第248話 この一撃を捧げます
これまでに学んだあらゆる剣技をぶつけ、あらゆる戦略を駆使する。
脳をフル回転させ、ただ目の前の男を打倒するだけに執念を燃やす。
その全てを、息をするかの如く上回られ、弾き飛ばされる。
「ガッ……まだ、まだぁ!!」
捨て身という言葉がある。
騎士として捨て身の戦いをする覚悟はあるつもりだ。
しかし果たして、身一つ捨てた程度でこの壁を超えられるだろうか。
隙だとも感じなかった一瞬の間に鳩尾に蹴りが叩き込まれ、吹き飛ぶ。
鳩尾には防具があったが、衝撃は消せずに腹部を激痛が襲う。
「ぉぐ、ぁ……えほっ、まだだぁッ!!」
みっともない足掻きだと人は嘲笑するだろうか。
先輩方は今、どんな顔でこちらを見ているだろう。
応援してくれていなければ、聖靴の恥晒しと思うだろうか。
それでも今、オルクスはオルクスの為の戦いをしている。
「ハァ……ッ、王国攻性抜剣術第十一の型、
最近やっと習得に成功した奥義、啄木鳥の連打をお見舞いする。
対し、ヴァルナは何を思ったかこちらと同じ構えを取った。
「十一の型、啄木鳥」
「くぁッ……!!」
同時に同じ構えから放たれる連撃が虚空で幾度となく衝突し火花が散る。息つく暇もない攻防は、どちらかがミスをした瞬間に崩れる砂上の駆け引き――ではない。
「我が動きが……全て封じられているのかッ!?」
放った刺突より一瞬早くヴァルナの剣が防ぎ、次も防ぐ。全ての刺突の軌道を予測し的確に潰すことで、ラッシュのように見えて実際にはひたすらに無力化されているだけ。さりとてラッシュを仕掛けた以上、己から引けば自滅する結果となる。
『ラッシュラッシュラァァーーーッシュ!! 凄まじい突きの応酬ですが、オルクス選手の顔には渋面が浮かんでおりますッ!! いつの間にか解説実況席を勝手に放送室にお作りになられたアストラエ王子、この状況をどう見ればよろしいでしょうかッ!!』
『あの奥義、啄木鳥の由来には諸説あるが、一説には相手の動きを全て見切り無力化させるのが源流の思想らしい。このままではオルクスはヴァルナに乗せられて体力を消耗し、最終的には屈服せざるを得なくなる。ここをどう切り抜けるか注目すべきだろう』
このままでは敗北は必至。
一か八か、オルクスは対ヴァルナの足しになればと訓練していた技札を切る。
「づぇいッ!!」
突きと全く同時に手首から肩、背中にかけた筋肉のラインを連動させて刃に捻りを入れる。
古い書物からオルクスが発掘したこの番外扱いの裏伝は
如何なるヴァルナであっても己の知らない技には一瞬隙が出来る。
オルクスが幾月もかけて特訓した成果が、息継ぎのように目前に現れる。この隙を逃せば二度とこの男に刃は届かない。オルクスは歯を食いしばり、全力で踏み込んだ。
瞬間、胸が陥没するような衝撃が体を突き抜けた。
「お゛、あ゛……」
ほんの微かに見えたのは、こちらに密着するヴァルナの肩。
突如として巨大な壁がぶつかってきたかのような重い衝撃に、理解する。あの男が騎士団に入ってから会得した王国護身蹴拳術の技だ。たしか小大会の初試合でも披露した、リーチなし零距離で独特の構えから放たれるそれが、直撃したのだ。
今やこの格闘への切り替えもヴァルナの十八番。
次に挑んだときには裏伝・
それでも、今、オルクスは悶絶しながらも留まっている。
不退転の決意が起こした奇跡だ。
まだ希望は途切れていない。
しかし。
「喝ぁぁぁッ!!」
痛みで生まれた一瞬の隙に、ヴァルナは床が踏み割れる程の震脚と同時にオルクスに掌底を叩き込んだ。
(あ――)
みしり、と何かが軋み、罅割れる音。
ぱきり、と何かが折れ、敗北を認める音。
オルクスの意識が急速に白く染まっていく。
◆ ◇
アルエッタはオルクスを敬愛しているが、戦いの行く末は凡そ察しがついていた。周囲の評判や陰口、賭けの話、そして対戦相手の評判の高さ。それまでオルクスの勝利した姿しか見たことがないアルエッタにとって、それは不安を募らせるものだった。
何とかオルクスが勝てるような情報がないか。
何か手伝いの出来ることはないか。
様々考え、周囲に助けられつつ実行したアルエッタだったが、結局出来たと言えるのは全ての試合でオルクスに声援を送ることと肩もみくらいだ。
試合が始まってから、オルクスは劣勢だった。
対戦相手のヴァルナは最初に出会ったときは面倒見の良さそうな男という印象だったが、戦いではまるで別人。次第にオルクスの放つ技や行動全てを上回りはじめ、オルクスは蹂躙された。
オルクスが一撃を受けるたび、悲鳴を漏らすたび、アルエッタの心が締め付けられる。もう目を逸らして逃げてしまいたい衝動にすら駆られる。
最初は応援の声を必死に送っていたが、今や胸を満たす青く哀しい感情がこみ上げ、出す声全てが上ずってしまっていた。
試合は続く。観客も思わず悲鳴を上げる痛烈な攻撃に、アルエッタは自分の身が引き裂かれるような気分だった。あの痛みのほんの僅かさえ、部外者であるアルエッタには代わりに受ける事が出来ない。
それでも、オルクスは「観客席で見ているがいい」と言ったのだ。
そしてアルエッタは何があっても応援すると決めた。
恐らく、この結果を予想はしていたのだろう。
それでもオルクスは、見ていろと言った。
負ける姿を見せたくないのなら、見なくていいと言いそうなのに。オルクスが気位の高い人間であることくらいは感じていたアルエッタは、それが心のどこかで嬉しかった。オルクスがほんの少し、アルエッタの事を信じてくれた気がした。
しかし、アルエッタはもう限界だった。
堪えきれない涙がボロボロと溢れ落ちる。
『オルクス選手、吹き飛ばされたぁぁぁぁーーーーッ!! ステージ
ボロ雑巾のように転がり、動かない騎士。
何度攻撃されても何度だって立ち上がった、立派な騎士。
これ以上立ち上がっても負けるのは火を見るより明らか。このまま敗北すれば、オルクスはもう痛い目を見ずに済む。あれほどの騎士が相手であったのであれば、むしろ喰らい付いた勇気を誇るべきだ。
『ワーン! ツー! スリー! フォー!』
カウントが刻まれていく。
試合は決したと思った者たち、ヴァルナの強さに十分酔いしれた者たちは笑いながら共にカウントを刻んでいく。それはオルクスを侮蔑しているのではない。もう十分に頑張ったと認め、負けさせてあげること。慈悲なのだ。
それでも、アルエッタは堪え切れない。
きっとそれは、願ってはいけない願いなのに。
「オルクス様ぁぁぁーーーーーーッ!!! 勝って……グスッ、立ち上がって、勝ってくださぁいッ!! 負けるオルクス様なんて見とうないですッ!! オルクス様ッ!! ひっぐ、オルクス様ぁぁぁぁーーーーッ!!」
『セブーン! エイト! ナイーン……』
果たして、願いとは。
「ああ……最悪だ……」
それは幽鬼のように、力ない緩慢な動きで地に足をつけ、空を見上げた。
『た……立った……!? 立ちました、オルクス選手ッ!! 騎士の誇りは未だに折れずぅぅぅぅーーーーーッッ!!』
願いとはきっと呪いに似たもので、だからこそ奇跡を呼び起こす。
◆ ◇
最悪だ、とオルクスは思った。
これで騎士の仲間たちの激励で目を覚ませたのなら、よかった。
将又セドナの声援が耳に届いて意識を取り戻したなら最高だった。
何も聞こえず、目覚めたときはベッドの上というのも、あっけなくとも乙な終わりだと心のどこかで思っていた。
なのに。
「お、お……オルクス様ぁぁぁぁ~~~~~っ!! びえぇぇぇぇ~~~~~ッ!!」
「よりにもよって……私を呼び起こし、立ち上がらせるのが……あの耳障りな声の平民の娘か……まったく、最悪な目覚めだ……はぁ……」
涙と鼻水を垂らしながらもこちらに手を振るアルエッタを横目に見て、ため息をつく。たかが騎士道の約束事で面倒を見ているだけの知識も教養も力もない女の願いに、オルクスは動かされてしまった。
ここで寝られない。
あの女の前でだけは、諦めて寝られない。
痩せ我慢でもなんでもいい。
アルエッタにぴぃぴぃ泣き喚かれる情けない男として眠ることだけは、己の矜持に懸けて許容してはいけないとオルクスの魂が叫んだ。
身体はガタガタのフラフラだ。
多分、あばらも何本か持っていかれた。
剣を握る握力は、一瞬でも気を抜いたら取り落としそうなほど弱々しい。
しかし構えようと思えば、散々繰り返した訓練通りに体は動いてくれた。
「ヴァルナ……正真正銘、最後の悪足掻きだ。くたばって、くれても……構わんぞ」
「断る。お前、退く気はないな?」
「ここまで来て、その選択は……ナンセンスにも程がある。頭でも……打ったか」
「お前の頭突きが今さら効いてきたかもな」
「ハッ……戯言、を」
この期に及んでヴァルナの構えに緩みはない。
まったく、これを相手によりにもよって「勝て」とはアルエッタも言ってくれたものだ。まるで自分が彼女の中では負けて当然の存在に思われているかのようではないか。
腹立たしい女だ。
いま自分が立っているのも、アルエッタの手が背中を支えているからのような気がするのが、特に極めて癪だ。なのに、あの女に情けない姿を見せるのがもっと癪だと思っている自分がいる。
配役をセドナに変えて貰えれば奇跡など幾らでも起こせるのに、何故自分にはあれだったのだろう、と意気消沈する。しかしそこを疑ったところで、また心の中で
なら、今の環境で出来ることをやるしかない。
或いはそれが、真の騎士とでも?
馬鹿馬鹿しい。
が、無視もできない。
(今回だけだぞ。今回だけ――この一撃はお前ひとりに捧げてやる、アルエッタ)
相手は王国全ての期待を背負う者。
対し、今のオルクスはたった一人の平民娘を背負うだけ。
それでも、軽いとは言わせてなるものか。
歯を食いしばって剣を上段に構え、オルクスはヴァルナに向かって走る。
「届けぇぇぇーーーーッッ!!!」
それは、僅か数メートルの果てしない旅路。
距離が曖昧になる。太陽の明るさ、吹き込む風、全てから体が浮いてゆくような感覚が身を包む。肉体の限界と精神のせめぎ合いの中、唯一つだけ、到達点に待ち構えるヴァルナの存在だけは違えず――。
――そこから先は、知覚し得ぬこと。
オルクスは、今度こそ完全に意識を手放した。
どさり、と倒れる身体。
くるくると回転しながら床に落下して、からんと転がる折れた剣先。
僅か数秒の沈黙ののち、ヴァルナが構えを解いて納剣した音で目が覚めたように、司会が叫んだ。
『審判の確認が入ります!! ……今度こそ、オルクス選手は戦闘不能ッ!! 圧倒的な実力差を見せつけた勝者はヴァルナぁぁぁぁぁーーーーーッ!! されど最後の一瞬、会場を夢中にさせたのは、今は意識のない若き騎士であったこともまた忘れてはなりませんッ!! 皆さん、両者に盛大なる祝福をッ!!』
どっ、と、会場を爆発的な声援が埋め尽くした。
その中で完全に伸びたオルクスが救護班に慎重に運ばれていく。会場からはアルエッタが号泣しながら降りてきてオルクスの名を呼びながら治療室行きに同行していた。
ヴァルナは暫くそれを眺めたのち、後ろ頭を軽くぽりぽりと掻いて納剣した自分の剣に視線を落とす。
派手に折れたオルクスの剣に目が行った観客の殆どは、ヴァルナの剣の鍔が一部分綺麗に切り取られているという些細な変化に気付くことはなかった。
「……まさかお前がアストラエより先とはねぇ。自覚ねぇと思うけど、『八咫烏』到達おめでとさん」
呆れたようでいて、ほんの少し嬉しそうな声で、ヴァルナはそう呟いた。
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