第171話 懐事情がカツカツです

 諦めない心、それは騎士にとって何よりも大事な不屈の精神に通ずる。


 どんな戦力差や逆境も、たとえ万に一つの勝機だとしても、勝とうとするなら挑まなければ話は始まらない。そこで諦めてしまえば、最初から結末は決まってしまうからだ。故に騎士には勝機があればそれを追うためにどんな困難も受け入れる、諦めない心が必要だ。


 アホの俺は幼少期そんな心を養おうと、古典的な修行法である滝行をしようと思ったのだが、近隣に滝がないのでサウナで鍛えることにした。今になって思えばそれは諦めない心じゃなくて唯の忍耐力では? と思わなくもないのだが、最終的には騎士を諦めなかったから今の自分がいる訳なので後悔はない。


 ちなみに現在俺の通っていたサウナはチェーン店となり「英雄ヴァルナを生んだサウナ」という触れ込みで王都に出店して儲けているらしい。そして巡り巡って王立外来危険種対策騎士団の資金源の一つともなっているんだとか。違法性の有無が少々気がかりだ。

 下手の考え休むに似たりなんて言葉もあるが、アホの考えが予想外の方向に実を結ぶのが世の中の不思議な所である。


「で、結局なんで予想より騎道車の水量が減ってたんだ?」

「それがですね、どうも道具作成班の新人……ええと、コーニアだったっけ? そいつがトイレ掃除の時に水を使い過ぎてたんですよ。叱ろうかとも思ったんですけど、あんだけピッカピカに磨き上げてたのを見ると叱るのも忍びないですね」

「それとなく俺から言っとくよ」


 騎道車内の循環水タンクのチェックを終えたライは「助かります」と一言告げて、うーん、と大きく伸びをした。水の減りについては大きな問題ではないし、行き先の湿地で水の確保は可能なので問題なしということになった。むしろ水漏れが最大の懸念材料だ。気づかぬうちに床の下が水浸し、というのは車体への影響が大きすぎる。

彼は反省出来るタイプだし、一言二言言えば同じ過ちは犯さないだろう。


 騎道車は既にシャルメシア湿地の近くに到着している。

 今回の調査はかなり本腰を入れたものとなっており、前々から現地人と移住した騎士団OB、更には本国の地質学者や生物学者も合同で下調べや準備を進めていた。ラードン砦からも物資を受け取り、近年では最も万全に近い体制で臨んでいるという。


 しかし実際のところ、この湿地は元々画家や釣り人が勝手に入り込んでは遭難、死亡することも珍しくなかったという厄介な場所でもある。自然の驚異よりそういった無自覚の邪魔者への対応に追われたからこそ今まで大規模な調査の準備にこぎつけられなかった側面もあるようだ。


「さぁ、今回のヴァルナさんはどんな伝説を打ち立てるのか!?」

「いや、いくらオーク調査と言ってもなぁ……今回はボートでの調査が基本だし、ぬかるんだ足場が多い以上は槍なりボウガンなりが基本になるんじゃないか?」

「そんな謙遜言いつつ毎度何かしらやらかしてくれるのがヴァルナさんじゃないですか~!」


 相変わらず人を買いかぶりまくるライだが、そもそも今回はあくまで調査だし、船の上でチャンバラをする訓練は受けていない。しかもオークの住む場所がぬかるんでいたら、攻め中心の王国攻性抜剣術にとってはそれだけで致命的だ。

 今回の任務で活躍するのは槍使いと弓使いになるだろう。


「せめてオークの有無、そんでもって目撃されてる生物の正体さえわかれば御の字。それまでにオーク討伐依頼が第二部隊で処理しきれなくなるか、もしくは雨季が来ちまったら残念無念ハイ終了だ」

「……パッとしないですね、今回」

「ま、市民を守るためには草の根でも何でもやるのが俺らみたいな騎士の仕事だ。無理なら来年だな」


 湿地に近すぎると騎道車がぬかるみにタイヤを取られるため、今回は騎道車から現地まで少々の行軍が必要になる。

 また、この時期になるとタマエさんが料理班の新人組を連れて『王国護身蹴拳術習得・強化合宿』に出発するため、現在料理班はタマエさんの呼んだ料理班経験ありのお弟子さんたちで固められている。コルカさんが「もっといい女になって戻ってきます!」と元気いっぱいに手を振りながら途中下車していった光景を思い出す。


「……っていうか、そうだ。確か去年はオークの発生件数多すぎて調査できなかったし、一昨年は合宿参加してたから、湿地調査初めてなんだ俺。うわー、久々に新人気分だなぁ」

「ええ、マジですか! なんかヴァルナさんって既にこの騎士団の全業務体験したことあるような気がしてました!」

「うん、俺もちょっとびっくりしてる」


 既に過去の資料や連絡で一通りの話は聞いているが、経験の伴わない情報は現場では余り役に立たないのが騎士団の常だ。久々に感じる、好奇心と緊張感がないまぜになった不思議な気分が心に満ちる。

 今回はどうやら後輩たちに並んでお勉強する必要がありそうだ。




 ◆ ◇




 プレセペ村は、ここ数十年で近代化した村だ。

 嘗ては湿地で暮らす注目度の低い民族の村だったのだが、オーク調査で騎士団が訪れるようになってから外界の発展した技術や文化に興味を持ったらしく、今では川魚を狙った漁業や観賞用魚類の養殖を行うなどして外貨を稼いでいる。


 同じ僻地でも、嘗て訪れたクーレタリアやイスバーグとは逆の方向に文明が向かっている。王国は同じ国なのにこういうところは意外とバラバラだ。治世における異文化への寛容さがそうさせるのだろう。


 という訳で、プレセペ村の風景は現地民族の木造建築を残しつつも、あちこちに王都風の家が立ち並ぶ独特の町並みになっていた。村としては比較的大きい方に感じるのは、綺麗に整備された池が多くあるせいで人の手が入った空間が広いからだろう。

 池の中の魚を覗き込んでいるアマルが不思議そうな顔をする。


「湿地ってドロドロしてるイメージあったけど、見た所全然泥っぽくないね」

「そこは生け簀ですわよ。これから食べるか加工するという魚をわざわざ泥臭い水に入れとは思えませんし、ろ過しているのでは?」


 アマルが前のめりになり過ぎないようさりげなく襟首を掴むロザリンドだが、生け簀も生きた魚も見るのが初めてなのか自分もちらちら生け簀の中を気にしている。と、数日間ワイバーンに怯えて部屋に籠っていたカルメが補足した。


「シャルメシア湿地は、場所にもよりますがとても水が綺麗なんですよ? なので湿地から水を引けばろ過もほとんど必要ないんです」

「へ~そうなんだ! カルメ先輩が先輩らしいこと言ってるの初めて見たかも!」

「失礼な事を言わない! 確かにカルメ先輩がこういう補足をするのは初めての気もしますが」

「どうです! 僕だって先輩らしいこと言えるんです!」

「カルメお前それ褒められてな……いや、まぁお前がいいならいいんだけど」


 エッヘンと胸を張る誇らしげなカルメを見ると指摘するのも気が引ける。というかお前が胸を張ると一瞬「あれ、もしかしておっぱいある?」と思ってしまうのは何故なのだろう。もしかして煩悩が溜まっているのかと思ってそれとなく周囲に聞いたら、男女含む半数くらいから「実は俺も/私も……」との返答を賜った。

 よかった、俺は正常だ。カルメがどうかは知らないが。


 それにしても、と思う。


「俺の世代じゃ魚って言ったら釣るものなんだが、今じゃ養殖なんてものがあるんだなぁ」

「そうですね……実は僕、子供の頃にここに来たことがあるんです。その時には既に養殖が始まってましたけど、見た感じあの頃より池の数や設備がすごく進歩してるように思えます」


 俺とカルメの視線の先にあるのは、王立魔法研究員の研究施設だ。プレセペ村の事実上の中心地であり、こんな田舎には不釣り合いなほど立派な建築物となっている。屋根の上には研究院の施設であることを示す英知の鮭が星と共に描かれていた。


 ここでの研究は湿地の調査が主であるのだが、もう一つに淡水魚の養殖研究があるらしく、研究所の後方には屋敷数個分はあろうかという広大な範囲にチェス盤の目のように規則的に区切られた沢山の人工池が広がっている。将来的にはここで生産された魚が冷却魔法で保存され、王都などの主要都市に運ばれる日が来るらしい。多分それが実用化される頃には、騎道車は輸送車として一般普及しているのだろう。


 十分後、恒例の代表者会合が建物内で開かれた。


「では初顔合わせの方もいらっしゃるので……水産実験場の所長と王立魔法研究院の教授を兼任しています、アマナと申します」

「プレセペ村の代表をしてるオルレアでっす!」

「シャルメシアでの水難事故等を防ぐために活動している組織『ネイチャーデイ』の代表、ミケランジェロ・テュケール・ヴォダークルと申しますのじゃ」

「お久しぶりです、皆さん。去年は来れませんでしたが、今年は我々騎士団一同奮起します」


 ふわりとした笑みを浮かべる妙齢の女性、アマナ教授。

 村の代表にしてはやけに若い日焼けした男、オルレア。

 現地ボランティアでありながら明らかに特権階級、それも貴族身分の老人ミケランジェロ。


 なんともアンバランスな面子だ。

 一緒に来ていた俺が名乗ると三人は「あの!?」と驚く。

 何だろう、よくあるようで実は新鮮な気分である。有名人なのに。


 ちなみに俺の他には秘書役のセネガ先輩、そしてノノカさんも参加している。アマナさんとも「お久っ!」「ノノちゃん相変わらずね」などと親し気な会話を交わしていた。


 そういえば、学者というのは男性が多いイメージがあるのだが、俺の知ってる研究院教授は多くが女性だ。これは王国の外の学び舎にある男尊女卑的な性差別が原因でもあるらしく、そもそも海外から引き抜かれた研究者の七割が女性なのだという。

 国王の目の付け所なのだろうか、流出した人材を吸い上げて王国は急速発展しているのだ。


 その発展の邪魔をするオークの憂いを排除するための調査の成否が、ここにいる面子にかかっている。


 話し合いはそれなりに長くなった。


 まず第一に今年の目撃証言とこれまでの目撃証言の差異、次に今年発見された生物の痕跡と正体の特定、といった風にとにかく検証する情報が多い。それだけ長く多面的にこの湿地が監視されてきたということでもあるのだが、途中から内容は魚の漁獲量の増減や分布地、今まで発見されていなかった動物の繁殖の確認など、もはや学会での研究発表の様相を呈しているほどだった。


「……であるからしてですね。よくオーク出現地で報告される糞尿での水質の悪化については、この湿地に限っては通用しないんじゃねーかってのが村側の考えなんですわ」

「湿地の浄化作用ですかぁ。それはちょっち調べてみたい話でもありますケド、オーク毒による生物濃縮発生の有無に関しては?」

「サンプルとして定期的に検査してるんだけど、今のところ基準値以下さえ検出されていないわ。いないのか、それとも発生する毒素量が微量すぎるのか。後者だとすれば生物濃縮の発生の有無も判明するのだけれど」

「そこなんですがな。オークがヤヤテツェプの餌にされとるんじゃないかという話が……」

「ジイさん、ヤヤテツェプはあくまで昔話の怪魚なんだって。現地人でも見たことねぇ生き物がいるかってんだ」

「じゃがのう、釣り人共が過去にヤヤテツェプを見たと証言する場所が常に一致しとるし、そこは湿地内でも濁りが激しく水深がかなり深い場所なんじゃ」

「……イッペタム盆か。そうか……確かにあそこはいまだに地元の連中も近づかん。行方不明者の遺留品が見つかることも多い。やっぱいるのか……?」

「話はよく分かりませんけど、そのヤヤテツェプが実は水棲魔物だったって可能性はあると思いますよ? 国内に在来する魔物っていうのも前例がなくはありませんし」


 この辺りにきてやっと話に聞き慣れない言葉がちらほら出てき始める。

 俺たち騎士団側が付いていけない領域だとすぐに気付いたオルレアとミケランジェロ老が補足する。


「ヤヤテツェプってのはプレセペ村に昔から伝わる伝説の怪魚なんだ。ボートも丸呑みにする人喰い怪魚ヤヤテツェプを勇者シャルメシアが殺した際、ヤヤテツェプの死体が川をせき止めて湿地が出来たってよ。現代に染まった今じゃ本気で信じてる奴はいないけどな」

「んむ、まぁ無理もないことじゃ。現在世界で確認されている魔物は最大のもので六十メートル程度じゃし。ちなみにイッペタム盆というのはヤヤテツェプとは別の、底なし沼伝説に伝わる場所じゃぞ」

「そっちに関しちゃ信じてる奴も多い。村じゃ欲をかいてイッペタム盆で漁をすると亡者に船を沈められるって言われてて、実際そこで行方不明になった奴も昔はよくいたらしい。今も気味悪がって近づかんし、そもそも養殖で儲かるからボートの担い手が減ってきてるんだけどな」


 だいぶ所帯じみた話も混じっていたが、どうやらミケランジェロ老とオルレアは相当に親しいか、老がかなり変わり者のようだ。若者にため口をきかれて眉一つ顰めないのは、このやりとりが日常的に行われている証拠だ。

 その辺の突っ込んだ話も後でちょっと聞いておこうと思った俺は、一応イッペタム盆についても尋ねる。


「どういう場所なんですか、そのイッペタム盆というのは?」

「湿原の中で唯一泥が溜まってて水深も異常に深い。悪いことするとイッペタム盆に放り込むぞ! ってのはカカァたちの脅し文句だ。正直な話、イッペタム盆周辺はほとんど調査が手つかずだから、何かデケェのが住んでる可能性はある。もちろん盆の奥にオークが住んでる可能性も」

「ちなみにじゃが、わしはこのイッペタム盆こそヤヤテツェプと勇者シャルメシアのぶつかった地ではないかと予想しとる」

「ジイさん、趣味の話は後にしろよ……」


 若干目を輝かせるミケランジェロ老にオルレアがうんざりしたように肩をすくめ、アマナ教授はその様子が可笑しいのかクスリと笑った。


「うふふ、相変わらずお二人は息が合っていますね」

「やめてくれよセンセー、ジイさんとはただの腐れ縁だっつの」

「なんじゃなんじゃ、わしはおぬしのことを孫子のように思っておったのに……ヴォダクール家の遺産を孫の顔も見せに来ん親不孝者じゃなくおぬしにくれてやろうかと思っとったのに……」

「その手には乗らねぇぞこの法螺吹きジイさんめ。生活結構カツカツで残すほど遺産ねえだろ!」

「ちっ、可愛げのない若造じゃ。ここは年寄りの楽しみに敢えて乗って猫なで声で甘えてきたところをわしに『うわキッショ。やっぱやめるわ』って突き放されて怒り狂うとことじゃろうに。まったく近頃の若い奴と来たら……」

「俺か!? これ俺のせい要素1%でもあるか!?」


 漫才のようなやり取りにころころと笑うアマナ教授の言葉に、オルレアが恥ずかしそうに後頭部を掻いた。俺以外の騎士団組はこの人たちの雰囲気を知っていたのか「変わらないなぁ」という顔をしていた。


 少なくとも今回は、人間関係の微妙さで悩まされることはなさそうだ。

 物事を為すのが人ならば、拗らせるのも大抵は人である。

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