第188話 再び呪われます
俺は王国最強騎士だ、と名乗るべき場面は、これでも弁えているつもりだ。
例えば都合の悪いことが起きたり自分だけ楽をしたいときに騎士の名を振りかざすようなことはしていない。民にとっての規範であるべき騎士が権力を濫用するなど恥ずべき行為である。
また、名乗るにしても王国最強であることを強調することは殆どない。
大抵の場合、重要なのは俺が騎士であるということであり、最強騎士であることはそれほど重要ではない場合が多い。極端な話、木から降りられなくなった猫を助けるのに最強騎士の肩書を振り翳すようでは、傍から見るとアホに見えて品位を疑われる。
という訳で、俺は普段、自分が最強騎士であることを余り周囲に喧伝しないでいた。
しかし、まさか俺が最強騎士であると知ってなお、その実力を疑われるとは予想していなかった。
当たり前と言えば当たり前かもしれない。
噂を信じる人も信じない人も、更には聞いたことすらない人だって世の中にはいる。しかし、俺が最強騎士だと知った上で『心配される』というのは、騎士としてかなり由々しき事態なのだ。
心配されたことがない訳ではないが、若かりし俺は内心で少しだけムっとしていたことを否定できない。それは俺の実力が正確に把握されていない事に対する子供っぽい憤りの他に、もう一つの理由があった。
この国の騎士は、王国の唯一にして最大の剣だ。
騎士団が出てきたからには安心だ、と民に思わせる為の力だ。
それを、心配されるどころか「行かせたら死ぬかもしれないから足止めしよう」とまで言われるというのは、騎士の矜持を傷つける耐え難さがあったのだ。
二人は現在、俺の目の前で列国独特の座り方である『正座』の姿勢で頭を下げている。あんなに無理矢理足を折りたたんでたら足の血行悪くなりそうだな。タマエさんも正座だけは慣れないと言ってたし。
(どうしよう、すごい怒らせちゃった……やっぱり私って女性的な魅力がないのかなぁ。これでもお化粧と胸パットでそれなり美人っぽくしてるつもりなんだけど)
(わたしだって、胸ない。愛想も、可愛げも……ない)
(いいえマモリちゃんはお化粧すれば絶対化けるわ! あっ、そうだ! アマナ教授だったら機嫌直してくれるんじゃないかな!? スタイル抜群の美人研究者! 騎士団の女性陣にも負けてないよ!)
「ははーん、さては全く悪いと思ってないな?」
「ソ、ソンナコトナイヨ。ホントダヨ?」
年上だったコメットさんに対する敬語が取れたが気にしない。
勝手に色仕掛け計画が失敗の原因としてひそひそ次の策を練っているが、そういうことではない。というか俺はどんだけ俗人だと思われているんだ。確かに英雄色を好むという有名な言葉はあるが、俺はそんな節操なしになりたくないぞ。多分セドナが嫉妬に狂うし。
「そもそも何で俺が色仕掛けに引っかかる事前提で話してんの? 騎士団の任務をそんな理由で投げ出す人だと思っている時点で極めて失礼だと思うんだけど?」
「商談は諦めたらそこで終了なんですっ! 無い知恵を絞って答えを見つける、それが仕事人の戦い! しつこくない人に商談をもぎ取ることは出来ませんッ!!」
「いや、俺は商人じゃなくて騎士だからね? 任務をやるのが義務だからね?」
勿論完全に命を捨てさせに来ている場合に限っては皆と一緒に全力抗議の末ひげジジイの喉元に刃を突きつけて革命を起こす所存ではあるが、今回のこれは王国の未来に少なからず関わってくる重要な任務なのだ。
むしろ俺より命令者となるローニー副団長を懐柔した方が効果的だが、言わないでおく。妻子持ちにハニートラップ吹っ掛けるほど外道になった覚えはないっての。万一引っ掛かったら逆にあの人にどんな顔して会えばいいのか分からないし。
はぁ、と息を吐く。
つまるところ、彼女たちは俺や王立外来危険種対策騎士団の実力を信用していないのである。懐疑的なのではなく、そもそも相対する敵を勝てる相手と認識していないから、相対的に騎士団の期待値が落ちているのだ。
確かに巨大魚を相手にするのは初めてだ。
雨季寸前という最悪のスケジュールもある。
しかし、長い騎士団の歴史を振り返れば、最初は無理だと思われていたことを一つずつ実現させることで今を築き上げてきた騎士たちの歴史があるのだ。これまでのピンチの壁と、今の壁に優劣の差などない。
一度心を落ち着け、正座させている二人に語る。
「俺たち騎士団は民の為の剣だ。厳しい状況であっても必ず勝ちを拾って帰ってきて、民を安心させることが使命であり仕事だ。だから俺としてはもっとこっちの実力を信頼して欲しいんだが……」
「こ、言葉だけならなんとでも言える……父上だって達人級の実力者だった!」
マモリが震える声で反論する。
結局のところ、彼女にとってはそこが最大の恐怖なのだろう。
父親とは多かれ少なかれ、子供には最も頼れる強い存在と認識される。うちの親父は除く。もとい、カルメもそうだったし、実際に彼女の父親は偉い人に仕えていたので生半可な実力ではなかった可能性も大いにある。俺の訓練風景を見てなおそう思うのは、単に死者を美化してしまっているだけではないのだろう。
あれほど強かった父さえも、という感情と、その父が死んだ状況が重なって、今がどうしようもない状況に思えてしまっている。
この意識が変わらない限り、彼女は仇討ちどころではない。
知り合いを集めてどうすればいいか協議したいところだが、後輩たちを今から集めるのでは時間がかかる。どうするか、と悩み、一つ思いつきが浮かんだ。
これで失敗したらとてつもなく恥ずかしい男の出来上がりという問題もあるが、とりあえずやれるだけやってみようがモットーになりつつある俺は「見せたいものがある」と言い、首を傾げる二人を連れて水辺に移動することにした。
なお、正座に慣れないコメットさんは足が痺れて暫く悶えていた。
なるほど、正座はそれ自体を罰とする文明なのかもしれない。
文化の中に罰を取り入れるとは奥深いな、列国。
数分後、暮れなずむ水辺に俺たちは立っていた。
ただ予想外だったのは、望まれぬ異邦人がいたことだが。
「ヒャッハー!! 兄者ぁ、連中今時手漕ぎボートなんて使ってやがりますゼェ!!」
「ヒャッハハー!! 時代は小型魔導機関、そしてモーターボートだゼェ弟者ぁオウイェエーーッ!!」
「ぬあああああ!! 何なんだあの無意味にハイテンションな二人組は!! 何でボートがあんなに速く動くんだッ!! そしてさっきからギュルギュル響いてる喧しい音は何だぁ!?」
「ネイチャーデイ発足から何度も厄介な相手にはぶつかってきたが、こんなにコケにされてるのは初めてだ! もう体当たりでもなんでもいいからあのボートを止めろぉぉぉーーーーッ!!」
響き渡る無意味にハイテンションな声と、それを追う半べそかいてそうな声。
恐るべき速度を出す見たことのないボートに乗る、黒い革ジャンに身を包んだ妙ちくりんな髪色の男たちがネイチャーデイの船から逃げている。否、余りにも速度差があり過ぎて遊ばれている。
そこには言葉選びに困るカオスがあった。
せっかく風情のある湿地の光景も、ボートのかき乱す激しい水の荒れと、耳を劈くギュルギュルという音が全て台無しにし、挙句水底の泥が巻き上げられてている。なんかもう、当人たちのセリフも相まって酷い。
「しかし、この喧しいのはもしかして魔導機関のモーター回転音か?」
轟音を立ててオールもなしに猛スピードで爆走する船。船をよく見ると船尾に謎の箱が装着されており、そこから凄まじい勢いで水を押し出して推力にしているようだった。いつぞや見たパドルシップとは全く違う推進設計はちょっと気になる所だ。
「ヒャッハー!! 兄者ぁ、見物人が増えたぞぉ! 女の子二人に野郎一人だゼェ!!」
「ヒャッハハー!! 今時モーターボートも持ってねぇクソダサ野郎なんてイケてなさすぎると思わねぇか弟者ぁオウイィエーーッ!!」
「流石兄者、イケてるゼぇぇーーーッ!! ヘイ彼女たちぃ、俺らの船に乗らねぇかァァーーーーーいッ!?」
「うわぁ、見たことない人種だ。あっ、見ちゃ駄目よマモリちゃん。よくない菌が感染るかもしれないわ」
「辛辣ぅッ!!? だがそんなところもまたイイゼェぇぇーーーーッ!!」
「ヴァルナ、何あの……何?」
「俺に聞くな。コメントに困る」
どうやら芸術家でも釣り人でもなく、あのボートをかっ飛ばしたいというただそれだけで湿地に侵入した恐ろしく迷惑な人たちのようだ。心なしか暴走時のライに似たノリを感じるので、帝国からの侵入者かもしれない。
とにかく、あんなのに明日も居座られたら村も騎士団も皆迷惑だ。
湿地に入る許可も得ていないだろうし、どっちにしろあれは規則違反の筈だ。とっちめる必要がある。
「……それにしても、本当に凄いスピードのボートです。あんなに小型の魔導機関なんて見たことも聞いたこともないですよ。ヴァルナさんは?」
「いや、俺も初めてだけど。そもそも魔導機関に関しては帝国が世界一だから、もしかしたら帝国の最新型かもしれん」
「あんな速度で動かれたら、漁師の船でもネイチャーデイの船でも絶対追い付けない」
ぽつりとマモリがそう呟くが、まさにその通り。
手漕ぎボートの五倍近い速度が出ているヒャッハー兄弟のボートは、乗り手がふざけているのに冗談抜きで速い。既に数隻のボートが包囲しようと頑張っているが、なんと船の周囲を八の字に移動されて完全に翻弄されている。
陸ならともかく連中は水上。追いかけるには船しかないが、彼らの動力付きボートが相手ではどう足掻いても勝ち目はない。
――普通なら、だが。
「マモリは、今すぐあの二人を止める方法はあると思う?」
「ない。マドーキカンってよく分からないけど、目の前のあれは人間と魚で泳ぎの速さを競っているようなもの。土台無理」
「じゃあ、これから俺がその無理をひっくり返してくる」
「え……?」
「よーく見てろよ。王国最強騎士ってのは、民の為なら無理をも覆すんだ」
喧しい叫び声と音を頭の中から放り出し、集中力を高める。
――実は以前にクーレタリアで出会ったワダカン先生に聞いたのだが、あの地に伝わる伝統武術『パリット』にはその昔、直接手を触れずに相手を倒す幻の奥義が存在したらしい。
伝承ではパリット開祖のシャクカがそれを使って山を削り、あの儀式の場となった『シャクカの額』を作ったともされているそうだ。その後数代は技の使い手がいたそうだが、詳しい伝承は奥義と共に失われているらしい。
そんなワダカン先生は俺の『氣』の話を聞き、この伝説の奥義の正体は『氣』によるものではないのかという推測を立てていた。事実、パリットの精神統一は『氣』の修行に近いものがあった。
俺が主に使っているのは『内氣』だ。なぜならエロ本師匠が『内氣』専門だったらしく、『外氣』については余り教えられなかったからだ。
しかし内だろうと外だろうと基本は氣であることに変わりはない。
ワダカン先生は俺に想像もしなかったことを言った。
『練習をしていた貴方は氣を霧散させるために拳を放ちましたが、それは内氣であると同時に内から外へ放出する外氣でもあるのでは? 内氣の行き先が外であるなら、貴方のあれは極めれば触れずに物を壊せるやもしれませんよ?』
目から鱗だったが、この理論が正しければ氣とは外氣から内氣に至り、体内で練り上げた氣を再び外氣として放出するという手順を踏むという使い方も出来る筈だ。そういう訳でそれ以来、暇な時間を見てはちょっとずつ氣を練って色々と試行錯誤し、段々と外氣の感覚を掴んでいたのだ。
やるのは初めてだが、出来る自信が今の俺にはある。
集めた氣を全身に循環させるのではなく、足に集中させる。
数歩の助走をつけ、俺は加速のままに水面に飛び出した。
「ヒャッハー!! 見ろよ兄者ぁ、あいつイキナリ水に飛び来んだゼェッ!! アタマおかしくなっちまったんじゃねえのぉッ!?」
「ヒャッハハー!! 全くだぜ弟者ぁ、俺たちの船に飛び移ろうって魂胆かもしれねぇが、陸からここまで二十メートルは離れてるんだからただ水の中にフォーリンダウンするだけだッ!! 勿論泳ぎじゃどう足掻いても追いつけねぇのに何がしたいか全く理解できねぇオウイィエーーッ!!」
周囲からすればまるで意味が分からないだろう。
人間が水に向かって走っていけば、水に落ちる。
当たり前の常識であり、覆すという発想すら浮かばない。
しかし俺は今、敢えてその常識に反逆する。
マモリの不安を打ち消す為に、不可能の一つ程度覆せずして何が騎士か。
猛スピードで振り下ろされた俺の足に纏わりつく濃密な氣が水面に触れ――そして、水面を弾いた。足が水を押しのけたのではない、放出した氣によって今、俺の足は擬似的な浮力を得ているのである。
そのまま氣を維持して水面を蹴り飛ばし、次の足も同じ要領で水面を踏み、そして蹴り飛ばす。
「……は?」
「うそ……」
呆けるコメットさんとマモリを他所に、俺は更なる速度で水を蹴る。馬を追い越す俺の俊足は手漕ぎボートは勿論、魔導機関搭載ボートとて逃げられるものではない。裏伝の移動方を参考にしつつ氣を織り込んだ――。
「――名付けて! 合氣伝一の型、
「「な、なんだとォォォォォォーーーーーーーッ!?」」
水面を滑るように接近する俺に気付いたヒャッハー兄弟の両眼が驚愕に見開かれるが、もはや遅い。次の瞬間には動力ボートの上に飛び乗っていた俺は、ボートの動力に手を伸ばしていた。
幸い基本システムは騎道車と同じだったので、ライの整備を見物して手順を覚えていた俺は迷いなく機関を停止させる。耳を劈く喧しい音がぴたりと止み、ボートがみるみる減速していった。
「て、手で漕げば互角!!」
「でも兄者ァ! 動力があればいらないからってオール置いてきちまったゼェッ!?」
「気の抜ける奴ら……後で騎士団が絞ってやるから覚悟しとけよ?」
腰を抜かす男たちを尻目にそのまま再び飛んだ俺は、今度は一飛びでネイチャーデイのボートに飛び移って「後はお願いします」と頼み、唖然として船頭が落としたオールを拾って渡し、再び水面を蹴って地上に戻った。
マモリは眼をごしごし擦って、俺とヒャッハー兄弟のボートを何度も見比べ、挙句に自分の頬をつねって「いたい」と呟いていた。今時子供でもそうはやらない素直すぎる反応に思わず苦笑しながら、胸を張る。
「……どうよ? 不可能じゃなかったろ?」
「信じられない……父上もそんなこと、出来なかった」
「お前の父親は素晴らしい人だったんだろう。それでも、戦いを生業として今を生きる者として俺も負ける気はない。どうだ? 少しは俺を信じてくれないか?」
「あんなもの……八艘飛びの先、
所詮は一芸だ。次の任務に役立つとは限らない。
それでも有言実行した俺に、マモリは暫く俯いた。
やがて顔を上げたマモリは、何か言おうとして、しかし口を噤む。
するとコメットがそっと彼女の手を取った。
「私は、信じていいんじゃないかと思うよ。未だにちょっと信じられないけど」
「でも、本当にヴァルナはやった……」
「じゃあ、もう大丈夫ね」
「うん」
顔を上げた彼女に、もう迷いはなかった。
「私の期待を裏切ったら、死んだとしても貴方を呪うから」
凄まじく素直じゃねぇ。死んだ後も呪う気らしい。
おちおち天国にも行けなくなりそうなので、死なないしかないようだ。
彼女の精神は時折不可解で反応に困る。ただ、その後アトリエに戻る彼女の足が少しばかり軽かったところを見るに、多少なりとも効果はあったのかもしれない。
「でもこれで明日結局任務が中止になったら全てが台無しですよね? そこで今回のおすすめがこれ!! なんと空の彼方から飛来した不思議な石を加工して作られたスピリチュアル・オブジェクト!! これが今ならたったの――」
「貴方の精神もだいぶ不可解だけどな!? 言っとくけど買わねーよ!? むしろマモリに売れよっ!!」
「友達にこんな気休めアイテム売れませんよっ!! 命が掛かってるんですよ!?」
「俺もだよッ!?」
今まさに、俺はオルレアさんが彼女を苦手に思う理由を何となく察した。
この人はいい人なんだけれど、それ以上に商人なのだろう。彼氏できなさそうである。
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