第251話 今日は少し違います

 ヴァルナの戦いは、ヴァルナだけのものだ。


 しかしヴァルナ程の男が本気で戦う姿を見て以来、アストラエの心には静かな青い火がじりじりと燃え上がっていた。


 あの一戦で爆発的にヴァルナは成長した。

 或いは潜在能力をまた開花させたのかもしれない。

 もし二人が戦うとしたら準決勝であり、その時にはヴァルナは更に強くなっているだろう。今、このまま勝ち進んでヴァルナと当たれば自分は負けるとアストラエは確信していた。

 その上で意識せざるを得ないのが、オルクスの最後の一撃だ。


 アストラエには直感的に分かった。

 あれは『至った』ものだ。

 秀でた才能も人並みを超える意志も持たない、アストラエが歯牙にもかけない騎士が、足踏みしている間にとうとう頭一つ越えていった。


 これは、恥だ。

 オルクスに先を越されたことが、ではない。

 ヴァルナの好敵手であり続けると決めた自分をアストラエは恥じた。


「厭になるな……」


 うんざりしたようにため息をつく。

 ヴァルナにだけは置いていかれる訳にはいかないと常に鍛錬を欠かさず、時に海賊たちと一戦交えることもあるアストラエでも、弱音を口にすることはある。しかし、言葉に反して口はいつも無意識に笑みを湛えていた。


 アストラエは天才だ。

 大抵のことは人並み以下の努力で事足りる。

 勉学ではセドナに一歩及ばなかったとはいえ、あれは殆ど自由回答の問題での点差だ。いつも面白半分に相手の意表を突く回答ばかりしていた差だし、チェス勝負なら勝っている。宮殿でもアストラエがその才覚で勝利できなかった相手など居はしない。


 故に、夢中になれない。

 何にも没頭することのできない果てなき退屈が渦巻く宮殿で、アストラエは鬱屈していった。

 王子という立場が齎す心の壁と、勝手に決定される己の在り方。そして王宮の外に足を運ぶ機会があるたび、見せつけられる『自由』と『目標』の差に、何故自分にはそれがないのかと嘆いた。


 アストラエに自由はなかった。

 目標と呼べるほどのものもなかった。

 次第にアストラエの鬱屈には理不尽な怒りが湧き、家族との関係もぎこちなくなり、執事長くらいしか話しかけてこなくなった。執事長も強かったが、そもそもアストラエとは重ねてきた経験と体格が違った。成人すれば勝てると思っていた。

 その末に、せめてのも反発心とアストラエは士官学校に通った。


 そこで、会ったのだ。

 初めて、死力を尽くしても勝てない対等な人間に。


 見たこともない精神構造と才能を秘めた平民、ヴァルナ。

 王子という立場に関係なく平然と接してくる彼が、アストラエには眩しかった。人生で初めて他人に歓喜し、嫉妬し、対抗心を燃やした。


 届かない場所に座する彼のライバルであり続ける。その時だけ、アストラエは全ての責務から解放され、対等な一人の人間としていられる。ヴァルナがいる限り、アストラエは一生戦いに飽きることはない。


 故にこそ、アストラエは強さに執着する。


「さぁ、僕も征くか。高みへ。オルクスに出来て今の僕に出来ない道理などないよな?」


 まるで散歩に出も行くかのような気楽さで、アストラエは仮面をつける。マスクド・キングダムは優雅さを売りに勝ち上がってきたが、今日から少し変えていこう。


 今日の相手は列国の怪物、今までのアストラエなら勝てるかどうか怪しかった。ここまで牙を隠し持っていた彼は、成程確かにヴァルナとは違った意味で怪物と呼ぶにふさわしい。アストラエも多芸ではあるが、あれに及ぶかと言われると素直に頷けない。


 だからこそ。


「七星にも勝てないような僕が相手では、君も退屈だろ?」


 ――天才に不可能はない。




 ◆ ◇




 Dブロック四回戦第一試合、マスクド・キングダム対バジョウ・イッテキ。

 

 アストラエの対戦相手、バジョウ・イッテキは俺ことヴァルナも一度試合でぶつかった相手だが、相対したときは大した脅威には感じなかった。しかし、脅威を感じなかったとはいえ彼はいい腕をしていたとも思う。


 俺基準のいい腕というのは、どうやら大陸では五星フェクダ以上を指し示すらしい。彼自身は厳密には冒険者が本業ではないらしいが、『俺の追撃を一応は捌いた』のだから弱い訳はないとは思っていた。


 そんなバジョウが三回戦から本気の姿を見たとき、俺は少なからず驚いた。


 脚に二本の小太刀、腰に刀、背に大太刀。更に槍と弓矢、鉄扇、果ては分銅鎖などという冗談じみた重装備だったのだから。それらを無理やり体に括りつけるように装備した本人は手足を中心に最低限しか防具を付けず、上半身はほぼ裸。極めつけに彼の頭部には恐ろしい形相の仮面が括りつけられているという異様さだった。


 彼は武術に於いて多芸とは聞いていたが、この装備量はとても実戦を想定したものに思えない。そんな俺の予想に反し、本気になったバジョウの戦いは凄まじいものだった。


 『鬼面相』――これまでの魅せる戦いを廃したそれは、七星の高位冒険者を圧倒した。苛烈な表情はオーガより険しく、まるで曲芸のように次々に武器を取り換えて相手を追い詰める容赦のなさは、これまで彼を軽薄と罵っていた観客たちも息を呑むほどだった。


 未だ六星冒険者までしか倒せてないアストラエと、七星冒険者を下したバジョウ。この対決は、一般ではバジョウ有利となっているが正直予測がつかない。


「これは俺の想像だが、バジョウのあれは子どもの頃から血の滲む修練を課せられて、あの戦い方を継承したんだと思う」


 個人的な感想に、共に並んで観戦するセドナと護衛のネメシアの視線がこちらを向く。……また女に挟まれてるな、俺。幸いにして二人ともここで喧嘩を始める気はなさそうだが、何の切っ掛けで再燃するかもわからないので俺は胃が痛い。

 その片割れのネメシアが疑問を呈す。


「継承? あれを? どう見ても個人の才能に依存する滅茶苦茶な戦い方に見えるけど……」

「あいつの家、イッテキ家は列国有数の武家大名――王国で言えばバウベルグ家に匹敵する軍門だ。しかもあっちは魔物だけじゃなく異民族との戦いを経ているらしいからな。そういう技術継承は活発らしい」


 ……ちなみにバウベルグ家は軍門の癖に五大騎士団に所属している人間が今はロザリンドしかいなかったりするのだが、これはバウベルグ家が五大騎士団に数えられない『特殊戦術騎士団』の重役を代々担っていることと、これまで男性の生まれる率が多かったバウベルグ家が今代に限って跡取り四人中三人が女性なのが関係しているらしい。


 特殊戦術騎士団といえば一般には聞き覚えのない人もいるだろう。しかし、規模が小さいから五大騎士団に入っていないものの、格式と重要性は引けを取らない。この騎士団は、全騎士団の教練内容や今後導入すべき設備、装備、とるべき戦術の研究などを行う国防の中枢と言える存在だったりする。

 ロザリンドの父はそこの元騎士団長で、団長の座を退いた後もアドバイザーとして大きな影響力を維持している。長男が家督相続等を終えたら彼もそこへ行くのかもしれない。


 なお、王宮騎士団と同じく王宮により近く、互いの仕事の特殊性から外対騎士団とは縁が遠い、というのは余談だろう。


 重要なのは、性質こそ違えど列国内で同じくらい有名なポジションにいるのがイッテキ家だということだ。情報は殆ど出てこなかったが、唯一、前回のプレセペ村で知り合ったマモリの母であるコイヒメさんから情報を得ることが出来たらしい。


「曰く、イッテキ家の人間は一騎当千の実力と、扱えぬ武器なしと謳われる武芸の才覚が知れ渡る家系である。それゆえ彼らは「軍神」と呼ばれ敵からは「鬼の一族」と恐れられた、と。現人神アラヒトガミという列国独特の考え方らしい」

「女神の祝福を受けた家系ってことかな。確か王家がまさにそうだよね」


 言い伝えの話だけど、とセドナが付け加えた。

 その辺は俺も聞いたことがあるが、どうなんだろう。

 女神にあまり夢を見過ぎない方がいい気がする。


 そんな話をよそに、二人は既に戦いを始めていた。


兎月うづき小太刀二刀術、受けて見よッ!!」


 件のバジョウはと言えば、今は小太刀二本を構え、獣のような速度でアストラエに肉薄している。まるで腕を鞭のようにしならせたかと思えば突き、突いたと思えば手を引く瞬間にまた斬る。


 俺やシアリーズとは全く違う二刀流にして、なまじ長剣に慣れた人間であればある程に軌道を読むのは難しいだろう。

 アストラエはそれを超人的な反射神経で全て弾いていた。


「確かに強いが、それだけではッ!!」


 アストラエは黙っておらずそのまま踏み込む。

 対しバジョウは敵を目の前に剣を納刀したと思った瞬間、背中の大太刀を抜き取りざまに一閃した。


「転技、柴現しげん流一刀術ッ!!」

「今度は大太刀かッ!!」


 あれほどの刃渡りを持つ刀を瞬時に抜いたのにはどうやら鞘にも仕掛けがあるようだが、武器の切り替え速度とタイミングが完璧すぎる。

 一見して武器を手放す瞬間とは隙が出来るものだが、バジョウのあれは隙を晒していると同時に迫力で気圧し、更に隙を誘い込みとして残しつつ次の技に繋がるよう昇華された間だ。


 ギュバッ!! と大気を割いて乱れ飛ぶ斬撃はその一つ一つが相手から行動の選択肢を剥ぎ取っていく強烈なものだ。俺がマルトスクを追い詰めたときの戦法に通ずるものがある。

 しかし、俺が使う戦法ならばアストラエは当然対策を取っている。


「足癖が悪くて失礼ッ!!」

「ぬぅッ!?」


 突如身を屈めてからのムーンサルトキックが炸裂。バジョウの刀の柄が蹴り飛ばされ、一瞬の隙が生まれた。相手の視界からずれた瞬間に見えづらい攻撃を放つのは俺も使うが、元はアストラエから盗んだものだ。

 アストラエはその隙を逃すまいと腰を深く落として踏ん張り、放たれた矢の如く一気にバジョウに肉薄し――。


「これを隙と呼ぶのは、浅はかなり」

「なんとぉッ!?」

 

 バジョウは弾かれた剣と共にバク転し、大太刀を地面に突き刺してアストラエの剣を弾くと同時、宙に浮く。武器を手放すという選択に対応が一瞬遅れたときには、バジョウは空中で弓に矢を番えていた。


「天地逆転せども狙いは外さず。真示螺ましら弓術……堪能されよ」


 アストラエが何か言う間もなく、文字通り矢継ぎ早の矢が降り注ぐ。驚異的な連射速度は、それだけならカルメをも上回る。的当て大会でも決勝に進んだとは知っていたが、あれは『射的』の腕だと思っていた。

 しかしバジョウは実戦でも何の問題もなく当ててくるタイプらしい。余りの連射速度に弓の弦が楽器のような密度で音を奏でている。それだけでも曲芸だが、矢が石畳に突き刺さる光景にセドナの顔が青ざめた。


「うっそ……なに、あの一撃の重さ!! 見た目通りの弓じゃない!? あれじゃアストラエくんでも一発貰ったらおしまいだよ!?」

「焦んな。あいつが易々とくたばるか」

「でも危険だわ。今の所アストラエ王子は一度も攻勢に転じられてない」


 ネメシアの冷静な分析は尤もだ。お得意のトリッキー戦術も、そもそも相手がトリッキーすぎて上手く機能していない。体術で攻めようにも、バジョウは異常な量の装備品の重量を利用した体術で決定打が入らない。


 しかし、飛んだ以上はいつか着地する。

 全ての矢を躱し続けたアストラエと着地したバジョウが相対するが、アストラエは掠った矢の影響で服のあちこちが裂け、痛々しい生傷が垣間見える。対し、バジョウは無傷。それがこの戦いの趨勢を如実に表している。


「ふぅ……着地の瞬間まで番えた矢の照準を一切逸らさぬこの技量……冒険者たちとは違った恐ろしさを感じるよ」

「怖気づいて負けを認めても、俺は笑わない。俺はイッテキ家次期当主……相手が強かろうが、何人だろうが一切の関係なく蹂躙する一騎当千の軍神なり――そうでなければ、ならぬのだ」


 冷徹に答えるバジョウの形相は、最初に見た頃の色男という言葉の似合う笑みではなく、無慈悲さと苛烈さを兼ね備えた鬼の顔。まさに頭に括りつけた仮面と同じだ。あれが本性であるからこそ、もしかしたら普段は軟派な姿を見せているのかもしれない。


 ――彼の内なる鬼を封じ込める為に。


 アストラエは一息つき、己の仮面を外した。

 突然の行動に会場が色めき立つ中、マスクド・キングダムを辞めて仮面を場外に放り投げたアストラエの、纏う空気が変わる。


「さてはて、確かに君は恐ろしい。普段なら僕はここで『なら鬼退治だ』とキザに言う所なのかもしれない。しかし実のところ僕の心に浮かんでいるのは――感謝だ」


 得物のカトラスをバトンのようにくるりと回して手に取ったアストラエは、静かに、剣を両手で握った。普段片手が基本のアストラエの微細な変化に、俺は直感する。


「アストラエの奴、本気になったな」


 意味が分からないという顔でネメシアが首を傾げる。


「えっ? 今まで本気じゃなかったって言うの、アストラエ王子は!? セドナ、貴方も気付いてたの!?」

「ううん、私もちょっと分からない。なんとなく普段と雰囲気変わったなとは思うけど……」

「まぁ真剣ではあったんだろうけど、アストラエは何て言うか……勝利するのは当然だから、普段は勝とうとして勝ってる訳じゃないんだよ。でも、今のアストラエは勝とうとしてる訳」


 勝ち組特有の余裕とは言わない。あいつの嫌味なところはそれでも勝ってしまう所だ。なので、微笑を浮かべつつも纏う気配が研ぎ澄まされた今のようなアストラエは滅多に見られない。


 ああいうとき、アストラエは周囲をあっと驚かす『何か』を起こす。

 が、隣の護衛で同級生な奴には全く伝わることもなく。


「知ったかぶって適当なこと言ってるでしょ。虚勢はみっともないわよ」

「ちげーし!! 俺とアストラエの間でしか分からない事もあんだよ!! 見てろ、これからアイツなんかやらかすからッ!!」

「ほんとにぃ~? まぁ王子の事は信用してるけど、貴方の言うことだし……」

「俺が残念な子みたいな言い方すんな!!」

「貴方確かに立派な騎士だと思わないでもないけど、時々凄いポンコツなこと言うじゃない」

「そ、そんなことないよっ!! ヴァルナ君はいつも立派な騎士だもんッ! いつも立派な……ほぼ立派な……き、基本的に立派な」

「おい。もうその話いいからちゃんと試合見ろ」


 全然違うようで時々言い逃れにくいくらい的を射たことを言ってくるネメシアに、さしものセドナも若干思い当たる所があったのかグレードをダウンさせていく。確かに俺は時々物凄くよく分からない状況になるけど、あれは状況が奇妙すぎることばかりだからだと信じたい。


 おいコラ、アストラエ。今日だけは試み大失敗とかそういうフリじゃないから絶対成功させろよ。俺の名誉のために。

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