第190話 沈黙の水上です
現地人に畏れられる忌み嫌われし土地、イッペタム盆。
その静けさを破る靴音と道具を構える音が響いた。
水面は微かな風に揺られる程度の静けさだが、濁り切った水中に身を潜める危険種の存否を疑う者は誰もいない。
盆の中心には、哀れな贄となるオークたちが周辺を警戒するように草の合間からこちらを睨んでいた。周囲を包囲されながらも、化け物から逃れるための水中が危険で入れない。投石で迎撃するにも石すらないのだろう。まさに連中は袋のネズミだ。
ローニー副団長がイッペタム盆入り口付近の船上に姿を見せたと同時、報告の声があがる。
「総員、配置に着きました!!」
第一作戦、オーク殲滅。
オークの出血を抑える為に、かなり久しぶりに麻痺薬を武器に塗る指示が出た。環境に配慮し、自然から取れる毒物だ。その分効果は化合毒に少しばかり及ばないが、ヤヤテツェプがいる以上無出血の攻略をどうしても妥協しなければいけなかった。
ちなみに毒の調達に更にお金がかかったので、成功にせよ失敗にせよ作戦が終わったら任務と同時進行で金策開始である。平和は犠牲なしに勝ち取ることは出来ないのだろうか。主に犠牲になる存在に大いに偏りがある点をどうにかしてくれ。
と、ファミリヤを代わる代わる飛ばして情報収集するキャリバンが天候について報告する。
「雲が多くなってるっすけど、雨ではないっすね。ただ微かに西の空が暗くなり始めてるっす。風も少し湿気が多いんでのんびり構えてるのは危険でしょう」
ここ数日ファミリヤを飛ばし過ぎて、キャリバンは段々とファミリヤの感覚を自分の感覚のように語り始めている。個人でありながら複数の情報を統括する姿は、彼もファミリヤ使いとして成長している証なのかもしれない。
「魔導式電網の準備は?」
「出入り口付近に四基、設置完了! 人員も配置済みです!!」
ちなみに俺は現在、網の手前に例のボートで待機している。運転手にライ、ボートのバランスを取るための重心移動係も兼ねてマモリ、そして釣り竿を持った俺。万一の時の為の釣り作戦が承認された結果だ。
「……ヴァルナくん。万一の時は――」
「分かってます。こいつなら多少の増水にも対応できる」
「ライくん、志願参加という形を取ったが、君も――」
「俺にハンドル握らせたら、誰が相手でも負けやしませんよォォ!」
「マモリく――」
「いいから早く。これ以上待てない」
「……最近の若者が逞しすぎる」
最後まで言いたいことを言わせて貰えなかったローニー副団長は諦観にも似た息を吐き、そして時計を確認する。時間にして十数秒、果てしなく長く感じる時の長針が零を指した瞬間、副団長が目を見開いた。
「時刻
『時刻、ヒトフタマルマル!! 作戦ケッコウ! ケッコォォォーーーウッ!!』
ファミリヤのけたたましい復唱と同時に、全騎士が動き出す。
ヤヤテツェプ攻略作戦――『オペレーション・シャルメシア』、発動。
ロンビード班長以下、投擲部隊が一斉にイッペタム中心の陸地に発煙筒のようなものを投げ込む。クリフィアでの戦いから更に小型化した、嫌オーク発煙だ。爆竹も共に投げ込まれ、激しい煙と破裂音にオークが堪らず飛び出してきた。
「ギャブッ、ギャブッ、ブヒャァァァァアアアアアッ!?」
「ブギブ、ブギギ、ギギギギッ!?」
しかし飛び込んだオークの一匹の足元にすぐさま巨大な魚影が現れ、オークを丸呑みにする。
「出やがった、ヤヤテツェプだ!!」
「焦って前に出るな!! 枯草で作った足場をメインに考えろ!!」
騎士団が作った足場は、木製の足場とその外側、ビーバの巣作りを参考にした足場の二重になっている。手前の足場に乗りあがってきた敵を後方から突くという形であると同時、水面に近づきすぎて敵に引き摺り込まれるのを防ぐためだ。
次々に盆に飛び込むオークたちだが、もはや彼らに逃げ場などない。次々に呑み込まれるオーク、そして辛うじて陸に上がったと安堵したオークを待っているのは騎士団の毒槍である。
もちろん盆の出口にもオークは近づくが、近づいた瞬間に魔導式電網の強烈な電流が水を通して迸り、体の自由が瞬時に刈り取られる。
「一旦出力下げろ! 五秒後に再度放電!」
「アイサー! 四、三、二……放電!」
「ボギョッ!? ……グ、グブブ――」
オークは浮かんでくるかと思いきや、栄養状態の関係で体脂肪率が低いのか沈んでゆく。もう二度と自力で地上に上ってくることはないだろう。
僅か数分でイッペタム盆は大量のオークの死骸が沈み、再びの沈黙を取り戻そうとしていた。
命を次々に呑み込みながらも変わらず平然とする光景は、この地が悪魔の底無し沼か、化け物の口の上なのではないかという錯覚を覚えさせる。
ごくり、と唾を呑み込んだローニー副団長が、キャリバンに確認を取る。
「オークの推定残存数は?」
「メスオーク係の報告でメスオークはヤヤテツェプに捕食されて死亡。騎士団による刺殺観測、網に感電したオーク観測、ヤヤテツェプに喰われたオーク観測……成長したオークは全滅とみていいっす。不明なのは子供オークっすね……ノノカさん?」
「はいな! オークの最長潜水時間は、子供の頃は十分どころか五分以下です。時間から計算しても溺死か魚の餌になったものとノノカは断定します!」
普段ならばオーク全滅認定に諸手を振って喜ぶ所だが、今回だけはそうもいかない。何せ大物がまだ残っている。天候も少しずつ雲が厚みを増しており、逼迫した時間を示しているようだった。
「作戦第一段階終了! 必要人員以外は一度船に退避! これより第二次作戦を開始しますッ!!」
「餌用意! ガーモン班長は魔式電槍を!!」
「ちょ、ヴァルナてめぇ何かっこいい釣り竿持ってんだ寄越せッ!!」
「これ借り物なので自力で買ってください。ほい、釣り針と餌ひっかけてー!」
てきぱきと人員を入れ替え、装備を整える。
時間制限への焦りもあるのか動きが僅かにぎこちないが、ミスはない。
「特大の針だ、上手く食いついてくれよ……」
運ばれる釣り針付きの肉餌を見つめる。
こればかりは魚の食いつき方次第だ。
ヤヤテツェプは獰猛だが、その獰猛さ故に大きな肉があると即座に食いつく悪食である。そのため今回、ヤヤテツェプしか食べられないサイズの大型肉を用意し、その内側にかなり強力な麻痺毒の薬を仕込ませてもらった。
この肉を使ってヤヤテツェプをイッペタム盆入り口に誘導し、食べさせる。
ただしヤヤテツェプが魔物化している場合、麻痺毒の効果が出ない可能性もある。元々がオークをバクバク食べている相手だ、毒の分解能力が高い可能性は無視できない。
そこで、ヤヤテツェプの姿を確認したと同時に魔導式電網の出力を『電気漁モード』に変更、強烈な電流を浴びせて倒す。それでも死なない場合、動きが鈍った瞬間に例の「魔式電槍」を叩き込んで殺害。投擲用の銛も麻痺毒つきで大量に用意してあるので、袋叩きで失血死だ。
なお、失血死の場合は血液が毒素を蓄えていた場合も考慮し、環境配慮のために非常に高価な――それこそヴァルナの給料が向こう五年吹き飛ぶほど高価で大量の浄化薬をイッペタム盆にぶちまけることになっている。
決定を下したローニー副団長が「ウフフフフ残業が一年残業が二年……」と精神崩壊を起こしかけた狂気の資金投入な上に、それほど高価なのに効果は気休めの域だ。
ひげジジイめ、資金回収の当ては本当にあるんだろうな。
なお、当然ながら同時進行で俺も釣りに参加する。
槍投げは雨季到来までにヤヤテツェプを弱らせることが出来なかった際の最終手段で、やるかどうかはガーモン班長の魔式電槍が上手く刺さるかどうかに掛かっている。
オーク全滅してるならヤヤテツェプは多少後回しでも長期戦でどうにか出来るのでは、などという疑問ではない。この件が王立外来危険種対策騎士団の管轄内の出来事であり、ヤヤテツェプの危険性を認識した以上、目を離した隙にイッペタム盆に侵入した馬鹿がヤヤテツェプに殺されると自動的に管理責任が騎士団に上ってくる。
あとは言わずもがな、王国議会での責任問題、騎士団解散、国民とばっちりの盛大な王国自滅ルートまっしぐらである。何度も思った事だし今更だけど、もうやだこの国。議会は仕事は出来るのに俺たち騎士団に対しては私情しかないっていうのが特に嫌だ。それでも守るけどさ。
◇ ◆
誰も喋らない、静かな時間が過ぎ行く。
釣り竿に引っ掻けた肉をゆるり、ゆるりと網の前で揺らすが、ヤヤテツェプは現れない。隣の船で様子を見守るノノカさんが顎に手を当てて沈黙を破った。
「毒に気付かれた……?」
「ナマズは振動もだけど嗅覚も鋭いものね。でも毒の匂いが漏れないよう加工してるのに……」
アマナ教授の考察も一考に値するが、そもそもよく考えれば大量のオークを呑み込んだヤヤテツェプは満腹になってしまい食欲が失せたのではという不安が俺の心を過った。しかし、予想に反する情報もある。
「動き回ってるっす、活発に」
「分かるのか、キャリバン?」
「風もまだ吹いてないのに水面に結構揺れがあるし、泥がかなり巻き上がってるっす。ヤヤテツェプは休んでない、むしろ動き回ってる」
「沈んだオークの死体でも喰ってるのか……?」
思い付きで口にしたが、あり得なくはない。
突然変異種や外来危険種は底なしの食欲で生態系を大きく傾ける。動物にとって食事は常に口にできるものではない以上、多くの餌があればリスクがない限り食べ続けることもあるだろう。まるまる太った飼い猫なんかがいい例だ。
ヤヤテツェプの食べたオークは確認されているだけで四匹。
オーク一匹を百キロで単純計算すれば、元の体重プラス四百キロ、或いはそれ以上ということになる。世界広しと言えどここまでの重量、全長の淡水魚を竿で釣ろうとする人間はそう多くないだろう。
「どちらにしろ、上がってこないことには戦いも始まらない。作戦失敗だけは勘弁――ッ!!」
ぐんっ、と、竿を持つ腕が沈んだ。
瞬時に足のばねを効かせて衝撃を逸らしながら、手応えを確かめる為にリールを巻いて手ごたえを確かめる。大きなサーモンたちを釣った際とは比べ物にならない程の重みだ。
しかし、この手ごたえは本当に魚の当たった手応えなのだろうか。
釣りの練習中、何かの拍子に針がブロックの隙間に引っかかったこともあった。根掛かりというらしく、疑似餌を使う釣りでは起きやすいんだそうだ。もちろんこの釣り竿が繋がっているのは肉の塊なので、根掛かりなど考えにくい。
しかし、魚が掛かった際の感触とは違う気がする。
すぐに様子に気付いたマモリが後ろから確認を取ってきた。
「かかった?」
「分からん。もうちょい弄ってみる」
周囲の視線が一挙にこちらに集中する。
数秒程すると、急に引きがなくなってゆく。
少し引いてみると、先ほどの重さが嘘のように、心なしか少し軽くなった肉の重みを感じた。となると針はまだ肉と繋がっているのだろう。
「つつかれたか、齧られたか」
「噛み千切るほど鋭い歯じゃないから、つつかれたと思う」
「興味は示してる訳だ。さっさと食いついてくれないものかね」
軽口をたたきながら再び待ちに戻る。
周囲もそれを察したのか、また沈黙の時間が再開された。
水のせせらぎ、風の音色、草のさらさらと擦れる音。
その音に耳を傾けて風情を楽しめればよかったが、そんな余裕がある人間はこの場には俺しかいないだろう。自分がおかしいのだという自覚はあるが、釣りには考えをやめさせる不思議な時間が生まれる。それでいて、決して周囲に無関心な訳ではない。
普段は無意識に感じていることを、意識して感じられる時間だ。
だからこそ、空の変化もいつも以上に感じられる。
「雲が少し厚くなり始めたか」
「早く掛からないと、時間がなくなる……」
「まぁ落ち着けマモリ。釣りの基本は焦れず慌てず辛抱強く、だろ?」
「………ん」
マモリの声が止み、代わりに両肩に彼女の華奢な手が置かれた。
その指は柔らかく、しかしペンだこならぬ筆だこの感触が微かにある。
彼女が気兼ねなく筆をとって絵を描ける日を齎したい、と思った。
ちらりと後ろを見ると、彼女は俺の肩に手をかけたまま水面を見つめていた。まるで手を離せば俺が水中に引き摺り込まれると思っているかのように確りと、しかし邪魔はしない程度に優しい手だ。
掌から伝わる、じんわりと緊張の湿り気を帯びた暖かな感触。
マモリは今、確かに俺と共に戦っている。
それから、どれほど時間が経っただろう。
時折肉がつつかれ、時折水面の近くを魚影が横切り、雲の厚みが刻々と増していくなかで周囲の表情には次第に焦燥と疲労の色が見え始めている。しかしそんな周囲が俺とマモリを見ると、気合を入れ直してまた水面を見つめてくれる。
「ヴァルナもあの女の子も微動だにしねぇな」
「ヴァルナはまぁいつものヴァルナだが、女の子は……」
「あんなに真剣に、集中力を切らさず頑張ってるんだ。俺らが先にへこたれちゃ騎士の恥だぜ」
傾きかけた士気が安定していく。
いつの間にか俺たちは、意識せずして前線の精神の要となっていた。
さりとて、心配の絶えない人もいる。
現場最高責任者であるローニー副団長は空とこちらを何度も見比べ、眉間に皺を寄せていた。いつ雨が降り出すか、撤退指示はどの段階で出すか、判断はローニー副団長にしか下せない。その判断は騎士たちの生死を分ける欠かせない判断であるが故、不本意であってもやるときはやらねばならないという緊張感が副団長の胃を苛んでいそうだ。
もう作戦開始から一時間、いつ雨粒が水面を叩いてもおかしくはない。
あらゆる意識が交錯する中、再び竿に強烈な当たりが来る。
不思議なことに、俺はその引きが決戦開始の火蓋であることを心のどこかで確信した。
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