第229話 激流に身を委ねます

『えーと、ナギって何ブロックに出てるんだっけ? って、あー!』


 よそ見をした瞬間、まるで俺の足を引っかける為だけにこの世に生まれたような木の根っこに足を取られ、不覚にもトーナメント表を落してしまった。落としたトーナメント表は今ここで落とし物を落す為だけに存在するような小さな泉に紙の浮力とか表面張力を無視してぽちゃんと落ちる。


 すると、泉が光り輝き、水面から美しい女神が姿を現した。


『汝、迷える若人よ。貴方が落としたのはBブロックにナギの出ているトーナメント表ですか? それともDブロックにナギの出ているトーナメント表ですか?』

『いや、そんな地味かつどうでもいい現実改変要素いらないから普通にトーナメント表返してください』

『なんと。そんな欲のない貴方の為に、両方にナギが出場したトーナメント表を用意しました』

『いや、いらねーよ。誰が得するのそれ?』

『もちろんナギも二人います』

『『ヴァルナー! 兄貴を騙して崖際に呼び出そうぜー!』』

『うわぁ同じ顔が二つ並んで気持ち悪っ!!』

『『ところでお前、幻の十三番目の奥義使えるって本当かー!?』』

『そんなもんねーから!! 十二の型が究極だから!!』


 寸分狂わぬ同じ動きと同じ笑顔でこちらに手を振る二人のナギの姿に、俺は思う。

 ああこれ夢だわ、と。


『……申し遅れました、私は泉の女神。世間では泉の精とも。運命先輩より下、第四階位の女神です。先輩が『会議に忙しいので代わりに様子を見ておいて欲しい』と言うので小粋なジョークでお出迎えしたのですが、どうやらご気分を害された様子』

『ウケとか狙わなくていいから普通に話しかけてください』

『……先輩から聞いてはいましたが、本当に物怖じもへったくれもない自然体のお方なのですね』


 泉の女神と言えば有名な騎士物語や童話にも顔を出すメジャーな女神だが、確かに泉の女神の権能は広くなさそうである。少なくとも豊穣の女神の方が役割は大きいだろう。なにせ泉限定だし。

 ちなみに、ヴィーラは泉の女神の遣いと考える地域もあるとか。


『いやー許されるなら本当に遣いにしたいくらい可愛いですよね、ヴィーラ! ……あっ。んん、おほんっ! い、今のは忘れてください』


 特に意味もなく、今度みゅんみゅんに泉の女神の素晴らしさをとくとくと説いてみようと思った俺であった。



 そんなささやかな朝の夢はさておき、第二試合に入って絢爛武闘大会は更にその激しさを増してゆく。


「研ぎ澄ませ、一の型――軽鴨ッ!!」


 Aブロックのロザリンドは渾身の居合切りで相手選手の鉄製ハンマーを切り裂き、対戦相手が腰を抜かして降伏したことで無事彼女は勝利。三回戦に歩を進めた。

 あの鋭さ、技量と力業が同居している。

 少々の荒さはあるが、腕を上げたと褒めていいだろう。


 一方、セドナは何とうちの騎士団のウィリアムとかち合う。鞭と盾という異色の組み合わせに注目が集まったものの、セドナは器用にも盾の可変機構に鞭を挟むことでウィリアムを無力化。強烈なシールドバッシュにウィリアムは吹っ飛ばされた。


「へへ……可愛い子猫キティだと思ったら、流石は鬼の特務執行官のオトモダチって訳か……畜生、雲もないのに雨が降ってやがる」

「お顔、狙わなかったね」

「レディの顔に傷をつける趣味は、俺にはねぇ。たとえこうして地に這い蹲っても、そこを曲げちゃあ俺は男じゃなくなるのさ……」


 悔しさに滲んだ涙をハットで隠し、ここでウィリアムの敗退が決定した。酷な事を言うようだが、仮に顔を狙ったところでセドナは止まらなかっただろう。


 ピオニーは……何やら過去に因縁があったらし男が偶然参戦しており、その相手と衝突。よほど恨めしかったのだろう、鬼気迫る鍬捌きは最早殺そうとしているようにしか見えなかった。

 対戦相手――マルヴェールという男もメイスで相応に善戦したが、ピオニーの尋常ならざる憤怒の爆発が上回ったらしい。


「やっ、やめろぉ!! 何でお前がここにいて、何でこんなに強いんだよォ!」

「一つ振っては土の為――」


 ピオニーの鍬の一振りがマルヴェールのメイスを上から叩き落とす。


「あがっ、待っ」

「二つ振っては己が為――!」


 鍬の先端が逃げるマルヴェールの首を引っかけて捕まえる。


「三つ振っては借金の――事さえ忘れる憎たらしいお前の顔なんだよぉぉぉぉぉぉーーーーーーッ!!」

「パガッペァァァァアアアアアアアッ!!?」


 最後の一撃は、刃先ではないとはいえ全く容赦なくフルスイングで顔面に命中。マルヴェールという男は血と涙と歯を吐き出しながら空中で六回転半し、そのまま観客席に突っ込んだ。死んだようにしか見えなかったが、一応、生きてはいたそうだ。


 ただ、その後の彼は王国内への密輸入に関わっていた可能性が高いということで聖盾騎士団に捕縛、連行されたそうだ。おまけにピオニーへの不当な契約や結婚詐欺、違法賭博など叩けば叩く程悪事がぼろぼろ出てきて牢屋行き、とはセドナからの横流し情報だ。

 まぁ、差し歯か入れ歯くらいは支給されるだろう。

 聞き取りの際にフガフガ言われても困るしな。


(にしても、ここに来てまた密輸か。あの件まだ片付いてねぇんだよなぁ)


 久しぶりの話になるが――イスバーグの品種改良オークの件はまだ片付いていない。犯人探しに大規模な調査が実施されたにも拘わらず、国内に魔物関連のブツを密輸入している犯人は特定できなかった。海外から一挙に人が集まるこの大会も、その手の輩にとってみればよい機会に映っていたのかもしれない。


 ともかく、逮捕された以上はそこから先は聖盾の仕事だ。密輸を頼んだ間抜けが簡単に尻尾を出してくれれば、それに越した事はない。


 Bブロックではサヴァーも二回戦を突破。彼はここ最近で一番調子がいいから番狂わせを期待する声もあるという。俺もぜひ今のサヴァーとまた戦いたいが、どうなるかは勝利の女神のみぞ知るといったところか。俺なら女神の裁定に従う気はないが。

 なお、トーナメント表を穴が空く程眺めたが、ナギはちゃんとBブロックにしかいなかった。今日の試合も勝ち上がり絶好調だが、次の試合に当たるのは今日も敵を瞬殺したシアリーズである。


「お友達なら手加減してあげようか?」


 意地の悪い笑みで肩を組んできたシアリーズに苦笑いして首を横に振る。


「ナギはそういうタイプじゃねぇ。戦う限りは手加減なしだ」

「えー、そっちの方がムズカシイ。手加減なしだと殺しちゃうから」

「物騒なこと言わない。俺だって戦いたかったんだぞ? 俺の代わりに頼むよ」

「……ふーん。あの王子くん以外にちゃんと男の友達もいるんだ。ま、いいよ」


 するりと肩を外してシアリーズはどこかに行く。

 猫のような奔放さだ。出会ってばかりの頃は今より少し控えめな感じだったが、どちらのシアリーズも不快感はない。 


 出会って当初の彼女は、騎士という存在を嫌っている節があった。歩み寄りのきっかけはもちろん彼女と出会った島での任務。確か、オークの毒による土壌汚染を知らずに容赦なく畑に近づいたオークを殺してしまったシアリーズが「後始末を手伝わせろ」と言い出したことだったか。


 俺は過去の記憶に少しばかり思いを馳せた。




 ◇ ◆




「……手伝いたいとは言ったけどその結果がこれ?」

「その結果がこれです」


 どよーんと淀んだ目をしながら大型スコップを抱えたシアリーズと俺の目線の先で、オーク死体回収班が不毛の地と化した一区画で熱心に土を弄りまわしている。

 シアリーズが殺したオークから流れ出た毒で汚染された土を、余すことなく回収するためだ。


「六メートル先、試薬反応あり。濃度二!」

「七メートル先、試薬反応なし!」

「ふーむ、オーク共が同じ場所に来て同じ殺され方をし続けたのが幸いしたか? 取り合えずここの半径七メートル、地下二メートルの土を掘り返して回収だ! 他、二メートルおきに試薬検査を続けろ! バラけたのがあるかもしれん。ここの周辺の畑二枚にある野菜は念のために半年ほど放置して、収穫された野菜や引っこ抜いた草は冷蔵保存して買取って形で騎士団に送ってもらおう。検査して残留毒素がなけりゃそれでクリアだ」


 土をつまんでは怪しげなフラスコの中に放り込み、変化する色を眺めたり地面にがりがりとスコップで印や線を入れたり、シアリーズの目の前ではまるで工事現場の下準備みたいな光景が只管に繰り広げられていた。


「なに、これ? わたし、何やらされるの?」

「汚染された土の運び出しです。今は汚染範囲の計測中ね。日にちが経ってない場合と雨の降ってない場合は目視で出来るんだけど、ちょっと日数経過してるし、何よりこの辺畑だから念入りにチェックしてんの」

「掘るの? この範囲を?」

「汚染された土を確実に排除するための必要最低限の措置です。これをやれば皆100%許してくれます」

「急激に許されなくてもいい気がしてきた」

「コラコラ、真面目な作業だぞ」


 シアリーズも途中から察してはいたらしいが、それにしたって単純計算で四五〇立方メートルにも上る膨大な土の掘り出しを上級冒険者にやらせるという現実が受け入れがたいらしい。実際には俺も付き合ってるし回収班の皆さんもいるのでそこまでではない筈だが、殆どやってるのは土木工事である。剣を振ってる方が百倍楽ではある。


「今回は別嬪のお客さんも参加してんだ! 情けねぇ弱音口にした奴は汚染土と一緒に木箱にぶち込むぞ! 作業開始用意ッ!!」

「アイサー! 荷車用意! シャベル構えッ!!」

「荷車用意よし! シャベル構え!」

「え、シャベルってこれなん? 俺ずっと大きいのはスコップだと思ってたわ」

「実は俺も地元だとスコップって言ってた。地域差あんのか?」

「どっちでもいいから構えろっつってんだろ埋めるぞクソ野郎どもッ!!」


 回収班のベテランであるエッティラ先輩の怒号と殺意に条件反射で「アイサーッ!!」と一斉に構えた総員は一斉に掘削を開始した。全員がきびきびと掘削を進める中、シアリーズも遅れて自分の役割範囲を掘っていくのだが、そもそもシャベルの扱いに慣れていないためにその手際は良いとは言い難い。


 彼女が地面にスコップを刺して土を抉り出した際に掬い出せた土の量がボウル一杯程度なのに対し、周囲は既に人の頭より大きな土塊を荷車に放り込んで次に取り掛かっている。俺も一応横から小さなアドバイスを送りながら掘り進めるが、やはり回収班には少しばかり及ばなかった。


「くっ! 負け、ない……!!」

「その意気その意気。どんどん手際よくなってるよ」

「その、態度! 上から目線っぽくて、腹立つ……っ」


 息を切らしながら睨みつけてくるシアリーズは、意地でも勝つとばかりに更に勢いを増して掘っていくが、悲しいかな彼女に割り振られた掘削範囲以外の場所ではプロの掘削者たちが既に仕事を終えて汚染土の運搬に取り掛かっている。それでもと彼女は頑張ったが、最終的には「後は我々がやります」と非情なるタイムアップを受けた。


 まぁ、頑張った方だろう。

 シアリーズは地面に刺したシャベルに寄りかかりながら力尽きた。


「こんなの……騎士の仕事でも、冒険者の仕事でも、何でもない……」

「まぁまぁ、後半とか俺に並ぶ速度だったじゃん」

「そういう問題と、違うし……ただ騎士に武器以外で負けるのが屈辱なんだし……」

「ま、これでシアリーズは自分で自分のミスを清算したということで。お疲れ様」

「……ふんだ」


 慣れない作業で疲れ切った彼女に手を差し伸べると、間を置かず手を握って立ち上がった。手汗と土に汚れたその手が、彼女の負けん気の強さと汚れることを厭わない逞しさを現しているような気がした。




 ◇ ◆




 ――そんな風だったシアリーズも、今やあの馴れ馴れしさ。


 作業の後の会話と、一度やった模擬戦が一気に距離を縮めたんだろう。

 ところでその模擬戦、翌日の作戦を控えていたため軽くしか出来ておらず、決着もつかず仕舞いだ。翌日の作戦は地形が一本道だったこともあってシアリーズと二人で吶喊という荒々しいものだったが、共闘して更にシアリーズの実力を実感した。


 彼女と戦えば、俺はどこまでギアを上げられるのだろうか。


(戦いたい相手多すぎるな、この大会)


 自分で自分に苦笑いしてしまった。

 クルーズの外に出ると、お祭り騒ぎの真っ最中だ。王国が全世界からかき集めた屋台たちが軒を連ね、パンフレットに載るような賭博街のスリルは祭りの賑わしさに完全に上書きされている。と、鼻腔に甘い香りが入り、匂いの源を探る。


「……食べる、綿?」


 そう形容するしかない、棒きれにふわふわと巻き付いた綿が売られていた。

 物珍しさに周囲の視線を引いているその店は、なにやら小型魔導機関を用いて発生させた綿を棒に巻き付けており、購入した子供は綿を食べて口を汚しながら「甘ーい!」と満足げだ。


 セドナ辺りも同じ反応しそうだな、と思い、俺も興味本位で購入することにする。幸い俺の試合は明日からだし、夕暮れが照らす屋台を少々回って夕食を済ませるのも乙かもしれない。せっかくの賑わしさなのだから、少しくらい参加しても罰は当たるまい。


「俺にも一つくれ」

「一つくださいな」


 ――後になって思えばその考えがいけなかったのかもしれない。

 偶然にも言葉が被り、咄嗟に相手の顔を見た瞬間、俺は失礼ながらそう思った。


「な、なななな……」

「……何でここにいるんだよ、ネメシア?」

「なんではこっちの台詞よっ!! 何でよりにもよってこの屋台のこの時間に貴方がいるのよッ!!」


 会う可能性があるとは微かに思っていたが、こう来るか――と俺は唸る。

 会うなり人の行動の自由を侵害する騎士の礼服を着た見覚えのある女性。


 美しいアッシュブロンドの髪を団子に束ねた彼女の名は、ネメシア・レイズ・ヴェン・クリスタリア。

 聖天騎士団所属の竜騎士にしてセドナと犬猿の仲。

 そして、少し前に共に問題を解決して距離の縮まったかもしれない同級生だ。

 会うなり噛みついてくる癖は直ってはいなかったようだ。

 頭痛を覚えつつ、俺は敢えてスルーして店員の方を向く。


「あ、お気になさらず用意お願いします」

「ちょっと! 私を差し置いて勝手に話を進めるんじゃないわよ!!」

「……彼女の方を優先していいです」

「少し押されただけで直ぐに意見を引っ込めるような意気地なしな事してんじゃないわよ、男の子でしょ!!」

「唯のレディーファーストだろ。見境なく噛みつくなって。えーと、彼女の分も俺が払います」

「恵んでもらいたいほど卑しい女に見えるかしら!?」

「だーもう、店の人の迷惑ってもんを考えてちったぁ控えろ!」

「むっ、礼儀知らずの平民の癖にこういうときだけ文明人的な気遣いするのね。まぁいいわ。ここは上に立つ者として寛大な心で許しましょう」


 尊大に面の皮の厚さをアピールしてくるその人物に、顔を向けずにため息を吐く。もはや事ここに至って、見なかったことにして逃走は許してくれまい。セドナに見つかりませんように、と心の中で願った俺は、選手用ローブを心持ち深くかぶり直して店員から差し出されたそれ――綿あめを受け取った。

 まぁ、何だ。こいつも大概溜め込みやすい奴だし、ガス抜きに付き合おう。

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