第249話 その頃はそう思っていました

 騎士とは弱き者の盾となり矛となる、とはよく言うが、騎士とは暴力装置としての側面が存在する。統率が取れているうちはまだいいが、統制を離れた暴力装置はもはや装置としての機能すらなくなる。


 何百年も昔の話だが、魔物との戦いで滅んだ国家の騎士は夜盗に身をやつしたり民兵となったという記述も存在する。そして彼らが行く先々で極めてろくでもない事件を起こし、自業自得としか言えない末路を辿ったことも然りだ。


 つまり何が言いたいかと言うと――。


「ヴァルナくん、やりすぎだよ……」

「いや、セドナ。その」

「オルクスくん肋骨五本折れてたんだよ? 手の骨も罅があったんだって。そりゃ、さぁ。真剣勝負だもんね。ヴァルナくんもヴァルナくんなりの礼儀を払ったのは分かるよ? でも、殺さないよう注意さえしてればなんでもいい訳じゃないんだよ?」

「う……」


 ――力加減を間違えた瞬間、強い騎士は怖い騎士に変わる、ということだ。


 見ているこっちが悪いことをしたと思わせる独特の悲壮感を纏い説教するセドナも、決して俺を非難している訳ではない。あれが真剣勝負である以上は重傷化するのも止む無しなのだ。大会ルールにもその危険性を熟考した上で参加しろという旨の事は書いてある以上、怪我にケチをつけるのはお門違いだ。


 ただ、それでも彼女が俺を椅子に座らせた上でこんこんとお説教をしているのは、治療室に運び込まれたオルクスの治療が予想以上に大掛かりなものになっていたからだ。


 あれだけボキボキ骨が折れたり罅が入ると治療が大変らしく、さらに治療によって消費される体力を疲労困憊のオルクスに求める訳にもいかない。という訳で色々と段階を踏んでの治療になっており、治療室内は慌ただしく人が出入りしている。


 数分前は「オルクス様ぁ、死んじゃやだぁぁぁ~~~~!!」と叫びながらカウンセラーのプリムさんに連れていかれるアルエッタさんの姿も目撃された。別に死ぬほど重症でもないし、ここの治癒士は骨を繋げるのは得意だし、騒がれると集中力が散るから追い出されたようだ。

 ところで貴方もしや俺が目隠ししたまま倒した人ですか。

 美人ですね、って言ったら頬を赤らめつつ満更でもなさそうな顔で投げキッスして去っていった。直後にお尻をセドナに抓られたが。社交辞令だから拗ねないでくれ。


 ともかく、だ。勝つにしても勝ち方を少しは選びましょうというのがセドナの主張だ。俺も流石に治療室から微かに聞こえるオルクスの呻き声を聞くと若干反省の気持ちが湧いてこないでもない。


「お前の言いたいことは分かるよ、セドナ。でもな……」

「でもじゃないでしょ? 先に言う事あるんじゃない?」

「いや、その……」


 セドナは怒ってはいない。悲しんでいるのだ。

 戦闘技術とは非戦闘員にとって余りにも危険である。それを無自覚に振るう事で暴力的な人間になってほしくないという願いを込めてそう言っているのだ。


 しかし、ここで素直にハイと謝るということは、俺は弱い者いじめをしたと解釈されてしまう。セドナはその辺は意識していないしオルクスを俺よりかなり弱いと思っているのは事実だろう。それでも、あの予想外過ぎる最後の一撃を除いたとして、オルクスを対等以下の存在として扱うことは俺には出来なかった。


「セドナ聞いてくれ。たとえ体を傷つけなくとも、代わりに心に深い傷を負うことはある。その傷は見た目には判別できないが、だからこそ傷を負った当人を苦しめるんだ。俺はオルクスにそんな傷を与えるべきではないと思っている。もちろん時と場合によるけど、今回はそういう選択をすべきだと思ったんだ」 

「じゃあ具体的にオルクス君がどんな傷を負うって言うの? あんなに苦しんで……」

「それを俺に言わせるのかよ……」


 想像できない訳ではないが、所詮オルクスの心はオルクスにしか分からない。強いて言うならば、真剣勝負をする戦士は刃を交えることで相手の心境を理解できる瞬間がある。


「オルクスは戦いを早く終わらせたいとか、さっさと負けたいとか、痛いのはもう嫌だと思ってる目をしてなかった。お前だって最後の一撃は気付いたろ? 俺にちゃんと届いてたのをさ」

「……うん」


 セドナの視線が、鍔が欠けた俺の剣に落ちる。

 会場内でも気付いたのは十名に満たないだろうが、セドナは気付くと思っていた。

 だからこそ、説教されて戸惑った。

 普段のセドナなら、ここまでしつこく追及しないから。


「今日のお前、ちょっと変だぞ。もしかしてまたなんか悩み事か?」


 単なる勘働きから来る発言だったが、図星を突かれたらしいセドナは一瞬目を見開いたのち、恥じらうように小さく微笑んだ。


「すごいね、ヴァルナくん……やっぱり分かっちゃうんだ。本当はアストラエくんにも聞いてほしかったけど、今試合前でピリピリしてるから……」


 なんにも悩んでいないような顔をして、セドナは悩むときは猛烈に悩むめんどくさいタイプの女子である。彼女は助けを求めるように、か細い声で俺に言った。


「ヴァルナくん、わたし……どうすればいいの?」


 それは、士官学校時代にも一度聞かれた気がする、酷く漠然として、しかし深刻な質問だった。 




 ◆ ◇




 あれは確か、士官学校に入って一か月半ほど。

 アストラエ、セドナと三人で行動する機会が増えてきた頃の話だっただろうか。


 ある日、俺は士官学校の教官室にアストラエと共に呼び出された。

 その頃はまだハチャメチャ大三角なんて呼ばれるほど激しく動き回ってはいないギリギリくらいの時期だったろうか。これまで俺一人で呼び出されて理不尽な説教、ということは数度あったが、アストラエとセットで呼び出されたのは初めての経験だった。


「ふむ……この僕まで呼ぶとは、さては王宮にこっそり戻っていた件がバレたか?」

「だとしたら俺はお前を普通に恨むからな。あれ俺はなんにも悪くないからな」

「なんだよ、腕のいい医者だったろ?」

「当たり前だボケ! 王宮専属医がヤブだったら世も末だわっ!!」


 などと些細な事件の話をしながら教官室に入った俺達は、息を呑んだ。

 そこに、普段とは別次元の張り詰めた空気が漂っていたからだ。

 まるでこれから真剣勝負でもするようなロッソ教官の形相に驚きつつも、俺達は教官室に入室した。


「アストラエ候補生、入室します!」

「ヴァルナ候補生、入室します!」


 他数名の教官の姿も見えたが、全員が神妙な面持ちでいる。視線は送ってこないが、耳をそばだてているのは理解できた。

 教官の前でびしっと踵を揃えた俺たちに、ロッソ教官は重い口を開いた。


「本日、士官学校最大の出資者が視察に来る」

「えっ、ここ国立の学校でしょ? 出資者とかいるんですか?」


 思わず出た俺の質問に普段なら「人の話をさえぎって会話するな、馬鹿者ッ!!」と怒号の一つも飛ぶ所だが、俺の迂闊な発言にもロッソ教官は順序だてて説明する。


「我が国の法律によると、厳しい条件を潜り抜けることが出来れば出資者となる事は出来る。もちろん出資者でいるのに制約も存在するが、その話は後で学友にでも聞くといい」

「士官学校の出資者……僕の記憶が確かならば、セドナの父君であったと存じますが?」

「その通りだ、アストラエ候補生殿」


 王族を呼び捨てには出来ないけどへりくだることも出来ないためか、教官たちはアストラエに殿の字を付ける。もちろん他の誰に対して怒ろうが、アストラエが口を挟んだことには忖度を働かせている。釈然としねぇ。


 しかし、セドナの父か、と俺は思う。

 きっと親バカで物凄く人が良くて人間の出来た人なんじゃないか、とは思う。でなければセドナがあんな善良な令嬢に育つわけがない。入学前までは貴族令嬢ってちょっと夢があると思ってたんだけど、蓋を開けてみれば嫌味か自慢話の二択を迫る連中ばかり。セドナだけが女性的な心の癒しである。

 そんなセドナのパパ上の何がこれほど場を緊張させるのか、アストラエも首を傾げている。


「二言三言会話をしたことはあるが、国内トップの個人資産を持ちながら嫌らしさのない人物だったと記憶しています。それが僕を呼び出すほど重要な事に繋がるのですか?」

「繋がる。貴殿ら二人限定でな」


 俺は思わずアストラエと顔を見合わせた。

 アストラエにも全く事態が把握できていないようだ。


「いいか、そもそもだ。セドナ候補生の父上――アイギア・スクーディア氏が視察を行うのは例年十月頃。五月中旬の視察など異例中の異例だ。そしてその理由を氏は頑として語らない。これが娘を驚かせるためのサプライズだというのなら、我々は別段それでいい。問題は、そうでなかった場合だ」

「と、言いますと?」

「話は変わるが、アイギア氏は娘を溺愛しているというのは有名な話だ。そして溺愛するあまり、娘に護身術を学ばせたり定期的に密偵に探らせたり、セドナ候補生に直接的に言い寄った男があらば直接出向いてプレッシャーをかけに行くという噂話もあるくらいだ」


 前に士官候補生を注意する際、教官は「騎士が噂に踊らされるな」と言っていた。その教官がわざわざ「噂」と称したのは、ほぼ確定情報であるが自分が喋ったことにはしたくないということである。


「お前たちは、セドナ候補生に好かれている。これは客観的に見ても事実だ。故に、故にだぞ……お前たち、絶対にアイギア氏に逆らってはならんぞ……!」


 その時のロッソ教官は、いっそ人の一人二人なら殺してしまいそうなほどに血走っていた。


「アイギア氏の影響力は聖靴派閥でさえおいそれとは防げん……! それをしたことはないが、娘の事に限っては何もしないとは言い切れない! 眠れる獅子の眠りを妨げれば、私もお前たちもどうなるか分からんぞ……!! 返事をしろッ!!」


 そんなことを急に言われても、と思った瞬間、アストラエが間髪入れずに返答する。


「騎士の誇りに懸けて!!」

「え、あ……騎士の誇りに懸けて!」

「言ったな!? 聞いたぞ!? 聞き間違いでしたは許される事ではないからなッ!? はぁ、はぁ……以上だ!! 退出してよしッ!!」


 半ば強引に話は終了し、俺はアストラエに引かれるがままに退室した。


 退室して数分歩いたところで、アストラエが口を開く。


「成程なぁ、これは確かに厄介だ。スクーディア家は国内最大の商家にして資産家。彼一人が海外に国籍を移すだけで王国の経済は傾くという意味では、王家にも影響力があるかもね?」

「いや、それよりもお前……すげぇあっさり返答したけど、本当に良かったのかあれで?」


 アストラエは返答の際、俺にしか見えないハンドサインで「自分に倣え」を示した為に一応同じ返事をした。しかし俺はいくら相手が偉くとも相手の発言になんでも従う気はなかった。俺の困惑を読んだようにアストラエは悪戯っぽく笑う。


「僕たちはただロッソ教官に『我々の信念に従い行動します』と示しただけだ。騎士の誇りに懸けた言動をすればいい。約束なんてしていない、だろ?」

「お前こういうときの機転の利かせ方が詐欺師だよな」

「言うに事欠いてそれか!? 即興かつ君の要望にも応えてるんだからいいだろ!?」

「まぁ、そうだな……その点はありがとな」

「どういたしまして」


 アストラエとの付き合いはこのときまだ短かったが、彼にこの手の弁論や屁理屈、揚げ足取りで勝てた相手を俺は見たことがない。息をするようにするりと自分の逃げ道を言葉に挟み、それらしく見えるようデコレーションするこの口には既に何度か助けられていた。


 しかも、言った言わないの水掛け論になった途端、王子という地位の差が相手に抵抗を諦めさせてしまうという厄介さもある。こいつ本当に敵に回したくない奴だな。


「まぁ、セドナお嬢様とは縁が切れるかもしれないが、それも止む無しさ」

「お前はともかく俺は元々身分違いだしなぁ……」


 ――この頃、俺はアストラエとセドナ、とりわけセドナの事をよく知らなかった。アストラエには多少友情のようなものを感じる出来事があったが、セドナとはまだだった。身分の高い、笑顔が可愛らしく人懐っこい美少女と、少しばかり縁が遠のくだけ。


 その日までは、そう思っていたのだ。

 翌日、その人物はやってきた。


「いやいや諸君! 国の未来を担う若人諸君! 私の事は気にせず大いに勉学鍛錬に励んでくれたまえ!!」


 アイギア・スクーディアという男の印象を一目で見るならば、大物。体も声も大きいが、それ以上に生命力や活力に満ち溢れている。人と一つ違う大きなスケールで物事を考えていると周囲に思わせるだけの存在感が彼にはあった。


 セドナと同じ橙色の髪だが、彼のそれは夏花というより夏の日差しそのものに見える。ただ、セドナの父と言われれば妙に納得してしまいそうな人当たりの良さと親子間はどこか感じられた。


 セドナは突然の父の出現に緊張するかと思ったが、逆にやる気を見せていた。教官たちの指導も流石に大物人物を前にすると若干委縮するのか、注意の声が若干ゆるくなり、平民騎士にとっては過ごしやすいくらいの状態だ。


(これは案外、何事もなく終わりそうだな)

(うむ。取り越し苦労に終わるならそれはそれでよかろう)


 俺とアストラエは暢気だった。暢気かつ自然体過ぎて逆に俺たちが何かやらかさないか監視する教官が若干挙動不審に見えるくらいには暢気だった。しかし、問題は間もなく起きた。そう、セドナが俺に近づく最大の理由――剣術訓練である。


「ヴァルナくんっ!! 今日は私の番だよねっ!!」


 この時、セドナとアストラエは取り合い防止のために授業毎交互に俺のパートナーを交代していた。その確率にして二分の一のセドナ回を、よりにもよってアイギアさんの来る日に当ててしまったのだ。


「あー、そうだったかな……」

「そうだよ! 卒業までの時間割全部調べて順番ちゃんとメモしてるもん、ほら!!」


 満面の笑みでセドナが見せてくる予定表には本当に剣術訓練の予定だけ完璧に記載されていた。笑顔は可愛いがその予定表はある意味怖い。どんだけ俺との訓練楽しみにしてるんだろうかこの子。


 これはマズイ。非常にマズイ事態である。

 俺はセドナ相手でも訓練では割と容赦なく頭などを小突く。それは通常の士官候補生同士の訓練では日常茶飯事なのだが、セドナとアストラエ相手だと話は違う。まして今日はセドナの親の視線を穴が空く程背中に感じているのだ。


「き、今日は親御さん来てるし軽めにやって終わるか?」


 これは逃げであると思いつつ、先回しに出来ないか試みる姑息な俺。

 しかしセドナからは逃げられない。


「そんなの関係ないよ! やるからには皆と同じく全力でやらないと!」


 にぱっと笑うセドナの笑顔が眩しすぎる。

 そして背中に突き刺さるアイギア氏の視線が気になり過ぎる。

 どちらにすれば、と葛藤した瞬間を見計らったかのように、セドナが上目遣いになる。


「それとも、もう訓練ちゃんとしてくれないの……?」

「……ッ!!」


 雨ざらしにされた粗末な紙箱の中で拾ってくれる人を待つ健気な子犬の如きオーラに戦慄する。避ける事に強制的な罪悪感を押し付ける恐怖の対人兵器を前に、俺は苦悶した。

 彼女との訓練で手を抜けば教官とアイギア氏が望む答えに辿り着く。されど、それはセドナを裏切る道。例えその時点ではさほど親しみを感じていない相手だろうと、騎士として、うら若き乙女の期待を誰が裏切れようか――!!


 で、結果。


「き、今日もありがとう……!!」

「うん、昨日より少しずつだが動きは良くなっている。頑張ったな」

「えへへ、えへ……」


 結局、俺は割と容赦なく訓練という名の指南をしてしまい、セドナを大分小突いてしまった。それでもセドナは他人より小さな訓練の進歩を愛おしそうにしていた。その姿が微笑ましく、そして――この笑顔の為に散ったのなら、そう悪くない最期である。


(俺は俺の騎士道を貫いて死ぬ。それでいい、それでいいんだ……)

「……あれ? ヴァルナ君、なんだかいつもより優しい顔してる!」

「気にするな、セドナ。お前は立派な騎士になれるさ。きっと、俺が隣にいなくとも……」

「……???」


 俺はその日、春の木漏れ日に包まれるような安らかな心で審判を待った。


 ……が、授業が終わって放課後になっても、俺は誰かに呼び出されることもなく普通の日常を過ごしていた。後になって合流したアストラエと二人で首を傾げる。


「君が完全にやってしまったかと思ったが、どうも何かの矛先が君に向いている様子はないね? 教官も最初はこの世の終わりみたいな顔してたけど、今は首を傾げながら普通に仕事しているようだし」

「俺も権力に屈して学び舎を追われるくらいは覚悟してたんだが、本当に取り越し苦労だったか?」

「なんだい君、言われたら素直に去る気だったのかい?」

「両親買収されたら詰む。あの人達まだ俺が士官学校いるの信じてないレベルでぼーっと生きてるから」

「……君が言うなら相当なのだろうね」


 何にせよ話は終わり――そう思っていた矢先、俺とアストラエの前に小柄な人影が飛び出してきた。人影の正体は、焦燥に駆られるような表情を浮かべたセドナその人だった。セドナは俺を見るなり走り寄ってきて、縋るように服の裾を掴んで叫んだ。


「ヴァルナくん、アストラエくん……わたし、どうすればいいの!?」

「……どうって」

「どういうことだい?」


 事情も何もかもすっ飛ばして投げかけられた問いに、俺もアストラエも困惑するしかなかった。

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