第235話 それが貴方の限界です
八咫烏を放って勝利できなかった相手は、今まで一人もいなかった。
同じ八咫烏使いでさえ、八咫烏で打ち破ってきた。
試合開始と同時、俺は八咫烏を抜かねば勝利は不可能だという確信を以てして、運命に導かれるように究極の奥義を放った。その時の俺の意識は筆舌に尽くしがたい。
相手との間合いも、太陽の明るさも、体を撫ぜる風も、全てが置き去りになるようで、同時に限りなく近く感じる。どう言い表せばよいか、或いは言い表す言語があるのかさえ分からない世界。
その世界の行く先から迫る強烈な存在感に意識が衝突し、気が付けば互いに弾かれていた。気が付けば、とは言ったものの、俺の体は弾かれてから着地するまでなんの驚きもなかった。予想外だとさえ思わず自然に着地し、自分がどこにいるかを把握していた。
クシューとの戦いでも、それ以外でも、一度も垣間見ることのなかった未知の感覚。それが俺の肝を冷やし、手の汗腺を刺激し、振動の鼓動を高める。それは恐怖と隣り合わせに存在する感情、好奇心。
或いはそれは、今は高揚感と呼ぶべきかもしれない。
(誰かに挑むとは――そう、こんなにも心動かされることだったんだ!)
今の一撃はどう挑めば越えられるのか。
他の攻めはどうするか、それに相手はどう対応するか。
オークとの戦いは常に効率重視。
訓練での戦いは常に鍛錬重視。
犯罪者や暴徒化した人間は、無力化重視。
常に真剣に戦ってはいるが、そこには必ず何かしらの制約が存在した。
今、俺の対マルトスク戦略は白紙だ。
何が通じ、何が通じないのか?
得意戦術、癖、過去、動体視力、反応速度、それらの謎を暴かなければならない。そして普段なら冷静な観察から入らなければならないが――。
「考え事とは余裕だな」
電光石火。瞬きより速く間合いを詰めたマルトスクの刺突が繰り出される。六の型・紅雀と同じ動きだと目が言い、しかし本能が違うと叫ぶ。俺は躱した瞬間、刺突の来た方向に刃を振り抜く。
ギャリンッ!! と、刃が接触した。
「カンもいい、か」
マルトスクは何でもないように呟くが、今の動きは真っ当な王国騎士なら絶対に反応できなかっただろう。
彼は刺突で踏み込んだのち、一度目の踏み込みより速く、そして短くもう一度踏み込むことによって更に一太刀を放ってきたのだ。少なくともヴァルナは二段踏み込みなどという技法は聞いたことがない。剣とは基本、一撃必殺だ。
「実戦の中に必殺などない。未知の敵が予想外の行動をとるのは当然。戦いは生きものよ」
「それが貴方の戦い方か……ッ」
「どうした小童、圧されておるぞ」
ぎりり、と剣が押し込まれ、鍔ぜり合う。
マルトスクが圧されているぞと言った瞬間に剣の圧が増した。ならば本当に圧されている――と思うかもしれないが、少し違う。これはマルトスクが圧す為に力を加えたから一時的に圧されているだけであって、マルトスクが常にこれほどの力を加えている訳ではなさそうだ。
つまり、これは揺さぶり。
圧されていると錯覚させて俺が引いた瞬間に攻める気だ。
焦って弾けば思うつぼ。引いても思うつぼ。
無理に力を押し返そうとした瞬間、梯子を外される。
俺は剣を回して勢いを逸らし、その一瞬で踵をマルトスクの踵裏に滑り込ませた。真っ当に攻めて無理なら真っ当に攻めなければいい。
ただし、相手にそれが通じるのならば、だが。
「温いわッ!!」
マルトスクは更に腰を深く構え、逆に俺の蹴りを弾く姿勢を取る。唯でさえ間隙を縫った一撃故、防がれればこちらの隙が命取りとなる。
やはり、そうとう「やられ慣れている」。むしろこの展開すら読んでいたのだろう。俺も読んでいたので足の軌道を変えて踏ん張ると、今度はマルトスクの足が俺の足を払いに来る。
一瞬で数度に亘り繰り出された足技の攻防の後、これでは千日手だと判断したマルトスクが剣の柄に力を集中させて俺を押し出そうとする。それを上手く逸らしつつ反撃を加え、しかし逆にいなされ、互いに力が分散された瞬間にマルトスクが退く。
今度は逆にこちらが攻める。
通常、身を引いた際は移動に集中するため隙が生まれ易いが、マルトスク程の実力者になると引きながらでも攻撃は容易。そのため、間合いが剣の先端に入った瞬間、俺は姿勢を一気に変えて五の型・鵜啄の真っ向振り下ろしを放つ。
「むっ!」
マルトスクは少し意外そうに小さく唸ったが、それだけだった。迎撃のために振り抜かれた彼の剣先と俺の剣先が衝突したが、より威力のあった俺の剣先はマルトスクの咄嗟の手捌きで半分ほど衝撃を逸らされ、その場で間合い重視の斬り合いに発展する。
目まぐるしく乱れ飛ぶ刃とそれを迎撃する刃で火花が飛び散った。
だが、この攻防は勝敗を決めない。
斬り合いにメリットがないとマルトスクが感じるのを、俺も感じる。
気が付けばやりとりも言葉もなく互いに間合いを離して睨み合っていた。
試合開始からまだ一分も経過していないうちに、目にも止まらぬ攻防が繰り広げられたことで会場が次第に熱気を帯びた声に包まれていく。
『恐ろしいまでの読み合いと攻防ッ!! 下手をすれば今大会ベストバウト!! 息も止まらぬ攻防にわたくしも瞬きが出来ませんッ!! しかしマルトスク選手もさることながら、大会で初めて彼の初手を迎撃したヴァルナ選手もやはり怪物ッ!! 彼にはマルトスク選手が何をしたのか見えていたのでしょうかッ!!』
見えないし、分からない。八咫烏はそういう奥義だ。
説明してもきっと理解してはもらえないだろう。
今、八咫烏を放てる感覚がある。
しかし闇雲に放ったところで迎撃されるだろう。
こちらは若く、あちらは高齢。体力勝負と言いたいところだが、そんな消極的な戦法ではいずれどこかで後れを取る。繰り出した全ての攻撃に渾身を込めたにも拘らず、マルトスクの呼吸は乱れもしない。
ならば、攻めるのみ。
シアリーズじゃないが、攻めて攻めて勝利を剥ぎ取るよりほかにない。
剣を握り、俺は地面を蹴り抜いてマルトスクの間合いに肉薄した。
「チェヤアアアアアアアッ!!」
「むぅんッ!!」
一際激しい剣の衝突。激突音と風が観客まで到達する。
「なるほど、小僧……オークは敵ではなく、お前を王国に閉じ込める檻であったか」
「……何が言いたいんだ?」
「貴様はあの腑抜けた王国の腐れた貴族共に
成程、と思う。
確かにオークがいなければ民を守る騎士という分かりやすい大義はなくなる。王国騎士団から外対騎士団は消え、俺は王国の外に居場所を見出したかもしれない。
しかし同時に、下らないことを言っているな、と冷めた考えも浮かぶ。
「俺が憧れたのは騎士物語の騎士だよ。騎士という立場じゃなくて、心の問題だ」
オークがいなければ王国は完全に平和かもしれない。
しかし、オークという危機がない世界では特権階級がより悪辣な真似を民に強いるかもしれない。権力とは長期化すると腐敗もする。俺はその時、悪を裁く為の騎士として王国に居続けただろう。大陸が俺にとっての正解かどうか、勝手に推し量るのは結構だがその答えを押し付けられるのも違うと思う。
しかし、続く言葉を紡ぐマルトスクはどこまでも冷めた目をしていた。
「それは貴様が今、王国筆頭騎士であるから言えることだ」
「どうでもいいだろ、そんなのは。起きた事が全てだ。もしもの結果に結論なんて出ることはない」
「持つ者が持たざる者に、似たような事をよく言う」
まただ。マルトスクから私情めいた感情を覚える。
俺は確信を持って、剣を押し返しながら問う。
「王国に恨みが? だから出身国を隠していたのか?」
「あのような腐れた国家に一度でも忠誠を誓ったことは、今でも我が人生最大の過ちよ」
「じゃあ、あんたやっぱり――」
言うが早いか、マルトスクが強烈な踏み込みで無理やり俺を弾き飛ばす。突然の感情的反応に少し驚くが、直後、第六感がけたたましい警鐘を鳴らした。
「王国に仕えることに不満も持たぬこと、それこそが貴様の騎士道の限界だッ!!」
「ちぃッ!! 十二の型――!!」
「「八咫烏ッッ!!」」
一度目より更に強烈な衝突。
人間をも吹き飛ばしかねない突風がコロセウム内に吹き荒れた。
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