第253話 友達になりましょう
その日、バニーズバーの個室に三人の男が居た。
一人は俺、ことヴァルナ。
一人はアストラエ。
そして最後の一人がバニーに案内されて部屋に入る。
「やぁ……来ちゃった」
「座りな。まずは飲もう」
どこか力のない笑みで入ってきたのは、バジョウ・イッテキ。
なんでもアストラエが誘ったらしく、何故か俺も付き合うことになっていた。今回は俺も個人的にバジョウのことが気になるので受けたけど。バジョウは試合での羅刹の如き苛烈な表情はナリを顰め、今は年相応の若者に見えた。
三人で適当な酒を頼んで乾杯し、飲み交わす。
「……おれは、イッテキ家の三男に生まれた」
少しして、バジョウは誰に頼まれるでもなく語り始めた。
「上に兄が二人いた。女兄弟はいない。兄上たちは才知優れる自慢の兄たちだったが……流行り病に掛かって二人ともお隠れになられた。兄上が当主になるとばかり思っていたおれに、突如として家の未来が圧し掛かってきた」
「……次期当主の重責か」
「うん……」
名家と呼ばれる家に呪いの如く付いて回る、家を継ぐ者の責務。高貴な生まれでなくてよかったと俺が一番思う瞬間だ。バジョウはグラスの果実酒をゆるりと揺らし、一口飲んだ。
「……イッテキ家は軍神の家。継ぐ者は戦乱にて誰よりも鮮烈に戦場を駆ける超人でなければならない。当主ともなると、受け継がれし十二の戦闘術を全て免許皆伝し、極に達さなければならない。一日のほぼ全てを修練と勉学、自己研鑽に捧げた。君はどうだった、アストラエ王子?」
「アストラエでいい。僕はそうさな……女兄弟はいない。兄が一人……才能は僕が上だが、王としての資質では敵わない兄がいた。だから僕は別に勉強しなくてもいいじゃないかと思っていた」
「ほんとヤな奴だよお前は」
「まぁ今日は語らせてくれよ。こんな話、ヴァルナ以外に聞かせるのは久しぶりだ」
まだ酒の入りが浅いうちに語ってしまいたいのだろう。つまみを少々齧りながら、アストラエは回顧する。
「僕は王家も王族も嫌いでね。自由がないんだよ、当たり前の自由ってやつが。しかも嫌いなのに周囲は『立派な王様だ』とか『才覚にも財にも恵まれている』だのと囃し立てるのが、子供心に余計に腹が立っていた。でも王族である以上は高度な教育や自衛の術を学ぶことから逃げられはしない。僕の行動の全てが他の誰かや、家という漠然とした存在に支配される……こんな理不尽なことはないと思っていた」
「おれは……思った事はなかったな。ただ逃げ出したいとは何度も思った」
「「どうしてこの家に生まれてしまったんだろう」」
異口同音に放つ言葉が、抱いた感情は違えど共通していた。
子供は決して親を選ぶことができない。
だからこそ親には教育者としての責任があるし、子を守り育てる義務がある。その責任も義務も、子の為のようであって実は子を蚊帳の外に置いた理論でしかない。
「なんで兄上が死んだのか。なんでもう一人兄弟を生んで、その子が継ぐことにならないのか。でも家に恥をかかせることは出来ない。自分の家がどれだけ国で重要な役割を持っているか、どれほどの誇りを以て最強であり続けたのか……それを嬉しそうに語ってくれた兄上たちの顔が頭を過るたび、おれはまた武器を手に取って鍛錬に励んだ」
それを美談と取るか束縛と取るかは、人の見解に寄るだろう。
騎士団の誇りを掲げる俺としては、少し美談よりに思っているかもしれない。そしてアストラエはその辺、俺と真逆に吹っ切れている。
「ぼかぁ全然……どうせ兄が継ぐんだから僕なんか世俗に遊びに出ても構わないだろうって思うと毎日無意味なことをさせられてる気分になった。そのうち教師より自分が頭がいいことでも証明してやろうと反骨心で勉学に励んだら、本当にその通りになった。剣術もそうさ。ケチがつけられない動きまで達してやって……」
そこで酒を呷ったアストラエは、心底つまらなそうにぼやく。
「やることやり切ると、今度は八つ当たりの対象がなくなって余計に苛々する日々さ。馬鹿みたいな話だが、国王、王妃、兄上に執事と八つ当たりの嵐だった」
「そ、それは……凄いな。おれがやったら打ち首になるぞ」
「それはまぁ、僕だけの物語。君はどうだった?」
「ああ、ええと……不思議だな。おれは到達する所まで到達したら、目標に自分がなってしまって、することがなくなったんだ。言われたことをこなし、教えられたように人に指示を出す。兄上や父上に恥じぬ存在になれたはいいが、到達するのは少々早すぎた。余った時間で少しばかりの自由を与えられたが、何をすればいいのやら分からずさ」
苦笑いするバジョウの言葉に、若干の共感を覚えなくもない。
仕事が終わるとイマイチやることが見つからないことのある俺としては、それがどういうことか少しだけ分かる気がする。
「到達した後は維持することが責務になるよな。俺も王国筆頭騎士になってからは特にそうだ。だから余裕を削ってまで打ち込む必要のある事が減るし、させて貰える範囲がいつの間にか絞られてる」
まぁ、維持だけに力を注ぐとどこぞの王国議会みたいな腐敗と淀みが発生するので議会は滅ぶべきだが、それはさておきバジョウはそれに相槌を打った。
「そうだと思う。おれにとって唯一幸運があるとしたら、おれが家を継ぐのはまだ十年以上先の話だったことだ。その間、外国へ赴き見分を広めよと指示されておれは漸く海外に赴いた」
「それで冒険者をしていたのか。ふむ……たった一人の跡取りを危険な地へ送り込むとは、実力への信頼かな?」
「否、御庭番の護衛に信頼を置いていたからだろう」
バジョウがパンパン、と手を鳴らすと、部屋の扉が開いて黒装束に身を包んだ人物がするりと部屋に入る。口も布で隠しているが、紫色の髪の女性だ。さっきから気配や物音は感じないよう努力してる人が外にいるなと思ってたらこいつだったのか。
「お呼びですか、主」
「……列国の自慢は武士だけじゃない。忍びの者もその力だ。海外風に言えば戦うスパイといったところかな? 護衛も忍びの仕事のうちでね。あ、ちなみに彼女はお蓮だ。本名じゃないけどね」
「ご紹介に預かりました、お蓮にございます。以後お見知りおきを、王国第二王子にして聖艇騎士団所属、騎士アストラエ殿。そして王国史上最も出世した平民と名高い王立外来危険種対策騎士団所属、王国筆頭騎士ヴァルナ殿」
その口調は丁寧でありながら、暗に『お前たちの事も調べてある』と示すような内容に感じられた。それはそれとしてちょっと気になったことのある俺は彼女に質問する。
「あんた的当て大会の時にファンに混じってバジョウに声援送ってなかった?」
「べべべべべ別人ではないでしょうか」
お蓮さんがド派手に動揺しているので図星らしい。
いや、我ながらよく当てたなこれ。確かに偶然近い場所にはいたけど、背丈と声質と髪色と俺やアストラエに対してわずかに棘を感じたことと、ついでに気配で一度会った事がある気がしたのでいってみたんだが。
もしかして自覚ないうちに氣の気配察知範囲と精度が高まってるのか。これもマルトスクとの戦いの影響かもしれない。今度暇なときにどれだけ範囲が広まったか正確に測量しておこう。
しかし、そうなると実はあの会場内には結構な忍びが混ざっていたのではないだろうか。
「ファン層とアンチ層に混ざってずっと監視護衛してるらしいよ。特にお蓮さんは周囲のファンの抑え役になったり。無理して応援しなくてもいいって言ってるんだけど、好きでやってるからの一点張りで……」
「部下に愛されてるのはいいことじゃないか」
お蓮さんは直立不動で動かないが、自分の話題が出て恥ずかしいのかみるみるうちに顔が赤くなっている。口元隠しても感情の揺れ動きがバレバレである。しかし成程、そういうことだったのか、と俺は得心した。
「はー、凄いな。店内に三人、屋根の上に四人、路地にも四人気配消してぴったりついてる奴いるからあんまり酒飲まないでいたけど、全員バジョウの護衛の忍びだったのか……」
「なななななな何のことでしょうか」
お蓮の眼球が四方八方に飛び回っているので図星らしい。
この人、隠し事がド下手すぎる。彼女はもしやスパイに向いていないのではないだろうか。そう思ってバジョウの顔を見ると、笑顔が引きつっていた。
「おれでさえそこまで把握していないのに……ヴァルナ殿が列国に生まれていたら、最強の武士か最強の忍びになっていた気がしてならない」
「やはり傑物……いや怪物か……」
「蹴るぞてめー」
閑話休題。
「冒険者になって周囲の賞賛を浴びたとき、嬉しかったんだ。ここは列国ではないから、列国のものではない立ち振る舞いをしても許されるんじゃないかと魔が差して、キザな男として振舞った。まぁ恥ずかしい話なんだが、女性にちやほやされるのはなかなかやめられないものがあって……大会に出たのも周囲に言われてなのだが、列国の顔とキザな顔、どちらで出ればいいのか悩んだ挙句に最初はあの顔をしてたんだ」
「まぁ他人にちやほやされるのは僕も嫌いじゃないな。媚びてなければ尚いい」
アストラエは媚び相手でも純粋な好意相手でも表向き同じ顔をしているのが不気味だが、人間なんて基本ちやほやされて嫌がることは少ない気もする。純不純で言えば後者だが、責めるのも可哀そうだろう。人間、表と裏の顔がないとやっていけない立場というのはあるものだ。
しかし、本気になるならもっと早い段階でなれた筈だ。
「何で、本気になったのが本大会の途中なんて半端な時期だったんだ? それがずっと引っかかってたんだけど。俺と最初にやりあったとき、この調子じゃ勝てないと思わなかったの?」
「そりゃ、思ったさ。でも……今のおれは冒険者のバジョウであって、イッテキ家のバジョウとしての顔は封じていた。そもそも大会で勝ち抜けるかどうかも正直半分はどっちでもいいと思ってたんだ。鬼面相を使ってファンを脅かしてまで勝てなくとも、列国とは関係ないと……」
少しこちらの胸に引っかかる物言いだが、言いたいことは分かる。
『列国イッテキ家のバジョウ』として出てしまえば、結果は全て真剣勝負。一度でも敗北すれば家と国の顔に泥をはねる真似になる。しかし『冒険者バジョウ』の顔でやれば、あくまで冒険者の腕試しがてら参加した体にはなる。
バジョウにとっては冒険者としての今が心地よいのに、鬼面相を出せばせっかく集まったファンも怖がって散ってしまうと思うと、彼は当初、家の誇りを掲げてまで心地よい環境を手放したくなかったのだと納得は出来た。
「その認識が変わったのは、彼の『竜殺し』マルトスク殿を追い詰めた君の試合を見てからだ。騎士ヴァルナ」
「え、俺?」
「え、じゃないぞヴァルナ。君の試合が終わってから大会参加者の気迫が明らかに変わってる。僕だってそうだろ?」
「そうだけど……まぁ確かにあの試合は俺も充実した戦いだったな」
筆頭騎士になって以来、初の同格以上の相手との戦いはまさに血沸き肉躍った。マルトスクとの問答も自分を再確認できるもので、得るもの多き試合だった。
「君は、賞金目当てで人が集まったようなものだと思っていたこの戦いの観念を変えた。絶対に負けたくない、負けられない……そんな感情の見え隠れする試合は沢山あったけど、君たちのあれはその一つ向こうの次元に達していた」
戦士の持つ極めてシンプルな闘争心――あいつに勝ちたい。
たったそれだけの為に、人は命を懸けられる。
「その次元で挑む戦士がいるのに、おれは今のままでいいのか? 国を背負って戦う男と相対するのが、負けてもいいやと思っている男でいいのか? おれは一晩悩んだ。もし君ともう一度戦うことがあるのであれば、あの激戦を目撃した者としての礼儀が……背負うものが必要じゃないかと」
「そして、この仮面を取ったのか」
アストラエが指先でくるくると器用に回す鬼の面に、バジョウは頷く。
「やってしまったよ。仮面をつけて戦った上で負けるだなんて想像もしていなかった。負けたことがなかったから、敗北ももっと怖いものだと思っていたよ。なのに酒の席で本音を語らって……なぁアストラエ。君と僕と、何が違ったのかな」
家を背負った男と、背負わされた男。
裏切ることを恐れた男と、反発した男。
二人は対照的なようで、どうしてか人生の過程が似通っている。
バジョウの問いに、アストラエは勿体付けるようにわざとらしく考え込み、そしてにやっと笑った。
「自分という壁を破壊してくれる友達がいたか、かな?」
「友達……?」
「僕はヴァルナに何度も破壊された。言っているのもやっているのも、根っこの部分では結構当たり前な事してるんだけど……その当たり前を僕にぶつけてくれる人はこれまでいなかった」
「そう、なのかな。確かに忍びはあくまでおれに従いおれを守るだけ。ファンは褒めたたえるだけ。指南役に逆らった事がないから、選択に迷うことはなかった……僕は全部正解を選んでいるつもりで、ただ他の道が見えていなかっただけなのか……」
随分人生を遠回りした、とばかりに自嘲的な笑みを浮かべるバジョウに、アストラエは仮面を差し出す。受け取ろうとしたバジョウだが、寸での所でアストラエの手は引っ込められ、代わりに反対の手がシェイクハンドを求めた。
「僕と友達にならないか? バジョウ」
「あ……ああ! 喜んで!!」
(ふーん、お前がねぇ……)
力強く交わされる握手が、二人の心を繋ぐ。
こんなに人に気遣う男ではなかったのに、境遇が近しい相手を見て色々思うところがあったらしい。こんな風に他人に歩み寄るアストラエを、俺はもしかしたら初めて見るかもしれない。
肉体だけでなく精神も成長している。
その様子を、俺は世話の掛かる奴が一人立ちしたような、それでいてライバルの実力を目の当たりにして己も奮起するような気持ちで見つめた。
――のちに俺もバジョウの友達となり、その夜は遅くまで酒を酌み交わした。
その日は、俺だけ一応忍びに警戒して酔っぱらうまでは飲まなかったのだが、当の忍びはお蓮さんを始めとした女性陣がバニーに着替えさせられたり、べろべろに酔った若い忍びがバジョウを賛美する歌を歌いだしたり相当カオスだった。
まぁ、たまにはこういうのも悪くないんじゃないだろうか。
そう思いつつ、俺は出来上がったお蓮さんからオークに有効そうな武器と罠、戦術を聞き出す作業に戻った。列国の戦術もなかなかどうして面白い。どうにかしてオークの皆殺しに導入出来ないだろうか。
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