第194話 秘められた思いです

『念のため聞いておくけど態とじゃないのよね、豊穣の?』

『違うんですよ。ホントね、天気ってデリケートな問題なんです。まず天空の女神とか海の女神とか複数の女神と会議しなきゃいけないし、全員の意見を合わせて帳尻合わせないといけないからスケジュールが超大変なんですよ? ……というか先輩! 先輩も会議参加してたでしょ!!』

『いやだって、私は運命司ってるからだいたいの会議には顔見せしないといけないし……なんか意見言うと『運命絡むからやめて!』って言われるから基本相槌打つだけだし』

『ぬぐぐ~これだから女神序列二階位の女神は! 序列三階位の上からも下からも挟まれるあの胃がキリキリするような苦労なんて知らないでしょ!!』

『何おう!? 序列上がったら責任の量だって上がるのに、人が楽してるみたいに言うのやめなさいよ! だいたい貴方は女神見習いの時から……』

 

 なんか勝手に内ゲバを始めている女神たち。豊穣の女神さんは亜麻色の髪を上品に纏めており、やっぱり非常にレベルの高い美女だった。

 そしてどうやら女神界の中間管理職らしい。

 女神界隈も世知辛いとかこの世もあの世も地獄かよ。


『あ、そうそう! 死神の外来種認定だけど、死神は実は女神より一個下の存在だから、虐めちゃ駄目よ? 確か直属の上司は冥界の女神だった筈だけど、ナイーブで溜め込みやすい子なんだからね!』

『それは私に対する嫌味ですか先輩!?』


 とりあえず流石に今日は疲れていたので、女神同士のキャットファイトを無視してその日はお暇した。

 せめて出てくる女神は一人にしてくれ。収拾がつかないから。




 ◆ ◇




「……んぁ」


 間抜けが声が漏れた。ふと気が付いて周囲を見渡すと、見慣れないソファで横になっていた。体には毛布もかけられている。何でこんなところにいるんだったか――そう思いながらソファを降り、降ろした足に空の酒瓶が当たった。


 そう、そうだ。確かオルレアに誘われて酒盛りをしたのだ。

 ここはオルレアの家のリビングだ。

 それが証拠に部屋の隅ではオルレアが投網の上で軽くいびきをかいている。


 パラベラムはテーブルに突っ伏しているが、手には書きかけの文章があることから途中までなにやら纏めていたらしい。他の参加メンバーは両教授、マモリ、コメット、他にもキャリバンとかガーモン班長も途中で合流していた気がする。しかし部屋を見渡して見かけるのは自分を含む野郎三名と、後はベッドで横になって寝息を立てるコメットさんくらいだ。


 中々に飲んでしまったらしく、昨日の記憶はない。

 とりあえず鍛錬でもするかと玄関に向かい、そこで猛雨の滂沱とご対面した。


「……こりゃ、室内でやるしかないな」


 雨季到来以降、雨は容赦なく降り注いでいる。

 イッペタム盆は昔から増水が多かった影響で多くの人工水路と巨大な溜め池があり、村に水害は及んでいない。これがダムにもなっており、雨季後の日照りによる水不足を補ってくれるようになっている。

 ちなみに、この治水を提案したのはいつぞや議会で出会ったじゃがいも顔のシェパー議員の、そのまたおじいさんらしい。思わぬところで人と人は繋がっているものだ。

 

 仕方なしに室内に戻り、流石にリビングでやるのは恥ずかしいので隣部屋に移動する。と、部屋の先に見覚えのある顔があった。


「あ、おはようマモリ」

「……………」


 マモリは時折冷え切ったコーヒーとパンを齧りながら、一心不乱にキャンバスに筆を滑らせている。何を描いているのかこちらからは窺えないが、余りにも集中し過ぎて俺の存在にまだ気づいていないらしい。


 モデルとなりそうなものが近くに見当たらないのでデッサンではない。頭の中で既に描くものは決まっているのだろう。そういえば彼女が絵を描く所をじっくり見るのは初めてかと思い、音を立てないようさりげなく移動して近くの椅子に座る。


(……これは、凄い)


 自然と、そう思った。

 筆の一つ一つに迷いがなく、両眼は瞬き一つせずに人ならざる傍観者のようにキャンバスを観測し続ける。絵と人の間に存在するのは距離ではなく、他の世界を遮断する程の集中力――或いは彼女にしか見えない世界そのもの。 


 昨日まで目つきの悪くて子供っぽい少女という印象だった彼女が纏う存在感が浮世を離れ、洗練された筆捌きが画家としての存在感を鮮烈に浮き上がらせる。


 彼女が芸術を作るのではない。

 多分、芸術を作り出す彼女自身もまた、人という名の芸術であるのだ。


 別段おかしな話でもない。鍛冶屋であれダンサーであれ、全霊を込めて一つの事に打ち込む姿というのは唯の外見では生み出すことのできない迫力や神秘を帯びる。彼女もまたそういった世界に生きる人間で――恐らくは、本来父の事がなければ、彼女は元来こうなのだろう。


 それを見て、俺は美しいと思った。


 いや、もしかしたら憑き物が落ちたという奴かもしれない。

 復讐は虚しいだとかなんとか小説や物語では言うが、それでも決着は決着だ。彼女は間接的にでも仇を取ることで、父の死を名誉あるものに出来た。だからこそ満足して、復讐という心の鬼が消えたのだろう。


 それから数十分ほど時が流れ、彼女はキャンバスから筆を放して一息つき、伸びをしてふわぁ、と欠伸をした。そしてその時になって初めて俺の存在に気付いたのか、こちらを見て体を硬直させた。


「……み、見てたの?」

「うん、ちょっと前から。絵を描いてる所初めて見るから見学してた」

「絵の中身は見てない……よね?」

「それは流石に見てないな。見てたのはあくまで君の仕事っぷりだし」

「そ、そう……いや、それはそれで恥ずかしい」


 目をそらしてボソボソと喋るマモリ。

 画家として未完成の絵を横から見られるのはプライド的に思う所があるのだろうか、と思ったが、彼女はそうではないと言い、更にこれ以上聞いたら呪うと言われた。憑き物落ちても呪いは健在なのね。


「それより、約束を」

「ああ、分かってるよ。朝飯貰ってからになるけどいいか?」

「問題ない。ここに用意してある」


 ふんす、と誇らしげに鼻を鳴らすマモリが取り出したのは、竹で編まれたバスケットだ。中を開けるとそこにはサンドイッチが詰まっていた。約束を果たすまでの時間を短縮するためにそこまで用意してくれていたようだ。


 勿論、食べた後に「美味しい?」なーんて聞いて甘い空気になるために彼女はこれを用意した訳ではないので、とっとと食べて出かける支度をさせてもらった。食後に差し出された緑茶なるお茶が熱くて苦くてひどい目に遭ったが。


「意外とおこちゃま舌なんだ。私は平気だけど」

「うるへー! 王国にはそんな苦い飲み物ないんだよっ!!」


 勝ち誇った顔でどや顔お茶グビされた。

 士官学校時代にオルクスに値踏みされた挙句に鼻で笑われたときに匹敵する屈辱である。そのあと滅茶苦茶模擬戦で叩きのめしたのは今となっては大人気ない思い出だけど。




 ◆ ◇




 現在、俺は隣町の小さな病院に来ている。

 外が土砂降りだったので若干濡れてしまったが、それでも態々隣町に行く必要性があった。それは行政の側の義務であり、マモリの用事でもある。慣れた様子で病院の通路をとことこ歩いたマモリは、ぴたりと病室の前に止まる。


 患者名、コイヒメ・イセガミ――彼女の母だ。


 ノックをして、マモリが先に入る。

 俺は荷物を持って後から続いた。

 部屋は畳が敷き詰めてあったが、予め聞いていたので靴は脱いだ。

 コイヒメさんは既にベッドから身を起こしていた。マモリもだが、俺の方も見て驚いている。病気というだけあってその体は痩せているが、どこか気品があって顔つきはやはりマモリに似ていた。


「マモリ……それに、貴方は?」

「突然のご訪問、恐れ入ります。王立外来危険種対策騎士団所属、騎士ヴァルナと申します」

「ああ、武人のお方だったのですね。このような姿で申し訳ございません。コイヒメ・イセガミと申します」


 やはり育ちの良さを感じさせる礼儀正しい振る舞いで、コイヒメさんはベッドから足を下ろしこちらに礼をする。あまり頭を下げる礼には文化的に慣れないが、合わせて一礼した。


「母上、もう起きているとは珍しいですね」

「……タキの足音が聞こえた気がしたの。でも、貴方の足音だったのですね。同じ武人とはいえ余りにも似通っていて、知らず知らずに天へ上ってしまったのかと思いましたよ」


 コイヒメさんは儚げに微笑む。旦那であるタキジロウ氏が亡くなったせいで、面影を無意識に追ってしまうのだろうか。

 マモリが母親の前で正座し、見上げる形でコイヒメさんを見る。


「先日、彼の協力のもと、父の仇である巨大魚と相対しました」

「マモリ……!? 貴方、まさかあのひと仇討あだうちを!?」

「母上に無断での事、申し訳なく思います。しかし、武人の娘としてどうしても父の無念を払いたかったのです……」


 コイヒメさんの眼は、怒りと悲しみが渦巻いていた。

 父の遺言を破ってまで行動した無謀な娘。

 それを事後報告になるまで止められなかった自分。

 その二重の思いから、彼女は平手を振り上げていた。


 この辺の事は、家族の事だから手出し無用と言われている。

 彼女も自分が母親の意向を裏切っている自覚はあったのだろう。

 それでもつい、一歩踏み出して俺は口を出してしまう。


「自分が必要と判断し、同行を許可しました。責めはどうか自分に……」

「……っ」


 意外にも、コイヒメさんは動揺したように視線を揺らし、そのまま手を収めた。無視してひっぱたくか俺を引っぱたくか、理路整然と反論されると思っていたのだが、もしかしたら威圧感を与えてしまったのかもしれない。もっと自重も覚えなければいけないな。


「……出過ぎた真似でした。申し訳ございません」

「いえ……そう、ですね。タキを慕っていたマモリがそうするであろうことなど予測して然るべきでした。貴方は父の遺言より父の名誉を取った……正しいこととは言いませんが、納得はしました」


 一度息を吐き、目を開いたコイヒメさんからは先ほどの薄幸そうな弱者の空気が一瞬にして消え失せていた。

 強い瞳、強い声。

 母としてではなく家長としての振る舞い。

 武人の妻としての矜持か、気品が威厳に代わる。


「して、マモリ。結果はどうであったのですか」

「騎士ヴァルナが私に代わり、魚の息の根を止めました。父上の命を奪った憎き怪物は最早この世におらず。そして――」


 俺はマモリに目で促され、役割を全うする。


「……こちらの槍は、怪魚ヤヤテツェプに突き刺さっていたものです。タキジロウ・イセガミ氏の遺品としてここに預かって参りました」

「この紋、形状……間違いありませぬ。ああ、タキ……」

「最後までヤヤテツェプの動きを鈍らせ、トドメを刺すきっかけになったものです。彼の執念、しかとこの目に見せて頂きました」


 穂先を布に包み、そのまま渡す訳にもいかないのでベッドの近くに立てかける。コイヒメさんは堪え切れなかったように槍を指でなぞり、目元を潤ませた。

 本当は、槍でも栄誉でもなく本人に帰ってきてもらいたかったのだろう。

 しかし現実はそう理想通りに行かず、人は簡単に死んでしまう。


 ぐずるようなすすり泣きが少しだけ病室に響き、しかしコイヒメさんはすぐに「お見苦しいところを……」と言いながら佇まいを正す。どんなに弱っても、列国の武家の嫁とはこういうものだと言わんばかりの気丈さだ。

 俺はもう一つの品を取り出す。


「後は死んだヤヤテツェプの腹の内から漆塗りの小箱のようなものが出てまいりましたが、これも遺品で間違いありませんか?」

「……ええ、そうです」

「一瞬間がありましたね」


 コイヒメさんが息を呑むのが聞こえる。

 この箱、実は昨日に解剖した際胃の中に入っていたのだが、その入り方が変だった。胃に半ば融合するように取り込まれていたのだ。マモリにこれがなんなのか、本当にタキジロウ氏の遺品なのかを聞いたら、母の許しがないと話せないと言われてしまった。

 これは取り調べではなくほぼ個人的な質問に近いので、答えたくないのであれば深く詮索する気はない。


「聞かぬ方がよいことですか?」

「貴方は、ずばり物を言い過ぎますね。察していることを口にしてしまう……貴方を見ていると若かりし日のタキを見ているような気分になります。政略結婚はお嫌かと問うてきたあの日の彼に……」


 複雑そうな表情でコイヒメさんが顔を逸らした。

 ちらっとマモリを見やるが、流石に若かりし日の父の話はそれほど知らないのか、こちらが驚いているという目をされた。コイヒメさんの視線は娘であるマモリに移る。


「マモリ……騎士ヴァルナは信用に値する者ですか?」

「彼はこの国に息づく武士の心を持っています。だからこそ、信頼できました」

「信頼……はぁ、親の男趣味って娘に遺伝するのかしら」

「そ、そういう色恋沙汰ではありませぬっ! も、もう! どうして皆そこをからかうのですかっ!!」

「そうやってムキになっちゃう所だってば、マモリ」

「ううう……ううう~~~!」


 理解は出来るが納得できないと言わんばかりに唸るしかないマモリに苦笑する。この子供っぽさがあるから、どうにも彼女には世話を焼きたくなってしまうのかもしれない。


 ただ――俺はこの時、油断していた。

 マモリに視線を奪われた瞬間、一瞬蛇に睨まれたような異質な感覚を覚えた気がしたのだが、気のせいだと思ってしまったのだ。この部屋にそんな視線を向けてくる人はいないから、と。


「分かりました。騎士ヴァルナ、これより先の話は他言無用とします」


 コイヒメさんは意外にも、あっさりと漆塗りの箱の秘密を暴露した。


「あの箱こそ我が夫タキジロウが海外へ出る切っ掛けになった物。将軍家の蔵の最奥に封印されていた代物、『打出小箱うちでのこばこ』です」


 コイヒメさんによると、その『打出小箱うちでのこばこ』は将軍家に伝わる呪いの品で、野放しにすれば世を乱すという言い伝えから将軍家の蔵に事実上封印されていたらしい。

 ところが二十年程前にこの蔵が火事に遭い、その最中に封印が破られ小箱が盗難されてしまったのだという。


 将軍家はすぐさまこの箱の行方を探り、結果として貿易船に乗って大陸側に向かったらしいことを突き止めた。そして最終的にこの箱を極秘裏に探すよう命ぜられた者の一人が故・タキジロウ氏だったということらしい。


「……ただ、『打出小箱』の詳細についてを聞いたのはあくまで使命を受けた者のみ。身内であっても私やマモリはこの『打出小箱』の詳細や探し方については知りませぬ。世を乱すこれを封印する道具は持っておりますが、遺言書にも多くは書かれておらず……」

「父上がどのようにしてこの小箱があの怪物の腹に収まっている事を知ったのかは、結局分からず仕舞いだった」

「ふむ……」


 二人とも嘘を言っているようには見えない。というかマモリの方は腹芸なんて無理だろう。世を乱す呪物とは大きく出たものだが、王国でもその類の話は時折ある。ノノカさんやアマナさんもこれには目を通したが、中身のない唯の箱という以上の情報はなく持ち出しが許可された。だったら騎士団が祟られる前に封印してもらおう。

 ヒゲじじいは政治取引の道具になるかもしれないのにと残念がるだろうが、そんなややこしい話にして二人を疲弊させたくない。役所仕事みたいだが、これがなくて困っている遠くの国に恩を売るとでも思っておくことにした。


「ではこちらを、確かにお納めしました。こちらの受け取り書類にサインを」

「お世話になります……きゃっ!」


 たおやかに微笑んでコイヒメさんは書類にサインしようとし――不意にバランスを崩す。俺は咄嗟にコイヒメさんを受け止めた。全体重をかけるように俺の体にもたれかかる彼女を、なるだけ刺激を与えないようゆっくりと元の態勢に戻した。


「ごめんなさい、またご迷惑を……」

「ご心配なく。これも騎士としてやるべきことですし、とても軽かった。軽すぎるくらいなのでこれからは養生してください」

「母上、まだ本調子ではないのですから無理だけはおやめくだされ。母上までお隠れになっては、マモリは寂しゅうございます」

「あら、無理して怪魚殺しに行って親不孝者になるかもしれなかった子が言うではないですか?」

「う、うう……!」

「奥方、あまりからかっては可哀そうですよ」


 こうしても揉める事もなく、何ならちょっと和やかな雰囲気で遺品の受け渡しは終わった。亡きタキジロウ氏も草葉の陰で胸をなでおろしている事だろう。


 ただし――。


(将軍家への恩は出来ている。秘密も共有、本当に騎士ヴァルナならばゆくゆくは王国との繋がりまで。それより何よりあの父親大好きっ子のマモリが懐いている。そしてタキですら不覚を取った魚を仕留めた実績までも……今抱きしめて確かめましたが、間違いなく彼は超一級の武人!! タキに貰ったイセガミの名を廃れさせない為にも、養子でいいから欲しい……!! 息子にして愛でたい……ッ!!)


 このコイヒメさんが思いがけない食わせ物であったことを知るのは、また後の話である。馬鹿野郎この俺め、もっと早く気付いとけよ。マモリの母親なんだから普通の人な訳ないだろうに。

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