第240話 手前勝手な願いです

「きみも無茶するねえ。四の型・雉射を頭突きで繰り出すのも聞いたことないけれど、角度が悪いと自分の剣の刃に頭蓋を斬られるところだよ?」

「俺の剣は俺の相棒です。裏切りはしませんよ」

「まさか王国筆頭騎士の初出血が自傷とは……君を倒せるのは君だけということか。ふふ、見ていて飽きないな」

「恐縮です……あの」

「ん? なんだい?」


 試合終了後、流血ありということで治療室に強制連行された俺にいの一番に見舞いにきてリンゴの皮を器用にナイフで剥いている男性を見て、俺は心底呆れ顔で問うた。


「何してんですかイクシオン殿下?」

「無論、我が国の筆頭騎士を労いに来ているのだとも」


 そこにいるのはアストラエとよく似た顔立ちの、しかし彼と違って大人びた印象を受ける我が国の未来の王、イクシオン殿下であった。高貴でも何でもない治療室用の安い椅子に腰かけているにも拘らずどこか気品を感じる様は、流石というべきか立場考えろやと言うべきか。


 別に殿下が俺の見舞いに来るのはそこまでおかしな話ではない。

 俺は筆頭騎士だし、アストラエ経由で顔見知りだし、なんなら月一くらいで文通しているから間柄としては親しい部類だ。

 とはいえだ。この会場にはそれより親しい間柄の友達や同僚がいるというのに、彼らを差し置いて治療室で待ち構えているのはどう考えてもおかしいだろう。


「や、どうせ試合観戦以外は退屈な会合ばかりだし、偶には弟を出し抜くのもいいかと思ってね。ふふふ、あいつの悔しがる顔が目に浮かぶな」

「そこは『驚く』じゃないんですか?」

「気付くさアストラエなら。時すでに遅しだがね! はーっはっはっはっは!!」


 弟そっくりな馬鹿笑いをする兄。

 王族特有の馬鹿笑いなのだろうか。

 あの厳かなイヴァールト六世もそんな笑い方だとしたら割とイメージの崩れる話である。


 俺の額の傷は既に塞がってガーゼが張られている。流石は現場慣れした治癒師、あっという間に塞いでしまって傷跡も残らなかった。ただ、傷は塞がっても治療したての部分は暫く刺激を与えない方がいいらしく、今晩まではガーゼの世話になる。

 イクシオン殿下はリンゴを切り終え、改めてこちらと向かい合う。


「はは……さて、本題に入ろう。此度の勇猛果敢なる戦いぶり、誠に見事であった。彼の伝説、竜殺しマルトスクを打ち破ったとなれば父上も大層お喜びになられるだろう」

「身に余る光栄です」

「しかし同時に二つの問題が図らずしも見つかってしまった」


 微笑を浮かべたイクシオン殿下だが、その気配からお遊びが消える。

 ここから先は真剣な話のようなので、背筋を正す。


「実は私の秘書に君とマルトスクの会話を記録するよう命じて最前列に放っていたのだが……ああ、記録したのは単なる好奇心さ。そこは信頼してくれたまえ」

「……そうか。マルトスクが嘗て騎士団にいたことと、王国を去った経緯ですね?」

「その通りだ」


 イクシオン殿下が神妙に頷いた。

 あれほどの才覚を持った騎士を、御前試合で結果を出したにも拘らず評価せずにみすみす海外に流出させたのだ。これは王国としては看過しがたい事実である。


「我が祖父に当たるイヴァールト四世の治世下では、聖靴派率いる議会の影響力は王権を凌駕しつつあったのは事実だ。あの情勢下、四世は何が何でも聖靴派を敵に回す訳にはいかなかったのだろう。イヴァールト五世が即位と同時に大規模な改革を行える程度の影響力は維持してくれたのだから、結果的には正解だった」

「とはいえ逃がした魚は大きかった、ですか」

「うむ。会場内には少ないながら君たちの会話を拾った人物もいよう。早急に調査、対応する必要がある。王宮に文を飛ばし、事実関係の確認を行うよう指示しておいた」


 聞けば聞く程、マルトスクは生まれた時代が悪かったとしか言いようがない。結果的に海外で大成出来たからまだ救いはあるが、努力で叩き出した結果さえ権力でねじ曲げられれば、あの文句の多さもむべなるかな。人間、嫌な思い出ほど長く覚えているものである。


「この一件、私が預からせて貰う。マルトスク氏にも君にも納得できる形で終わらせるよう約束する。いいかね?」

「無論。貴方になら安心して任せられます」

 

 あの人には騎道車に案内すると約束したし、そのへんの問題はきっちり片付けて貰いたいと思っていた。むしろ次期国王たるイクシオン殿下なら妙な圧力も働かないのだから適任だろう。


「……して、もう一つの問題とは?」

「君の剣だ。これまで君の超越的なまでの実力と君自身の要望の影響で後回しにされてしまっていたが、任務用以外にそろそろ専用の剣を握る時が来たと私は思う」

「それは、確かに……今回の戦いで痛感しました。同格同士の戦いでは武器の性能差が大きな影響を及ぼす」

(まぁ、きみ勝ったから説得力ないけどね……)


 そう、伝説の竜剣『ハバフツリ』との戦いの中で俺の剣は決して小さくはない傷を負った。今は砥いで貰っているが、武器の質の違いによって生まれる差を失念していた俺の落ち度だ。


「特別な素材も使わずあれだけの強度を出すゲノン翁の刀工としての腕前が驚異的だったんだと思い知らされましたよ。普通の剣なら断ち切られて何らおかしくありませんでした」

「君が自覚を持っているならそれ以上は言うまい。此度の勝利を労って君専用の剣を用意する。これは決定事項だ。できればゲノン翁に頼みたいところだが……」

「翁が首を縦に振るかどうか、ですか」


 なにせ職人気質で非常に頑固で有名なゲノン爺さんだ。

 前に会ったときも「オーダーメイドは百年早い」と言われたことを思い出し、素直に二つ返事はすまいと思う。しかし、俺の懸念とイクシオン殿下の懸念は全く別の物だった。


「いや……実はね、翁の体調が思わしくないそうなんだ」

「え?」


 あの衰えを感じない頑強そうな老人が体調を崩した。

 そう言われてもにわかには信じがたかったが、殿下が嘘をいう理由もない。


「その、どこか具合が悪いんですか?」

「生活に支障を及ぼす程ではないと聞いているね。とはいえ既に高齢だし、鍛冶屋は重労働だ。元々年齢的にはいつ引退しても可笑しくない頃合いだし、無茶はさせたくない。ともかく、話が纏まったらまた手紙を送るよ。堅苦しい話は以上だ。リンゴをお食べ」

「はぁ」

「はい、あーん♪」


 串に刺したリンゴを満面の笑みで口元に近づけてくる次期国王。

 確実にアストラエの兄であることを感じさせるジョークセンスだ。俺が女に生まれていたら反応は違ったろうが、生まれてこの方男以外になったことも男に恋愛感情を抱いたこともないので全く嬉しくない。


「どこで覚えたんですかそんなしょーもないやり方。自分で食べますから皿寄越してください」

「駄目だ、王子命令だ」

「断固拒否します。なんならまた剣の話を固辞しますよ?」

「つれないな。まぁ、その返しも君らしいという事にしておこう」


 冗談めかして笑いながらリンゴの皿を近くに置いたイクシオン王子は、マントを翻す。


「そろそろ戻らないと秘書が煩そうだ。では、今後の試合も存分に楽しみたまえ!」


 こうして王子は治療室を後にした。

 治療室の主治医は気が休まらなかったのか大きく息を吐き、女性職員たちは口には出さずとも間近で美形の王子を見ることが出来て興奮冷めやらぬようである。端っこの方で「筆頭騎士ヴァルナ×第一王子イクシオン……いえ、第一王子イクシオン×筆頭騎士ヴァルナ……!?」と一人興奮している女性がいたが、なんだろうかアレは。触れてはならない気配を感じる。


 それから数秒後、遠くからドタバタと音がするので治療室内で騒ぐのはまずいと思った俺は先生に一礼し、リンゴを口に放り込んで廊下に出た。


 果たして、予想通りの面子がこちらを見つけて駆け寄ってくる。


「ヴァル゛ナ゛ぐん゛っ!! ヴァル゛ナ゛ぐん゛頭がら゛血゛がぁ゛ッ!!」

「はいはい、頭の皮がちょっと切れただけだから泣くなセドナ。お前自分の額が割れて血が出たとき割と平気なツラしてたのに何で俺の血は駄目なんだよ……」

「センパイ頭大丈夫ですかっ!? おかしくなってません!?」

「カルメ、自分の言った言葉を一度反芻してくれ。何か思うことはないか?」

「先輩! ヴァルナ先輩っ!! 私、わたくしっ、ロザリンド・クロイツ・フォン・バウベルグは今日という日を人生最大の記念日としますっ!! 今日見聞きしたありとあらゆる戦いの記録を余すことなく原稿用紙に書き上げて自費で出版し、先輩の威光を王国中に広げ、その功績を未来永劫称え続けるヴァルナ財団を設立する足掛かりに――」

「明日になって紅茶飲んでからもう一度冷静に考え直せ、ロザリンド。あと出版許可は俺が出さねーから。よしんば出したとして印税は騎士団の活動費に送るぞ」


 びえんびえん泣き喚くセドナを抱擁して背中をぽんぽん叩き、動揺の余りか将又本音か失礼大爆裂な事を言うカルメの真意を問い質し、そして勝手に変な宗教を立ち上げそうなロザリンドに人生を見つめ直す機会を与える。後ろにも騎士団メンバーが何人かいるが、盛り上がり半分、残りは女性陣を止められず困っていたという顔だ。女性じゃないのも混じっているが。

 と、人混みの中から珍しく遅れてやってきたアストラエが顔を出す。


「今回は兄上に先を越されてしまったが……今回の戦いは正直興奮したよ! ロザリンドくんじゃないが、他人の勝負にここまで夢中になったのは初めてだ! あのマルトスクも相当な怪物だったが、やっぱりヴァルナが最高の化け物だ!!」

「それ褒めてんのか貶してんのか分かんねーからやめいッ! 確かに俺も人生で一番充実した戦いだったがッ!!」


 シレっと友達を人外扱いする大失礼王子。

 同じ王子でどうしてこんなに差が出たのかは不明だが、もしかしたらイクシオン王子も内心そう思っているかもしれないので五十歩百歩かもしれない。


 その後、体に異常がないことなどを一通り話して、ぐずるセドナのせいで上着の前面が乙女汁でびちゃびちゃになった頃になって、やっと集団の興奮は沈静化した。試合結果も一通り聞いたが、残念ながらうちの騎士団メンバーで生き残りは俺だけになってしまったようだ。


 なお、流石に乙女汁で肌に張り付く上着は着心地に難があるので脱いで治療室で代わりの上着を貰った。

 脱いだ瞬間にロザリンドが小さい声で「はわっ」と言ったのと、女性看護師たちが「スタイリッシュ?」「ロイヤルとスタイリッシュの中間くらいじゃない?」「文句なしマッスレスト!」「マッスルオデッセイ……!」などと喋っていたのが気になるが。

 筋肉格付け用語らしいが正直全く分からん。

 分かる必要もないので改めて騎士団メンバーと会話する。


「……とりあえず体調は問題ない。食って寝て休めばどうにでもなる感じだ。武器はちょっと困ったが、まぁ今大会中までなら何とか保つだろう」

「流石先輩、体力オバケですね……」

「それよりも、サヴァーがドクターストップってのが引っ掛かるな」


 そう、話の中で唯一気になったのがそれだ。

 ヴァルナの知る限り、最後に会ったサヴァーに不調などは感じられなかった。それが今になって何故突然、という疑問がある。人間だから急病になることもあろうが、大会常連のサヴァーが自己管理を怠るとは思えなかった。


 そのことを指摘すると、セドナとカルメがひそひそ話し、互いに頷く。

 どうも何かあったらしい。話を切り出したのはカルメだった。


「これは表沙汰になってないので此処だけの話ですが……サヴァーさんはどうやら試合前に何者かの襲撃を受けたようなんです」

「……容体は?」

「命に別状はありませんでしたが、大怪我だったそうです。まだ意識が戻りませんが、今日明日には目を覚ますだろうということです」

「そうか……他選手による妨害か?」

「その辺はなんとも。ただ、祭国はそういった婉曲な妨害行為を唾棄し取り締まりを徹底しています。それに職員も軽傷ながら数名襲われていたということで、聖盾騎士団とクルーズ警備隊が協力して犯人捜索に当たっています」

「クルーズ内の犯罪とは面倒だな……で、一般にはまだそのことは知らせてないのか?」

「はい、混乱が起きると余計な負傷者を出しかねないとの判断です。先輩は騎士団員なので知らせましたが、もちろん部外秘ですよ」

「ああ……」


 無秩序に噂が広まると後々大事になりかねないので、正しい判断だろう。

 正直、サヴァーが試合に出られなかったというだけでもそれなりに衝撃だった。それがまさかの襲撃者に襲われて意識不明とは、目を覚ませば相当悔しがるに違いない。そのことを思うと同情が沸き上がるが、現場責任者として感情に身を任せる訳にもいかない。


「……犯人はまだ手がかりも掴めていないということは、今後選手への直接妨害も考えられる。犯人の狙いが分からん以上は大会非参加メンバーも安全とは言い難いな。サヴァーと犯人は争ったのか?」

「あ、はい! 現場は壁や床が大きく破損し、派手にやり合った模様です!」

「ならサヴァーを実力で倒したという事かもしれん。今後騎士団メンバーは単独行動せずに最低でも二人一組での行動を徹底しろ。ロザリンドと、ここにいないピオニーもだ」

「「「了解っ!!」」」

「よろしい。では夜に改めてバーに集合だ。解散!」


 外対騎士団が全員敬礼するのを確認し、解散させる。

 現場責任者をやっている以上、部下の話だけでなく自分も上に確認を取っておく必要がある。状況は時間と共に進行しているのだから、新しい情報が出ているかもしれない。選手と上司の二足の草鞋わらじだが、犯人の目的が選手狩りならどちらの視点でも無関係ではいられない。


「祭国の対応や聖盾騎士団の動きを知りたい。セドナ、アストラエ、いいか?」


 王子たるアストラエと聖盾騎士団所属の二人が居れば、かなり上の権限の情報まで知れる筈だ。場合によっては俺にも護衛が付く可能性があるし、今後の対応を知っておきたい。


「勿論いいとも。なぁセドナ?」

「うん……私もこのあと隊長に状況を改めて確認する予定だったから」


 そう言うと、セドナはとことこ隣にやってきて俺の手を抱き抱えた。


「な、なんだよ」

「怪我した後だから、倒れたら大変でしょ?」

「……あー、まぁ、そうだな」


 一応肯定はしたが、実際にはそんな心配はない。

 それでも頷かざるを得なかったのは、セドナが余りにも不安そうな顔をするからである。俺を心配しているというよりは、心配し過ぎる自分を安心させて欲しいかのような不安がありありと感じられた。具体的には親と引き離されることに気付いた子犬みたいである。


 考えてみれば、戦いの中で流血するなんて士官学校でも一度もなかった。セドナの中では俺はあらゆる戦いを傷一つなく潜り抜けるスーパーマンに映っていたのかもしれない。やれやれ、と内心頭を振るが、結局俺はこいつに甘い。

 今ぐらい甘えさせてもいいだろう。

 セドナも騎士だし、時間を空ければ心を切り替えられる奴だ。

 そんなセドナの隣でアストラエはにやにやする。


「セドナにそんな顔させるなんて罪な男だよ君は。オルクスが見たらどう思うかな?」

「あいつはこれから試合あるだろうが」

「いいや、君の試合が盛り上がり過ぎたから急遽スケジュールが変更になった。あいつの試合は明日さ」


 二人の戦いがクライマックス過ぎて会場の盛り上がりが限界に達したと考えた祭国は、次の試合で盛り下がるのは客にも選手にもよくないと考えたらしい。

 同時に事件調査の為の時間稼ぎでもあるのだろう。

 クルーズ運営陣の強かさに感心する。


「ったく、せっかくの大会なのに急にキナ臭くなってきやがって……」


 優勝まであと三試合を残しながら、俺はクルーズの影に潜む何者かに思いを馳せる。

 高位の武人であるサヴァーを倒した何者かは、生半可な実力ではないだろう。


 可能なら次の被害者が出ないうちにこの手で捕まえてやりたいが、現在進行形で追いかけている人々の都合やこちらの都合もある。とりあえず、騒ぎのせいで大会が長期延期に追い込まれたり中止にならないことを手前勝手ながら祈るしかない。

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