第230話 人の事を言えません

 ネメシアがここに居ることに、そこまで驚いた訳ではない。

 なにせ王国の特権階級は誰でも知っているほどの一大イベントだ。現に同級生が知る限り三名も参加している。見物人として他の誰かが来ていても不思議なことではない。

 しかし、俺の予想は少しばかり的を外していたようだ。


「へぇ、聖天騎士団の任務で?」


 ルルズを回りながら、俺はネメシアから話を聞いていた。


「閉幕式で編隊飛行を披露するの」


 アマル辺りが聞いたら「ヘンタイを披露するんですかぁ!?」とか言いそうだ。多分平民の殆どが変態非行か何かと勘違いし、子供の間では言葉を発したが最後、翌日から「うわ、ヘンタイが来たー!」とか言って虐められるだろう。残酷な子供たちだ。


「イクシオン王子の発案だけど、まだ未発表だから周りには内緒よ? いくら平民でも守秘義務くらいは分かるでしょ?」

「身分関係ないからそれ。職務上のルールだから。にしても王子も粋なこと考えるもんだなぁ」


 ワイバーンが編隊を組んで空を飛べば、なかなかに見応えのある見物になるだろう。幾度かワイバーンの訓練を見たが、新人たちでさえ器用に飛ばしていた。どんな飛行が見られるか楽しみだ。


「ん? ってことは、お前も飛ぶのか?」

「その通り! ……と、言いたいところだけど、流石にそれはもっとベテランの団員の役目。私はまぁ、予備人員がてら連れて来てもらったの。出来ない訳じゃないからね?」

「そこは疑わないってば」


 以前、俺は騎士団の面々と一緒に彼女の相棒であるワイバーンのミラマールの不調を調査し、問題を解決したことがある。どうやらミラマールは今も絶好調のようだ。

 にしても、ネメシアと二人で町を歩くなんて少し前までは想像すらできなかったことだ。未だに若干の棘は残っているが、御愛嬌ということで気にするほどでもない程度だ。

 ……ばったりセドナに出くわしたりするのは怖いが。


「そういえばお前、いつからここに居るんだ?」

「昨日の夜に最寄りの砦にワイバーンたちを下ろして、町に入ったのは今日ね。あ、言っておくけど貴方が明日試合だってことくらいはもう把握してるわ。明日に備えて宿に戻らなくていいのかしら?」


 ほんのり挑発的かつ若干親切な事をいうネメシア。

 彼女なりに空気を読んで別れる口実をくれているらしい。もっと絡まれると思っていたので意外だが、もともと少し回ろうと思っていた俺は首を横に振った。


「今日くらいはこのお祭り騒ぎに参加しようと思ってな。良ければ一緒に行ってみないか?」


 どうせなら一人より二人だ。それに、ネメシアはどうもこういった場に慣れていない印象がある。一人で放置するのも少し気が引けた。


「えっ……あ、うん……」


 今度はネメシア側が予想外だったのか、驚きに双眸を見開いたのち、うつむき気味に頷いてきた。素直にこちらの話に乗るなど珍しい、とも思ったが、彼女も彼女で少し心細い思いはあったのかもしれない。


 しおらしいネメシアというのも何となく調子が狂うので、悪戯心で手を差し出してみる。


「エスコートは必要かい、マドモアゼル?」


 俺の予想では、「平民が貴族の猿真似してんじゃないわよ! いいから普通にしなさい、普通に!」とか言って手を払いのけると結果が出ていた――のだが。


「……い、言ったからにはしなさいよ。エスコート」


 予想に反し、ネメシアの手は差し出した俺の手を取ってしまった。




 ◇ ◆




 日が傾いてもお構いなしに浮かれて騒ぐ客たちと、その客たちの胃袋に食べ物を落していく屋台から漂う食欲を誘う香り、そして焼き、切り、かける音。


 路上音楽のテンポ任せなメロディが喧噪に負けじと騒ぎ、パフォーマーはこの日の為に磨いた技でおひねりをかき集める。


 わぁ、とか、あぁ、とか、興奮した声。王国では見ないタイプの、輪投げなどのゲームの結果によって景品がもらえるという屋台は特に賑わしく、子供たちが泣いて親にお金をねだったり、手に入れた景品を宝物のように抱えている。


 そんな喧噪の中を、俺はネメシアと手を繋いで歩いていた。


「あ、ドーナツだ。買っていくか?」

「ん、そうね……あら、可愛いデザイン。店員さん、ストロベリーハートのドーナツを二つ」

「二つも食べるのか?」

「貴方も食べるのよ。綿菓子の分と思って有難く食べなさい?」


 悪戯っぽく微笑むネメシアの横顔に、俺も笑う。

 不思議な気分だ。ネメシアの事は苦手な筈なのに、今は一緒にいる時間を心地よく感じてしまっている。彼女も普段と違いヒステリックにもならなければ、ぐちぐちと絡んでも来ない。

 祭りの空気に浮かれているのかもしれない。

 俺がそうでないとも言い切れないが、悪い感じはしない。


 見たことのない屋台でいくつか食べ物を買い、ネメシアが目を真ん丸にして「屋台料理ってこんなに美味しいの?」と言ったり、口元が汚れていたのでセドナにやる感覚で拭いてあげたら「そこまで子供じゃないわよ!」と言いつつも素直に受け入れたり、普段は見られないネメシアの姿が新鮮だ。


 負けず嫌いも入っており、屋台のシンプル故に難しいゲームに負けては「次こそは!」とか「貴方もやりなさい!」とか、ずいぶんと可愛らしいワガママを連発する。

 やがて太陽が地平の彼方に隠れ、美麗な花火が夜空を彩るまで、俺とネメシアは祭りを満喫した。


 ドン、ドドン、パパパパッ、と、強かに大気を揺るがす花火の音。

 ルルズの関所の屋上という騎士ならではの見物スポットに失礼した俺とネメシアは、建物の縁に並んで座り、二人きりで美しい夜の花を見上げていた。


「綺麗ね、花火。悔しいけど王国の花火職人だとあそこまで綺麗なものは作れないんじゃないかしら」

「エンターテインメントに情熱を傾ける国は花火も情熱的、か。何度か見てたはずだけど、じっくり見ると迫力が違うなぁ」


 立て続けに打ち上がる花火が、夜空を照らすように大輪の花を咲かせてゆく。コロセウム・クルーズから打ち上がるこの花火がルルズにまた違う色を与え、人々の心を虜にしていた。


 しかし、花火も無限にある訳ではない。

 やがてラストスパートとばかりに矢継ぎ早に大量の花火が空を彩り、最後に特大の花火が海さえ染める有終の美を飾り、今日の花火の打ち上げは終了した。


 もう存分に一般客として祭りを楽しんだと満足した俺は、そろそろお開きにしないかと提案しようとして――ネメシアがゆったりと俺に凭れ掛かってきたことで止められる。


「セドナとは、花火見てないの?」

「こういう風にじっくりは見てないな。あいつも俺も選手だから、時間が合わないときは一人で行ってるみたいだ」

「あの子、このこと知ったら絶対怒るわよ?」

「最終日にアストラエと三人でまた出るさ」

「……ねぇ、なんで私と回ろうと思ったの? セドナとか、他の女の子と回る前に予習でもしたかった?」


 ネメシアの顔が俺の顔に近づく。

 元々美しい顔立ちをしているネメシアだが、微かな憂いを帯びた顔がいつも以上に女性的に映った。照れ臭くなって少し顔をそらしてしまう。


「何だよ人をプレイボーイみたいに……ほっとけなかったんだよ。なんかこういう場に慣れてなさそうだったし、ちゃんと祭りを楽しめるか柄にもなく心配したんだ」

「……その優しさは、騎士としてはいいけどさ。女の子にとってはきっと残酷なのよ」

「え?」


 ネメシアが俺から体を離し、向き合う。


「貴方はなんのかんの言って女の子に甘いわよね。婦女子を助けるのは騎士の本懐とか言うからそれが変だとか間違っているとかは言わないけど」

「そうか? 自覚はあんましないんだが」

「そう、悪いのはそこよ」


 ネメシアが人の顔に指を指す。

 礼儀に煩い彼女らしからぬ無礼なアクションだ。


「他の女も近くにいるのに、別の女の手を取って、状況によっては『絶対守る』とか『大丈夫』とか甘い言葉をかけたりしてるんでしょう。勘違いしちゃう女の子はそんなことされたら心が動いちゃって、貴方の事を好きになっちゃうかもしれない。その自覚、ある?」

「……すまん、ない」


 吊り橋効果という先輩方が提唱し続ける理論を考えるとありえないとは思わないが、常日頃の意識はないだろう。だってあんまりモテないもの。しかし、そこがネメシアの琴線に触れたようだ。


「貴方、そんなことずっと続けているといつか女の子を泣かせるわよ? 優しくするのはいいことだけど、優しさだけが人を傷つけない行動じゃないの。時にはキッチリ断ることも大事。今日の私と貴方、まるっきりカップルのデートよ? セドナがもし本気で貴方のことが好きだったら、謝って後でご機嫌取りじゃすまないくらい傷つくかもしれないじゃない!」

「セドナ……好意……うっ、頭が……」


 記憶の奥底で何か果てしなくしょうもないものに対して本能が拒否反応を示している。なんとか頭を振って頭痛を振り払い、一度深呼吸する。大丈夫、話の大筋は覚えている。


「俺は誰かと付き合ってる訳じゃないから、確かにそういう考えは緩かったかもしれん……ぶっちゃけ経験もないし」

「言い訳無用! 自分が客観的にどんな行動を取って、それが誰かを傷つける行為じゃないかどうかまでしっかり考えなさい!! 以上!!」


 勢いで全て言ってしまった感のあるネメシアはそのまま踵を返してその場を後にしようとし、数歩歩いたところで思い出したように振り返る。


「……あと、勘違いしないで欲しいんだけど」

「な、何だよ」

「一緒に回ってくれたのは嬉しかったし、た、楽しかった……から」


 暗闇のせいで見えづらかったが、最後にそう言ったネメシアの頬はほんのり赤らんでいた気がした。それだけ言って今度こそ去っていったネメシアを見送り、俺はため息をつく。


「お前それ、人のこと全然言えないじゃないか……」


 この日、俺の心にネメシアに対する小さな小さな「もしかして」が染みついた。

 彼女は時折俺に鋭い指摘をするのに、どこか詰めが甘い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る