第222話 SS:消ゆることなき情熱です
『楽な道ではなかろうが、お前の体に流れるバウベルグ家の血が力を貸してくれるだろう。立派な騎士になれるよう存分に励めよ』
『はい、お兄様』
――なんだったか、このやり取りは。
漠然とした意識の中、これは兄のシュトラケアとのやり取りだと思い出す。
もう二年はまともに話をしていない。
社交辞令を交えない私語としての会話は、恐らくこれがロザリンドの中で最も新しいものだ。兄もまた剣術は嗜んでいたが、父の隠居がそう遠くないということでその時は騎士の道に進まなかった。今も兄は王都で父上の跡目を継ぐための準備を着々と進めている。
兄との思い出は少ない。
身近な男性という事で微かな憧憬はあったと思うし、隙がなく欠点も見当たらない努力家だった。それこそ、家族として他者に説明しても何ら恥じることのない兄だ。
ただ、兄は忙しかった。
ロザリンドは兄の好きな食べ物も趣味も、跡継ぎという役目をどう思っているのかも知らない。それを気にした頃には、シュトラケアと私的に会話する機会はごっそり減ってしまっていた。
『可愛いロザリンドが剣を……なんだか想像もできませんね。でも確かに、ここ最近の剣術練習ではかなりの熟達ぶりでした。どうせ騎士になるのなら、トップを目指しなさい。貴方にはそれだけの器量があるわ』
『勿体なきお言葉ですわ、マグノリア姉上』
長女マグノリア。兄弟の中では恐らく一番長く接した存在。
柔和な微笑みを崩さない、規範たる姉。母が不在の時はマグノリアが様々な事を教えてくれた。子供心に、何でも知ってる姉だと尊敬していた。
しかし、尊敬する姉に近づくにつれて姉から教わる事はなくなり、接する機会は減っていった。規範を外れる会話をすることがなくなり、自分は本当にマグノリアに好かれていたのかさえ今は確信が持てなかった。
『この場にコーデリアがいないのが残念でならないよ』
『あの子も忙しいですからね。無理には呼べません』
次女コーデリアの想い出は、もう思い出せない。
物心ついた頃には海外にいて、時折顔を会せた気もするが長くは家にいなかった。まともに話をしたのがいつか、今はどんな顔をしているのかさえ分からない。両親は会ってはいたようだが、折が悪くいつもロザリンドは会う機会を逃していた。
ああ、そうか、と納得する。
これは確か十四歳の誕生日、両親も交えた会食の後の些細な時間の出来事だ。
母が騎士になることにいい顔をしなかったので、二人が気を遣ってくれた。
この時、自分が何を考えていたのかもロザリンドは克明に思い出せる。
――つまらない。
――この家には様々なものがあるのに、何もない。
バウベルグ家の為の成長、それは親にとっては意義があったのだろう。
しかしそこにバウベルグ家の意志はあってもロザリンドの意志はない。
兄や姉に抱く尊敬の念は消えはしないが、だから喜びを感じる訳でもない。
――もう兄に教わることも姉に教わることもない。
――関る理由が消えてしまった。
――きっとこれから死ぬまで、わたくしは共同体の構成存在としてしか二人と会話しないだろう。
別に、強烈な不満や違和感、忌避感があった訳ではない。
ただ至極単純に、バウベルグ家というくびきの中に自分が夢中になれることはないと悟っていたのだと思う。
無為に流れる時間、浪費される意識。
そのもどかしい停滞を打ち破ったのは、あの日の御前試合で差し込んだ光。
あそこに行きたいと思い今日まで過ごし、未だ近づけた感覚さえない光。
普通なら、きっと追い付けない自分に絶望してしまうのだろう。
ただ――ああ、ただ。
終わることなく追いかけさせてくれるその指標を、心が求めていた。
「そう、だったのですね……」
夢見心地の意識がうつつに落ち、剣を握る手を強めて立ち上がる。
目の前には両手で剣を抱えて迫る重装甲の戦士。
「敗北を悟ったか、若き娘ッ!!」
力なくぶら下げるように構えた剣を見て、対戦相手――ガストル・ドーズは戦意なしと見たらしい。その動きを見て、ロザリンドは疲労と痛みに塗れた腕をどう動かせば最小の動きで躱せるかを考え、ふらりと前に出た。
「二の型、水薙――」
「くらえぃ――ッ!?」
受け流しでは足りないと思い、剣筋を逸らしながら自らの体も逸らし、脇を抜ける。今の動きは、いい動きだった。意図せず出たが、ヴァルナがいつもやっている最小限の動きによる回避だ。
鈍った鼓膜にワァッ、と声援が飛び込んできた。
「諦めるなぁ、ロザリンドちゃぁぁーーーんッ!!」
「決勝までやって来たんだ!! 騎士の意地ってやつをまた見せてくれぇぇぇーーーッ!!」
「最後まで諦めないでッ!!」
(ああ……)
呆けたような顔で、現状を理解する。
結局、ロザリンドはあの後丸一日の間、シアリーズと地獄の特訓を続けた。蹴り飛ばされ、叩きのめされ、刺されかけ、斬られかけ、罵倒される。本人の宣言通り、経験したことのない程の痛みを身体と心に受けるうち、ロザリンドはいつの間にか「何故自分は戦うのか」という根源的な問いを心に抱くようになった。
もう少し――もう少しで答えに届く気がする。
ロザリンドは疲労と寝不足も隠さないまま、本大会前最終日の戦いに臨んだ。
最低限化粧などで顔色は誤魔化したが、疲労の色は濃く、体のキレは初日の頃とは比べるべくもない。オーバーワークの代償で節々が悲鳴を上げるなか、ロザリンドは全力を振り絞り続け、相手から勝利を無理やりもぎ取っていった。
華麗さはない。威厳もない。
それでも答えを求め、戸惑う観衆や実況を無視して幽鬼のように剣を振るい続けた。
そして決勝戦に、準決勝でルードヴィッヒを破って相対したガストル・ドーズの強烈な一撃を受けたロザリンドは場外寸前まで吹き飛ばされて一瞬意識が朦朧としていたのだ。
ガストル・ドーズ。
六星冒険者でも上位に位置し、その怪力は殆どの魔物を一撃で倒すという。一撃の威力だけなら七星に匹敵すると言われたそれの直撃を受けて、やっとロザリンドは『掴んだ』。
「良かった……ただ単に、足りなかっただけなのですね」
「娘、貴様頭でも打ったか? 今の回避は確かに予想外だったが――」
「足りない分は、注げばいい……」
結局の所、ロザリンドは分かっていなかった。
世界の中心が自分で、その上がヴァルナで、他を全て下だと思っていた。
だがそれは違う。
ヴァルナと自分の間には数多の強者がいるのだ。
その事実を、心のどこかなどという言葉ではなく、丸ごとロザリンドは理解できていなかった。勝利の喜びを知らないから、勝利への渇望がなかった。勝てて当たり前の戦いと負けて当たり前の戦いを重ねても、予定調和になるだけだ。
視界が急に開けた気がした。
餓えろとは、そういうことなのだ。
理解することによって生まれるカタルシスが、心地よい。
(嬉しい……わたくし、やっとアマルと同じ場所に立ったのですね)
高みを求めるのなら、自分が低い位置にいることを自覚しなければならない。譲れないもののために恥に塗れ、泥を啜る覚悟が必要だ。今、家族の為に働くアマルとヴァルナを目指して戦う自分は、ロザリンド自身の心の中で等価値となった。
息を吐き、吸い、剣を構えて切っ先をガストルに向ける。
実況のミラベルがその気迫を鋭敏に感じ取った。
『ロザリンド選手、纏う気配が変わりましたッ!! わたくし司会実況を長らくやっているために感じるのですが、こういった気配を纏った戦士は『何か』をやります!! 東洋では滝を上った鯉は竜に化けると言いますが、今こそまさに彼女の登竜門だというのかッ!?』
「虚勢だ!! 我が一撃を受けて立っているのがやっとの筈ッ!! もう諦め――」
「黙れ」
「なっ……何を」
「黙れと、言っているのです」
ヴァルナは目標だ。今はその限りなく近くにシアリーズもいる。
自分は大地から星のような二人を見上げていて、近づこうとしている。
今までその間には何もないと思っていたが、どうやら今はそこにガストルとかいう怪力の男が雲となって遮っているらしい。
であるならば、やることなど一つしかないではないか。
「わたくしが前に進むのに、貴方は邪魔です。よって、『ぶっ飛ばします』」
身体が熱い。
吐息が灼けるようだ。
この迸る衝動。
この飽くなき情熱。
全てはそう――求める星に手をかけるために。
「王国攻性抜剣術、五の型ッ!!」
「グッ!? 窮鼠となれども噛ませぬぞッ!! ウリャアァァァッ!!」
巨体の男の大剣が迫るが、もうそんなことは関係ない。
ぶっ飛ばすと言ったらぶっ飛ばすのだ。
天高く剣を掲げたロザリンドは、注げる全霊を剣に込め、己が最も得意とする奥義を振り下ろした。
「
それは、人生で最高の――しかしそれでも届かぬ星に向けた宣戦布告の一撃。
ドガンッ!!! と。
ロザリンドの剣閃はガストルより速く、強く、そして熱く眼前の敵を吹き飛ばした。ガストルは悲鳴も上げられず後方に一直線に吹き飛ばされ、外壁にめり込む程の威力で激突し、やがて床に落下し、ぴくりとも動かなくなった。
『ロザリンド選手、有無を言わさぬ痛烈な一撃で大逆転勝利ぃぃぃーーーーーッ!! これにて剣術大会を二度優勝したロザリンド選手には『絢爛武闘大会』の参加資格が与えられますッ!! 大会開始前に胸の熱くなるベストバウトを見せてくれた両者に、皆さま盛大な拍手をッ!!』
勝利の歓声が響き渡る中、ロザリンドはゆっくりと剣を下ろし、そのまま膝をついた。流石にあの一撃を放つまでが体力の限界だったのだ。視界の端にゆっくり近づいてくる誰かを見ながら、しかし、心地よい疲労と声援に眠気が差したロザリンドはそのままゆっくり目を閉じた。
「……安心して寝ちまってるよ。可愛い顔しちゃってさ。まぁ、こんな時くらいは先輩に甘えさせてやるかね?」
ボロボロの後輩を労いにきたヴァルナは、余りにも気持ちよさそうに眠るロザリンドに苦笑いしながらも彼女を両手で抱え、控室まで優しく運んでいった。
――のちに目を覚ました彼女が羞恥に転げ回るのは、数時間後の話になるが。
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