第193話 水底に沈まぬ執念です

 激しい戦闘の最中、雨の降り注ぐ上空からファミリヤが飛来した。

 出迎えてあげたいが釣り竿からも目の前からも目が離せない。暴れ狂うヤヤテツェプを上手く疲弊させるために先ほどから両手も足腰もフル稼働だ。


「マモリ! ファミリヤをキャッチして!!」

「わかった! ……お、おいで?」

『失礼スルワ!』


 戸惑い気味に差し出されたマモリの手に、ファミリヤは器用にバランスを取って留まった。絶縁体の厚手の手袋のおかげで爪は食い込まずに済んだようだ。このファミリヤはメスの子だ。


『ヴァルナハ忙シソーダカラ貴方ニ向カッテ話スワヨ。ヤヤテツェプニ電気ガ効カナイ理由ガ分カッタンダッテ! アノ教授モヤルワネー!』

「アマナ教授が……! それで、何故効かなかったの!?」

『シボーガ厚イカラ』


 一瞬何のことかと戸惑ったが、やがて脂肪分のことだと気付く。

 いわゆるぜい肉だ。特権階級はたらふくこさえる事が出来るが、俺たち安月給騎士団には絶対に蓄える事の出来ないものである。

 おのれ特権階級。ここでも平民を虐めるというのか。


「デブだから電気効かないって、どういう理屈だよ!!」

『ナンデモシボーッテ油ラシクテ、油ハ電気ヲ通シニクインデスッテ。ダカラシボーニ覆ワレタヤヤテツェプハ電気ヲ受ケテモ耐エラレチャウワケ。魔式電槍通スナラコノシボーヲドウニカシナイトネ!』


 そうなのか、と豆知識を知った気分になり、そして気付く。


「ちょっと待て! それじゃ槍が刺さっても決定打になってないのは脂肪の壁に阻まれてんのか!?」

「じゃあ、槍がいくら刺さっても……!!」

「というか言ってる傍から刺さった槍がまた抜けた!?」


 そう、さっきから気付かないふりをしていたかったが、ヤヤテツェプに刺さった槍はどれも刃の通りが浅く、そして恐らく脂分のせいもあってかポロポロ抜けているのである。出血もしているが微量に見える。このままではいつ倒せるのか分かったものではない。


 しかも、実は更に厄介なことがある。それはこの水路の形状だ。


「ヴァルナさぁぁぁ~~~んッ!! もうすぐ次の曲がり角ォ、乗るか反るかのヘルオアヘブンカーブに生命をベットする瞬間が訪れるぜェェェーーーーッ!!」

『コイツ何イッテンダ』

「次の曲がり角に差し掛かるから覚悟決めろ、と申しているようだッ!! 堪えろマモリ、遠心力で放り出されるぞッ!?」


 イッペタム盆から外に向かうたった一本の水路は、蛇がのたうったようなカーブだらけの形状になっている。これが水流で加速した船たちが曲がるにはかなりきついのである。

 ちなみに俺は竿を持っていなければいけないのでどこにも捕まれない。仕方ないから裏伝五の型・鸛鶴の衝撃吸収姿勢を利用して極限まで二本足で体を安定させることで、急激なカーブに耐える。あまりの勢いにファミリヤまで羽をばたばたと羽ばたかせてなんとかバランスを取る程だ。


 だが曲がり切って安定したのもつかの間、後方からバキバキと水路端の固い草を圧し潰しながら大質量のヤヤテツェプが強引にカーブを抜け、迫りくる。


 体力の消耗は激しい筈だが、生物とは死の危険を感じると火事場の馬鹿力が発動するものだ。しかもあれの場合はもはや通路の狭さとエラ呼吸の関係も相まって前に進むしかない状態だ。不幸中の幸いは、水深の浅さが奴に災いして遊泳速度が思ったより遅いことぐらいだろう。


「全く、とんでもないレジャーイベントだこれはッ!! 川下りしながら巨大魚をフィッシングなんて本来なら道楽者のすることだろうがッ!!」

「道楽でもなんでもいい。それより私、大変なことに気付いた」


 マモリの顔は、若干血の気が引いていた。


「この水路の水流が速いのは幅が狭いから。つまり増水中とはいえ水路を抜ければ流れは穏やかになり、指示船をヤヤテツェプから守れなくなるかも!」

「時間制限……! 今日倒しきるにはこれしかないと思ったが、やっぱり慣れない作戦立案なんかするんじゃなかったッ!!」


 学問ではそれなりに上に昇ったが、あれは半ば暗記だ。座学と実戦で求められるものは違う。もっと思考を柔軟にするために、帰ったら軍学書の類も読もうと決めた俺であった。

 が、ここで意外な声が上がる。


「何弱気になってんスかヴァルナさんッ!! 走り屋にとって最大の勝負の分かれ目、それは峠ッ!! 一瞬の判断と心のビビりが生と死を分かち、限界の加速と慣性がぶつかり合い心身共に絶体絶命のカーブにこそヴィクトリーが待ってるんだゼェェェェェッ!!」

『ワカンネーヨ。鳥デモ解セル言葉デハナセヨ』

「競争においてカーブってぇのは勝負の分かれ目なんだよッ!! コーナーで差をつけろ、或いは蹴って落とせッ!!」

「おい待てそれを魔導機関搭載の車でやってたのかお前ッ!? 相手が死ぬわッ!!」


 帝国の道路はもしかしたらかなり修羅の巣窟なのかもしれない。

 しかし、遠心力とカーブというのは少し頭に引っかかった。ヤヤテツェプが水路脇を削りながらこっちに近づいているのは、自分の速度を完全に殺しきれていないからだ。上手くやれば奴を水路の外にコースアウトさせることも出来るのではないだろうか。


 いや、駄目だ。

 この船は雨季の増水で一方通行。

 外に出られるとトドメを刺せない――。


「そうでもない、か……? おいライ! このボート流れに逆走とか出来るか!?」

「普通の操縦者なら無理ですねッ!! 無論俺ならヤっちゃいますけどォッ!!」

「その言葉信じるぞ!! こうなりゃ暴走族作戦だ、あのヤヤテツェプをカーブの流れに乗せてひっくり返すッ!!」


 俺は思い付く限りのアイデアをマモリ、ライ、ファミリヤに語った。

 して、その反応は。


『ソレ失敗シタラ全員ゴリンジュージャネ?』

「俺ぁ断然構いませんがねェッ!! そういうカッ飛んだ作戦のが楽しいしィッ!!」

「ヴァルナを信じる。無理だったら呪う」


 ものの見事にバラバラな意見である。

 チームワーク大事な作戦なんだけど大丈夫かこれ。

 いや、今の状況そのものが大丈夫じゃないという考え方もあるけど。 




 ◇ ◆




 ヤヤテツェプの分厚い脂肪の層を破るには、騎士団の用意した投擲槍では不足であることは判明した。かといって接近戦を挑むにはヤヤテツェプは厄介に過ぎる。釣り針の刺さった口の中に入れるなどは無謀の極みだ。


 しかし、そんなヤヤテツェプにも有効な武器が存在しない訳ではなかった。

 イッペタム盆調査時に使用したクジラ用の反し付き投擲銛である。


「突き刺したら水中に引き摺り込まれるってんで作戦には使えないかと思ってたが、出番ってのは来るときには来るんだなぁ」

「ロープ固定完了! 魔式電槍のボート積み込み完了!」

「ロンビード班長、それにガーモン班長! 任せますからトチらないでくださいよ!!」

「へっ、馬鹿言え。この肝心な時に外すような奴は前線出ても続かねぇんだよ。なぁガーモンッ!!」

「槍を使う関係上、投擲槍も当然使えますとも。コントロールはともかく力は負けませんよ!」


 槍の投擲を続けて消耗している筈なのに、まだ動くとばかりに不敵な笑みを浮かべるロンビード班長と、むしろ闘志に満ちたガーモン班長。結局トドメの槍を放つ係は諦めざるを得なかった分、この一撃に全てを注ぐ気らしい。

 後方で待機していたローニー副団長が、雨粒で前の見えなくなったメガネを取って叫ぶ。


「カーブが近づいてきました!! お二人とも、投擲をッ!!」

「ぬりゃああああああッ!!」

「そぉぉぉ……れェいッ!!」


 ロンビード班長が全身を捻るように振り下ろしで投擲した銛と、まるでカタパルトのように片手で構えた槍をもう一方の手でボウガンのように打ち出したガーモン班長の剛銛が、俺の引き付けたヤヤテツェプに同時に飛来する。


 ロンビード班長の槍はこれまで傷つけてきた槍の刺し傷を寸分狂わず刺し貫き、返しが効いてすぐさま船と繋がったロープが張る。

 一方のガーモン班長の槍は、悪天候を貫く一直線の勢いのままヤヤテツェプの脂肪の層を威力で無理やり刺し貫いた。


 ロンビード班長の投擲の腕前は知っていたが、あの距離でヤヤテツェプに盛大に槍を突き刺すガーモン班長の思わぬ隠し芸にも驚きだ。多分披露する機会が今までなかったのだろう。戦闘中に武器を手放すのは緊急時以外ありえないし。


「つーかお前、ガーモン! それ出来るならディンゴの奴と替わってやりゃあ良かったのに!!」

「足場が安定しないと当てきれないんですよ! 今はオルレア君が操舵してるからギリギリ可能になってるんですッ!!」

「俺だってこの村の漁師なんでねッ!!」


 船尾から絶妙なオールと舵の二刀捌きで船を安定させるオルレアが、自分を鼓舞するように叫ぶ。彼もこれほどの激流を下るのは初めての筈だが、年季の違いか火事場の集中力か、見事に操舵している。

 これでヤヤテツェプの体を引く力は細い釣り糸だけでなく二本の頑丈なロープになった。この別ベクトルからの牽引はヤヤテツェプも無視できない。


 加えて、タイミングだ。既にカーブに差し掛かり始めた時点を狙って投擲したこととヤヤテツェプの動きの切れが鈍ってきた事が重なり、この想定外の牽引に奴はバランスを取るので精一杯と見える。


 今、この加速が乗っている指示船であれば、その重量を以てして奴の動きに干渉出来る。ただし、万一の事はあるので教授やネイチャーデイのお手伝いさん達は遊撃班の乗っていたボートに退避して先に撤退している。


 さて、遊撃班のボートは二つあったのだが、それではもう一つはいずこへと消えてしまったのか?


 その答えは――。


「ちょ、ちょっと……これ、本当に大丈夫なの……!?」

「ヘッ、俺のドラテクを信じてぶちかましなァッ!!」


 空いたボートを動力付きボートの横に無理やり手や足で固定して加速させる――なんでもこれは帝国時代に動力付きバイクでジテンシャという乗り物を加速させるという危ないテクニックを応用したものらしい。

 バイクすら見たことないのにジテンシャとか言われても実感は湧かないが、『俺のドラテクなら楽して加速させられる』というのは嘘ではないのか、マモリの細腕とライの足一本でギリギリ支えたまま等速にまでボートは加速している。


 だがその突撃は、指示船の牽引とタイミングをきっかり合わせなければ意味がない。

 激流の中船が加速し、更に船に固定されているロープとヤヤテツェプが連結したことで指示船の舵は凄まじい重さに変貌している。それでもオルレアは咆哮を上げて渾身の力で舵を切る。


「俺は勇者シャルメシアになんぞなれねぇけど……仮にも漁師が魚に負けられるかッ! プレセペ村魂ぃぃぃいいいいいッ!!!」


 ギィギィと耳障りな軋みを上げて舵が傾き、草に突っ込まないギリギリのラインに指示船が方向転換する。だが、ヤヤテツェプの重量もまた船を傾け、曲がり切れない。

 このままでは任務失敗だ。

 そう、誰もオルレアを手伝わなければ。


「こんにゃろ、もっと踏ん張れ心の友ッ!! 俺は記事書くまで死ぬ気はねぇからなッ!!」


 舵を切る手に、記者パラベラムのペン以上に重いものをあまり持ったことがなさそうな細腕が加わる。更にその後ろから書類仕事ばかりしていそうな腕が加わった。


「私だって妻子を残してここで死ねませんよッ!!」

「パラベラム……ローニーさん……!」

「ないよりゃマシだろ、こんな非力でも!?」

「大丈夫、君は十分に勇者ですッ!! 友達や知った顔が心配で知らんぷりしていられなくて、それで作戦に参加したんでしょうッ!? 勇者の称号は怖いもの知らずドレッドノートではなく恐怖に打ち克つ者にこそあれッ!!」

「ッ! はいッ!!」


 じわり、じわりと傾いた舵がここで一気に曲がり切り、急激なカーブの遠心力がヤヤテツェプに伝わり、ヤヤテツェプの体が右へと傾いていく。その隙を突く一隻のボートが、側面から矢のように迫った。


「ボートの加速ついでに、俺の蹴りの速度も一緒に持ってけぇぇぇぇッ!!」

「イィィィィヤッハァァァァァーーーーーーッ!!」


 マモリとライが手を離した瞬間、俺はボートの後方を片足で思いっきり蹴り飛ばした。ヤヤテツェプに比べれば軽いとはいえそれでも詰めれば人間が七、八人は乗れるボートだ。そしてその先端は、槍と言うほどではないが尖っている。


 ドボゴォッ!! と異音を立てて加速した無人ボートがヤヤテツェプの腹部に突き刺さり、衝撃と痛みでヤヤテツェプが悶える。魚ゆえに悲鳴の一つも上げる事が出来ないその巨体が更に傾き、そして指示船と繋がっていたロープがタイミングを合わせて一本切られ、加速と体勢を制御できなくなったヤヤテツェプが立ち並ぶ硬い草の上にベキベキと音を立てて乗り上げる。

 巨体な上にたらふくオークを食べたその重量が災いしたか、とうとうヤヤテツェプは身を翻すこともできず無防備な腹を晒した。


「魔式電槍用意ッ!! Uターンで近づけライッ!!」

「降り落とされねぇでくださいよぉぉぉぉッ!! ケッハハハハハハッ!!」


 悪魔的な狂笑と共に舵を切って動力ボートが水流に逆らい、ヤヤテツェプの無防備な腹を視界に捉える。何度か報告に上がった人工物らしき棒がヤヤテツェプの腹に突き刺さっているのが見えた。

 ここに来てその全容を見たマモリは、その正体に気付いて唖然としていた。


「父上の槍……父上の槍だッ!!将軍から賜った、鋼の作りに金の装飾……!取っ手まで鋼で打たれた珍しい槍だし、柄の装飾も間違いないッ!!」

「じゃあ、タキジロウさんは……」

「最後に一矢報いたんだ……父上は何もできずに負けたんじゃない、一矢報いて斃れたんだッ!!」


 それが嬉しいことなのか、哀しいことなのか、俺には分からない。きっとマモリも胸に抱いた感情を一つに纏めることは出来ないのだろう。それでもあの槍は深々と何年もヤヤテツェプに刺さり続け、そしてきっと狭い川の中で水底を擦ることでずっとあの怪物の邪魔をしていたのだ。


 執念――そう形容するしかない、偶然で片付けられない力。

 それに報いるには、ヤヤテツェプの命を捧げるべきだ。


 息を吐き、吸い、もう一度吐く。次の一撃でこの長かった戦いを終わらせるために、俺は全身の氣を足に集中させながら釣り竿の糸を切り、竿を足元に置いた。

 魔式電槍を両手で抱えたマモリと目が合う。

 横から殴りつけるような大雨に晒されながら、これまで堪えてきた感情を全て吐き出すようにマモリが叫ぶ。


「ヴァルナ、これで……次の一撃で、あの化け物を討って! 父上の無念と私の全部、このカラクリ仕掛けの槍に乗せて貴方に託すからッ!!!」

「受け取ったッ!!」


 長い言葉など不要、見せるのは結果だけでいい。


 俺は昨日に一度だけ成功させた技、合氣伝一の型『海秋沙うみあいさ』で水面を走った。うねる水と槍の重量で足が水に沈みそうになるが、それならば沈まない程に氣を練ればいいだけだ。


「オォォォォォォッ!!」


 空中で魔式電槍のT字スターターを起動させ、魔導機関が唸りを上げて槍が紫電を帯びる。雨粒を浴びて刃がバヂバヂと耳障りな音を撒き散らすのを無視し、振りかぶった俺は跳んだ。槍は使い慣れていないが、先端の電気部分が当たればいいのなら剣の要領で振り回すだけだ。


 狙うは、脂肪に覆われぬめりのあるヤヤテツェプの体――。

 ではなくマモリの父タキジロウの最期の一撃であろう槍そのもの。


 タキジロウの槍は余りにも深く突き刺さったことで抜けないのだろう。

 つまり、あの穂先は脂肪の層を貫通し更に奥深くにまで到達しているということだ。

 そして、通常の槍と違ってあれは槍先から取っ手に至るまで全てが鋼一本で繋がっているという。


 鋼は電気を通す。作戦立案能力はなくとも、それは座学の知識の範囲であり、俺だって知っていることだ。奇しくもマモリの父が残した傷跡が、ヤヤテツェプの最大の弱点と化しているのである。


 水上を跳ね、空中で全身を横回転させて魔式電槍を振り翳した俺は、イセガミ親子の繋いだ一筋の勝機に向けて全身全霊の一撃を叩き込んだ。


「抜剣術異伝ッ!! 金鵄きんし雷響らいきょおォォォォッッ!!!」


 魔式電槍の切っ先が腹に突き刺さった槍の柄の真芯を捉え、耳を劈く甲高い音が霊鳥の声のように響き渡る。一直線に叩き込まれた衝撃はヤヤテツェプの内部を貫き、ベギリ、と音を立てて槍がヤヤテツェプの奥深くを破壊する。

 その刃に魔式電槍の紫電が伝わり、バチチチチチィッ!! と槍がヤヤテツェプを内側から灼き、感電させた。最新の技術が齎す力が、古の怪物を蹂躙したのだ。


 もう完全に動けなくなったと確信した俺は槍を叩きつけた体勢のまま更に体を逸らせ、槍をつっかえに体を再度空中に投げ出す。着地したのはヤヤテツェプの巨大な頭上だ。


 これ以上帯電させると自分が感電しかねないと魔導機関を停止させた槍がオーバーヒート気味の熱を持ち、雨に晒されもうもうと水蒸気を登らせる。よく頑張ってくれたが、もう一仕事だと天高く振り翳し、俺は無言でその切っ先をヤヤテツェプの脳天に叩き込んだ。


 衝撃と骨の砕ける感触と共に槍は肉に沈む。

 ヤヤテツェプは暫くびくびくと全身を痙攣させ――そして動かなくなった。


 任務開始から三時間半の長丁場。

 幾度もの失敗と道具の損耗。

 そして、この化け物に食い殺された人々の無念。


「危険種討伐……完了ッ!!」


 決して安くない代償の果てに、今こそ全てが決着した。

 ……金銭的には本当に安くないどころか赤字まっしぐらだ。

 明日から蔑称が借金騎士団になりかねん。




 ◆ ◇




 最初にそれに気付いたのは誰だったろう。


 雨が降り注ぎ視界が白くなるシャルメシア湿地からゆっくりと指示船やボートたちが現れる。カッパを着込んでその様子を静観していた先行撤退組、待機組が息を呑んで見守るなか、船の影はやがて陸地に近づき、そして船の背後に巨大な影が浮かんでいることに気付いた人々から少々の歓声が漏れる。


 船の船頭に立つオルレア、作戦指揮官のローニー副団長、騎士ヴァルナに教授たちや画家のマモリ……その中で、村代表としてオルレアが陸に向けて宣言する。


「ヤヤテツェプ討伐成功!! 死傷者、行方不明者ゼロ!! 完全勝利だッ!!」


 瞬間、極限まで溜まった歓声がどっと湧き出した。

 船に牽引、というより殆ど引きずられているヤヤテツェプの死体に画家たちが目を剥いたり、マモリやオルレアの無事を確かめたコメットがカッパの押し売りを中止してぴょんぴょん跳ねて喜んだり、ミケ老が芸術の話でもないのに年甲斐もなくウッヒョイ叫んだり、もはや祭りのような目出度さだった。


 ヤヤテツェプはそのまま水産実験場に運び込まれ、そのままアマナ教授監修、ノノカ教授と騎士ヴァルナ手伝いですぐさま解剖が開始された。


「ヴァルナくん、まずお腹を開いて内臓を見ましょう」

「了解。すいーっと……うげ、胃袋が無数のオークの形に変形してる!?」

「でも胃の後ろの方はもう半分くらいは融けてるみたいですね。毒性検査のおクスリおクスリ……おお! 陰性ですよ陰性! 体内で毒を分解できる個体だったか~……」

「もう騎士ヴァルナくんが解剖現場に普通に同行してることについては何も言わないから、お願いだから監修者の私の話はちゃんと聞いて解剖してね?」


 討伐要員、回収要員、更には解剖要員まで兼任させられる男、ヴァルナ。八面六臂にも程がある活躍ぶりにプレセペ村の人々は「マモリちゃんの彼氏すげぇ……」と勘違いを盛大にぶちまけ、怒り狂ったマモリが槍を振り回すまで誤解は解けなかったという。


「こら、マモリ。危ないからそれ以上はやめなさい」

「でもヴァルナ! でも、こんな勘違いなんて……!」

「これで流石にみんなも勘違いだって気付いただろ。そうカリカリするなって。な?」

「……うぅ」


 ぽんぽんと頭を撫でられ、マモリはヴァルナを上目遣いに睨みながら諦めたように槍を降ろした。

 ――なお、翌日に「マモリはヴァルナを兄のように慕っている」という何となく的を射ている気のする噂が流れたのは余談である。

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