第十二章 絢爛なる決闘場 邂逅編
第196話 夢を見る権利です
シャルメシア湿地遠征は大成功に終わった。
そして資金面では大赤字に終わった。
一見して矛盾してるように見えるが、目的の達成が必ずしも利益に直結するとは限らない。湿地攻略はある程度予算を度外視した戦いだったので赤字は最初から覚悟していたことだ。
「まぁ、うん。儂ぐらいになると最悪の事態としてそういうのも想定してなかった訳じゃないし。ヤヤなんとか言う巨大魚も全く想定してなかった訳じゃないからクジラ用の銛も用意させたし。まぁ、確率的には二番目に小さいものとして想定してて、打開策もなくはないし……」
王立外来危険種対策騎士団のホールに飾られたヤヤテツェプの魚拓を前に、ひげジジイことルガー団長が項垂れてぼそぼそ喋っている。今日の昼飯が美味くなりそうな光景であるが、騎士団の受けた大打撃は動かしようもない事実だ。
現在、俺を含む数名の騎士が名指しで呼ばれてここに集合している。
言うまでもなくこれからの話をする為だろう。
「ちなみに一番小さい確率は?」
「任務失敗。ま、一番ありえん結末だろ。王国最強のお前さんがいる以上は殊更な」
「いい話っぽく纏めようとしやがってクソひげジジイが」
「何で罵倒されてんの儂!? え、今の信頼の言葉のどこにそのうっかり齧った渋柿睨むような顔する要素があったよ!?」
「じじいそのものが渋柿要素」
「右に同じく」
「わ、私は別にそこまでは……」
まだ穢れを知らない乙女であるロザリンド以外の全員が一斉に頷き、今度はひげジジイが渋柿齧ったような顔になる。ひげジジイが意味もなく罵倒されるなど今更過ぎる話である。気にする要素は埃のひとかけら分もない。
「……まぁ、報告書は見た。中和剤の大量投入については文句ない。いくら雨季でも湿地の中身が全部川に行く訳はない。オークの死体は必ず湿地のどこかに引っかかる。それを予防するための最善策として奥の手を放出したのは正解だよ。後で汚染が出てきたときにちゃんと対応しましたってポーズになるし」
「ですが投入量は予想外でした」
渋面を作るローニー副団長の声はいつになく重々しい。
「予定ではヤヤテツェプの存在がなければ投入量は用意した総量の二十分の一、雨季到来以前の計画では多くとも十分の一の投入で済む筈だったのに……」
毒素中和剤はノノカさんが開発したもので、よく冒険者が使うという解毒剤とは似て非なるものである。その製造過程や材料費を考えると、解毒剤よりは安いが大量に必要になるという点で必然的に金はかかるし、平民視点で見れば十分高価な薬品だと言える。
当然だがこんな高価なモノをオークを殺す度に大地に振り撒いていては凄まじい出費になる。だから騎士団はオーク殺害後は血痕も含めて回収し、浄化場で無毒化しているのだ。
ひげジジイがため息をつきながら副団長の肩を叩く。
「地面でも金がかかるってのに、よりにもよって王国最大の湿地で、しかも被害拡大区域不明だもんなぁ。全部ぶちまける以外選択肢ないわい。むしろよく判断してくれたと思っとるよ、儂」
そもそもオーク毒を低コストで完全無害化する騎道車一体型の『浄化場』というシステムがとんでもなさすぎるのだ。ノノカさんはあの浄化装置の特許を握っているだけで一生苦労せず暮らせるほど画期的な土壌改良装置である。その浄化システムも流石に湿地の水を浄化するシステムなんて搭載していない。
必然的に、俺達騎士団はあの高価な薬をありったけぶちまけることでしか「最善を尽くした」と言えない状況だった。こういう結果になったのは運が悪かったとしか言いようがない。
結果として、俺達は想定の十倍を超える赤字を呑み込まざるを得なくなったのだ。
「にしてもほんと魔導式電網が無駄になったのがなぁ……アマナ教授曰く潜在的にはダメージは入ってたって話みたいだが、頑張って仕入れた割にコスパが酷すぎるわ」
「し、しかし! 必然性のある出費だったのならば緊急の追加予算を議会に通せば!!」
「無理だ。いや、絶対不可能とは言わないがリスクが高すぎるんだよロザリンドくん」
ロザリンドの訴えに、ひげジジイは残念そうな顔で首を横に振る。
ちなみに言い出した相手が高貴な身分のロザリンドでなかったら恐らく心底愚かな人間を見る目で「何お前、まだ議会に夢見てんのー?」と言いながら目の前でウザい顔の動きをされて煽られたと思われる。猫被りクソひげジジイである。
ひげジジイが視線で説明してやれという顔をする。頼まれるがままも癪だが、可愛い後輩の為には説明しないわけにもいかない。一個貸しだぞ。
「まず王立外来危険種対策騎士団の案件は全部たらい回しの後回しにされる。緊急報告でもないと半年かかると言われてる。そして騎士団が金使い過ぎましたは残念ながら緊急にカウントされないのが現実なんだ……」
「なっ……議会における聖靴派はそこまで幅を利かせているのですか!?」
「全盛期よりは減ってるが、それでも六割は超えてるらしい。そもそも他の聖騎士団は資金が潤沢だから議会に追加予算の要求っていう前例が殆どなく、通った試しもない。聖靴派の下で働く連中の忖度とかもあるんだろうけど……おいジジイ。伝手は使えねえのか?」
「今回の件を成功にこぎつける為に色々伝手を使っちまったからなぁ。そうでなくとも議会に上った時点で勝機は薄いし」
騎士団が必要性のある資金投入だったと主張すれば、それに対して「本当か?」と重箱の隅を突いてくるのが議会だ。
例えばだが、湿地の自然浄化機能があれば薬剤の投入は必要なかったのではないかと言われると騎士団は困るだろう。こちらの立場としてはやらなくて被害が出たら困るからやらざるを得なかったのだが、被害を数字として見ている政治家から言えば無駄な出費とも言える。
それはどちらが正しいという問題ではない。
厳密に必要性と不必要性の調査をするにしても、恐らく早くとも十年以上はかかる話だ。そして政治の場において決定というのは理想と現実のバランスを取りつつなるべく早く下さなければならない。
口惜しい話だ。先輩として少し悲しい気分になりつつ、ロザリンドを諭す。
「こればっかりは王様を引っ張り出しても頷いてくれるか分からん。騎士団も議会も王に仕えるしもべだ。どちらの意見も平等に聞いたうえで評決を下す以上、議会の多数派が認めないと言っているのに無碍にすれば、それはまた別の問題を呼ぶだろう。奴らも全く理のない事を言ってる訳じゃないからな」
「それに、仮に予算案が通ったとしても、やはり問題があります」
「それは一体どういうことでしょうか、ローニー副団長?」
「今の話は、逆を言えば議会が認めれば予算があっさり通るということになります。しかしそれは議会に借りを作ってしまうことを意味する。あの連中が見返りに何を吹っ掛けてくるか分かったものではありません。出費に対する心象も絡むと、少なくとも来年度の騎士団予算を増やすのは絶望的になります。むしろその逆になりかねない」
「くっ……自国の国民を守ろうというのに、政治的なしがらみが足を引っ張るなんて……っ!!」
本気で悔しいのだろう。ロザリンドは端正な顔を歪め、拳をぎりりと握りしめている。
知れば知るほど聖靴派にも議会にも絶望したくなるが、社会とはそういうものだ。もし明日に議会の人間がいなくなれば王国は回らなくなるぐらいには、彼らも仕事そのものはしている。
潰れてしまえと言葉にするのもこちらが正しいと叫ぶのも簡単だが、感情だけで現実は変わらない。歴代の騎士たちの中にはこの力関係に絶望して騎士団を去った者もいるだろう。
「いったん落ち着けよロザリンド。そもそも清貧がウリの騎士団が追加予算せっついたなんて噂が流されると民にも失望される。ここはふんたぁクン奮闘記よろしく、知恵と度胸で潜り抜けるところさ」
「お金があれば解決する問題は山ほどあるけど、ないなら別の手段を……ですか」
「今回もそのための集まりだ。おいひげジジイ、どうせ案は用意してんだろうが。とっとと吐きな」
「……今まで何度か、足りなくなった食費をフィーアがギャンブルで稼いだ金で誤魔化したりして帳尻を合わせていたのは知ってるよな?」
これには全員が頷く。ロザリンドも最初はそのことに内心認めていない部分もあったようだが、実際にフィーア先輩の人生哲学を聞いてからは受け入れられているようだ。
「だが、今回のは流石にデカ過ぎる。纏めて計算しても今回の負債は全部で千七百万ステーラ。誤魔化して帳尻合わせるには食費だけじゃ無理だ。給料も削らなけりゃならん」
「……帳簿の上では、か?」
「ま、そういうこった。足りない給料の残りを別の所から引っ張ってきた金で埋め合わせる。ホラ、赤字の会社が社員を養うために社長自ら自腹を切って、っての聞いたことあるだろ? あんな感じさ」
「その為の金を社員に集めてこいとでも言う気だろうくそジジイめ。指示の内容当ててやろうか?」
「いやいや、それにゃあ及ばんよ。ここに集まった面子には――賭博街ルルズに行ってもらうッ!!」
「ふーん」
「意外性はありませんね」
「知ってた」
「ノリ悪ぃ~……」
どや顔で言い放ったひげジジイに驚く人間は一人もいない。何せ前に財政難になったときにフィーア先輩が賭博街ルルズで一千万ステーラ儲けて帰ってきた話は余りにも有名だからである。王国唯一の国営賭博場がひしめき合うルルズは人生逆転を狙う金の亡者の巣窟だ。成功するかは別として。
「……まぁ、そうだろうな。だが実はちょいとマズイ事になってな。前と同じでフィーアだけ行かせる訳にはいかなくなった」
「というと?」
「簡単な話だ。フィーアが勝ちすぎて出禁になってるっぽい」
瞬間、その場にいる全員が思わずあちゃー、と顔を抑えた。
「あぁ……そっちの可能性を忘れてましたね」
ローニー副団長が納得しつつ冷や汗をハンカチで拭う。
奥さんに名前を刺繍して貰っている辺りに副団長の愛妻加減が分かるな。
前にも説明したが、フィーア先輩は途轍もない剛運の持ち主であり、その運は騎士団の任務でも遺憾なく発揮されるほか、ギャンブルなど運を交えた賭け事では敗北の二文字を知らずに過ごしているほど強い。
では、果たして100%勝って帰る客を店側が受け入れたいだろうか。
答えは当然ノーである。入れれば入れるだけ、居座られるだけ損しかしないのだ。そんな客に居て欲しい訳がない。ある意味当然の流れである。
「だがな、タイミングのいいことに別の話が舞い込んできてる。お前ら『コロセウム・クルーズ』って知ってるか?」
俺は心当たりがなく沈黙。他のメンバーも黙りこくる。そんな中、運転手として呼ばれていたライが口を開いた。
「そういや、どっかの馬鹿な国が前に帝国とつるんで『闘技場を内包した豪華客船』ってのを作ったって噂話を聞いたことがあるような……」
「そう、それよ!! 『コロセウム・クルーズ』は闘技場がない国を回って娯楽とギャンブルを提供する道楽者の憧れの船なんだ。その船が明日、賭博街ルルズに寄港して一大イベントをおっぱじめる」
全員がその言葉の続きを身を乗り出して待つ。
じじいはその様子を楽しむように勿体ぶって懐から丸めたチラシを取り出してゆっくりめくる。が、指が滑って開いた部分がまた丸まってしまう。ああっ、と思わず声を漏らす団員たち。それを二度ほど繰り返したところで俺は剣を抜いた。
「それ以上俺達をおちょくるなら斬るぞ……」
「だー待て待て待て!! 儂だってちょっとは悪戯したっていいだろ!! めくる、めくるよ!!」
ったく近頃の若いヴァルナは……と訳の分からない事を毒づきながら、ジジイはとうとうチラシを開ききった。
「その名もそのまま『第三回・
五億――赤字額など軽く吹っ飛ぶ莫大な金額に周囲は思わず沸き立つ――よりも前に。
「……おいジジイ、よしんば優勝したとして残り四億八千万ステーラ余をどうする気だ」
「ンなもん騎士団の予備資金として儂の口座に……イデデデデデ!! 無言で髭引っ張るな冗談だよ馬鹿ッ!! わーってるよ!! 赤字埋めたら残りの金額は好きに使っていいよッ!! 勝てたらだぞッ!?」
「っしゃあッ!! よくぞ具申したぞヴァルナぁ!!」
「これで戦う側の権利は守られましたね!」
よし、予防線は張った。
今度こそ周囲は喝采で包まれている。
まぁ、四億八千万とか言われて扱いに困るし使い途もないので程よく二千万くらい稼げる順位を狙う事にしよう。そう思いつつ、どうしても四億八千万ステーラという金額の使い途が頭から消えない小市民的な俺であった。
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