第195話 美麗なる一族です

 その日、道具作成班の部屋には悲壮感に近い空気が漂っていた。


「いくつ……生き残った?」

「投擲槍が十七。大雨で流されて回収は無理だろうな」

「銛は?」

「片方は無事だがもう片方がひん曲がってる。鍛冶屋に出す必要がある。ロープは一本オシャカだ」


 沈痛な面持ちのアキナ班長の問いにに、副班長のザトーが感情の失せた報告で返す。

 本来武器の管理は遊撃班の仕事だが、今回用意された槍は予め別ルートで仕入れたものであるため、管理は道具作成班に一任されていた。槍自体は安価なものではあるが、それでも一本一万ステーラはする。


「用立てしたのが五十本、損失三十三本。つまり単純計算で三十三万ステーラの赤字……クソ魚にもぎ取られた網が五千ステーラ……借りたボートが一つオシャカで十万ステーラ……」

「銛はもう修繕より買い直した方が安いだろうな。いや、補充の必要も今はないか。ロープは駄目なところだけ切り取ればまだ七割は無事だ。問題は……」


 ザトー班長の視線の奥ではトリオ三兄弟が数人の出向組と共に機械を解体しながら部品を仕分けしている。粗末な木箱の中にはそれなりの量の部品が放り込まれていた。


「魔導式電網二本は行方不明ー」

「魔式電槍は元々使い切りだったけどー」

「部品の半分はもう使えないねー」

「よーし、解体終わりー」

「占めて被害総額はー?」

「七十万ステーラぐらいじゃないー?」


 なんでもないように言っている三兄弟だが、この時点で被害総額は百万ステーラを突破している。普段のオーク狩りで発生する予定外損失の十倍を軽く上回る大損失だ。

 そんな中で一人だけ鼻歌交じりに計算しているのはヤガラ記録官だ。事実として他人事である彼は、計算事こそが本懐と言っていい。


「偵察時点で使われた餌代が占めて二万ステーラなり、餌に使用された薬代が十万ステーラなり、血液汚染を警戒してバラ舞いた薬剤が――」


 ヤガラはそこで一拍間を置き、すう、と聞こえるぐらい大きく息を吸い込む。 


「千五百万ステーラでしたっけぇ!? いやぁ私でさえスッと差し出すには少々の躊躇が生まれる金額ですねぇッ!! まぁ支払うのは皆さんではなく騎士団ですが? それにしてもまだ5月なのにこの予算の目減りようは眼を見張るものがありますねぇッ!! まぁここに加えて作戦に協力した民間人への危険手当のお支払いも忘れないで貰いたいので一体全体この作戦で発生した赤字の概算額は幾らになるんでしょうねぇ~~~~~!? イヤー予算の少ない騎士団は哀れですねぇ、どうやってこの赤字を補填する気ですかねぇ!! 皆さんのお小遣い以下の給料とささやかなる糧が更に減ってしまわない事を祈るばかりですねぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~ッ!!」

「畜生ぉぉぉぉーーーーーッ!!」

「悪夢だぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!」


 ――結局、その他諸々の費用込みで発生した赤字金額は総額千六百七十万ステーラ。極限まで低予算で臨んできた王立外来危険種対策騎士団にとって、この金額は未曾有の大赤字であった。


 更に、この件を成功させるためにひげジジイことルガー団長は貴重な貸しや伝手を幾つか消費してしまい、金額だけ見れば代償だらけの作戦となった。恐らく王立外来危険種対策騎士団の歴史の中でこれほどの大赤字を叩き出した作戦は後にも先にもこれのみだろう。


 現代の戦士たちは、伝説に挑んだ結果、勝利と引き換えに莫大な債務を抱えることとなるのであった。


 なお、後にアマナ教授の調べでヤヤテツェプは推定20歳程度であることが判明した。骨や鱗の状態から見て間違いないらしく、本物のヤヤテツェプとは全く別の存在であることが立証されることとなる。

 伝説は所詮伝説なのだ。まぁ、それを差し引いても魚型の魔物としては驚愕のサイズではあったが。


 なお、料理班がこのヤヤテツェプの体を蒲焼に出来ないか挑戦したが、泥臭さがどうしても消せずに断念した。まさに煮ても焼いても食えない奴である。




 ◆ ◇




 赤字をどう埋めるのか、若干心当たりはある。

 今まで数百万程度の赤字はフィーア先輩がギャンブルで埋めてきたらしいので、恐らくはその類だろうと予想している。

 フィーア先輩が産休とか取ったらどうやって赤字埋めるのかという問題もあるが、それまでに獲得できる予算を増やすのが今後の課題なのだろう。


 今回の件は赤字こそ出したものの、今後の展開を考えれば間違いなくプラスだ。毎年調査に消えた予算たちは必要なくなり、オーク拡散の拠点の一つが潰れたことで出動回数も多少は減る筈だ。

 今年中にいきなり目に見えた結果が出はしないが、巨大魔物の討伐は民にウケがいいことも加味すれば全てに悲観する程ではない気がする。気がするだけで、この財政難を乗り切れなければ騎士団の未来はないのだが。


「騎士団ってどこも崖っぷちなの?」

「うんにゃ、こんなに貧乏なのはウチだけだよ」

「かわいそう……」


 同情を込めたマモリの睨みに苦笑いしつつ、筆をキャンバスに滑らせる。


 現在、俺はヒマな人間を集めてネイチャーデイ本部で写生大会を開いている。正確にはこれはウッヒョイことミケ老の計らいであり、騎士団の人間にも絵描きの楽しさを知って貰いたいという事だった。


 ちなみに参加者は殆ど若者組で、ベビオン、カルメ、新人三名に何故かトマ先輩も参加している。他にも退屈しのぎにちらほら騎士の顔が見え、よく見るとオルレアとパラベラムも混じっている。


「オルレア、お前結構上手いな。俺ぁ文字なら幾らでも書けるけどこっちは駄目みてーだ」

「いやぁー俺だって全然下手だって。あ、おいコメット! あんまし見んな恥ずかしい! てゆーかお前まさか絵の上手くなる薬とか売り出す気じゃ……」

「なんだ、お上手ですよオルレアさん。私こういうふんわりしたタッチの絵も好きですよ」 

「えっ……」


 オルレアめ、女に褒められて明らかにときめいているな。あのまま浮かれてコメットさんに入れ込み、尻の毛まで毟り取られなければよいのだが。コメットさん悪意なくそれをやりそうだから怖いわ。


 一方、素人組と違って堂に入った絵描きを見せているのがロザリンドだ。やはり教養のなせる業か、そこはかとなくプロっぽい感じで筆を掲げて片目をつぶり、モデルとして置かれたフルーツの大きさを推し量っている。

 逆に隣にいるアマルは写生の意味分かってるのかと聞きたくなるぐらい絵の具をべちゃべちゃ塗りたくっている。あ、あいつ足りない絵の具をロザリンドから強奪しやがった。どんだけ絵の具使う気なんだ。


「ふぅ……あら? 白い絵の具が空に……?」

「このコダワリの色を出すのに絵の具をたくさん使っちゃったなー!」

「ほっほっほっ、お二人とも精が出ますの。どれ、ちょいと拝見」


 時折苦戦する騎士に絵のアドバイスをしていたミケ老が二人の絵を見比べる。ロザリンドはこの時点で初めてアマルのカオスな絵を見て顔が引きつっていた。まぁ気持ちは分かる。同じリンゴが二つ並んでいるのに何で片方が三角形でもう一つが四角形になっているのかとか、とにかく輪郭が滅茶苦茶だからだ。


 ミケ老はしかしそんなアマルの絵を見てほぅ、と感心したように唸る。


「これはまた前衛的な。アマルテア嬢は天才型ですなぁ」

「えっ、この輪郭も色合いも一切現実性がない稚拙な絵が……!?」


 絶対に評価されないと確信していたのか、ロザリンドがショックを受けている。ミケ老は諭すように何故そう評価したのか説明し始めた。


「まぁ写生というテーマからはかけ離れておりますが、芸術家なんてものは定型に囚われない創作でこそ己を表現するものです。その点アマルテア嬢は見本を一目見た時点で既に書き始め、筆を止めずにこの味のある絵を仕上げました。それはつまり、見た時点でどのような絵を作るか完成像が頭に浮かんでおったのですじゃ」

「し、しかし! その結果がこれでいいのですか!? こんな絵として破綻した……!」

「ほっほっほ、そんなことはありませんぞ? 輪郭が崩してあるだけで描かれた物は全て単一の物体だと分かりますし、画風も隅から隅まで統一感がありまする。その上で他の人間には絶対に見えないであろう物の見え方を見事に表現しておられる。これは絵画としては完成されとります……」


 綺麗に描くことだけが芸術ではない、という事だろう。

 芸術に詳しくはない俺だが、その道の深さを感じることが出来た。

 が、最後に一つケチがつく。


「まぁ、唯一ケチをつけるならロザリンド嬢の白絵の具をくすねたのは流石に礼を失しとると思いまするがの」

「……ア~マ~ル~~~~~ッ! 道理で使った覚えがないのに絵の具が激減してると思っていたら貴方ッ!」

「ふひぇっ!? や、ヤダなぁロザリー! この絵の具は元々ミケおじいちゃんのくれたものだからロザリーのじゃないでしょ~? あははー……はブッ!?」


 勿論笑って許されることもなく、アマルの頭にロザリンドの平手がパシーンッ! と叩き込まれた。ちなみにミケ老はロザリーの絵に対しては「基本に忠実でよく描けておりますじゃ。心得がありますな」と否定することなく評価していたが、ロザリンド的には敗北感があるのか暫くむすっとしていた。負けず嫌いは悪くはないが、流石に絵のセンス勝負は勝敗が着くものじゃないだろうに。


「ちなみにヴァルナの絵は味があると言えるほどの味もなく、平凡」


 ばっさり言い切るマモリだが、俺の胸中に衝撃はない。


「予想通りかな。騎士団でも多少はスケッチ能力が求められることもあるから、その分だけ能力がありゃいいさ」


 絵心もない平民の描く絵など最初から高が知れている。

 自分でも分かっている程度に、俺の絵に上手さはない。書いてるうちになんか右に偏ってるし、描き込みが甘いせいで部分部分がブサイクになっている。でも描いているものがなんなのか、何を伝えたいのかが伝わればいいと俺は思っている。


「無骨で合理的だけど美しさはない。父上とは全然違う」

「俺は切った張ったでしかセンスがないからなぁ……上手に描ければもっと楽しく思えるのかね?」


 言って、そんな自分は想像もできないなと苦笑いする。

 残りをさっさとやっつけようと置いた筆を取ろうとしていると、マモリが自分のキャンバスを動かしてこちらに見せた。彼女は写生に参加せず、今朝に描いていた絵の続きをずっと作っていたらしい。


「絵が上手になると、こういう事も表現できるようになる」


 少し照れながら彼女が見せた絵に、俺は魅せられた。


 豪雨の降り注ぐ荒れ狂った川の中心で踊るように戦う一人の男と巨大な魚。どこか立体感に欠けるのに、今にも絵の内から溢れ出んとする質感と存在感が、見た瞬間に迫力として伝わってくる。


 下から見上げるギョロリとした瞳の大魚は人間など一飲みにしかねぬ恐ろしさを秘め、その体には一本の槍が深々と突き刺さっている。

 それに立ち向かう戦士は無骨な槍に紫電を纏わせ、化け物を打倒さんと果敢に水面を走る。本来はあり得ない出来事である筈なのに、その絵の中では本当に出来るのだと思わせるエネルギーが迸っている。

 大胆な構図、王国内で見ることのない独特の画風。まるで直にその光景の生き証人になっているかのような、見る者を引きずり込む存在感。


「ちょっと脚色は入ってるけど……昨日の光景を、こんな風に描くことも出来るし」

「……主役の顔が主にな」

「いいの。あの時の私には、その、これぐらいに見えたし……」


 段々と小さくなる声で俯くマモリの耳は赤い。

 それもそうだ。自分で描いた絵を相手に渡すのだ。しかも俺に対して遠回しに「格好良かった」と伝えるなど、内向的なマモリが素面で出来る訳がない。


 つまり、それだけ精一杯の感謝の気持ちなのだ。

 あの日に勝利しなければ、もしかすればマモリはこの絵を描くことはなかったのかもしれない。彼女が復讐を終えて画家になったからこそ、この作品が生まれた。


「俺、あちこちで自分が無駄に脚色されて評価されるのはちょっと思うことあるけど……この絵のモデルになったことは自慢したい気分だよ」


 マモリはそれに返事もせず、顔も向けなかった。

 ただ、怒っている風でもなかったのでなんとなく頭を撫でてみると、抵抗することはなかった。


 結局、俺はその絵をプレゼントされ、自室は恥ずかしいので浄化場の個室にこっそり飾ることにした。そこはかとなくナルシズムに目覚めそうである。

 パラベラムとはそのあと少し話をしたが、彼はもうしばらく村に残って記事を書くらしい。一番手でなくていいから一番濃厚な記事を書く、と彼は意気込んでいた。その努力が実を結ぶことを願うばかりだ。


 共同墓地は騎士団全員が行き、献花した。もし未だ無念を抱いて彷徨っている人々がいるのなら、これが手向けとなってくれればよいのだが。

 ちなみに、墓地の墓参りにはイセガミ親子が揃って参加していた。コイヒメさんもかなり血色がよくなり、病気も快方に向かっているそうだ。別れ際に「マモリの事、どう思っていらっしゃいます?」と聞かれたので「妹がいたらあんな感じかもしれない」と答えると、何やら思案しながらも満足げな笑みで去っていった。

 ……娘を心配する親心、なのか? 少し気にかかる質問だったが、その時はそのまま流した。



 こうして新進気鋭の画家から後の名画を受け取った俺は、村に別れを告げて次なる任務へ向かうのであった。


「……そういえばトマ。気になってたことがあるんだけど」

「むにゃ……にゃに?」

「いや、道具作成班が必死こいて赤字金額計算してる時に、何で一番数字に強そうなトマが写生大会に参加してたんだ?」


 寝ながら仕事するトマ先輩がそもそも仕事に出ていなかったというのが今になって思えば不思議だったのだが、トマ先輩は「そんなことか」とばかりに欠伸した。


「そりゃあ……もちろん、仕事だよ……ネイチャーデイにだけ効くウラワザ……現物支給で……」

「……?」

「言った事なかったっけ……僕のおじいちゃん、トマス・アキマスだから……画力と思想を全部受け継いだ僕がぁ、今はトマス・アキマスなんだ……ぐぅ」

「え」


 それは聞き間違いでなければ、ミケ老がウッヒョイしていた際に猛烈に推していた画家の名前だった。色々聞きたい疑問はあるが、取り敢えず世間狭すぎかよ。

 翌日帳簿を確認すると、本当にネイチャーデイからの出向組への危険手当が現物支給に代わっていた。






「ウヒョーヒョヒョヒャヒュボヒョヒュギェフゲッフゲフッ!! ホヒョーヒョヒョヒョヒョッ!! トッ、トマス・アキマスの絵ぇぇッ!! あの幻のトマス・アキマスの本物の直筆画ぁぁぁーーーーーーーッ!!」

「いかん、ミケ代表を絵から引き剥がせッ!! 興奮のあまり貴重な絵を舐めようとしているッ!!」




 トマス・アキマス。


 古典芸術界に衝撃を与えた革新的な画家であるにも拘らず、国籍など詳細は一切不明のミステリアスな画家。活動時期からして代替わりしているとするのが通説だが、その画力ブランドは劣化することなく、最新の作品は『切り取った現実』と評される程の圧倒的描写力を見せつけている。

 

 ――世界芸術史・一六〇ページより抜粋。

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