエスでもノーでもどっちでも……この気持ちは本物だから』
そして戦いに勝利し、魔王は拘束された。
クロスベルはパレードで用意された勇者の服の余りの格好悪さに逃走し、その頃には五星まで昇格していたリーカは彼を探して再び旅に出た。シアリーズは一か月の間、周囲の喧しい声に耐えて返事を待った。
クロスベルは現れなかった。
シアリーズはジマル島に移住し、一線から身を引いた。
海鮮料理店『ウミネコ』――実はウミネコという生物を知らず、ジマル島の猫が海辺を歩いているのを見て思いついた名前だったが、シアリーズは我ながら悪くないと思い、そこで料理の修業をした。
料理の才能があったのか、創作パスタの受けは悪かったがそれ以外のメニューの評判は上々で、都会から来た元冒険者の美女が経営する店と固定客もつき、ほどよい忙しさに身を置きながら、シアリーズはずっとクロスベルを待った。実に二年間、待ち続けた。
クロスベルは、結局現れることはなかった。
一人、皿を洗うシアリーズは思う。
決して今の日々が嫌いな訳ではない。
でも、隣で想い人が一緒に手伝ってくれる日々を、確かに望んでいた。
と、店の扉が開く。
『あ――』
そこに居たのは――。
「――ん」
目が覚め、寝惚け眼を手で擦りながらベッドの上で上半身を起こす。
未練がましい夢は今まで何度も見た。
いつもはクロスベルが店のドアを開けて迎えにくるところでだいたい終わり、そのたびにシアリーズの心が小さな悲鳴をあげた。しかしこの日、シアリーズの胸に棘は刺さらなかった。
扉を開いて入ってきたのが、クロスベルだったのかヴァルナだったのか、判別できなかったからだ。
運命のいたずらと言うほかないが、ヴァルナはクロスベルが成長したらこんな感じだろうと思わせる程に顔が似ていた。出会った当初、シアリーズは騎士という存在への負のイメージと共に『クロスベルの偽物』という意識がどこかにあったのかもしれない。
だから初対面できつく当たったのに、他人の気がしなくて店に迎え入れたりした。
「……ふふっ、あれ面白かったなー」
シアリーズの容姿を確認すること目当ての一見さん対策に玄関扉を閉鎖している事を知らないヴァルナは、扉を開けようとして顔から激突したのである。
『ヘブゥゥーーーッ!? ちょ、え!? ドアノブ捻れてるじゃん何で開かないのッ!?』
『……あ、そこフェイク扉だから。こっちの窓が入り口だよ』
『何のためのッ!?』
ヴァルナも大概変な奴だったが、流されがちなクロスベルと違ってマイペースながら揺るぎない信念があった。実力も凄まじく、峡谷に追い詰めたオークたちを一掃するためにヴァルナより先に全て狩ってやろうと思ったのに、一匹差でヴァルナの方が討伐数が多かったのはかなり久しぶりに悔しかった。
同じくらい、嬉しくてヴァルナに惹かれていた。
我ながらなんとちょろい女だとは思う。
でも、一生に一人しか唇を捧げる相手を作ってはいけないルールなどない。
それに、ヴァルナなら告白すれば是なり否なり返事をしてくれる。
乙女心を置いて逃げ去ったクロスベルと違い、ヴァルナはそれをコルカという女性との戦いで示して見せた。その意志の在り方が、シアリーズの中のクロスベルを薄れさせた。
「舞台は決勝。必ず勝ち上がって、アタシに試させて」
シアリーズは自分がもし恋人を作るならこれだという条件を、まだ一つだけ確認できていない。ヴァルナとはそれを確かめるだけの時間と相応しい状況がこれまでなかったからだ。
「アンタと会ってから一度大陸に戻って鈍った勘を取り戻して、勢い余ってパワーアップしたアタシは、嘗てクロスベルと戦ったあの日より断然強い。剣の到達点はあの『八咫烏』とかいうものだけじゃないってことも知ってる。それでもアンタは……アタシを超えてくれる?」
ヴァルナならやってくれる――根拠のない期待がシアリーズの心の芯を暖かくしてくれる。なのに負けてなるものかと冒険者の血も騒ぎ立てる。落ち着きのない心の揺れ動きを自覚する度、シアリーズは自分が恋をしているのだと自覚する。
シアリーズは勝ち続ける。
その先にある答えを確かめる為に。
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