第236話 一人じゃありません

 八咫烏を放った直後、影が死角から迫るのを認識したマルトスクは、冷静に迎撃した。


「ぜぁッ!!」

「体力だけは人一倍か」

「人の事言えるか……よッ!!」


 キン、ガキンッ!! と、景気よく鋼と鋼が鼓動を打ち鳴らし、また近接戦闘でヴァルナと斬り合う。八咫烏の使用には相応の体力と集中力を損耗する筈だが、迎撃直後に攻め込んでくるとは想像以上に体が仕上がっている。


 斬り合う動きに隙はなく、こちらも隙は見せない。

 よくぞこの年齢でここまで練り上げたものだと感心する。

 反射速度、反応速度、体力、筋力、判断力。どれを取っても大陸で七星クラスに上り詰めるのは容易なまでの実力だ。


 しかし、マルトスクは一つ納得がいかなかった。


(何故、そこまで練り上げながら王国に忠誠など誓う? そして何故、そのような男の放つ『八咫烏』と我が『八咫烏』が拮抗するというのだ?)


 マルトスクは最初、ヴァルナの戦いを見て「この男は『八咫烏』には至っていないのではないか」と思っていた。八咫烏が使えるのであれば、全ての勝負は一瞬で決着が着いた筈だ。


 王国筆頭騎士にして平民出身。

 聞こえはいいが、マルトスクからすればそれは貴族共が平民の不満を減らす為にでっち上げた虚像ではないかという疑いが消えなかった。故に誇張で王国攻性抜剣術の免許皆伝などと謳っているだけで、実際は違うのではないかと思っていた。


 しかし、ヴァルナは八咫烏を放ち、あまつさえ自分の八咫烏と拮抗させて見せた。故にマルトスクは彼の評価を改め、されど軽蔑した。勝てる実力がありながら戦いを長引かせたのは、相手で遊んでいたからだと。


 しかし衝突と同時、その考えも消し飛ぶ。

 もしそのような軟派な考えを持った者であれば必ずどこかに綻びがあるし、剣に籠る気迫が薄くなる。それは気概の問題であり、達人同士の戦いではまさにその気概が勝敗を分ける。

 その気概は、間違いなく誇りを持った剣士のそれだった。


 そして先ほど、マルトスクは更に己の力を込めた強力な『八咫烏』を放ったにも拘らず、ヴァルナはそれすら相殺して見せた。


 何故こうも自分の判断と現実が噛み合わないのか。

 どのヴァルナが真のヴァルナなのか、見えない。


 斬り合いの末に間合いを空け、そして再度の激突を数度繰り返す。時にステージ外に弾き飛ばそうとし、カウンターを決められ後退を余儀なくされる。時に空いた片手で格闘戦に縺れ、しかし決着が着かず離れる。


「貴様、良い剣を使っておるな」

「鍛冶師の腕と指導がいいもんでね」

「しかし良い剣止まりだ。大陸ならば精々が中の上。手には馴染んでおるが果たしてそれはお前に相応しい剣か?」


 マルトスクは気付いている。

 幾度も衝突を繰り返したヴァルナの剣は、マルトスクの愛剣『ハバフツリ』との衝突でほんの僅かずつだが刃が欠けていた。そしてヴァルナがその欠けを削られ続けないように刃の接する部分を絶妙に変えていることも。


「貴様が最上の剣を持っておれば、もっと手数を増やせた筈だ。気づかぬとでも思うたか? 剣に足を引っ張られる者が王国最強とは笑わせるわ」

「……否定は出来ないな。武器のことでこういう困り方をしたのは初めてだ。大会終わったらちょっと考える。そして――」


 刃毀れを感じさせない、研ぎ澄まされた鋭い太刀筋が連続で襲う。


「あるもので何とかするのも俺達のやり方でね。武器の性能差で勝てるものなら勝ってみなッ!!」

「――フン、貴様が最上の剣を持たぬは拘りか? それとも貴様が平民だからか?」

「お金がないからを平民だからと訳せるならば、当たらずとも遠からず!!」

「だから愚かだというのだ、王国はッ!!」


 地に足を踏み込み、渾身の力で七の型・荒鷹を放つ。数多の魔物の手足を捥いできた一撃を、しかしヴァルナは引きもせずにいなしてその場に留まって見せた。その技量を見ればこそ、腹立たしい。


「議会が、王が平民をまともに認識しているならば、その貧相な剣を使わせはせんッ!! オーク狩りにも出させるものかッ!! お前が豚狩りに奔走しているのは、お前が平民だから!! 平民を平民としか扱えない連中が騎士団にのさばっているからだッ!!」


 本当に、この国は変わっていない。


 マルトスクは生まれたときから王国という国が大嫌いだった。

 移民の癖に自分たちこそ文明人だと言わんばかりの貴族たちと、そんな貴族のおこぼれのような仕事をこなすことでやっと存在が認められる騎士。

 成績は家柄で買える。

 見たくないものはなかったことにする。

 そして、発生した負債だけは平民に押し付ける。


 何日、泥の中を這いずり回り、粗末極まりない食事を喉に押し込んだか。幾度オークに重傷を負わされ、時には還らぬ人となる同僚を見たか。それらが全て、王侯貴族から押し付けられた覚えのない責務だった。


 平民を騎士にしてやったのだから、身を粉にして馬車馬の如く働け。

 消耗品の平民騎士など、この程度の扱いでよい。

 うんざりするほど聞いた言葉を、屈辱を、忘れた日はない。


 嘗て王立外来危険種対策騎士団に三年間所属していたマルトスクは、嫌というほどそれを経験してきた。マルトスクとて騎士という立場を誇りたい気持ちが、あの頃はあった。剣の腕は誰にも負けぬと必死で磨き、三年目の御前試合に参加したマルトスクは最優の戦績を叩き出した。


 その結果が――当時国内最大最強の勢力を誇った聖靴派の、家柄しか取り柄のない騎士に王国筆頭の座を鼻薬で掠め取られ、心にもない賛辞を贈っただけに終わった時、マルトスクは心底この国に愛想が尽きた。


「いずれお前もこの国の権力に使い潰される日が来る。誓った事を悔い、生まれに嘆き、ただ自分という可能性が無駄に、無為に、誰にも認められることなく磨り潰されていく事実に――」

「あのさ」

「……?」

「文句が多い」


 瞬間、これまで受けたどの一撃よりも重く鋭い斬り上げが襲った。

 腕が跳ね上げられそうになる一撃に、瞠目する。


「なっ……!?」

「あんた騎士だったんだろ? 実力者だった。そして五十年くらい前に騎士団にいて、散々な目に遭ってやってられなくなったから海外に行ったんだろ。俺だって騎士団の昔の資料くらい目を通してんだよ」


 最初に刃を交えたときに戦意に満ちていたヴァルナの瞳が、気だるげなものに変貌していた。


「その上で言うけど、今の王国と昔の王国は全然全く環境がちげぇからね」


 瞳に力はなく、しかし斬撃には微かな怒りが混じり、縦横無尽な斬撃が襲い来る。


「あんたが愛想を尽かして出ていったあと、王様も変わったし騎士団の団長も変わった。あんたがどうしようもないからって投げ出した後の騎士団の泥を掃ってコツコツ立て直して、今ようやくってとこまで這い上がってんだよ。その騎士団長を――!」


 大切な存在まで虚仮にされたことで、彼の中に戦いとは違う熱が宿る。


「団長を馬鹿にするのは全然まったく構わない! むしろ罵れ、あんなくそひげジジイ!」

「構わんのか!?」


 ちょっと怒りの方向性が違ったようだ。


「だがな、あのジジイが騎士団を高みに上らせる為に惜しまなかった努力を、途中で諦めた奴に貶されるのは少し納得いかないんだよ」


 剣が鍔迫り合いになる。しかし、先ほどよりヴァルナの剣圧が強く、手が押される。構え直して拮抗状態に入るが、どういなそうが逃さないとばかりにヴァルナの絶妙な位置取りが逃げ道を塞いでいく。


「圧されてるぞ、英雄」

「この程度で勝ち誇るか!」


 瞬時に力を込めて打ち払うと、ヴァルナもその動きに柔軟に対応して難なく体勢を立て直し――先ほどよりも遥か低空の疾走で一気に懐に入り込んできた。怒りに身を任せて攻め急いだな、と思った刹那、本能が違うと叫ぶ。


 どの強敵との戦いでも裏切られたことのない本能に従って防御をより固めた瞬間、剣にこれまでと全く違う衝撃が奔る。見れば、ヴァルナが剣を二本抜いて連撃の態勢に入っていた。


「この男――ッ!!」


 ぞくり、と、何年ぶりに感じるかも知れない悪寒が背筋を駆け抜ける。

 出し惜しみすれば、負ける。

 認めたくないが、この男――竜より余程厄介だ。




 ◇ ◆




 認めたくはなかったが、まさかあの竜殺しマルトスクが「俺が若い頃の仕事って言えばなぁ!」みたいに酒場で絡んでくる偉そうなだけのおっさんと同じことを言い始めるとは、ショックだ。久しぶりにまた一つ、幼少期の夢がパリンと砕けた。


 つーか五十年前と言えば、世はイヴァールト四世という暗王の治める時代ではないか。

 この王は残念ながら才覚に恵まれず、政治的成果と言えばオークが湧いて混乱冷めやらぬ王国が海外の食い物にされぬよう強気の外交をしたことくらい。内政は議会の、しかも当時聖靴派が最大の勢力だった時期にほぼ丸投げだった頃である。


 この時期は言わずもがな王立外来危険種対策騎士団が「山猿騎士団」とか馬鹿にされてた最後期くらいの時代だ。この頃は特権階級制度がないので貴族制であり、聖靴派も相当幅を利かせていたらしい。


 マルトスクが去ってから数年後にイヴァールト五世が即位し、更にみんなの目の仇ことひげジジイのルガー団長が騎士団に入った。王立外来危険種対策騎士団の発展は、そこからやっと始まったのだ。


「アンタの中では五十年前に王国は停止してるようだけど、五十年の間にもひげジジイが戦略練ったり根回ししたりロビイングしたりスカウトしたり八面六臂にひげを伸ばして、今ようやく聖靴派とまともにやり合えるところまでいってんだよ!!」

「何故ひげ!?」


 というかそれ以前に、マルトスクの話は実情を鑑みず一方的過ぎる。少し腹が立ったので、二刀流で連撃を叩き込んでやる。


「大体、俺は別に表舞台で華々しく活躍したいとか特に思ってねーしッ!!」

「ぬぐぅッ!!」

「特権階級共の嫌がらせと悪口なんぞに逐一構ってるほど暇でもねーしッ!!」

「う、ぐぅぅ……!!」

「大体オーク狩りに豪華な剣とか予算の無駄だわッ!!」

「おおおッ!!」


 雄叫びを上げて剣を防ぐマルトスクは、動きが更に重く鋭くなっている。流石は竜殺し以外も数多の実績を叩き出してきた男、主張は腹が立つが実力はまだ底が見えない。

 しかし、今の俺には、その全ての実力を暴ける根拠のない自信があった。


「そもそもなぁッ!! 俺達外対騎士が逃げたら誰が国民守るんだよッ!! 訓練場で接待されながら訓練受けてきた素人ボンクラ貴族にオーク狩りなんぞ任せられんわッ!! 事態悪化に二次遭難が目に見えてるから逆に素人は引っ込んでろって話だッ!!」

「その精神こそ、上に対する奉仕精神の現れだろうッ!!」

「だーかーらー! 確かにネチネチ煩い奴も予算削ってくる奴も嫌な奴は一杯いるし同僚も奇人変人雨霰のカオスだけどッ!! 俺は、誰のために何をやるかまで履き違えた覚えは――ねぇッ!!」

「うごッ!?」


 ステージを踏み割る程の踏み込みと共に、右手の剣でマルトスクの動きを封じ、左手の剣で横っ面から叩きつける。威力を逃がしきれなかったマルトスクの体が浮き、数メートル吹き飛ぶ。


「我が剣は助けを求める者を救い、悪しきを滅ぼす為にこそあれッ!! こちとら大真面目に人助けの仕事してんだッ!! 自分のやりたい戦いだけ求めて責任放り出したアンタに、俺の生き方をどうこう言われる筋合いはねぇッ!!」


 今、俺の中で一つの疑問が氷解した。


 どうして俺はマルトスクの竜殺しの物語に憧れを抱きながら、最終的には騎士を志したのか。それは読書のジャンルの偏りや格好良さの差などではない。


 確かに竜は物語では悪さをする。

 圧倒的な力に立ち向かうには勇気が必要だ。

 竜を仕留めた英雄は賞賛され、喝采を浴びるだろう。


 しかし、マルトスクは大事を成し遂げた物語こそ多くあれ、民に手を差し伸べて、民のよりよい未来を願って、そのための道を切り開くような暖かな物語は殆どなかった。彼には共に並び立つ誰かも、行動を共にする何者かもいなかった。


 マルトスクは困難や苦難に挑み、勝利する求道者なのだ。

 それは騎士の強さとは似て非なる、己の為の道だ。

 その道には、極論を言えば、他の誰かは必要ない。


「俺は王国筆頭騎士であると同時に、王立外来危険種対策騎士団所属騎士のヴァルナだッ!!」


 俺一人で一体何人救えるかを考えれば、王国筆頭騎士の肩書に価値はない。

 こんな大会でチャンバラして認められたって、オーク被害が減るでもない。

 それでも、俺が大会に出ていられるのは何故か。

 俺が大会に胸躍らせ、ひと時の戦いの場に熱中出来たのは何故か。


 それは、孤高の戦士と違って『任せる』という選択肢があるからだ。

 だって、騎士は万の名声、億の富にも代えがたい宝を持っている。

 

「こちとら一人でオークと戦ってるんじゃねえッ!! 辛さも喜びも分かち合える仲間がいりゃあ、大抵の問題はどうにか出来んだよッッ!!!」


 マルトスク、あんたは志を共にする仲間の存在を感じたことはないのか。

 どうしようもなく馬鹿で騒がしいあの連中が――その連中と共に目指す目標が、俺とあんたの決定的な差なのだ。俺はまだ、王国騎士として出来ることをやり尽くしてはいないのだから。

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