第247話 ここからが本当の勝負です

 目の前の男を見る。


 王都の近くの田舎出身で、親類に何一つ特別な血統はなく、ただの平凡な農民の中から偶然這い上がってきただけの男。それが騎士ヴァルナという男だ。


 恵まれない者。

 持たざる者。

 平々凡々な者。


 その男が、恵まれた家に生まれ育ち教育を受けた自分より、どうしようもなく高みに存在しているという事実。


 今のヴァルナには表情はなく、ただ眼だけが刃の如く鋭い眼光を放つ。

 幾度となく見た事があるその目は、睨んだ相手へ常に敗北を与えてきた顔だ。数多の同級生が彼に土を付けんが為に意気揚々と挑み、そして惨敗した。己の上司でさえそうだ。


 同級生で彼に土を付けられたのはとうとうアストラエ王子ただ一人のみ。その天才を以てしても常勝どころか五分にすら持っていけない隔絶した力量は、ついに騎士団最強の騎士であることを御前で証明した。


 自分はどうだ、とオルクスは己の胸中に問う。

 結局はセドナを振り向かせられず、ヴァルナと違って御前試合に声をかけられるにも遠い。今大会とて王国攻性抜剣術に慣れない海外人がその戦法に虚を突かれたが故に勝てた面と、火事場の馬鹿力が大きい。実力で全て叩きのめしたヴァルナとは違う。


 相手は終生勝てないかもしれない程の存在。

 しかし、オルクスの肩は軽い。


(アルエッタめ、本当に肩もみが上手かったな……)


 恐ろしいことに、本当に肩回りが絶好調だ。まさかの精神的ではなく肉体的な軽さを手に入れたせいか、肉体に引っ張られて精神も少し軽い。何一つ有効な戦術も情報も得られない中で、唯一力をくれたのがあの平民田舎娘の肩もみであることが釈然としない。


 とはいえ、だ。

 ここで呆けて負けたとあらば、そんなささやかな出来事さえ無意味になってしまう。それを甘受するほど腑抜けた気はない。試合開始の合図があると同時、オルクスはしっかりと握りしめた剣先をヴァルナに向ける。


 瞬間、ヴァルナの身体が掻き消えた。


(なっ――いや、落ち着け!!)


 視界の隅、左方向に何かが映ったと判断したオルクスは素早く体勢を立て直す。その方角に、既に至近距離まで迫るヴァルナがいた。ギャリン、と、剣と剣がぶつかるもののなんとか安定した体勢で迎撃する。


「視界外れ……仕掛けてきたか!!」


 ヴァルナの十八番の一つ――低姿勢からの急な加速と方向転換によって、まるで視界から消えたように回り込む。これは奥義でも何でもない唯の立ち回りでしかないが、意識が前に向いている戦闘中は視覚の中心以外の映像に対して反応が鈍りがちだ。


 そんな精神的な虚を突くこの動きは、例え反応が間に合ったとしてもワンテンポ戦いで後れを取る。これは攻撃ではなくイニシアチブを奪いに来ているのだ。その上であわよくば決着を狙い、無理なら優位性を維持して立ち回ってくる。


 ヴァルナは戦いに正々堂々といった意識は余り持ち込まない。

 ただ、己の持てるあらゆる技術を駆使して、駆け引きを交えつつ効率的に相手を追い詰める。当人曰く、それが相手に対する礼儀なのだそうだ。

 これがどういうことか、オルクスは分からなかった。


「うおぉぉぉぉぉぉッ!!」

「……シッ!!」


 雄叫びを上げて剣を押すと同時、タイミングをずらされてバランスを崩しかける。この梯子外しもヴァルナの十八番。押せば引かれ、薙げば流され、変幻自在の剣技で予測をつけさせない。

 しかし、失敗すると分かっていれば立て直しは出来る。

 返す刃で斬撃を放つと、ヴァルナは攻撃態勢のまま間合いだけを空ける。彼は体を逸らして回避などと曲芸のようなことは基本的にはしない。それが隙と慢心を生むことを知っているからだ。


 斬撃、斬撃、斬撃。

 ヴァルナと戦うのに必勝法はない。とにかく攻め続ける。その連撃にヴァルナは時に脇に逸れ、時に弾き、時にフェイントの攻撃を見切って受け流し、プレッシャーをかけてくる。やろうと思えばその隙に数発は攻撃を放つチャンスがあった筈だが、ヴァルナの中ではその隙はなにか、こちらに反撃の余地があるタイミングだったのだろう。


 ヴァルナは勝利に向かっている。

 これは対戦相手にとっては重要な事だと、最近気付いた。


 例えば、竜殺しマルトスクは試合の際、一撃で相手を場外に吹き飛ばすと興味なさげにステージを去っていく。ヴァルナと何か繋がりがあるらしい藍晶戦姫シアリーズは、相手が格下だと欠伸までするし、遊ぶような動きをすることがある。


 両者に共通しているのは、対戦相手への興味の欠如。

 自分の勝利が揺るがないような取るに足らない相手には、勝利を意識するまでもなく勝てるが故に意識しない。ある意味、それこそが強者の立ち振る舞い、王道と言える。


 対し、ヴァルナは相手をよく観察しながら冷酷なまでに追い詰め、堅実に倒す。それが例えオルクスから見ても雑魚と呼んで差し支えない相手でもだ。


 ヴァルナは、格下だろうが何だろうが自分に挑んできた相手から得る勝利には価値があると思っている。それは、対戦相手の戦士としての在り方を肯定した上で打ち破るということだ。流石に勝負を放棄した者や本分を失った者に対してはその限りでもないようだが、こちらが真剣に挑めばヴァルナは必ず真剣に応える。


 それはきっと、残酷だが優しいことなのだ。


「ヴァルナぁッ!! 貴様は、私が負けて当然の存在だと思うかッ!?」

「思わない」


 言葉の乗った剣を冷静に弾き、ヴァルナは簡潔に答えた。

 しかし、セドナはきっとヴァルナの勝利を信じて疑わないだろう。

 それをオルクスは妬ましく思うが、同時に心のどこかで認めている。


「私はなぁッ!! 貴様を羨ましく思っているッ!! 剣の才能、選ばれし人々を引き寄せる才能、生まれ持った剛運ッ!! だがそれ以上にッ!! 貴様は我々貴族たちの誰よりも――」


 一瞬の逡巡。しかし、言い切る。


「――ああ、認めてやろう!! お前はどこまでも高潔だったッ!! 才に驕らず、人を貶して悦に浸らず、例え相手が外道とそしられて然るべき相手であっても人情を排除しないッ!! お前ほど騎士らしい騎士はいなかったさッ!!」

「それは、俺だけで手にしたものじゃない。沢山の出会いが俺の心を支えてくれたからだ」


 断言と共に、痛烈な斬撃。衝撃を受けきれない為、逆らわず体を弾き飛ばさせ、転がって体勢を立て直す。同時に構えて前に出ると、容赦ない追撃を放ったヴァルナの重く鋭い剣がオルクスの剣とぶつかった。


「綺麗ごとばかり抜かす……! 己の力を信じないような物言いなんだよ、それはッ!!」

「そうかな? この剣には俺が出会い、感謝し、敬愛した全ての人間の期待が乗っている。その重さに恥じぬよう持ち上げた剣だ。だから、俺の剣は決して軽くないぞ……!」 

「それが貴様が強者である理由か!?」

「そんなもの知るか。これが俺の生き方、俺の定めた騎士道だ。俺は俺に恥じない存在を志し、勝利し、獲得した資金を糧にオークを撃滅するのみッ!!」


 オークへの殺意が上乗せされたか、これまでとは受ける剣の重みが違う。

 ヴァルナのそれより上質である筈の剣がギリギリと悲鳴を上げ、このままでは剣ごと両断されそうな圧が襲い掛かる。この力の掛け方はヴァルナがこちらの動きを見切ってきた証だ。こいつはどれだけオーク狩りに執念を燃やしているんだと呆れを通り越して感心してしまう。


 ここからは士官学校時代と変わらず、坂道を転げ落ちるように負けるだろう。

 だが――抗うことを止めはしない。


「ッあああ!!」


 オルクスは剣を無理やり押しのけ、勢いそのままヴァルナに肉薄した。

 普段のオルクスはしないし、荒っぽい戦いを覚えた大会の中でもしない動き――頭突きだ。


 ゴッ、と、骨と骨のぶつかる鈍い音と共に視界に火花が散り、頭部に鈍痛が奔る。首が持っていかれそうな衝撃を堪えた瞬間、今度は頭突きを仕掛けていないのに頭に再度衝撃。たまらず踏鞴を踏んだオルクスの剣を体ごと弾き飛ばす横薙ぎの一撃に、身体がステージ上を転がる。


『ず……頭突き返しからの追い打ち頭突きッ!! 勝負を仕掛けたオルクス選手が逆に苦しんでいるッ!! この男、まさに全身凶器だぁぁぁーーーーッ!!』


 微かに聞き取れる実況の声で現状を悟る。

 ヴァルナを真似たような付け焼刃は通じない。むしろ頭突きというそれ以外に派生しない行動を取ったことでより確実に狩られてしまった。

 起き上がろうと地面を触ると、角に指先が触れる。


「まずいッ」


 全身の血液が逆流するような寒気。

 この角は、ステージふちの角だ。

 自分がどこにいるか把握してしまったオルクスは恥も外面も捨てて四つん這いのままその場を離れる。

 瞬間、先ほどまで自分がいた場所をヴァルナの剣の腹が通り過ぎる。風圧で体勢が崩れそうな威力でブオンッ!! と突風が吹いた。


 振り返って剣を構えれば、そこにはゆっくり歩きながらこちらに近づくヴァルナの姿がある。額が微かに赤みがかっているのは頭突きの痕だろうが、どちらのダメージが大きかったかなど考えるまでもない。


「……ヴァルナ」

「なんだ」

「私は、お前にとって勝つ意味のある相手か?」


 オルクスは知っている。

 この質問に、ヴァルナ以外の殆どの人間は否定する。

 試合前にこっそり確認した賭けのオッズは酷いものだ。

 まさにオルクスの勝利が奇跡と直結する有様だった。


 それでもヴァルナは――試合を開始して初めて、呆れたような表情を浮かべる。


「お前を倒さないと決勝進めないだろ。頭打ったか?」

「打ったが? どこぞの野蛮人のせいで」

「……そうか、さっき二回打ってたな」


 犯人は俺でした、という微妙な表情を浮かべたヴァルナだったが、その表情もすぐに消えた。


「真面目な話、お前も大会に参加した以上は勝利を求めていた筈だ。勝ちたい奴と勝ちたい奴がぶつかるから戦いになるんだぜ? 今更そこに意味の有無を持ち込む余地なんぞあるか?」

「く……くく、く……愚問だった。今のは忘れろ」


 本当に悔しく業腹な話だが、オルクスはその言葉で憂いを断てた。

 これはどちらかが勝ち、どちらかが負ける勝負だ。

 観客が蹂躙だと呼んだとしても――オルクスとヴァルナにとっては、そうなのだ。


「ここからが本当の勝負だッ!! ヴァルナァァァーーッッ!!!」


 あとは、持てる全ての力を込めて悪足掻きするのみ。

 剣を振り翳し、オルクスはこれまでに得た全ての戦いの知識を背負って終生の大敵に吶喊した。

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