第174話 手広く取り扱っています

 騎士団に入って良かったことは何か、と言われれば、民の役に立てること以外ではそう多くのことを思いつかない。そんな数少ない「よかったこと」の一つに、自らの見識が広められるというものが挙げられる。


 今、訓練を兼ねて『ネイチャーデイ』の船頭が漕いでいるボートの上から見まわせる景色は、成程確かに、画家がこぞって描きたがるのも分かるほどに美麗だった。


 透明度の高い水に広がる船の波紋、鳥のさえずり、水との境界線に群生する青々とした草木。目を凝らせば湿地を囲むように遠くに山が連なっており、角度によって全く違う地形に見える。

 流れのない場所には可愛らしい白や紫の花があったり、草木の狭間から垣間見えた木々の生い茂る森のような地帯が見えたりと変化に富んでいる。他にも岩に大量の苔が生えた場所、曲がりくねった蛇のような水路などもあるそうだ。


 二年間で国中を駆け回った気分だったが、この国にはまだまだ見たことのない光景があるのだと実感させられ、少しわくわくしてしまった。冒険者でもないのに冒険気分だ。


「絵心はないけど、一回ぐらい描いてみたい光景ではあるな……後で金策班に写真撮ってもらうか?」

「先輩ヤメテ。ゲージュツノハナシ、イケナイ」

「アマルは一体どうしたのですか? ファミリヤのような喋り方になっていますが……」

「嫌な事件があって過敏になってるだけだ。そのうち治る」


 ハイライトの消えた目で体操座りしながら「ゲージュツ、イヤ」と繰り返すアマルをロザリンドが心配そうに見つめる。彼女の反応は過剰だが、もしもこの場にウッヒョイミケ老がいれば確かに取返しのつかない精神ダメージを負っていたかもしれない。


 幸いにしてこの船の船頭を務めるコメットさんはウッヒョイ系ではない。

 黒い縁のメガネ、三つ編みの黒髪。悪目立ちする都会ファッションと縁遠そうな彼女は、『ネイチャーデイ』所属でありながら数少ない非芸術家。では彼女は何をする人なのかというと。


「写真ですか!? 写真だなんてとんでもない、そんなの無粋極まります! やはり手描きが一番ですよ手描きが! え? でも画材道具なんて持ってない? いやいや、そんな時こそ『ネイチャーデイ』販売の『カンタンだれでも画家セット』!!」


 どこから取り出したのか子供向けっぽいテイストで包装された画家セットを取り出したコメットさんは、『ネイチャーデイ』で秘書を務める女性である。彼女はウッヒョイしない代わりに何かと言葉を聞きつけてはセールストークをぶっ放すという中々に面倒な御仁である。


 ウッヒョイとの違いは、曲がりなりにもセールスのため話そのものは要点を押さえてテンポよく進むことだ。そもそも望まぬトークだという点に目を瞑れば、まだウッヒョイよりマシである。


「イラスト付きで基礎的な絵の描き方を綴った冊子と絵描きに必要な画板、筆、パレットに絵の具! いるもの全部付けちゃいます!! でもお高いのでは……? そう思う貴方に耳より情報! 本来ならすべて揃えて五万ステーラする所を、なななんと!! 三万五千六百ステーラの大特価! これは買うしかありません! しかも三日坊主で続かなかったという人は購入から一週間以内にお申し出してくださればお代を返金いたします!!」

「画材破損と絵の具は?」

「多少返金額に変動が出ますのでご注意を!! さあ、如何ですかー!?」


 片手で船を漕ぎながらものすごくイキイキした顔でセールスするコメットさんだが、引いてる俺と目を合わせようともしないアマル、そして船に乗った他数名の騎士たちから漂う微妙な空気にハッと正気に戻った顔をする。


「ご、ごめんなさい。なにせ『ネイチャーデイ』に入って真っ先に習得したのがこのセールスでして……」


 でへへ、と照れながら後頭部を掻くコメットさん。

 厄介だがなんだか愛嬌のある人だ。

 それでいて船を漕ぐ手を止めず、道も間違えず、しかも煩雑な書類処理を行っているらしいというのだから驚きだ。こんなよくわからない組織で働くには不釣り合いなくらい有能な人である。

 よかったらウチの騎士団来ない?


「わぁ、騎士ヴァルナに誘われちゃったぁ! これは自分を売り込むセールスに使えるぞぉ! にひひ、どんなシチュエーションがいいかなぁ。写真とかあったら特権階級の人も信じてくれるだろうし!」

「さっき写真は無粋とか言ってなかったっけあの子」

「というかもしやヴァルナの船の船頭になった理由もそういう理由か?」

「燃える商魂だネ」

「ゲージュツ滅ぶベシ」


 しかも騎士団に来てくれそうな脈が一切ない。

 少々惜しいが、まだ見ぬ顧客に思いを馳せる彼女は現在の職場にある程度の満足感を抱いているようである。人間、自分が一番やりがいを感じる場所にいるのが一番だろうからそっとしておくことにしよう。

 それはそれとしてセールスの腕を磨いたら俺のスカウト力も上がらないだろうか。検討する価値があるな。


 ちなみに『カンタンだれでも画家セット』の値段について、絵の心得もあったロザリンド曰く「これで四万ステーラ以下は確かにお得」とのこと。じゃあロザリンドの使ってる画材の値段はそれの何倍なの? と聞くと、「ひゃく……」と言いかけ、オッホンと咳払いして何でもないと笑顔で告げられた。

 やはりボンボンか。アストラエと違って慎みがあるので許す。


 閑話休題。


「この辺りはあくまで観光スポット的な場所ですが、ここを真っすぐ北に進むと流れの少ない水の淀んだエリアがあります。水深は四メートル近くで濁り気味ですが、ここには魚が多く生息しているので漁場として多くの漁師たちが利用しています。とはいえ……養殖が進んでからは漁業というより技術継承の場といった具合ですけどね」

「えーと、件のイッペタム盆は?」

「イッペタム盆はその更に奥にあります。詳しい調査は進んでいませんが水深はかなり深く、通常の漁場より大型の魚が生息していることは確認されています。もうお聞きかもしれませんが、漁師が船を失ったり溺れるのは殆どがイッペタム盆なので地元の人間はまず近づきません」


 ふむふむ、と頷きながら現場を双眼鏡で見渡す。

 西の方は綺麗な水の湿地が続いており、東側は木や大地が多めだ。北の方は生い茂る水草の高さがかなり上がっており、あの中に何の用いもせず入り込めばたちまち方向感覚を失うだろう。


 まず、オークが西側にいる可能性は低いだろう。

 実際これまでの調査で西は粗方探し尽くし、存在が確認されていない。可能性の低い理由は、水深が浅くて泳ぎにくく、かといって歩いて回るにもぬかるみ過ぎているので住まうのに適さないからだ。


 逆に東側はというと、西よりは断然可能性が高い。生い茂った木々はオークによっては猿のように移動に利用することもあるし、見通しが悪いのでオークに丁度いい陸地もあるかもしれない。

 ただ、やはりこちらも西ほどではないがぬかるみが多く、そして木々が山の木ほど大きくないのでオークの重量に耐えられないかもしれない。過ごしやすいかと言われれば否だ。


 では、北側はどうなのか。


「北って足場はどれぐらいあるんですか?」

「足場らしい足場はありません。でも、北は足場が『作れる』んです」


 そういうと、コメットさんは船を草の脇に動かし、草の中から枯れたものに手をかけて捻った。ポキッと小気味のよい音と共に草が折れる。今のは草というよりは枝を折ったような音だった。


「この湿地の固有種です。見た目はイグサみたいな加工しやすい植物に似ていますが、一定の条件下で枯れたまま風にさらされていると、このように枝に似た強度になります。そして東側にある木や石、そしてこういった草を組み合わせると……ほら、あちらの浅瀬をご覧になってください」


 言われるがまま彼女の指差す方向を向くと、そこには枝や草、土が積み重なって出来た妙な塊が脈絡もなくぽつんと出来ていた。何なのか不思議に思っていると、その塊の下から中くらいのサイズの動物がひょっこり顔を出した。前歯が長いので巨大ネズミだろうか。


「あれはこの土地にしか住んでいない珍獣ビーバです。草木を集めて巣を作り、中で暮らしているんです。あれでも水深1メートル以上ありますので、もっと浅い場所ならば……」

「オークぐらいの知能があれば、オークぐらいの重量を支えられる足場を築いていてもおかしくはない、と」

「実際去年に人間が過ごせるスペースが作れるか騎士団の方と実験が行われましたが、二日と経たずにちょっとしたキャンプ地が出来てしまいました。今も休息所として維持されていますが、簡単なメンテナンスで修復できるので非常に助かっています。たまにビーバに巣の材料を取られますが」


 ちらっと先ほど巣から出てきたビーバを見てみると、フイっと顔を背けて何食わぬ顔で泳いでいった。まぁ、元は彼らのテリトリーだし、人間が文句を言うのもお門違いだろう。ただしオーク、てめぇは例外だ。どこにいようと必ず殺す。いなかったら草の根を掻き分けてでも見つけて殺す。王国の大地から貴様らが一匹残らず消えるまでだ。


 と、殺気が漏れたのかビーバの巣から中で暮らしていたであろうビーバたちが一斉に外に出てきて必死の形相で逃げ出し始めた。恐らく危機が去ったと知れば元の場所に戻るだろうが……少し可哀そうなことをしてしまったな。

 今度差し入れでもあげよう。あいつら何食べるんだろう。


「そんな貴方にビーバの餌になるキャベツは如何!? なんとなんとの衝撃特価、一玉三十二ステーラ! 三十二ステーラです! なおこちらの特別価格は在庫限りとなっておりますので、今を逃すと次はいつになるか分かりません!!」

「生鮮食品まで取り扱ってんのかよッ!?」

「ベーカリーもありますよ! 本来は画家さんが画材道具として使うものですが、美味しすぎて絵に使う人が殆どいないと評判です!! こちらは一斤二百ステーラ!! 夕方になると在庫処理のために三割引きです!!」

「マジかよ料理班に教えとくわ! あとキャベツ代金は後払いで!!」


 ちなみにビーバの主食は木や植物類らしいが、キャベツを食べるかどうかは試したことがないらしい。試しに巣の上に設置してみると、数分後に戻ってきたビーバたちがバリバリキャベツを食べていた。お気に召したらしい。俺の三十二ステーラが無駄にならなくてよかった、と俺はほっと胸をなでおろした。


 しかし、ほのぼの出来ていたのはこの日までだった。

 まさかその翌日に事態が急転するとは、この時ビーバを見つめながら「意外とかわいいな。一匹連れて帰ってキャリバンに渡してみるか?」と思っていた俺には想像すらできなかったのである。

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