第234話 歓喜に満ちた始まりです

 この日――俺は、Aブロックの試合もBブロックの試合も見ずに、闘技場の練習部屋を借りてひたすらに無骨な演武を続けていた。


「ふっ! ……やぁッ! ……はッ!」


 試合ではロザリンドとセドナがぶつかったり、ピオニーと七星冒険者がぶつかったりと注目する所が多かったのだが、今日ばかりはそれを観戦しにいく余裕がない。試合開始までに体を温めておきたかった。

 昨日も試合を観戦し終えてから瞑想に基礎トレなど、入念に体を整えている。あんな試合の後なのにセドナが俺の前の姿を現さないのは、俺が話をしている場合じゃないくらいトレーニングをしているのを察しての事だろう。


 もしかしたらこれ以降、決勝まで談笑する余裕はないかもしれない。


 対戦相手は現代の伝説、竜殺しのマルトスク。

 今の所、この男は全試合を『八咫烏』の一撃で終了させてしまっているため、全く情報がない。俺との戦いでも初撃には『八咫烏』を使って来るだろう。前回のクシューとの戦いと同じだ。


 あの時、俺はクシューに勝った。

 しかしマルトスクにも勝てるとは限らない。


 無論、クシューが俺に敗れるまで王国最強であったことを疑いはしない。彼は俺以外には一切負けたことがないほどに隔絶した実力の持ち主だった。クシューほど剣術が極まると、小細工の入り込む余地がない。勝つ際も負ける際も一瞬だろう。


 アストラエは例外中の例外だ。極まってはいないが天才であり、更に俺の動きを誰よりも知り尽くしているから小細工を無理やり捻じ込んでくる。やがて奴も『八咫烏』を習得する域に到達することを俺は疑わない。


「ぜいッ! ……せやッ!」


 いや――万全にしたいというだけではないかもしれない。

 俺自身が、強敵との試合に精神を高ぶらせているのだ。


 王国の頂点を名乗っていると、誰かに剣で挑むことがない。自分は最強であり、常に最強であり続ける以上は戦う相手は須らく挑戦者だからだ。自分自身が挑戦者であった時期は、士官学校で剣術トップになってからも片手の指で事足りる。


 自分が伝説の英雄と剣を交え、勝敗を決める戦いができる。

 それが、嬉しくて堪らない。

 早く試合に臨みたくてしょうがない。


 演武が終われば素振りや奥義の練習。体力と相談して緩やかに、そして入念に行っていく。久しぶりに訓練でいい汗をかいているな、と手拭いで顔を拭いながら訓練を続ける事暫く。


 訓練場の扉がノックされ、俺はそこでやっと自分の試合が近いことに気付いた。入っていいと返事をすると、扉が開いてコロセウム・クルーズの連絡係の女性が顔を覗かせる。


「失礼しまーす。ヴァルナ選手、そろそろ試合の、ぉ……」

「分かった。体を拭いて控室に向かう。伝えてくれてありがとう」

「……マッスルオデッセイ」

「はい? 何か言いましたか?」

「い、いえなんでもありません失礼しましたぁッ!!」


 ぼうっとしたかと思えば急にわたわたした女性職員はすぐに扉を閉じた。これで安心して着替えられる。しかしマッスルオデッセイって一体何なのだろうか。練習のために上着がぴっちりめのシャツ一枚だったのがまずかっただろうか。


「今はどうでもいいか。試合終わったら聞いてみよう」


 ――のちに知ったことには、コロセウム・クルーズでは競技参加者の筋肉をこっそり従業員が格付けしているらしい。マッスルオデッセイも多分専門用語的な身内にしか通じない何かだろう。




 ◇ ◆




 その日、その試合会場は、異常なまでの静けさに包まれていた。

 観客の誰もが感じる、莫大な闘気と闘気。選手入場前から二つの力はステージ中央で拮抗している。故に、普段はどちらが勝利するかを話し合ったり声援を送る観客たちが、かたずを呑んで見守る形になっている。


 無論一切の言葉が交わされない訳ではないが、不思議とみな小声で会話していた。


「この空気、ヤベェぞ……第二回絢爛武闘大会の決勝ぐらいヒリつくぜ」

「事実上の決勝戦か……」

「勝ち残った奴が次の次で初代武闘王とぶつかるだろうな」

「実質的な決勝戦だな……」

「そこを勝ち上がった奴が、ABブロックの修羅共を打ち破った戦士とぶつかる」

「真の決勝戦だな……」


 全部決勝戦扱いじゃねーかと誰も突っ込まないくらい、観客たちも緊張していた。ボケた方もボケた方で、場の空気に当てられて自分がバカみたいなことを言っている自覚がなくなっているらしく、至って真剣だ。


『Cブロック本日の初戦……司会実況を務めるマナベル・ショコラがいる実況席にさえ感じられる、二人の怪物の気配。普段は喧噪賑わう会場内も、今はご覧の通り驚くべき静けさに包まれています。絢爛武闘大会においてこのような空気が漂うときは、常に最上位の戦士同士の激突でありましたッ!!』


 瞬間、二つの入場口が同時に開く。


 二人は全く同じ歩幅、全く同じ佇まいでゆっくりとステージの上に登っていく。片や年齢を感じさせる皺を以てしても弱々しさの欠片も感じられない、歴戦の剣士。片やその歴戦のオーラを前に瞬き一つしない、二本の剣を携えた若者。


 二人はゲートが開いたその瞬間から既に視線を交え、一切の隙なく所定の位置へと付いた。


『この男、森の賢人にて覇者。単独のドラゴン討伐を始めとして不可能とされたありとあらゆる困難を突破し、今なお衰え知らずッ!! この男が大会に参加する事を、一体何人の戦好きたちが願ったのかッ!! 竜殺しとはこの男の為にある言葉だッ!! マァァァルトスクゥゥゥゥーーーーーーッ!!!』


 観客たちが、この瞬間ばかりは堪え切れずに歓声を送る。

 世界最強の戦士は誰かという男共の論争に於いて、その名を退かせたことはタダのひと時もなし。この生ける伝説が大会に参加したというそれだけで失神する程狂乱した者さえいた。


『まさに世界の頂点たるこの男に、今日も挑戦者が現れる。しかし、しかしこの男ッ!! 王国より出でて僅か数日で世界中の注目を掻き集めたこの若者は……観客の想像を一歩も二歩も超える異次元の戦いを繰り広げたこの男は、騎士のくせして『何をしでかすか分からない』ッ!! 王国筆頭騎士……ヴァァァァルナァァァァァーーーーーーーッ!!!』


 再び声援や雄叫びが沸き起こる。

 今大会に底知れず実力者は数おれど、この男ほど戦いの行く末が読めない男はいない。長期戦かと思えば短期戦。慎重かと思えば怒涛。挙句、剣を投げるし人も殴る。一刀流と二刀流のどちらが全力なのかさえ、殆どの観客が知らない。


 マルトスクが既知の底なしならば、ヴァルナは未知の底なし。

 この戦いで彼の底が知れなければ、それがすなわち勝敗を決する。


「貴殿が今の王国筆頭騎士か」

「如何にも、竜殺し殿」

「腑抜けた貴族共の選んだ最強が、果たしてどの程度モノになっておるか、見物だな」


 二人しか聞こえない会話。

 ヴァルナはその言葉の中に、皮肉や棘のような、荘厳な彼らしからぬ私情を感じた気がした。


「貴殿の過去に何があったのか、俺は知らない。真の実力も、今日初めて見る」

「――図に乗るな、たわけ。真の実力だと? 『八咫烏』を習得したと嘯く割に、貴様の試合は随分なモノだったがな。あの程度の敵に長期戦になったかと覚えば、次は剣を放り出して素手で勝負。遊んでおるのか?」

「俺が思う、俺のすべき戦い方をしたまでのこと。ん、いや、違うな。貴方にかける言葉はそうじゃない……」

「……?」


 少し考え、ああ、と心中で得心する。

 どうもやはり、挑まれる側の精神が染みつきすぎていたらしい。


「俺も貴殿に憧れた身。がっかりさせないでくれよ、伝説の剣士」


 瞬間、ヴァルナの全身から大気が歪む程の闘志が噴出し、場をヴァルナの世界に塗り替えた。それに対し、少し驚いたように目を見開いたマルトスクは、すっと目を細め、手を自ら愛用する剣――竜の牙を素材に打たれた伝説の剣、『ハバフツリ』に手をかける。


 途端、マルトスクから静かに、しかし強烈な存在感を放つ闘志が噴出。ヴァルナの場と拮抗し、ステージの中に二つの世界が混在した。


「唯のわっぱではないな……貴様、この狭き王国で何をしでかしてきた」

「オークをば、撃滅してきた」

「ふはっ……あの程度の雑兵を屠ってきただけで修羅に至ると? ――寝言かどうか、品定めしてくれるわッッ!!」

「では――オーク殺しの剣が安くない事を知らしめてやろうッッ!!」

『いざ尋常に……試合、開始ッ!!』


 二人の剣士はその言葉の瞬間に観客の視界から掻き消え――直後、音を置き去りにする強烈な衝撃がコロセウム中に吹き荒れ、観客を轟音と突風が撫ぜた。


 観客の誰もが何が起きたのか理解できない中、ステージ上で疾走を開始しながら互いに間合いを計りステージを走る二人の戦士は何が起きたか理解していた


「――『八咫烏』による相殺ッ!! 真に使えるとは、法螺かと思っておったわッ!!」

「放って決着が着かなかったのは初めてだよ。嬉しい……嬉しいなぁッ!!」


 この時、この瞬間。

 ヴァルナという男の本性が、遺憾なく、忌憚なく、そして容赦なく解き放たれた。

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