第221話 SS:渇望するなら餓えなさい

 戦いとは、根本的には生存競争である。

 オークとの戦いも、広い目で見ればそうだ。

 オークに生活のテリトリーや安全を奪われかねないから、王国はオークを狩る。そうでなければ百年も血眼になってオークを殺し続けることなど出来ない。


 生きるか死ぬか、なのだ。

 負ければ死ぬ。

 事実、騎士団の長い歴史の中にはオークの狂牙の犠牲になった者も存在する。


 ロザリンドは、そのことを知っていた。

 剣と剣を交えれば低確率で人が死ぬ可能性くらい知っていた。

 ロザリンドは、知っていたのだ。


 そして今日、また一つ知る事が出来た。


「どうしたどうしたぁッ!! さっきから縮こまってばっかりでぇッ!!」


 鬼神の如き気迫と共に繰り出される怒涛の連撃に神経がすり減り、汗が噴き出す。放たれる一撃一撃に、明確に相手を打倒しようとする意志が込められている。己の技量の全霊を以てしていなし反撃するが、反撃の瞬間を二本の剣が的確に潰し、反撃を叩き込んでくる。


 『藍晶戦姫カイヤナイト』の名を冠する目の前の女性の一撃を受けるたび、絶え間なくロザリンドの本能が叫んでいた。


 ――殺される、と。


 今、ロザリンドはコロセウム・クルーズにある訓練部屋を貸し切りにしてシアリーズと激突していた。激突と言えば聞こえはいいが、その実ロザリンドでは彼女と勝負が成立していない程に追い詰められ続けている。


 誰が死んだとか、死ぬ可能性があるとか、そんなことは紙や言葉の上で転がっているだけだ。知識として知っていても、経験を伴わないと真に理解しているとは言い難い。

 ロザリンドはこの日になって初めて、死を意識した。


 眼前に迫る一刀を弾き、もう一刀を身を引いて全力で躱す。振るわれた剣はまるで最初から通る道が決まっているように変幻自在に切っ先を変え、構えを変え、刃の角度を変えて絶え間なく襲い来る。

 その全てを、全霊の力で迎撃し続ける。


「おかしいなー! まだ余力があるなー? ……もっと搾り出さないと、叩きのめし回すッ!!」

(強っ、すぎるッ!!)


 ヴァルナの試合を見て以来、感じることがなかった感覚。

 それでいて、ヴァルナの静の剣と対を為すような動の剣。

 それは紛れもなく、絶対強者と相対した感覚だった。


 ヴァルナは激しい動きに誤魔化されがちだが、本来は一瞬で必殺の間合いに入って必殺剣を放つのが彼の剣の本質だ。相手を様子見する際も積極的に駆け出さず、敢えて緩慢な動きでゆっくりと間合いを詰めていく。そして間合いに入った瞬間にそれが爆発する。

 静から動へ、その一瞬の移り変わりこそがヴァルナという剣士の恐ろしさだ。


 対してシアリーズは全く止まらない。叩いて叩いて相手の動きを自分の勢いで塗り潰し、雪崩れ込むような連撃で相手の手数を無理やり引き剥がして倒れるまで必殺剣を叩き込む、余りにも苛烈なスタイルだ。

 勝負とは本来、強さと強さの押し付け合い。

 彼女の剣術は、常に相手に対して先手を打つ激動の攻めだ。


 自分とそう変わらない背丈に見える細身の体からは想像もつかない鋭利な一撃に加え、片手剣を二つ抱えているとは思えない剣捌き。更には先読み能力も抜かりはない。

 加えてシアリーズの動きを読み辛くしているのが、二本の剣がリーチも長所もそれぞれ違うということだ。彼女の右手にはロザリンドのそれと大差ないリーチの直剣が握られているが、左手には更にリーチの長い細剣が握られている。


 本来、細剣は刺突に特化し斬りつけには向いていない。

 しかしシアリーズの剣は形状が若干アレンジされ、素材も違うのか時折平気で斬りつけてくる。細剣の重心はあくまで取っ手部分に集中しているため重さはそこまででもない筈なのに、彼女の技量のせいか一撃を受けるたびに全身が恐怖に総毛立った。


 そして、一瞬でも隙を見せると彼女の刃が己の体の弱点に突きつけられる。気が付いた時には、シアリーズの剣の先端がロザリンドの鳩尾前数センチで止まっていた。


 死んだ、と心が認めた。


「はいこれで三十回目の死亡~。正味、本気でやってたら五十回は殺せてる。やる気ある?」

「……ッ、えやぁッ!!」

「挨拶もなしに斬りかかって来たね。そうよ、そう! もっと必死になりなさいッ!!」


 シアリーズの可憐な顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

 本当は、彼女が言うほど勇敢な理由ではない。

 ただ、あのまま止まっていればシアリーズの剣の切っ先が本当に突き刺さるような根源的恐怖を振り払おうとして出た攻撃だった。


 獅子は兎を狩るにも全力を尽くすという言葉があるように、シアリーズはヴァルナのように手心を加えたり要所要所でアドバイスをくれたりしない。まるで本能の赴くまま、貪るように苛烈な連撃を加えてくる。


 その戦いはやがて日が沈み始め、ロザリンドが指一本動かせなくなるほど疲労困憊するまで続いた。


「ぜっ……、はっ……う、あ……」


 何とか体を起こすも、幾度か地面に叩きつけられて擦り傷だらけの砂まみれになった彼女は、もう顔を動かすので精一杯だ。口の中はからからに乾き、服は自らの汗で全身に張り付く。


 抵抗できない彼女の顎を、ロザリンドの剣が持ち上げた。


「よく頑張りました。でもこれで本当に抵抗できないね。あたしが気まぐれ起こして剣を奥に差しこんだら、あんた死ぬの。気分はどう?」

「……っ」

「もう言葉も出ない、か。オッケイ、そんじゃ訓練中断、いったん休みますか」


 そこでやっと、シアリーズの笑みが優しいものに戻った。



 数分後、ロザリンドはコロセウム・クルーズの治療部屋にいた。

 服を全て脱ぎ捨てたロザリンドは、治癒師ヒーラーの女性に治療を受けている。治癒布を通して体の奥から傷を癒している。横でジュースを飲むシアリーズが「はい飲んで」とジュースのストローを突き出してきたので、言われるがまま吸う。

 さっきからこまめに飲まされているそのジュースは、疲労回復効果があるらしい。味は決して上等ではないが、ここまで困憊したロザリンドにとっては天の恵みだ。


「コロセウムなんて物騒な所だから、当然治癒師は山ほどいるのよ、ココ。疲れを取る事は出来なくとも、激しい運動でブチブチになった筋肉や細かい傷はここで治療出来るわ。ま、試合外での利用はちょっとばかしお小遣いが必要だけどね」

「お支払いは私が――」

「残念でした。もうアタシが払っちゃった」


 シアリーズはまるで悪戯を成功させたような顔でべぇ、と舌を出す。戦いの際はあんなにも激しかったのに、こういうときはまるで子供のように無邪気だ。


「どうだった、あたしの指導?」

「……想像を絶する激しい攻めに、歯が立ちませんでした」

「他は?」

「……恐ろしかった、です」


 騎士となった手前、それを口にすることは躊躇われた。

 しかし、本物のオークと初めて相対したときでさえあれほどの恐怖を覚えた事はない。震えで体が止まらなかったのは、死にたくないと叫ぶ本能が日常的に叩き込まれた訓練の動きを呼び起こしたからに過ぎない。


「うんうん、それを聞きたかった」


 しきりに頷いたシアリーズは、少し遠い目をして話を始めた。


「冒険者駆け出しの頃は何やっても命懸け。アタシの時だって、そりゃ怖いものだった。ここだけの話、おしっこ漏らしちゃったこともあった。その頃は最強無敵に可愛い今のアタシほど強くなかったから」

「でも、この間は才能があったと仰っていましたわ」

「いくら才能があったって、その時のあたしは乳臭いガキンチョ。鎌より鋭いもの持ったことない女の子がいきなり魔物倒せたら苦労しない。指導受ければ強くなれても指導者に払うお金がなければ意味はない。貧困は才能を食い潰すものよ」

「……」


 やれば出来たのでは、という思いが最初に浮かび、しかし頭を振る。そうやってすぐに今の自分の物差しで事を推し量るのは悪癖だと、ロザリンドは最近になってようやく自覚してきた。

 それに、似たような話を当時は親友ではなかった同級生に聞かされたことを、彼女は忘れていなかった。


「依頼はこなせない。お腹は減る。小汚い子供に関わりたくなくてお恵みもなし。このまま冒険者やってたら死ぬと思った」

「……続ける以外の選択肢は、なかったのですか?」

「孤児院行きはまぁ、無理ではなかった。でも皇国の孤児院って大体女神教と繋がってて、女神教に国はべったりくっついてて、その国が抱えてるのがクソ騎士団だと思うと……死んでも嫌って思った」

「実利より誇りを取ったのですね」

「そんな高尚な言葉で語れるほど小綺麗なものじゃない。敢えて言うなら……餓え」

「飢え?」


 ただの空腹という意味ではない、とでも言うように、シアリーズは首を横に振った。


「心が餓える。渇望する。死んでたまるか、アタシは絶対あの連中を見下すほど偉くなるんだって」


 それは狩人か、或いは狼のようにギラギラした野心の炎。


「その日の晩、腹が減って完全に動けなくなる前に野山に出て……ラージボアを殺した」


 ラージボア――下級魔物の中では上位、オーク数匹程度は軽く蹴散らす戦闘能力を有する存在。空腹の子どもが挑んでいい相手ではないことぐらいロザリンドにも分かる。


「死ぬという恐怖を、殺すという殺意が上回った。勝因はきっとそれだけ」


 自分がその状況なら、流石にやめただろう。

 九割九分死ぬような状況に突っ込むのは蛮勇以下だ。

 しかし、シアリーズは蛮勇以下の戦いに競り勝った。


「お腹が減り過ぎてね。ラージボアは血に毒もないし、無理やり肉を引き裂いて焼いて食べたわ。最高に獣臭くてゴムみたいに硬くて今になってみれば酷いもんだったけど、それがアタシの魔物殺しのヴァージン」


 料理を勉強しようと思った切っ掛けでもあったっけ、と思い出したようにシアリーズは続け、ジュースをテーブルに置いた。


「稼いだお金で体を洗ってお腹いっぱいになるまでご飯を食べた。食べ終わってからお金を払ったらもう稼ぎは殆ど飛んでたけど、凄い充足感だった。あたし一人の力でやり遂げたっていう結果が、自信をくれた」


 天涯孤独の少女が殺意に塗れた剣で魔物を殺し、糧を得る。

 王国の人間からすれば、それは地獄のような世界に聞こえる。

 しかし、戦いを止めるという選択肢を自ら廃したシアリーズはその後、世界でも指折りの冒険者としてその名を轟かせた。


 彼女が剣を握って魔物を屠り始めた頃、恐らくロザリンドは家庭教師の講釈に若干の飽きを感じつつ、退屈に屋敷で過ごしていた。衣食住にも困らず、歳が離れたオカマの友達との会話くらいしか娯楽がない日々を送っていた。


「わたくしは、怠惰だったのでしょうか」

「それは知らない。金持ちの家に生まれても執念凄い奴もいるし。でもそう感じるのであれば、多分それはロザリンドが餓えていないから。だから今日、極限まで貴方を追い詰めた。餓えは極限の世界で前に進むとき、最も近く感じるものだから」


 ロザリンドは王立外来危険種対策騎士団に入り、ヴァルナの下で働けるようになり、心のどこかで満足してしまっていた。オーク狩りの任務もそつなくこなし、ヴァルナの横に並ぶ程の技量になるという熱が少し下がってしまっていたのかもしれない。


「明日も、同じ訓練ですか?」

「明日はもっと本気で追い詰めるわ。今日はまだ心に考える余地があった。次は考えることも出来ないくらい追い詰める。その中でもまだ何も掴めないなら、もう本大会は諦めなさい」

「……何を掴めばいいのかさえ、今のわたくしには分かりません。なればこそ――掴みたい」


 敗北し、半日かけて碌に抵抗できずに追い詰められ、そこまでされても何も掴めていない自分への忸怩たる様が許せない。高みを目指すと言いながら、こんなにも早く躓いた自分が許せない。

 ロザリンドの目に、今まで感じたことのなかった暗い炎が宿った。


「わたくしも欲しい! ルートヴィッヒが、シアリーズさんが、強者が心の底に持つ何かがッ!!」

「ならば餓えなさいロザリー。道徳や美徳の世界では見つからない物を欲しなさい。追い詰められたときに心の奥底で燃える青い炎の燃料は、貴方自身が見つけなければならない」


 時間は限られている。

 明日になればまた地獄の特訓が待っている

 何を掴めばいいのかすら見えない。


 その暗中の中にあって、決して消えない灯台の光がある。


(そう、むしろこの逆境は望むべきもの……見ていなさいアマル。わたくしはここで、わたくし自身を超えて見せますッ!!)


 嘗て自分が駄目だと思い、しかし最後には諦めの壁を乗り越えた能天気な友人の事を思うと、ロザリンドは絶望をまだ遠いものだと思っていられる。


 きっとこの世界には、ロザリンドが思っているほど不可能の数は多くないのだから。

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