第186話 切なる願いです

 王国の歴史は、近代辺りは割と開拓の歴史である。

 故に、釣りと言えば食料を得るための手段であり、フィッシングで魚を釣る快感を楽しむという発想は比較的近代のものだ。年寄りには「最近の若い奴は」と言われるタイプである。しかも悪いことに、フィッシングはキャッチ&リリースが基本とされている。魚にとっては九死に一生だが、釣り人の家族などからすれば生産性皆無な行為である。


 果たして魚を食べない釣り人と、価値不明なものを生産するミュージシャン、どっちが胡乱な職業なのだろうか。ちなみにクーレタリアで会ったメラリンさんは最近「Ork Genocider!!」という過激な歌を作り、その刺激的な内容と可愛い声のギャップで民から賛否両論を呼んでいるらしい。当人は誰に批判されようと構わないし、批判のない作品はうわべだけの偽物だと手紙で語っていた。


 しかし、大型の魚を仕事で釣ってる上に美味しい鮭料理まで振舞われている今の俺は、ある意味釣り人から見れば理想の存在に見えるのかもしれない。そんなことを思いながら釣りを続けていると、遠くからカルメが走ってくるのが見えた。あいつも多少はスタミナがついたのか、昔の女の子走りではなくちゃんとしたフォームになっている。


「たっ、大変なんですってば先輩! 雨季が! 雨季がっ!!」

「浮きが沈んだぐらいで大げさだなぁカルメは。釣りなんだから浮きくらい沈むだろ」


 ちゃぽん、と音を立てて浮きが沈んだが、引きからしてそこまで大物ではない。焦らず順当にリールを巻けば数分で釣れるだろう。まったくカルメときたら弓以外はすぐに動揺するんだから世話が焼ける。


 と、思っていたがカルメはそれどころではないらしい。

 全力疾走のせいで紅潮した顔で後ろから両肩を掴んでガクガク揺らしながら叫ぶ。顔が近いし相変わらず妙にいい匂いがすることに関しては、もはやカルメだからということにする。


「釣り竿の浮きじゃないんですよ雨のことです! 今年の雨季が一か月早く来ちゃって明日にはもう降り始めるらしいんですっ!!」

「……なに? それじゃ作戦間に合わないかもしれないってことか」

「だから大変なんですってばぁぁ~~~~っ!! なんでさっきから全く慌ててないんですかぁ~~~~!?」

「落ち着け、魚が逃げる」

「なに釣り人みたいなこと言ってるんですか!! このままだとイッペタム盆のオークだって雨に乗じて逃げちゃいますよっ!!」


 うむ、カルメのいう事も尤もだ。

 オークに逃げられるのはマズイ。

 かといって現状、慌ててオーク殺しに舵を切っても不要なリスクが増える。だいたいそういう事であればあのひげジジイから明確な指示がある筈であり、今ここで俺がカルメと一緒に慌てた所で意味はない。気持ちだけでオークは殺せないのだ。


「で、ジジイの指示は?」

「えっ……えっと、明日の昼までになんとしてでも魔導式電網を届けるから降る前にケリをつけろって話らしいです。決行か中止かはローニー副団長に一任されて……」

「その副団長からの集合指示は?」

「夕方に騎道車前に集合ですけど……」

「だったら慌てることじゃない。今日中にはイッペタム盆の足場も完成するし、ブツが届くまで俺らは作戦が明日決行されるのを前提に準備するだけだ」

「そっ、それはそうですけどぉ……」


 どんどん言葉が尻すぼみになっていくのは、それだけ明日のことが不安なのだろう。恐らくカルメが騎士団に入ってからは初めての、俺もあまり経験がない緊急事態だ。やっとここまでこぎつけたというのに運命の女神は……いや、この場合天候なので豊穣の女神辺りだろうか。

 気まぐれを起こして余計な事をしてくれる。厳重抗議しておこう。


 だが事が起きるのは明日であり、準備事態は半ば終わっている。

 俺は最悪の事態に備えて釣りの練習をするだけである。

 まだ不安そうな顔を隠しきれていないカルメの片頬を指で吊り上げ、笑顔にさせる。


「俺らは騎士だ。民の前でそんな顔してると周りも安心できないだろ?」

「だからって先輩はのんびりし過ぎですっ!! しかも隣に女の子を侍らせてイチャイチャして、て……ヒィッ!?」

「……本当なの?」


 さっきからやけに静かだったマモリが、会ってから一番の強烈な目つきでカルメに詰め寄り胸倉を掴む。蛇に睨まれた蛙を通り越して目だけで殺せそうなほどの莫大な感情が込められた視線にカルメは為す術もなく震えるだけだが、マモリはお構いなしにその華奢な体を揺さぶる。


「……本当に、明日、雨季が来るの?」

「う、あ……!!」

「おいマモリ、お前どうした?」


 カルメはともかくマモリの様子が明らかにおかしい。微かに呼吸が乱れ、首筋に汗がじわりと浮き出て、その相貌に潜むのは復讐の暗い炎ではない。俺はマモリの肩をそっとつかみ、空いた手でやんわりと彼女の手首を掴んだ。


「ジジイが来ると言ったのなら来る。どっちにしろ遅れても明後日には降るだろうから予定に変更はない。騎士団はそう思って動く」


 例年これぐらいの時期になると、王国は西側から押し寄せる雨雲前線により暫くのあいだ雨季に突入する。通常は来月くらいが多いが、時折早く訪れることもある。雨季突入が確認されたのは恐らく西端、そしてイッペタム盆は正反対の東にあるので雨季突入まで若干だが間が空く。


 彼女とて王国に住んでいるのだからそのあたりのことは知っている筈だ。

 では、彼女のこの動揺は何だ。

 焦りかと思ったが恐らくは違う。

 彼女の体を微かに震えていたる、それは――。


「マモリ、明日が本番なら今日に体力を使い過ぎるのは良くない。一度休憩を挟むぞ。いいな?」

「……………」

「現場指揮者としての、これは指示だ。分かるな?」

「……了、解」


 力なく手を下ろした彼女の背を優しく押し、同時に恐怖から解き放たれて涙目で尻餅をつくカルメを起こす。来たときは顔が真っ赤でマモリに凄まれ顔が真っ青、そして情けないところを見られたせいか今度はまた顔が真っ赤である。見られた際の咄嗟の反応が内股で股間を隠すことだった件はもうスルーしよう。カルメだし。


 どうも、俺もいい加減彼女の隠し事を暴くために手っ取り早い手段を選ぶ必要があるようだった。




 ◇ ◆




 様子のおかしいマモリはコメットさんとアマナ教授に任せ、カルメもついでに空いたスペースで休ませた。あと竿にヒットしたサーモンは急いでいたのでリリースさせて頂いた。

 一人で色々物事を進めようとすると当初の目的を忘れそうになって困る。


 俺は目的を忘れず、あのウッヒョイ事件以来ずっと一人で会うことを避けていた人物に会いにいく。ネイチャーデイ代表にしてマスターウッヒョイ、ミケ老の所に。


「おお、騎士ヴァルナではないですか。仰せの通りにあの記者殿には芸術ウンチクで誤魔化しておきましたぞ?」

「その節はどうも。あの記者はそれ以来、来てないですか?」

「オルレアの坊主と共に村を歩いておりましたので、上手いこと誘導してくれるじゃろう」

「後で感謝しておかないとですね……ところで聞きましたかミケ老。明日から雨季に入るらしく、下手をすると作戦中止もあり得るそうです」

「なんと……いやしかし、雨季決行もありうるということですかな?」

「雨の具合によるんじゃないですかね。ああそうそう、それと……雨季が来るって言ったとたん、マモリの様子がおかしくなったんですけど」


 さも心配そうに髭を撫でていたミケ老の手がぴたりと止まった。

 ――知ってるな、全てでなくとも何かを。


「ミケ老はマモリの父、タキジロウ氏と親しい仲だったとか」

「……やれやれ、騎士ヴァルナは記者の真似事までできると」

「率直に聞きます。彼女は何かに怯えていた。それは恐らく彼女の敬愛した父親の死に関係がある筈です。彼女は一時行方不明になったとも聞いている。彼女に、そしてその父に一体何があったのですか?」

「それを知ってどうするおつもりか」


 ミケ老の雰囲気が一変し、厳格さと威圧感を纏う。

 長年戦い続けてきた戦士と錯覚させるほどの眼光。これだからジジイというのは恐ろしい。普段ふざけているかと思えば、ちゃっかり心の中に尖ったものを抱え込んでいる。ただの芸術お喋りクソジジイではないということだ。口に出すと話が拗れそうなので言わないが。


 それにしても、知ってどうするか……か。

 円滑なコミュニケーションのため。彼女のフラストレーション解消手段の模索。知的好奇心。彼女への思いやりの一種。言葉だけならばつらつら並べることが出来るが、どれも俺の想いにはいまいち合致しない。

 では何か。簡単だ。


「騎士として彼女を守るために、彼女のことを知っておきたい」


 形式上でしかないが、彼女は俺の仲間だ。

 その彼女の不調が後に彼女自身の命を脅かすのであれば、その可能性を看過できない。それに、何か一つくらい他人に指摘できることが残っているかもしれないのに、頭から可能性を否定して知ろうともしないことは、ベストを尽くしているとは言えない。


「俺は騎士です。王国の騎士でもありますが、それ以前に俺が憧れた騎士を自ら体現したい。ここで彼女の思い出したくない過去を掘り返すのは決していいこととは言えないでしょうが、それでも、やらずに後悔するぐらいなら、嫌われる可能性を覚悟してでもやった方がいい。俺はその時に自分が出来うることをして納得したい」

「その為にあの小さな少女の忌むべき過去を掘り返すと? 傲慢ですな。他者の感情を考慮していないのと同じ事ですぞ」


 いやそれ喋りたい放題芸術話喋ってるあんたにだけは言われたくないから、と言いかけたが堪える。ミケ老的にはシリアスな所だし、やはり話がグダグダになる予感しかしない。


 さておき、確かに傲慢な考えかもしれない。

 しかし他人の心を知るためには相手が喋るのをひたすら待つだけではどうしようもない時もある。だからこそ人は人に話しかけ、相手をしる努力をする。その結果が友好か嫌悪かなど結果論でしかなく、努力がなければ交わることもない。


「知ろうとしないのは、その人に向き合わないことでもある。俺はあの子と無関係でいたくないんですよ」


 数秒、或いは数十秒、俺はミケ老と向かい合った。

 やがて、ミケ老の口から小さな溜息が零れる。


「……ふぅ。長年様々なお方と話してきましたが、若くしてここまでブレない御仁と出会ったことは果たして何度あったろうか……王国最強騎士ヴァルナ、その真実は最強の心を持っている事なのかもしれませぬな」

「それは流石に買い被りというものです。若さの抜けない青二才ですよ、俺は」

「事件が無事解決したら肖像画でも描かせて頂きたい。君と出会えたのは儂の人生でもとても有意義な事じゃったよ」


 ミケ老が纏う気迫が霧散し、少々疲れた顔をした素顔の老人に戻る。

 流石は仮にも彼女の保護者。

 簡単に教える訳にはいかなかったのだろう。


「そうじゃな。少しばかり老人の昔語りにでも付き合ってもらいますが、宜しいかな?」

「ウッヒョイ抜きでお願いします。切実に」

「う、うむ。言いたいこと結構ずけずけ言うのぉ」


 俺の切なる願いが届いたのか、ミケ老は頷く。だって昔話途中にウッヒョイしだしたら本当に収拾つかないんだもの。ミケ老のシリアスのすべてをウッヒョイが邪魔してくるな。


「思えばそう、君は少しだけタキ――ああ、タキジロウの仇名じゃ。彼に似ているところがある。マモリが君を気にかけたのも案外そこなのかもしれんの」

「俺にですか」


 つまりオーク殺す系暴れん坊青二才で女神の啓示(笑)を受け、ひげジジイに運命を弄ばれて友達に青春を弄ばれて両親との関係が微妙になっていたということか。


「全然違うからの」


 ジト目で即座に否定された。

 違うのか、とちょっと残念に思う。

 タキジロウさんに一方的なシンパシーを感じ始めていたのになぁ。誰か俺と痛みを分かち合ってくれ。


「そういう事じゃなくて、普段纏う雰囲気や会議の時の君と少し重なるところがあるということじゃからの。まったく、そういう所は全く似ておらん。タキは思ったことの多くを口には出さず、行動で語る寡黙な男であった。君は口にも出すし行動でも語るようじゃの」

「言わんと分からんこともあるでしょう。騎士にとって正確な情報伝達は基本中の基本です」

「んん、まぁ否定したいわけじゃないんじゃ。その辺は勘弁しとくれ。ともかく、嘗てプレセペ村に移住してきたタキの話をしよう」


 芸術家の老人は語る。

 少女の親、少女の憧れ、そして少女の過去となったその男を。

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