第172話 聞きたくなかった話です
さて、非常に今更な話なのだが。
「アマナ教授と村代表のオルレアさんは分かるんですが、『ネイチャーデイ』って何ですか?」
魚を売って儲けるのは分かる。
儲けるための魚の繁殖ノウハウを研究するのも分かる。
しかし、水難事故防止活動というのは何なのだろう。
そういうのは普通は衛兵の仕事な気がする。
でなければ、広い目で見れば自警団だろうか。
「うぅむ、同好の士と言いますか、慈善活動と言いますか……」
ミケランジェロ老は、どう説明したものかと髭を撫でる。
ひげジジイの髭と違って五十センチはあり、綺麗に手入れして纏められている。
「組織ではあるのですが、別に金を儲けようという組織ではないんですじゃ。実際先ほどオルレアの坊主の言うた通り、裕福とは言い難い生活を送っとりますしの」
「あー、つまり無償労働をしている?」
「ですじゃ。活動内容をもう少し語らせて貰えれば多少は理解して頂けるかと思うのですが、どうですかな?」
「お願いします」
素直でええ若人じゃ、とミケランジェロ老は満足そうに頷いた。
という訳で、単独行動特権で『ネイチャーデイ』の本部に行くことになった。
「まぁ、正直今回の任務で俺はあんまり役に立たんからなぁ……」
「オジサンは酔っ払いだからねぃ……」
「私は仕事任せるのが果てしなく不安って言われまして……」
なぜか一緒にやってきたロック先輩とアマルを引き連れ、俺は町を歩く。
騎士団ダメダメ三人衆みたいな雰囲気になっているが駄目なのは二人だけである。ちなみにアマルのお目付けは投げっぱなしジャーマンばりに俺に押し付けられている。本格的に動くのは明日からという騎士団恒例のヒマを無為に使うのは勿体ない。
「地図によると、通りから見て右の船着き場が漁業用で、左がネイチャーデイ所有の船着き場になってるらしい。船着き場の手前にデカイ建物があって、そこがネイチャーデイの本部となっていると」
「ま、何があるのかオジサンはちょっとばかし見当がついてるけどねぃ」
「ロックおじさんに見当をつけることができる建物……酒屋? 飲み屋?」
「船着き場に飲み屋があっても変ではないな」
「うぃぃ、それならオジサンも嬉しいんだけどねぃ。代表の名前、ミケランジェロ・テュケール・ヴォダークルなんだって?」
「ええ。名前的に貴族か、元貴族かなぁと」
「その推測はおおむね正解だけど、ちょーっち違うんだなぁ。ヴォダークルってのは聞き覚えあるんだよ。今じゃ聞き慣れないだろうけど『名誉貴族』ってヤツだ」
名誉貴族。字面だけ見れば名誉な上に貴族なので非常に立派に思える。
しかし俺はなんとなく言葉の意味を察した。アマルは察せなかったのか「名誉な上に貴族なんですか! なんか知らないけどスゴそう!」と勝手に盛り上がっていたが。
「名誉貴族ってのは、あれですか?何かしら王家に認められる実績を残したことで形だけ貴族として認められた名ばかり貴族……下級の存在だと?」
「あるいは最下級かなぁ。いわゆる『特権階級制度』からはまず漏れてる。元々が当時の時点で子爵以下の味噌っかすだったし、お金がないんじゃ今や完全に平民だろうねぇ」
他人事のようにさらっと酷いことを言うが、デリカシーのない酔っ払いに言っても無駄だろう。
今となっては名誉貴族というシステムは完全に無くなっているどころか元貴族さえ金回りが悪いと没落させられる世の中だが、稀に国王から名を授かるという形で名残は残っているという。確か王宮の執事長であるセバス・チャンさんも王から名を賜っていた筈だ。
そんな事を喋ってるうちに俺たちは目的地の建物に辿り着いた。
立派な木造建築、精緻な彫りものたち、プレセペ村の民家でも見られたカラフルな民族装飾。それは村本来のデザインを取り入れた家だった。重要なのは、デザインを取り入れたのであって、村の建築様式で作られたわけではないということ。村の建築物が殆ど平屋なのに対し、この建物はかなりデカイ。屋敷とまでは言わないが、町の名士ランクの大きさな上に三階建てだ。
俺はその建物の様相に困ったように唸り、ロック先輩は予想的中とばかりにあちゃー、と顔を手で覆い、そしてアマルは見たままの感想を素直に口にする。
「なんか……こう、都会だから気合入れた都会ファッション決めてイザ来てみたら色を出し過ぎて逆に浮いちゃってる人って感じがしません?」
「するな……まぁ実際には都会人が田舎に寄せてるっぽいが」
「それでいてかけられた手間は一流ってのがホント……あーあ、嫌な予感したんだよ。ちょっと酔い冷めそう」
言いながら酒瓶を呷るロック先輩。
この人がここまで露骨に嫌そうな顔をするのは珍しい。
しかし入り口が開いて中からミケランジェロ老が出てくると流石に酒瓶を隠して普通の顔に戻った。
「おお、おお、よく来ましたのう騎士ヴァルナよ! 後ろの方々は同僚ですかな?」
「右のが騎士ロック、左はアマルテアと言います」
「初めまして」
「よろしくお願いしまーす!」
「元気なレディじゃの。わしも元気が出そうじゃ。それでは皆様方、ようこそネイチャーデイ本部……『
(名前が独創的すぎる……)
柔和な笑みを浮かべるミケランジェロ老からひげジジイのような邪悪さは感じないが、どうもロック先輩の反応と常人には理解しがたいネーミングセンスが気にかかる。これでもこの人は俺より人生経験が豊かな酔っ払いだ。飲酒量と厄介ごとを察知する能力に関しては俺の遥か上をゆく。何が起きても驚かないよう内心に警戒心を侍らせる。
――結論だけいうと、ロック先輩の嫌な予感はど真ん中に的中した。
◆ ◇
芸術。それは人間のみに解することの許される文明の贅沢。
芸術。それは感受性と無頓着の狭間を歩む人々に投じられた石。
芸術。それは時に多くの金と欲望の渦巻きに囚われし数奇なる物質。
さりとて生憎と俺ことヴァルナという男は芸術が育まれるほど文化の発展した土地におらず、審美眼を養っていた時期も碌すっぽない。本物の名画と贋作の名画を並べられたところで同じにしか見えないし、壺の善し悪しをルーペ越しに覗いても「これ花瓶?」としか思わない。
ちなみにアストラエは高級なものしか見たことがないので「面白い!」といいながらとんでもない粗悪品や珍品、想像を絶さない凡品を買おうとする。逆にセドナであれば商家の娘の面目躍如とばかりに凄まじい目利きを発揮する。
骨董屋に遊びに行った際に平売りしていた皿の中から国宝級に稀少な皿を見つけてきたときは大変だったなぁ、と思い返す。ちなみにその皿は、猛烈な動乱を潜り抜けた末に現在は王都孤児院で飼われている隻眼の番犬ボンテンマルの餌皿に使われている。
プロ程じゃないが勇猛果敢な犬である。吼えるので俺は苦手だが。
「――つまりセイマン地方の土に微量に含まれる成分の化学反応がこの陶器の美しい文様を浮かび上がらせるのじゃ! これぞまさに奇跡の芸術じゃと思わんかね!?」
「はぁ」
「次はこの像じゃ! 材質はヒノキ、これは宗国より更に東にある『列国』という小さな国家から取り寄せた品なのだが、実に素晴らしい! 人物の筋肉もさることながら布の質感、肌の艶めかしさを木から削り出す職人の技術のすさまじさたるやもう!! おまけに小さい! こんなに小さいものを作るのなら石造でもっと立派なものを作ればよいなどと見当違いな事を抜かす輩もおるが、このハンドサイズに凝縮された芸術を解せないとは実に勿体ないことだと思わんかね!?」
「はぁ」
「そしてこれ!! この絵は『水面を叩く』という油絵なのだが、このカモが水面で羽ばたく瞬間の躍動感と羽の精緻さが素晴らしいだろう!! この絵を描いたトマス・アキマスはこれまでの古典芸術界に衝撃を与えた歴史的な品なのじゃぁぁーー!! ウヒ、ウヒ、ウヒョヒョヒョヒョッ!!」
「はぁ」
精神がガリガリと音を立てて摩耗していくのを感じながら、俺は生返事を繰り返した。
おいじいさん、あんたもう自分が喋りたいだけだろ。
なぜミケランジェロ老はウッヒョイと叫び始めてしまったのか、俺は停止しかけの脳を動かして過去に数十分前に思いを馳せた。
『
これはミケランジェロ老が同士――すなわち芸術家や蒐集家たちと共に八方飛び回りかき集めた至高の品々らしい。中には当人たちの書いた絵画も存在したのだが、その絵画はとにかくこのシャルメシア湿地の自然を切り取ったものばかり。
『我々はもう何十年もシャルメシアの地で絵描きを続けておりますが、未だに毎年新たな側面を垣間見る。世界中のどこを探しても、ここほど描きたい光景の尽きぬ神秘の地はありますまい。だから我々『ネイチャーデイ』はここに住みますし、この自然が荒らされぬように村にも協力しているのですじゃ』
そう、確かこの辺までミケランジェロ老はウッヒョイしていなかった。話が拗れてきたのはそのあと、調度品っぽい壺をアマルが不用心に素手で触ろうとしたのをロック先輩が電光石火の手捌きで防いだ頃だ。
『触っちゃ駄目なんですかぁ?』
『馬鹿! お前さんねぃ、民家に飾ってる花瓶ならともかくこんな高級そうなモン掴んでうっかり割ったら給料が未来にかけて吹っ飛ぶよぉ!? そーでなくても芸術家ってのは芸術品にベタベタ触られるの嫌いなんだから!』
『――ほう、ほうほうほう。どうやらアマルテア嬢には芸術に対する理解が薄く、そして騎士ロックは少しは解する人物のようですな……』
その瞬間、ミケランジェロ老は獲物を見つけた狼の如く目を光らせた。
『あ、やっべ……すまんヴァルナくん、おじさんヘタこいた』
『えっ』
『それではお三方!! わしらの集めた類まれなる芸術品たちを愛でる展覧ツアーにガイドつきでご案内いたしますぞ!! 芸術は心を豊かにいたします!! 共に芸術を愛で、理解を深めていきましょうぞウッヒョイ!!』
そうそう、もうこの時点で手遅れだったんだっけ。
俺がオーク殺しでスイッチを入れるように、ミケランジェロ老の心にも外部から入るスイッチがあったようだ。これはノノカさんの研究者スイッチに限りなく近いものなのだが、あの人はあれで場所と節度を弁えて興奮する。
しかしミケランジェロ老にはそのような
「ちなみにトマス・アキマスとはペンネームのようなものでして、誰も本名を知らないという実にミステリアスな芸術家でしてな! 幻と呼ばれるトマス・アキマスの自画像……を騙る偽物が一時期大量発生しまして蒐集家たちは随分散財したものですぞ!! 何を隠そうわしもその一人ですじゃ、ウヒョヒョヒョ!!」
もはや正気かどうかも疑わしいほど目を剥いて喋りまくる老人もとい妖怪。
果てしない趣味の話は怒涛の勢いを維持したまま止まることを知らず、そして老人の話が長引くことはこれまでに積み重ねられた歴史が統計的な事実として証明を続けてきたものである。
「ヴァルナくん。オジサンね、この世で絶対に聞きたくないものが二つあるんだ」
「なんすか」
「美女のゲップと芸術家の長話」
「もうゲージュツの話はお腹いっぱいでゲップが出そうですよぉ……」
結局いつまで経ってもウッヒョイが止まらないミケランジェロ老の暴走を聞きつけたオルレア代表が駆け付けるまで、俺たちはどこぞの三兄弟とは違った意味でげっそりする話を聞かされ続けた。
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