第232話 誰かが傷つく運命です
コルカは激怒した。
必ず彼の強欲色魔の騎士に引導を渡さねばならぬと誓った。
確かにコルカにも過失はあったかもしれない。
反応からして多分気付いていないなと思いつつ、いずれ真実を告げる日まで黙していようと勝手に選択をしたのは他ならぬコルカ自身である。それでもコルカは、セドナと共に行動しながらも信念に準ずる彼は、女遊びに現を抜かす男には思えなかったのである。
だからこそ厳しい修行に励み、より強く美しい肉体と精神をはぐくもうとコルカは奮起した。鬼気迫る努力によって今年の合宿参加者の中でも頭角を現したコルカは遂に他の全ての参加者を技量で追い抜き、タマエ料理長直々に更なる奥の型を教えてもらうに至った。
コルカは万能感に支配された。
今ならヴァルナに告白して攻め落とせるという全く根拠のない自信が湧いて出る程に、生気に満ち満ちていた。ヴァルナがルルズへ向かったとの知らせを聞いたコルカは、期待に胸を躍らせていたのだ。
しかし、ルルズに到着したコルカを待っていたのは裏切りであった。
セドナと共に町を歩くヴァルナ。
シアリーズなる知らない美少女といちゃつくヴァルナ。
コルカのことなどこれっぽっちも覚えていなさそうに、充実した生活を送るヴァルナ。
付き合ってもないのに浮気をされた気分だった。
一瞬頭が真っ白になり、自分は今まで何をしていたのだろうと思った。
コルカは唖然とし、やがて泣き崩れ、そして涙が出なくなるまで蹲ったのち、ゆっくりと立ち上がった。胸に復讐という名の激情を灯して。
彼女はヴェンデッタを名乗り、顔と名前を隠して競技に参加した。
全てはあの男に己の拳を、蹴りを叩き込むために。
その間にも男は更に別の女、ネメシアと夜のデートまでしていた。
許せない。
許せない許せない許せない。
硬派だと思っていたのに。
自分の方だけを向いてくれると思っていたのに。
絶対に、思い知らせてやる。
「わたしにッ!! わたしだけにその優しさと格好良さを見せなさいよッ!! わたしだけのヴァルナになってよッ!! 私は……貴方だけのコルカになりたいのよッ!! だ・か・ら……二度と他の女のこと考えられないようにギッタギタのブッチブチにブッ殺して私だけの男になるまでベッドに縛り付けてやらぁぁぁあぁーーーーーーーッ!!!」
もはや恥も外面もない全力の思いの丈。
それをぶつけられたヴァルナは――。
「えぇ……」
当惑していた。
「……そこは『そんなことしなくても君を愛してる』って言うところだろうがこんのトウヘンボク野郎ぉぉぉぉーーーーーッ!!」
「無茶ぶりと怒りと欲望に支配されすぎじゃないかなぁッ!? どう思いますかミラベルさんッ!?」
『うーん……これはちょっとコルカ選手を擁護し難い理不尽さですねぇ』
恋に理屈も擁護も必要ない。
必要なのは情熱(ハート)だ。
心の奥底で、あの日のカリプソーで常連客のお姉さんの、そして店長の言葉が蘇る。
『恋に勝ちとか負けとかないし、挑むんなら誰だってタダでしょ!?』
『挑戦するのは君の自由じゃないかな?』
今日、コルカは力づくで恋を成就させるために戦い、勝つ。
それが、コルカが導き出した結論だった。
――もう少しマシな結論出せよ、とは言わないであげて欲しい。
◇ ◆
俺の意志確認がない件について。
どれもこれも問題行動で筋が通っていないと思うが、最大のポイントはそこじゃないだろうか。好きって言ってないのに手に入らないなら潰してお持ち帰りするって、それってもう唯の誘拐犯で監禁犯じゃん。
「というかッ!! 久しぶりに再会した友達や同級生と仲良くしただけなんですがッ!! 女性だけでなく男性とも一緒に歩いたしッ!!」
『ちなみに祭国の調べではヴァルナ選手はBブロックのナギ選手と交友がある様子が目撃されています。また、デビュー戦で戦ったサヴァー選手と共に屋台に訪れたり、観戦に来ている王国第二王子アストラエ様とも親し気に会話しているとのことなので、ヴァルナ選手の言い分は事実に基づいたものですね』
「そこまで子細に調べられると流石に怖いけど、そう! そうなんだよ!」
もしかしたら女性に厳しく当たれない可能性もなくはないが、少なくとも俺は困っている相手が男でも手は差し伸べるし、女を選んで友達を作るなんて器用な世渡りも出来ない。というか俺は友達が少ない。悲しい。
「ともかく……うおッ!? 俺のことをどう思っているかは分かったから試合終わったら一回話し合いの席を設けよう!! 殴って手に入れるとか発想が山賊だし……」
「岩断突ッ!! 激震掌ッ!! 四爪裂破ッ!!」
「ぬぐッ、そんな強引な理論じゃ誰も納得させられ……くあああッ!! 本当に強くなったねッ!?」
嵐のような連撃をどうにかいなすが、本当に数か月前まで町娘だったのか信じられなくなる程に一撃一撃が鋭く重いので、手数で追い込まれてしまう。
武器は原則リーチが長い方が有利だが、同時に武器には最適なリーチが存在する。いくら剣が強くて威力があろうとも、懐に一度入り込まれれば拳が断然有利だ。
しかも、彼女の型は王国護身蹴拳術の中でもとりわけ宗国の拳法、しかも剛の拳に近い。タマエ料理長も覚えがいいからってこんなものまで教えなくともいいだろうに、と歯噛みする。
やむを得ず剣を逆手に持ち、こちらも拳でカウンターを打ち込む。
すぐさまガードはされたが、いくら彼女が強くとも体重とリーチはこちらが上。なんとか仰け反らせて距離を取る。
「こんな戦いは無益だからッ!! もうやめよう、コルカさんッ!!」
「……るさいッ!! 恋する乙女は……命懸けなのよッ!!」
「うっ……」
荒々しい息を抑え犬歯を剥き出しに唸る彼女の瞳からは、涙が零れていた。
それだけ、本気だったのだ。
本気で俺に告白したかったのだと、分かってしまった。
(好きな人追いかけて騎士団行きますって……言ってたよ確かに。練習と称して俺の所にお菓子も持ってきたし、ネメシアの一件の時も彼女に辛辣なこと言ってた)
これまでのことを思い出す度、昨日ネメシアに指摘された女性関係に対して自分が如何に準備不足だったか思い起こされる。されることはないと高を括っていたし、あと告白してきた輩がこれまで負の存在しかいなかったせいもあるだろう。
具体的にはひげジジイの罠にかかって会わされた騎士団スポンサーの未亡人マダムとか。綺麗な人ではあったけど、あれはマジで貞操の危機という異次元の恐怖を感じた。
『えぇと……道徳的な意味ではヴァルナ選手が正しいと思うのですが、コルカ選手の恋心を否定するのもなんだか違う気がします!! されど勝負は無常!! 事ここに至って先延ばしは出来ませんッ!!』
実況のミラベルが答えの出ない問題のような事を言う。
俺もコルカさん自身の好意を否定する気はない。
彼女を傷つけずに宥める方法は何だろう。ただ叩きのめしただけでは彼女は諦めないだろう。かといって、脅迫同然の告白をハイ分かりましたと素直に受け入れるほど俺はイエスマンではない。
『優しくするのはいいことだけど、優しさだけが人を傷つけない行動じゃないの。時にはキッチリ断ることも大事』
ネメシアの忠告を思い出し、再び襲い来るコルカさんの攻撃を捌きながら、俺は考える。
もしかしたら俺の言葉は深く彼女を傷つけてしまうかもしれない。
しかし、俺は彼女の奴隷にはなりたくないし、ここまで来て玉虫色の回答では何一つ収集が付かない。
俺が出せる答えは二つ、イエスかノーかだ。
「……分かった」
俺は剣を放り捨て、両手を広げるように構える。
彼女の要求に、俺も拳を以て応えよう。
『あっ、あれは!! 王国護身蹴拳術の源流から受け継がれた幻の型の一つ、『朱鳳(すおう)の構え』ッ!! コルカ選手が前回試合のフィニッシュに用いた『武玄の構え』と対をなすもので、素人が真似すると普通にノーガードでボコボコにされるだけな為に使うのにものすごく勇気がいるとされるッ!! ……と、第二王子アストラエ様が司会実況席の後方から私に囁いていますッ!! 武術にお詳しいですね王子ッ!!』
(何やってんだアイツ……いや、いかんいかん。集中を切らすな。さもなくばアイツの言う通りになる)
予想外の妨害行為に若干イラっとしたが、その憂さを晴らすのは試合後にしよう。覚悟しとけよ馬鹿王子。
それはさておき、普通の人から見たら両手を横に開いて隙だらけに見えるこの構えはしかし、言うならば王国護身蹴拳術で最も『軽い』構え。能動の構えと違い受動的な構えである分、一つの判断ミスで瓦解する。
それが意味するのは最大限の機動力である。
「流石はヴァルナ、そこまで至っているとは聞いていた……しかしッ!! 私はあの日に暴漢にされるがままだった頃のか弱い女とは違うんだぁぁぁーーーーッ!!」
ダンッ!! と足を踏み込み、コルカさんも構える。
恐らく今の彼女が使える最強の構えである『武玄の構え』。
そこから放たれるのは一撃必砕、二の打ち要らずの奥義――『玄洞黒天掌』。
まともに受ければ俺でさえ立ち上がれないかもしれない彼女の『全力』を受けた上で、俺も『全力』で返す。
無力な自分からの脱却には、確かに意義があるのかもしれない。
しかし、得た力を用いて力づくで人の心を支配しようとすることに、暴漢と何の違いがあるというのだろう。恋の盲目に振り回される彼女が繰り出した拳を眼前に控え、俺は騎士としてではなく一人の人として拳を交える。
「四門北方ッ!! 玄洞黒天掌ぉぉぉぉッッ!!」
これが俺の答えだ。受け入れてほしい、コルカさん。
◇ ◆
万感の想いと力の籠った必殺の一撃は、確かにヴァルナに当たったとコルカは確信していた。故に、その直後に手に触った感触にぞっとする。
硬いものにぶつかったのでも、柔らかいものにめり込んだのでもない。
羽毛のように優しい手で、コルカの両手はヴァルナに受け止められていた。
思わずヴァルナの目を見ると、彼の瞳には覚悟が宿り、何かを決断する顔をしていた。心のどこかでコルカの本心が止めなければと叫んだが――王国筆頭騎士はそんな猶予はくれなかった。
「俺は――君が恋人に求める条件に応えられないッ!! 君の告白を、俺は固辞するッ!!」
瞬間。
コルカは悪戯好きの風にでも飛ばされたように、空を舞っていた。
(ああ……)
今更になって記憶が蘇る。タマエ料理長の教えの記憶だ。
『朱鳳(すおう)の構え』は弟子の中でも一人にしか伝授できていなくて、その人間がヴァルナであること。そして『朱鳳(すおう)の構え』の本質とは、拳ではなく心を砕くことにあること。
拳は当たらない。蹴りは通らない。掴みはすり抜ける。
絶対に倒せない存在となることで、相手を屈服させる。
その上で、相手の流れを汲み、静かに、音もなくねじ伏せる。
「朱門拓白転(しゅもんかいびゃくてん)……君の負けだ」
コルカは、投げられたのだ。
気が付けば、ヴァルナの手によってコルカは優しく場外の床に仰向けになって寝ていた。落とされたという感覚もなく、まるで始めからそうであったかのようにだ。
遠くに聞こえる司会の声。
どよめき、沸き立つ観客たちの声。
その全てがどうでもよく、そして静かに自分の心が一つの事実を認めた。
「フラれちゃった」
その言葉が胸にすとんと落ちたと同時――コルカは子供のようにその場で泣きじゃくった。カルメなどの騎士団の他のメンバーが控室まで誘導してくれたけれど、それにお礼も言えないくらい泣いた。
だが、コルカはまだ気付いていない。
泣き終えて冷静になった彼女に、ここまでに積み重ねまくった恥ずかしすぎる愚行の数々が手ぐすね引いて待っていることを。元はと言えば蜂の魔物がきっかけで縁が繋がったのに、その先に待っていたのは『泣きっ面に蜂』とは、面白くもない話である。
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