第252話 それまで預かります

(バジョウ・イッテキ――当人は一騎当千と言っていたが、本当に千人相手に戦う為に鍛えたような業だ。ヴァルナとは全く違う。一人で全てを背負う……違うな。背負わされた存在、か)


 切れそうな息をごく自然に整えながら、アストラエはバジョウを睨む。


 予選での姿とは全く違うその様相は、恐らく戦場で如何なる武器をも十全に扱い、あらゆる怪物を打ち倒す為にそうあれかしと鍛え上げられた存在なのだろう。


 彼は、人間が作り出した怪物だ。

 そうなる為にあらゆるものを捨てさせられ、あらゆる可能性を廃された。あの仮面は、本来戦いに向いていない彼から優しさを捨てさせる『親の鬼面』ではないかとアストラエは思った。


 言葉では何も交わさずとも、何となく感じる。

 バジョウという男が育った環境は、きっとアストラエのような王族のいる閉塞した環境と似ている。彼も自分も偶然そこを抜け出して羽目を外す機会を与えられた存在に過ぎないのだろう。


 しかし、彼とアストラエには決定的な違いがある。


「親の言いつけに全て従ってきた。そんな剣だな」

「……イッテキ家当主として当然のことだ」


 離れていた間合いが一気に詰まり、槍による刺突。


蛇楼院だろういん流槍術奥義、旋咬」


 唯の刺突ではない。意図的に切っ先にブレが生じ、それが軌道を読めなくしている。通常なら切っ先の定まらない槍など物の数にもならないのが普通だが、バジョウはその手捌きで動きを完全に掌握した上で更に刺突を放てる体勢だ。

 一撃目で追い詰め、更にもう一撃でリーチが伸びる。

 アストラエも槍を嗜んでいるが、ここまで必殺を狙うものは初めてだ。


 しかし、アストラエは敢えてそれに対して構えつつも動かなかった。

 切っ先があと僅かまで迫ったところで、バジョウが間合いを詰めるのを止めて引く。観客は頭に疑問符を浮かべるが、少なくともアストラエとバジョウは何故そうなったのか正しく理解している。


「……何故、動かなかった」

「僕は、子供の頃は反抗的な性格でね。右と言われれば左がいい、動けと言われたら動かない男だったんだ。その奥義、後手必殺の技なのだろう? 相手が焦って動けばその隙を狙えるが、相手が動きも仕掛けもしなければ唯の刺突というだけ。なまじ目がいいと騙されるが、捻くれ者には通じない」

「……旋咬の特性を一瞬で見抜かれるとは、不覚なり」

「素直すぎるんだ、君は。だから空気が読めているようで変なところで読めないし、ルヴォクル族に騙されて凹んだりする。それでいて、実は誰よりも敗北を恐れている。その顔が証拠だ」

「……!!」


 バジョウの能面のように固かった表情には今、はっきりと渋面が浮かんでいる。即座にそれを誤魔化すように槍による猛追が始まった。今度はフェイントを捨て、リーチと筋力で苛烈に攻め立てる。まるで、先ほどのたった一度の失態すら己には許されなかったとでも言うように。

 二の型・水薙や八の型・白鶴を用いて紙一重で捌きながら、アストラエは鼻を鳴らす。

 

「強くない自分に価値はない、とでも言いたげな顔だ。気に入らないな、君の親が」

「我が一族を愚弄するか。吼えるなら吼えていろ……それでも勝つのは我だッ!!」

「それは君の勝利じゃないだろう。勝利を強要したイッテキ家の勝利だ。君の武芸の一つ一つに、そうあれと無責任に望まれた強迫観念が……滲み出ているんだよッ!!」


 何が彼にあの面を被らせたのか、アストラエには推測しか出来ない。しかし一つ確信していることがあるとすれば、その仮面を誰かが砕くべきだということだ。

 それはきっと、今のアストラエがやるべき役割。

 仮面を砕く方法をアストラエは知っている。


「バジョウ・イッテキ。敗者の景色を見たことがあるかい?」

「ないな。しかしきっと惨めな景色だ」

「そうかな。僕はね、目が覚めてベッドから起き上がったときに感じた痛みをこう思ったんだ。夢じゃなかった、と」

「何を……?」


 あの日――ヴァルナと初めて模擬戦をした運命の日。

 戦いに敗北して鼻血を噴き出して倒れ、次に目が覚めたとき、アストラエは一瞬「夢だったのかな」と思った。それには理由がある。


 アストラエは、才能ある王族である自分は庶民が感じるような幸せを享受できないという漠然とした空虚さを感じていた。何をしても人を越え、人に敬われ、人に諦められる。士官学校という環境に来ても、感じるのは孤独。王族であるが故に、談笑の一つにさえこちらへの気遣いと警戒が滲んでいる事を、心の隅の冷めた心が見透かしていた。


 他の同級生が今回は勝った、負けたと一喜一憂する中、アストラエは誰にも負けず、感情を揺れ動かされることがなくなっていた。自分とそれ以外は永遠に相容れない存在なのかもしれないとさえ思い始めていた。


 いっそ、愚者を演じて偽りの感情に手を出そうか。

 そんな傲慢な事さえ考えていた。

 だからこそ、自分の才能を凌駕する戦闘能力で容赦なく叩きのめされたあの日、アストラエは『王族』から『人間』になった。それがどれほどの衝撃だったかは筆舌に尽くしがたい。夢だったのかもしれない、本当は起きていないのかもしれない――そう自分で疑うほどに、あれは奇跡的な出会いだったのだ。


 奇跡は続いた。

 ヴァルナに出会ったからセドナとも友達になれた。

 家族との間をヴァルナとセドナがほんの少し取り持ってくれた。

 たった二人――アストラエにとっては出来過ぎた二人。


 それをたった一度の敗北を切っ掛けに得られることを、信じられるか。


「負けることは惨めかもしれない。しかし、僕にとって負けとは夜明けだ。可能性の光が照らす道をまだ探索しきっていないことに喜び、世界に感謝するのさ」

戯言たわごとばかり並べるな! 敗者にあるのは嘲笑と軽蔑、悔恨の嘆きのみ!!」

「なら一度全てを吐いてみろ。それで初めて君は軍神から人になれる――否、思い出すのだ。己は人であったと」


 アストラエは感謝する。

 バジョウが己を超える猛者であったことを。

 バジョウの心を読んだ時、共感と共に彼を開放するという使命感が生まれたことを。


 お前も来るんだバジョウ。

 そんな狭い価値観の中で窒息してる場合か。

 壁の外に広がる世界は広大で、未知に溢れている。


 王家の未来を指し示す御使いの神鳥よ。

 我が剣に宿りて、彼の者の囚われし魂を光へといざない給え。


「何をする気か知らぬが、させんッ!! 夜牛やぎゅう流鉄扇技、併月輪あわせがちりんッ!! 」


 バジョウが鉄扇を開き体を回転させながら投擲する。恐ろしく鋭い速度で虚空に投げ出された鉄扇が弧を描き、ブーメランのようにアストラエへ飛来する。鉄扇には刃はないが、命中すれば腕の一本持っていかれても可笑しくない速度だ。

 更に、列国の鬼は吼える。


「転技、轟虎心一ごうこしんいつ流――極奥義ッ!!」

「ッ!?」


 居合染みた速度で抜き放った腰の太刀を一直線にアストラエへ向けて構えたバジョウが大地を踏み割り加速する。ヴァルナが本気で放つ六の型・紅雀にも匹敵する加速の中で、バジョウの剣に意思が具現化したかのような真っ赤なオーラが収束してゆく。


 直感で理解できる。

 あれは一つの流派の到達点――王国攻性抜剣術とはどこかで何かの前提条件を分かつ、破壊の神髄だ。肌を灼くほどの気迫の熱に魂が無条件で負けを認めそうになるほどに、それは危険だった。


「窮奇虎影塵ッ!! 我ニ砕ケヌモノ無シッッ!!!」


 その面相、鬼気迫々。

 更に鉄扇によって動きを封じ、三点攻撃にて必殺の陣。

 逃げも守りも許さぬ列国の究極の武技。

 されど――。


「砕けるのは君の方だよ」


 之は勝敗を決する一撃に非ず。

 之は、救済の一撃である。


「舞え、八咫烏ッッ!!!」


 その瞬間――会場にいるほんの一握りの者たちは、神の如き鳥が鬼の傍を通り過ぎたような幻覚を見た。


 気が付けば、アストラエはやりきったという確信と共に己の剣を納剣していた。

 かちん、と鳴ると同時に、バジョウの手に持つ刀と他全ての武器が同時に断たれ、砕かれ、斬れた。鉄扇は誰に当たることもなく地面に突き刺さり、バジョウは茫然と砕かれた己の刃を見つめた。


「……ぁああッ!!」


 それでも、すぐさま「勝利しなければ」という意識で全ての心の余白を塗り潰したバジョウは、瞬時に残された肉体を駆使してアストラエに鋭い拳を放つ。


「裏伝七の型、鶺鴒せきれい

「ガハッ……!!」


 一瞬の攻防。

 バジョウの拳より僅かに早く、アストラエは納剣した剣の柄をバジョウの腹に抉り込んでいた。防具もないバジョウへのダメージは絶大で、肺から全ての空気を吐き出したバジョウはがくがくと痙攣する。

 それが決定打だったのだろう。バジョウは何とかアストラエの腕を掴んで体を支えようとするも、力が入らずそのまま崩れ落ちた。意識はあるが立ち上がる様子はなく、呼吸が乱れて声も出せない様子だった。


『最後は一瞬ッ!! マルトスク選手やヴァルナ選手と同じ、『何をしたのか分からない奥義』からの攻防は見事としか言いようがありませんッ!! バジョウ選手、立ち上がれないぃぃぃ~~~~~ッッ!!! 勝者はマスクド・キングダムッ!! いえ……王国第二王子、アストラエ選手だぁぁぁぁ~~~~~~~ッッ!!!』


 会場からバジョウの敗北を嘆く悲鳴と、アストラエへの黄色い悲鳴。そして予想外の中身に驚愕する人々と「知ってた」と真顔の人々、土壇場の大逆転に興奮する人々の声援が入り混じる。


 勝利を実感すると同時、アストラエは全身にどっと疲れが来たのを感じた。恐らく初めて『至った』反動だろう。早くモノにしなければという微かな焦りもあったが、それ以上に心地よい疲労感だった。


 と――思い出したようにアストラエはバジョウの下にしゃがみ込み、彼の頭から外れた『鬼の面』を拾う。視線だけ動かしてバジョウが何か言いたげな視線を送っている事に気付いたアストラエは、小さく笑った。


「この仮面はしばらく没収だ」

「王子、だったのか……? お、前が……わか……らん。何故、国を背負う我と、お前で、こんな……我が一族が、間違っていたとでも言うのか……?」

「今度酒でも飲み交わして話でもしよう。僕はこの町のバニーズバーが今の行きつけだから、気が向いたら来るといい。仮面もそのとき返してあげる」


 ――かくして、マスクド・キングダムの戦いは幕を閉じ、代わりに第二王子アストラエの名がコロセウム・クルーズに響き渡る。その名が紆余曲折を経て、やがて列国に『鬼屠りのアストラエ』という微妙に間違った形で伝わるのは、それから数年後の話となる。

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