第215話 結果の見えたゲームです
敗北。それは、勝者と敗者のうち、敗者側になること。
ロザリンドはこの日、敗北した。
「いつ以来、でしょうか……真剣勝負では、初めて?」
控室で自問自答する。
剣術教官や家庭で剣を教えた先生は、教えることが目的であってロザリンドを倒そうとしている訳ではなかった。故に、勝つか負けるかの勝負で敗北したのは、これが初めての経験になる。
「負けた……」
再度その言葉を舌で転がし、苦さにきゅっと口を噛み締める。
騎士団の為の戦いで、尊敬するヴァルナと観衆を前に、ロザリンドは敗北したのだ。実力的には勝てた筈の相手に。
自分の腕で体を抱き、震える。
悔しい。敗北がここまで人を惨めにさせるとは知らなかった。自分が余りにも愚かで、無力で、涙まで湧き出てくる。なんとか表彰までは耐えたが、ロザリンドを応援していた人たちからの声がかえって耐え難かった。
罵声を浴びせられたから、ではない。そういった人も一部いたが、それでも大半の客はロザリンドの健闘を褒め称え、次を期待していた。その優しさこそが、驕ったロザリンドの心を最も深く抉った。
いっそ罵倒してくれればよかった。
自分が弱いから負けたなら理解できる。
勝てた筈の勝負を自ら落としてしまった自分に称賛を浴びる権利などない。このような体たらくで剣の、騎士の道を征くなど、惰弱にも程がある。
少なくともロザリンドは固くそう感じていた。
と――。
「ハァイ。いい感じに自分の世界に勝手に沈んでるわね」
「シアリーズ、さん……」
飄々とした笑みで入ってきたシアリーズは、そのまま控室の備品の湯沸かし器でお湯を作り、コップにココアパウダーを雑に放り込んでいく。コポコポと音を立てて注がれるお湯と、ココアのどこか人を安心させる甘い香りが漂った。
だが、いまココアを出されても飲む気にはなれない。それどころかシアリーズに話しかけたいという気持ちすらない。暫くして、頬に温かい陶器の感触が――。
「冷たっ!?」
「氷を入れて冷やしココアよ。引っかかったわね」
「~~~~ッ!!」
により、と笑うシアリーズに弄ばれて睨むが、当人はどこ吹く風とコップをロザリンドの目の前に置いた。自分は隣に座ってココアを飲み始める。
「競り負けたのは初めて?」
「……はい」
「王国じゃ馴染みがなかったかもしれないけど、あれが冒険者って人種の恐ろしさよ。実力を示さなきゃ生活していけないから、土壇場になると命を削る程の粘りを見せる。同格同士の戦い、いい経験になったでしょ?」
潜った修羅場が圧倒的に違うであろう、尊敬するヴァルナに己より近い位置にいる戦士の言葉に、すぐには頷けなかった。代わりに、心の片隅に引っかかっていた事を問う。
「……ルートヴィッヒ様の妹君は、それほど具合が悪いのですか?」
「あちゃ、気にしてたのそっちか」
頭を抱えたシアリーズは、はぁ、と呆れた顔をする。
「厄介な病気だけど、生活送れなくなるほどひどいものじゃないわ。ただ、治るのに長ーい時間と
王国の医療技術も世界的に見ればいい方だが、残念ながら医学に関しては上の下くらいだ。恵まれている方だが、難しい病は海外で治すことが多い。
と、シアリーズが半ば睨むような目つきでコップを置く。
「気合が入らなかった原因はソレ?」
「……いえ、妹様の為に勝てなかった訳では」
「先に言っとくけど、冒険者ってのは限られたリソースの奪い合いなの。魔物は無限と思えるほど湧き出てくるけど、高額報酬は一握り。誰かが割のいい仕事をすれば、その分だけ割の悪い仕事を回される奴が出てくる。そのおこぼれすら出来なければ脱落か死の二者択一。これは競争の必然よ?」
シンプルで、だからこそ残酷な真理をシアリーズは説く。
彼女は生まれながらにして持つべきを持たざる人間だった。若くして現在の高みに上り詰めるまで、どれほどの暗夜を彷徨ってきたのか、ロザリンドには想像もつかない。
だからこそ、言葉の重みを感じた。
「同情や憐れみで剣を引くのはやめなさい。ルートヴィッヒは金の亡者だから気にしないだろうけど、それでもあいつにだって譲れないものはある。あなたの感傷は戦士の矜持に泥を塗るわよ」
「ち、違うのです! そんな憐れみのような感傷ではありません! ただ……」
「ただ?」
「妹様の事を口にした瞬間のルートヴィッヒ様は、凄まじい気迫でした。絶対に勝つという巌の如き覚悟に、わたくしは負けたのです」
心底悔しく、恥ずかしい。騎士ヴァルナであれば「勝負を挑まれた以上は騎士として絶対に勝つ」という意志は揺らがなかった筈だ。しかしロザリンドはあの一瞬で簡単に揺るがされた。
勝てないかもしれないと自ら心に生んでしまった疑心。
騎士団に入る前にヴァルナから様々な質問を投げかけられたが、今になればあの日の問いは今日という日を迎えない為にあったのかもしれない。
「……そう。そう感じたのなら、事実そうなんでしょうね」
やっと納得いったようにシアリーズはため息をつく。
「ヴァルナに奢ってもらうのは次にしよっかな……」
「……? 何か言いましたか?」
「いや、べつにー? それよりアンタ、これから暇よね?」
「はい……」
「強くなりたい?」
「はい……!」
「じゃ、付き合ってあげる。ただし、この手を取ったらもう情け容赦一切なし。明日の大会参加はキャンセルよ?」
「……っ」
轟、と。目の前の剣士の自分とそう変わらない体躯が、見上げる程の怪物の如き重圧を放つ。魂の、覚悟の、闘志の比重の重さにロザリンドは反射的に立ち上がり、半歩後ずさった。
差し出された手は目の前。それが果てしなく遠く感じる。
「怖気づいたわね? それが今のアタシとロザリーの力の差よ。普段どんだけヴァルナに手加減されてるか、自覚出来たんじゃない?」
シアリーズの口元に浮かぶ笑みの獰猛さに息を呑む。
幾千の戦いの末に辿りついたであろう、己という戦士を絶対的に信じる存在。彼女は文字通り、その剣で己の運命を切り拓いてここにいる。
その積み重ねの差、覚悟と経験の厚みが目の前のこれだ。
故に、ロザリンドは挑まなくてはならない。
「宜しくお願いします!」
もう二度と後ろに退かない為に、ロザリンドの手がシアリーズの手を掴んだ。
◇ ◆
任せては見たが本当に大丈夫だったのだろうか、と、ヴァルナは自問する。余り過保護にするのは良くないと思ってはいるが、シアリーズは海を隔てて大陸からやってきた人間である。本人に自覚がなくとも追い詰めすぎてしまうかもしれない。
かといって、今ロザリンドの下へ行くのも躊躇われる。
『あの子にとっては今一番見たくない顔よ? 尊敬されるセンパイなら空気読みなさい』
「女心の話されるとなー……」
俺としては、ある程度ロザリンドがこちらをどう思っているのか把握しているつもりだ。だが、追い詰められた彼女の心の機微、まして女の子のそれとなると何とも言い難い。最強騎士もカウンセラーじゃないのだ。
「……それはそれとして、時間的にはそろそろ斧部門で、その後の無差別にピオニーが出るのか。最後まで見たらアストラエの試合の初戦には間に合わないな。さて、どうしたもんか……」
アストラエは放っておいても二回戦に進出するだろうし遅れてもいいかな――そう思った俺が軽食売り場を通りかかった、その時。
「はぁーーーーーっはっはっはっはっは!! 見つけたぞ、色魔騎士ヴァルナッ!!」
「こっ、この馬鹿笑いはまさか!!」
「あそこだッ!!」
突然響き渡る声に周囲がざわめく中、いち早くその声の発生場所に気付いた観客が指を指す。
そこには、船内上部の案内看板などがある開けた空間に佇む一人の仮面の怪人がいた。
「日を追うごと、月を跨ぐごとに侍らせる女を変える乙女の敵めッ!! しかしこの私が来たからにはそうはさせーん!! 王国の正義の執行者、我が名は……マスクド・アイギスッ!!」
片足を上げて両手をシュビッと伸ばした謎のポーズでマスクド・アイギスが吼える。何故か子犬の遠吠えみたいな和ましさで。
全員が視線を向けたその先にいるのは、マントに身を包んだ怪人……と言えば聞こえはいいが、実際にはオレンジ色の長髪に仮面をかぶった仮装女子である。しかも、昨日の怪人ことマスクド・キングダムと違い、高笑いした声が非常に可愛らしい。既に仮面越しに若干の守ってあげたいものオーラを感じる。
ツッコミどころ満載の姿に周囲が更にざわめいた。
(なんだあれ。マスクド・キングダムを真似た子どもの遊びか?)
(あんな高いところにいて、落っこちたらどうするんだ!)
(ていうかヴァルナってあのヴァルナか?)
「正義の女神の名の下に、星に代わって成敗だ! とーう!!」
マスクド・キングダムよろしく飛び降りてくるかと周囲は身構えた。
しかし、予想に反して彼女は佇む場所から丁寧に看板の縁や作業用はしご、でっぱりを伝って「んしょ、んしょ」と降りてくる。しかも踏んだ後の場所を降りながらハンカチで拭いたり、怪人らしからぬ根の善良さが伺えてしまう。
周囲は確信した。マスクド・アイギスはとってもいい子、と。
最後に軽食売り場のおじさんに「お騒がせしました」とぺこり一礼したマスクド・アイギスは、とことこ早歩きでこちらに寄ってきてビシッ!! と人差し指を俺に向けた。
「色欲騎士ヴァルナ! これ以上周りの女の子がギセーにならないようこのマスクド・アイギスがオマエを監視する! 神妙にご飯を奢れー! ……あっ、ちょっ、いたたたた!? 耳を引っ張るのはやめてぇ!!」
「はいはいごめんねちょっと騒がせちゃいまして、ホントうちのモンが申し訳ございません」
「ごめんなさいもう悪いことしませんからぁー!!」
「正義の執行者設定どこ行ったんだよ! 思い付きでキャラ作るのやめい!」
「思い付きじゃないもん! インスパイアだもん!」
「あんなしょうもないものにインスパイアされるな!」
抗議しつつも耳を引っ張られて抵抗せずについてくる辺りに人格的な素直さが隠せないマスクド・アイギス。結局周囲が事情を察する暇もなく、俺は彼女を人目の少ないエリアまで引っ張ったのちに仮面を剥ぎ取った。
「ああっ、返して! 午後の盾部門にマスクド・アイギス名義で参加してるからっ!!」
「それより前に人を公然と色魔呼ばわりした件について説明してもらうぞ、セドナ」
遅かれ早かれ来る気がしていたが、もう高笑いの声の時点で気付いていた。
そこにいたのは今更見間違える訳もない、親友セドナ・スクーディアだった。
セドナはぷくぅ、と頬を膨らませて全力抗議してくるが、そんな顔されても可愛いだけである。
「だってヴァルナくんにせっかく久しぶりに会えたのに、あのシアリーズって子とポップコーン分け合っていちゃいちゃしてるんだもん!! 私の方がヴァルナくんの大親友だってこと思い出させてあげようと思って……! ちょっと痛い目見せたげようと思ったんだもんっ!」
「既に俺の事見つけてたんかいッ!!」
「謎の貴公子マスクド・キングダムっていうのも出てきたらしいから謎の貴公子っぽい感じで登場して正体隠そうとしたのにっ!!」
「何で気配遮断能力高いのにそこガバガバなんだよ!?」
アストラエといいセドナといい、成績のいいボンボンは自分の変装能力に過大な自信を覚えやすい病でも患っているのだろうか。挑戦する前に鏡見ろよ。
とはいえこのお姫様のご機嫌を取らないことには話が進まない。俺は仕方なくへそを曲げたセドナにファーストフードを奢ってあげることにした。
「チュロスおいひぃ~♪ ね、ね、ヴァルナくん知ってる? 最近王都で仲のいい男の子と女の子がね、チュロスの両端から食べていって先にチュロスを口から離した方が負けってゲームやってるんだって!」
(それ恋人がキスする動機付けでやってるのだろ。最後まで食べたら自動でキスとかいうやつ)
ターシャとパズスがやってた――もとい、パズスがターシャにやらされて赤面していたのを見たのでルールを知っている俺であった。
男の前でチュロスを食べながらその話を堂々とする癖にキスする気は欠片もない無自覚悪魔女、セドナ。多分俺がゲームに乗ったらキスする直前で「そうかこれ最後までいくとキスなんだ」と気付いてパニックになると思われる。初心かよ。俺もだけど。
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