第231話 当事者が置いてけぼりです

 幸いというべきなのか――それとも知らせた後に起きる騒ぎが嫌で口を噤んだのか、俺とネメシアの殆どデートな散歩はセドナの耳に届いてはいなかった。俺としては少し女性との関わり方を考えさせられる出来事だったが、今はそれより試合に集中しなければならない。


『一回戦では帝国の刺客カイリーと激戦を繰り広げて観客を沸かせた王国騎士ヴァルナッ!! しかし、彼の前に立ちはだかるのは大会開始直前に現れた謎だらけのダークホース!!』


 まだ試合が始まっていない上に距離もそれなりに離れているにも拘わらず、背筋が凍る程の圧を感じる。これほどまでに剥き出しの敵意と殺意を真正面にぶつけられた経験など、記憶には殆どない。


『ここまで対戦相手を素手のみで全員撃破してきたのは、今大会参加者の中では人呼んで『初代武闘王ビギニングオデッセイ』ことガドヴェルト選手と『音速拳ソニックフィスト』の異名を持つイーシュン・レイ選手、そして今まさに牙を剥かんとするヴェンデッタの三名のみ!! 素手での戦闘もカバーするヴァルナ選手ですが、疾走する狂気の拳士を相手にどう対応する気なのかぁッ!?』


 今回、手加減して倒せる相手じゃないけどぶった切る訳にもいかないということで、刃を潰した剣を貸して貰っている。


 コロセウム・クルーズには鍛冶屋も相応の人数いるようで、武器の発注、修理、メンテナンスを常に承っているという。俺が今持っている剣は、大会側が予め俺の剣を採寸して重心、粘度、刃渡りからデザインまで精巧に作られた剣であり、握ると普段の剣と殆ど握り心地が変わらない。


 ただ、俺の剣は王国一の鍛冶屋であるゲノン翁が打った逸品。流石の鍛冶屋たちも完全再現には至らず、強度だけはオリジナルに劣るらしい。切れ味も、仮に刃を潰さなかったとしてもオリジナルに及ばないだろうとは持ってきた鍛冶屋の談だ。

 勉強になったと頭を下げられたが、俺じゃなくてゲノン翁に言えよ。多分「だからお前さんは四分の一人前のハナタレ鍛冶屋なんだ」とか罵倒されるぞ。


 とはいえ鋼の剣なのだから折られることはない――などと油断することは出来ない。王国護身蹴拳術八段になると量産剣くらいは頑張れば折れる。俺は剣が可哀そうで折らなかったが、フィーレス先生は実際に折ったしな。


 そして、目の前の相手は剣を折りかねない実力の持ち主だ。


「ヴァルナ……騎士ヴァルナァ……!! 貴様ヲ倒ス為ニ、ココマデ来タゾ……!!」

「え? 俺に個人的な恨みがあるの?」

「コノ憎悪、貴様ノ血ニ拳ヲ浸スマデ晴レルコトハナイィ……!!」


 初耳で新事実がいきなり出てきた。

 あまりにも憎しみが籠り過ぎて変声された声も若干亡者っぽくなってしまっている。恨み骨髄に達せんとばかりにローブから出た手がゴキゴキ言っている。結構綺麗な手だけどちょっと荒れてるな。


 王国筆頭騎士という立場柄、「貴様がいなければ俺は平民最強になれたんだ!」とか「特権階級の戌に成り下がった裏切者が!」とか立ったまま寝言を言っている変な人に謂れのない恨みを買った回数は幾度かあったりするのだが、これは実際どうなのだろう。


 もしや昨日指摘された自覚なき行動で傷つけてしまった人が早速来たのだろうか。だとしても申し訳ないから勝利を譲るという訳にもいかない。俺の双肩には騎士団の未来とか小遣い稼ぎとか色々ゴチャゴチャ乗っているのだ。


『試合……開始ィッ!!』

「シィィィィィィィッ!!」


 開始の始の言葉が聞こえないタイミングで、既にヴェンデッタは駆け出していた。直線で突っ込んでくる相手に剣を構えるが、間合いに入る直前にヴェンデッタは全身を回転させる。


 一見して無駄な動きに見えるが、回転によってローブの布が舞い上がり、手足の動きが布に隠れて一瞬視認できなくなる。攻めるか引くか、この場に留まるかの択を迫ってきているのだ。


 攻めが強いヴェンデッタ相手に後退は愚策。かといって下手に前に出ればどの角度から攻撃が繰り出されるか分からない。剣を構え、冷静にヴェンデッタの次の行動を見極める。


「エリャアアアアッ!!」

「おっと、回し蹴りかッ!!」


 ギャリリ、とステージを削るような回転と共に繰り出される足先が、こちらの足を狙って放たれる。空中に飛ばずに歩法を用いて足を地に着けたまま下がると、今度は両手を地面につけ、手を軸に両足を回転させて連続蹴りを放ってくる。


 まるで前衛的なダンスのように回転しながら迫る足を見極めて剣で弾こうとするが、回転のたびに軌道を変えるため簡単には見切れない。迂闊に手を出せばくの字に曲がった爪先で剣を引っかけられかねない。


「チッ……」


 舌打ちと共にヴェンデッタは追撃を諦めて手で体を後方に跳ね上げ、異様な低空跳躍で下がり、動物のように両手両足を地面について着地する。もう少し軌道が高ければ容易に追撃に移れたが、こちらの戦法を分析されているようだ。なにより単純に瞬発力が高い。 


「忌々シイ……小賢シクモ戦イ慣レシテイルナ……」

「当たり前だろ。こちとら士官学校出て実戦積んでるんだぞ」

「ソシテ貴様ハ得タ力ヲ無自覚ニ振ルイ続ケタ……! ソノ結果ナド考エモセズッ!!」


 俺が実力を振るったことがいけないらしい。

 言い分からして、俺が騎士として実戦経験を積んでからの出来事に起因する怒りらしい。士官学校時代の大三角による被害でも、俺の故郷での恨みでもない。とするとまさか、どこかしらのオーク被害を受けた村の人の逆恨みとかだろうか。


 或いはまさか――。


「お前もしかして、オークも生き物だから虐殺するのは可哀そうとか言い出す博愛主義者か!?」


 だとしたらバッチリ間違いなく恨みを買っている。

 大陸にもそうだが、王国にも極々たまーにその手合いがいるのだ。オークにも生きる権利があるとか、人間の都合で狩らずに共存を考えようとか、余りにも言っている事が実情と釣り合っていなさ過ぎて聖靴騎士団さえ疎ましがっている集団が。


「ハ? オークナンテ死ンデ当タリ前デショ」

「あっ、はい……」


 違った。ちょっと恥ずかしい。

 だよね、オークに生きる権利とかないよね。少なくとも王国はオークに生きる権利を保障したことは一度もないし。オークが一斉に王国から出ていくというのなら背中を刺すことくらいは勘弁してやらんこともない。前向きに検討しよう。

 それはそれとして魔導式電網って海でも使えるのかな。


「じゃあ何でそんなに俺のこと恨んでるんだ」

「理解スル必要ハナイッ!! ココデ果テテ骸トナレェェェーーーッ!!」


 ズドンッッ!! と、ステージに放射線状の罅が入る強烈な震脚。

 間違いない。まともに受ければ一撃でステージ外に吹き飛ばされる必殺の一撃が来る。


 ヴェンデッタは理不尽な怒りをぶつけてくるが、力量は本物だ。対人戦闘にも巧みな動きを取り入れるなど、一見して戦い慣れしているように見える。しかし、怒りに任せて先ほどから行動が攻撃に偏重しているきらいがある。


 そもそも、相手が同格かそれ以上の実力者の場合、いきなり必殺の技を放っても失敗するリスクが高い。それが絶対に叩き込める確信がない限り、どこかで虚を突いて隙を作るか追い詰める必要がある。


 その状況下にあってヴェンデッタは、いきなり大技を放とうとしている。

 もしかしたらこの対戦相手は、怒りに判断力が鈍っているか、もしくは実は実戦経験が乏しいのかもしれない。で、あるならば――。


「チェアアアアァァァーーーーーッ!!!」


 数メートルはあった筈の間合いを、ヴェンデッタはたったの一歩で潰した。床を踏み砕きながら深い構えから放たれる、砕骨の一撃。歴戦の戦士でも反応が遅ければ胴体が拳の形に陥没するであろう拳の先に、俺の姿はない。


「裏伝四の型、角鴟みみずく

「ナッ……!!」


 来ることがあらかじめ分かっていれば、タイミングを合わせれば避けるのはたやすい。角鴟による独特の移動は特に、そういった攻撃を避けると同時に攻撃を叩き込むことが出来る。


 俺の事を事前に調査していれば裏伝の可能性くらい辿り着けた筈。それでもこの無警戒ぶりを考えるに、ヴェンデッタは剣士の倒し方は知っていても剣士の戦いそのものは分かっていない。


「連技、八の型――白鶴ッ!!」

「オノレ……ギャッ!?」 


 咄嗟に反応して体を庇ったものの、虚を突かれたことで衝撃を逃しきれなかったヴェンデッタは逆袈裟の斬撃を受ける。直撃は避けたものの、ローブの頭部が裂け、パキン、と金属が割れるような音が響く。


 俺は更なる追撃を放とうとして――ヴェンデッタの素顔に絶句した。


「変声魔道具が壊れたか……でも、もう構わない。そう、今更隠す理由もない!!」

「な、何で……」


 それは、少しばかり久しぶりの見知った顔だった。

 少し年上の、雀卵斑そばかすが目に付く整った顔。

 しかしその表情は、嘗て俺が見たその人と致命的に一致しないほど犬歯を剥き出しに憤怒と狂暴性を解放している。その人物が自分に怨嗟を吐くことが信じられない。


「何でこんなところにいんの!? コルカさぁぁーーーんッ!?」

「決まってるでしょッ!! 乙女心を弄ぶ不埒な色魔騎士に鉄槌を下す為よぉぉぉぉぉーーーーーッ!!」


 そこにいたのは騎士団料理班期待の新人にして、俺がスカウトしたに等しい女性。カリプソーの偽ヴァルナ事件を共に駆け抜けることとなったコルカさんその人だった。


『ああっとぉ!! どうやらヴェンデッタの正体はヴァルナ選手の愛人か何かかぁ!? 痴情の縺れのようですッ!! これは盛り上がって参りました!! 人の不幸は蜜の味、ヴァルナの不幸もハチミツ味かぁぁぁぁぁーーーーッッ!?』

「おいコラ司会実況クーベル!! 事実無根な憶測を基にした下世話な煽りやめろッ!!」

「今だ死ねぇぇぇッ!!」

「どわぁッ!? 危なッ!!」


 コルカさんに一瞬で間合いを詰められてボディブローを喰らいかける。

 どうしよう、思いがけず猛烈にピンチだ。主に世間体的な意味で。

 会場の一か所から殺意に近いオーラ、もう一か所から落とし穴に埋まったオークを見るような冷たいオーラを感じる。待ってくれセドナにネメシア、俺も心当たりがないんだ。


「え、俺!? 俺が悪い流れなの、これ!? ちょっと待ってコルカさん、せめて訳を教えてッ!!」

「訳とか、なんとか!! そこを察せない相手だから怒ってんのも分かんねぇのかこの野郎ぉぉぉぉーーーーッ!!」

「ギャーーーッ!? 女性特有の察せよ系理不尽ギレぇッ!?」

『ハハハハハハハッ! もがけ、苦しめ、絶望せよヴァルナ選手!! 私が妻と娘から受けた理不尽な仕打ちの一部分でも味わえぇッ!! ハーハハハハハ(ブツッ)』

『……あー、あー! ただいま不適切な表現があったため、ここから司会実況はクーベルに代わりミラベル・ショコラが務めさせて頂きます。ヴェンデッタ選手の言い分とヴァルナ選手の言い訳は、より女性の気持ちが分かり、なおかつクーベルより遥かに公正で清廉なこの私が裁定するッ!!』

「死ねぇぇぇぇーーーーッ!!」

「故意に殺したら失格ですよッ!?」


 外野で勝手に場外乱闘するのやめてくれ。気が散るから。

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