第185話 暗雲が立ち込めます
王立外来危険種対策騎士団に於いて、釣りはかなり重要なスキルだ。
理由は言わずもがな、満足に食費を確保できない騎士団の自給作戦で重用されるからである。俺も一応釣りは教えられたが、正直性に合わない。氣の訓練がてらじっとしていることは出来るが、内心ちょっともどかしいのである。
とはいえ、好き勝手言っていられないのが仕事というもの。
出来る側である俺がやる気を根拠に役割りを外れることは出来ない。
ところで、これから現地人に漁業を教わる筈だった俺なのだが、教える係のネイチャーデイのチョビヒゲの人が俺を見て、俺の後ろにいるマモリを見て、もう一度俺を見たのち何かに納得したような顔をして「あっちのボート使っていいよ!」と笑顔で言ってきた。何その見る者を不安にさせる「俺は察しがいいから分かってるぜ!」みたいな顔。
マモリも都合がいいとばかりに「……ぁりがと」と小さい声で返し、俺の手を引っ張ってボートに連行された。なんか出発前にネイチャーデイのチョビヒゲの人がサムズアップして見送ってくれたが、何なんだあれ。まさかボートでデートするものと勘違いしてんじゃないだろうな。
美しい景色の中で同年代の女性と二人きり、ボートを漕いで見つめ合う。
なるほど、客観的にはロマンスが生まれる可能性がなくもない。
しかし俺は知っている。ヤヤテツェプを親の仇とする彼女がそんなピンク色の想像を働かせて俺を引っ張った訳ではないことを。だからこそ黙って引っ張られたのだ。
「それで?」
「作戦説明」
言葉が少なすぎるが、恐らく巨大魚対策の話だろう。
俺の想像通り、彼女はヤヤテツェプについての話を始めた。
「ヤヤテツェプのサイズは推定六メートル。重量は同じサイズのクジラなどから割り出して、最低でも一トン以上。栄養状態が良いのなら最悪二トンもあり得る。そんな巨大な魚で、しかも暴れるのをプレセペ村の漁船と網や竿で捕獲するのは不可能に近い、と判断した」
成程、つまり先ほどのチョビヒゲおじさんの指導では、とてもではないがヤヤテツェプとの戦いに応用できないということか。納得すると同時に、ではどうやって捕まえるのか? という疑問が出てくる。
俺の知る限り、クジラ漁の基本は船で近づいて銛を次々に刺す方法だ。他にも漁法はあるらしいが、この王国で現実的な案はそれだろう。クジラを仮想敵と想定するというのはいい意見かもしれない。
ただ、それをイッペタム盆でやるのはリスクが大きすぎる。
クジラは人を積極的に食べようとしないが、相手は人を直接的に食べようとするかもしれない輩だし、海と違って水の透明度がないに等しい。なにより騎士団もプレセペ村もクジラとの戦いの経験がない。
ちなみにアストラエは騎士団の仕事で巨大な白鯨の魔物と命懸けの激戦を繰り広げたことがあるらしい。確か書籍化と舞台化の準備が進んでいるんだとか。てめぇ今以上に金が欲しいのか。印税を国庫に寄付しろ。
「貴方の友達はどうでもいいから話を聞いて」
「いや、でも実際どうやるよ」
「巨大魚を釣るしかない。巨大魚にも耐えられる竿とリールで」
彼女は持ってきた大荷物の中から布でくるまれた長い物体を取り出す。金属製の筒に、先の尖った釣り竿のようなもの。加工されて接続できるようになっており、彼女は手早く二つを組み合わせ、糸を通す。
出来上がったのは予想通り釣り竿だ。
ただし、騎士団が使っているものより長さは二倍、太さは三倍近くある。
「昔から準備してて、知り合いの伝手を頼って完成させた。素材は新型合金と、モビーディックとかいう魔物の髭を中心にしてある。リールや糸、釣り針は帝国製。理論上は五メートルの魚も一本釣り出来る」
見たこともないぐらい精巧なリールにほどよくしなる先端。洗練された構造。その辺の小魚を釣るためのものではない。本当に化け物のような魚を釣るためだけに設計されているのだろう。
むしろこの釣り竿で小魚釣ったら逆に恥ずかしいくらいだ。
ちなみにモビーディックはさっきアストラエが騎士団の人たちと共に激闘を繰り広げた白鯨のことである。魔物素材の輸入に制限のかかる王国なので、髭は元を辿れば聖艇騎士団に辿り着く可能性が高い。
この竿で釣りが成功したら聖艇騎士団に感謝するか。
名前知ってるのがあっちの団長とアストラエだけだけど。
マモリの指導による釣り講座が始まった。
「一メートル以上の魚を釣った経験は?」
「ない。大物狙いじゃなくて数目当てだったからな」
「大型の魚は引きが強く、ただ力任せに釣ろうとすると竿が折れるか糸が切れる。この竿もリールも設計上はかなりの負荷に耐えられるけど、釣り糸はどんなに良品を使ったところで上手く使わないと切られる。だから、大物の魚と戦うには迂闊に寄せようとせず、ゆっくり相手を疲弊させながら少しずつ抵抗する力を奪っていくのが基本。どんなに大きな魚でも体力は有限、クジラも基本はそう」
釣りの極意を聞きながら竿を見る。
騎士団の手作り感あるそれと別物に思える洗練された形状にも感動するが、実はリールを触ることが人生で初めてである。なにせ釣り竿に着けるリールはかなり近年に開発された部品で、王国では普及率がまだまだ低い高級品だ。
こんなに簡単に糸を伸ばしたり巻いたりできるとは、恐るべし設計者。確か帝国発祥だった筈だが、国内では鉱山の町インダストールでも同レベルのものを作っているという話だ。
「魚が下に潜ろうとすれば引きは強くなる。竿のしなりをみて戦うときは戦い、厳しいと判断したら敢えて泳がせる。潜航をやめたり方向転換して竿が緩んだらすかさず巻き、抵抗されたら緩めてをひたすらに繰り返す。大物相手では数時間かかることもザラ、らしい」
そこはシャルメシア湿地を出たことのないマモリ、経験談とはいかないようだ。
しかし釣りのやり方が自分の知っているものと同じようで少し違う。
恐らくマモリの方がそちらには深い造詣がある。
もしかしたら父から教えられたものなのかもしれない。
しかし長期戦かつ釣りとなると、並みの集中力とスタミナでは厳しいだろう。
根比べで安定するのは騎士団内では恐らく俺、御前試合組、あとはタマエ料理長くらいか。但しアキナ班長は多分途中で集中力が切れて力づくで引っ張り上げようとするだろう。自分の得意分野でしか集中力を発揮しない人だし。そしてヤケになって超大型魚釣り機を開発する訳だが、予算が足りずに歯ぎしりするのだろう。
「持久戦か。ヤヤテツェプが魔物化してるならスタミナはどれほどか分からないぞ」
「でも勝機はある。どんなにヤヤテツェプの力が強くとも、イッペタム盆の端から端までよりこの竿の糸の方が圧倒的に長い。伸ばしきってしまえばあとは釣り主の立ち回りで引き摺り込まれずに済む」
「そいつはいいニュースだ。動きを制限、誘導できるなら魔導式電網も使いやすい」
魔導式電網の電気は強力だが、実は効果範囲に限りがあるし、長時間電気を放出し続けるのは難しい。何せ急ごしらえになる予定だし、無茶をさせて作戦を破綻させる訳にもいかない。そういう意味でヤヤテツェプ戦には若干の不安があったのだ。
それに、最大の懸念事項がある。
「ヤヤテツェプの巨体に魔導式電網が通じるのか、正直不安だ。備えだけはした方がいい」
「貴方が楽観主義じゃなくてよかった」
「王立外来危険種対策騎士団あるあるに、セオリー通りに事が運ばないってのがあるからね。ところでこのボート何処に向かわせればいいんだ?」
「このまま真っすぐ陸沿いに進むと水産研究所の水門がある。アマナ先生に頼み込んでそこを借りられることにした」
その言葉通り、ボートを漕ぐうちに見覚えのある研究施設が見えてきた。
丘にはアマナ教授、ガーモン班長、コメットさんと研究所職員らしき人が数名見えた。昨日のうちに話が回っていたのか、それとも今日になって急きょ決まったのか、ともかくここで俺は一丁前の釣り人に養成させられるようだ。
ここって釣り人を養殖する場所だったのか?
それから、数時間。
「……」
リールを巻く、巻く、巻く。
「糸が張り過ぎ。緩めて、竿を下ろして」
竿をゆっくり下ろす。魚の抵抗が竿に伝わってくるが、頑丈でよくしなる竿はその気になれば魚を一本釣り出来る気分にさせる。しかし糸はそうではない。マモリの声に従い、糸に気を遣う。
ゲノン爺さんの言葉を思い出す。
俺は自分の剣を接待するように戦っている、と。
ならば竿と糸も接待すれば、その性能を引き出せる筈だ。
魚の抵抗が緩む。すぐに竿を上げてリールを巻く。
魚影が見えてきた。だが糸の張りを見て焦らずまた泳がせる。
そんなやり取りを数度繰り返し、やがて魚が水面に上がってきたところで、ガーモン班長が横から槍を構える。普段のオーク戦で使う槍ではないが、本物の刃がついた槍だ。俺がもっと陸に引き付けると、すっと班長の眼が細まり、音もなく鋭い刺突が一直線に魚のエラに突き刺さった。
班長はそのまま魚を陸に放り上げる。
「お見事」
「ここまでヴァルナ君が釣り上げたからさ」
「こっちだってマモリがサポートしてくれるからです」
仕留めたのは、養殖場で大型化実験に使われたサーモンだ。ここで大きく脂の乗ったサーモンを作る実験で野生より更に大きく、二メートル近くある。ちょうど収穫時期だったこともあって、釣りからの刺突訓練に付き合ってもらったのだ。
練習がてらで殺して少々申し訳ない気もするが、どちらにしろこのサーモンは食べられる運命にある。今日五匹目のサーモンはすぐさま研究員の人たちに見分され、運ばれていった。
「釣り上げた上で、槍の一撃。様になってきましたね、班長」
「最初は銛を持たされるんじゃないかと少し不安だったが、槍なら俺にも一日の長があるさ。そういう君も、マモリさんから注意される回数がどんどん減って行くね」
「無駄口はいいから次」
「「了解」」
マモリに言われるがままに竿に餌をつけ、振る。
ガーモン班長は彼女の不愛想さに苦笑いだ。もしかしたらグレ期の
ヤヤテツェプ釣り上げ作戦の一つ、槍刺し。
ヤヤテツェプが上に上がってきてなお生命力に満ち溢れているのならば、槍で出血させて物理的に弱らせればいいという発想だ。これまた海で大型の魚を仕留める際に使われる手である。
イッペタム盆の足場は狭い。大勢で槍をという訳にもいかないだろう。となれば槍を使う人数は一人か二人、適任となれば騎士団一の槍の名手ガーモン班長以外にいない。本番ではどっちにしろ二人とも前線だし、いい人事差配だと思う。
このまま次を狙う――と思っていた矢先、コメットさんがあっ、と声を上げた。
「いっけない、もうお昼ですね。時間を忘れてました……皆さん、そろそろ中断してください!ご飯用意してますから!」
「……ヴァルナ、中断」
「あいよ」
息の合った掛け合いに、槍の刺し場所指南も兼任していたアマナ教授がくすくす笑う。
「すっかり仲良しなのね、二人とも」
「利害関係が一致しただけ。違う。断じて絶対に違う。違うったら違う」
「はいはい、分かってますって♪」
「絶対分かってない! そういう顔をしてる!」
「どうどう、落ち着けマモリ。そんなに必死になるとまたコメットさんに誤解されるぞ」
「う……」
(誤解も何も、実際問題仲いいようにしか見えない……いや、むしろ兄と妹みたいだよね)
コメットの言う事には従順なマモリの言う通り針を引き上げて餌を外し、生け簀に放り込む。短い時間だが、一緒に釣りをすることで小さな連帯感が互いの間に生まれていた。この作戦、例え第一段階が失敗しても上手くやれる気がしてきた。
◆ ◇
王立外来危険種対策騎士団団長、通称ひげジジイことルガー団長は、その報告にしばし頭を抱えた。
「……それ、マジ?」
「マジっす。ジマル島のジョージさんからの話なんで。ホラあそこ、大陸から冒険者引退して移住した人何人かいるでしょ?そのうちの一人がファミリヤ使いで、ここまでわざわざ情報送ってくれたんですよ」
ジマル島とは王国最西端、最も大陸に近い商人の島だ。
小さな島だが貿易の拠点の一つとして栄え、つい一年前にオークが発生した際に騎士団を派遣した場所でもある。
ジョージとは島の商人連合の代表を務める守銭奴である。
ちなみに唯の守銭奴ではなく、ルガーに負けないほど守銭奴だ。
なにせ騎士団を呼んだ理由が酷かった。
『正直騎士団の皆さんを呼ぶかどうか非常に迷ったところなのですが……町内で話し合った結果、魔物による損害の補填がある上にタダ働きしてくれるのだったら呼んだ方がお得だろうという話になりまして』
『はぁ、そういう本音は別に隠していてもよいと思うのですが……』
『ま、幸か不幸か被害が少ないのでもうちょっと被害が出てから報告するのとどっちが儲かるかなぁという話も……』
『いや、もう結構ですよ?』
『騎士の皆さんがうちで品を買っていけば更にドン、顧客になってくれれば将来的には更にドンとマネーガッポリワレワレスマイルです』
『これ以上こっちのやる気を削ぐこと言わんでくださいッ!?』
直接やり取りをしたローニー副団長のくたびれっぷりが目に浮かぶようだ。
あの島にはヴァルナに二刀流を教えたという実力者がいて、補助金が出ないならその実力者にオークを殲滅してもらおうとしていたのだ。結果的にオークによる土壌汚染などのいくつかの専門知識を欠いていたので騎士団の無駄足にはならず、今も定期的に情報を売りつけてくる関係だ。
「ちなみに情報代金いくら?」
「手数料が五千ステーラ、便箋とインキ代が一千ステーラ、業務外ファミリヤ使用に一万ステーラ、通常運送代が一千ステーラ、えーとあとファミリヤ危険手当――」
「もういい。合計だけ」
「占めて四万九千八百ステーラです。払います? 値切ります?」
「チップに二百ステーラ足して払っとけ。あそこの連中は筋金入りの商人だ。金と利益関係でしか関係が繋がらん。あそこの伝手は失いたくない」
「らっじゃー!」
王立外来危険種対策騎士団団長、通称ひげジジイことルガー団長は、その報告にしばし頭を抱えた。
「今年は一か月早く雨季が来たって……よりにもよって湿地問題にやっと終止符が打てるってタイミングでか……! えぇい、物資搬送急がせろ! 今すぐ第一部隊に情報伝達だ! 予定早めねえと最悪、作戦中に土砂降りで騎士が流されちまうッ!!」
イッペタム盆攻略作戦に、暗雲と嵐の予感が西から物理的に押し寄せてきていた。
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