第十一章 水上と水面と水底のワルツ

第170話 なあなあで聞き流しましょう

 ガガガガガガガ、と連続的な音が響く部屋。

 道具作成班の工作室で班の人間が作業するのは珍しくもないが、騎道車の移動中まで働いていることは珍しい。しかも動いているのがミシンであり、アキナ班長がミシンのペダルを踏んでいるのは極めて珍しい光景だろう


 部屋に入ってきたノノカの顔を見て、アキナはすぐに作業に戻りながら口だけ動かす。


「噴霧器だろ? 悪ぃがまだ設計中だ。どうも条件を満たすような構造になんなくてよー」

「納期とかはないのでまだ大丈夫です。急ぎじゃないですから」

「ヴィーラ式噴霧器に人類様が追い付くにはちょっとばかし時間がかかるぜ。こればかりはな」


 いくらノノカでもあのヴィーラのピンポイント噴霧のような高度なものを要求するつもりはないが、アキナは割とやる気のようだ。構造に困っているということは、それだけやりがいも感じているということだ。こういうときの彼女は余計な口出しをしない方が仕事の出来も上がるので、ノノカは敢えてそれ以上口出しはしなかった。


「今回はちょびっと差し入れのビーフジャーキーちゃんを持ってきたんです。いつもの所に置いときますね?」

「おお、ジャーキーとはいいもん持ってきたじゃねーか! 一枚食わせろ!」

「うふふ、はい、アーン♪」

「あー……んむっ!!」


 ノノカが差し出したジャーキーに噛みつくその光景は、さながら大型肉食獣に餌を与える子供の図である。ジャーキーを噛んだアキナは手を使わずミシミシと強靭な顎で噛みまくり、やがてごくりと呑み込んで満足そうな顔をした。


「美味ぇ! これは料理班の仕事だな!? あー畜生、料理班のジャーキーじゃ酒のツマミになんねぇなー。酒より美味ぇからつまみすぎてすぐ無くなっちまう」

「お肉大好きですもんねぇアキナちゃんは。こないだなんてもブッセ君と並んで幸せそうにハンバーグ食べてましたし」

「おう、それなんだが聞いてくれよ。あいつハンバーグって料理を知らなかったらしくてよ。まったくあんな田舎に籠ってっから人生損するんだよ。まさに灰色の幼少期だぜ」


 あまりブッセの故郷を悪く言うのはどうかと思うノノカだが、ハンバーグの原料である合い挽き肉にすら馴染みのなかったブッセのはしゃぎっぷりを見ていると一概に否定できないとも思う。


 ブッセは肉汁がすごい! とか、柔らかい! とか、ノノカの知るハンバーグにおいては割と当たり前のことに逐一反応していた。その様相は可愛らしいのだが、貧乏な田舎から上都してきたおのぼりさんの気配が凄かったのも否定できない事実だ。都会に染まり過ぎるとそれはそれで変な遊びを覚えそうな気もするが、ナイフとフォークの使い別けが出来ていない様を見ると、田舎とお町とどちらが幸せなのか迷ってしまう。


「ところでさっきからミシンを使ってますけど、何作ってるんですか?」

「あ? 服だよ服。ブッセのな」


 服。おおよそ彼女が作成する物として最もイメージが遠そうな家庭的物体である。いや、ぬいぐるみ作成が出来る彼女の裁縫スキルは常人を凌駕していることくらいは知っていたが、何度見ても家庭的な雰囲気の皆無なアキナと裁縫は似合わない。


「ったくあのヤロー成長期だからよぉ。いつの間にか前に測ったときより五センチも身長伸ばしやがって、村から持ってきた服のサイズがとっくに合わなくなってきてんだよ。買うと高いし……ヴィーラはいいよな、どんなにデカくなっても服いらねぇもんなぁー」


 ぶつぶつと愚痴を言いながらもミシンを操る手に淀みがないアキナ。

 自分の服も恐らく自分で作っているのだろう。

 彼女の対義語であると思っていた女子力を、彼女も一応持っているようだ。

 相変わらずブッセのことになると急に気を利かせるなぁ、とノノカはにんまり微笑んだ。


「面倒見がいいですねー、アキナちゃんは」

「うっせ。節約だ節約」

「他の班員さんたちは手伝わないんですか? ザトーくんとか手伝ってくれそうですけど」

「あいつのは駄目だ。クソダサいし継ぎ目が荒い。三兄弟は出来はいいが民俗的過ぎる。トマは言われたことは出来るがオリジナルデザインとかそういうの出来ん」

「新人君は?」

新人コーニアはブッセに勉強教えてる。どっちにしろ腕前は良くてザトーと五十歩百歩だな」


 あーめんどくせー、と言いながら服を作り続けるアキナだが、やりたくないことはやらないがモットーの彼女が労力を割いて丁寧な仕事をしているところを見ると、子供の為に夜なべして裁縫しているお母さんみたいに見えなくもない。


 息子に変なものは着させられない! ……という事だ。言ったら確実に怒るので言わないけど、セネガ辺りなら堂々と言って全力で煽りそうだなぁ、と想像したノノカであった



 一方のブッセは現在、その他道具作成班から次の行き先を聞かされていた。


「次の行き先は悪名高き場所でー」

「僕ら騎士団が何年も前から手を焼いてるー」

「シャルメシア湿地だよー」


 トロイヤ・リベリヤ・オスマン三兄弟、そして寝たままのトマの三人がブッセにシャルメシア湿地について説明する。普段はブッセに教える側のコーニアは、今回はブッセと共に教わる側だ。ザトー副班長も普段は参加しているのだが、現在は成長したヴィーラの撮影に派遣されている。


 トマが寝たままボードにシャルメシア湿地帯についての資料を張り付けていく。


「シャルメシア湿地はー」

「王国南東部に位置する国内最大の湿地でー」

「王国原生生物の宝庫とも呼ばれてるよー」

「でも正直とっても広いし足場が水っぽくてー」

「現地人以外は殆ど足を踏み入れないー」

「人を寄せ付けない謎多き神秘の地でもあってー」

(湿地……湖とは違うのかなぁ。パドルシップで行けるのかな?)

(た、耐えろ俺……ブッセくんさえ真面目に聞いているんだ、俺が先に倒れる訳には……ぐううう、ああ、あ、頭ががががが……!)


 このテンポでの説明が延々と続くのをブッセは興味津々に三人で刻まれた情報をメモしていくが、三人に慣れたブッセはともかくコーニアにとってこのテンポは地獄である。騎士としての使命感かそれとも意地なのか辛うじて情報を聞き取り続けているが、話が終わった瞬間に倒れそうだ。


 そしてこの三兄弟に説明を任せているといつまでかかるか分かったものではないので、簡単ながら説明させてもらう。


 シャルメシア湿地は、湿地という環境から人間にとって住み良い場所ではなく、逆に水辺や水中で過ごす生物や鳥などにとっては楽園のような場所だ。

 季節的に今頃は蓮などが花開いている時期で、幻想的な景観からか風景画としてよく好まれる他、釣り人の間では長年『ぬし』の伝説が語り継がれているため、一種の聖地となっている。


 で、どうしてこの湿地が「何年も前から騎士団が手を焼いている」のかというと……実は、かなり前からこの湿地内にオークが生息している疑惑が存在するのである。


 理由はいくつかある。


 一つ。過去のオーク討伐記録を見ると、シャルメシア湿地の周辺や湿地から繋がる川沿いのオーク出没記録が多い。大量という訳ではなく、例年近い場所で出没し続けているのだ。これは他の地域ではあまり見られないことである。


 二つ。環境的にオークにとって悪くない条件が揃っている。湿地は背丈の高い植物が生い茂っていたり木が群生している場所も多くてオークでも姿を隠せる上に、オークは水に強い生き物だ。湿地内には食料となるものも数多く、何より屈強な外敵も少ない。


 三つ。三兄弟が既に触れたが、とにかく足場が悪くて細かい調査が殆どできていない。オークの繁殖が可能な環境であり、なおかつ広くて十分調査ができておらず、そして周囲でのオーク出没が多い。実際、過去に水面を動く正体不明の動物が目撃されている。


 これらの事実から、この湿地には複数のオークコロニーが存在している可能性があり、騎士団は今まで何度もこの地を調査に訪れている。しかし調査中に別件が発生して中止。予想以上に足場が悪くて中止。雨季と探索時期が重なって中止、と、ずっと調査に進展がない。


 しかし、今回は今までとは違うこともある。


「今回はファミリヤ総動員できるしー」

「補給もたっぷりしたしー」

「雨季までまだ時間があるしー」

「今回の計画はかなり本腰だしー」

「現地のプレセペ村の人たちの協力もあってー」

「第二部隊が周囲の討伐をしてくれるからー」

「今度こそー?」

「今度こそかもねー?」

「そういうことだねー」

「僕らも泳いじゃうー?」

「キジーム族の本気見せちゃうー?」

「水中なら僕らもオークに負けないもんねー」

「でもオークは潜水時間二十分だからねー」

「そこだけは負けちゃうねー」

「僕らでも十分くらいが限界だもんねー」


 勝手に盛り上がる三人。

 キジーム族は王国南方の島国にいる種族で、なんでそのずんぐりむっくり体系でそんなに速いんだと聞きたくなるぐらい泳ぎが上手いことに定評がある。以前海沿いで食料調達することになったときには、料理班と釣りに出た連中の合計収穫の二倍の海産物を持ってきたこともある。


 それがなぜ地上に上がり騎士団を目指したのかは騎士団七不思議である。何故七不思議なのかというと、理由を確認した連中が長すぎる話についていけず発狂して断念したからだ。


 説明終了と同時にぱっちり目を覚ましたトマがブッセとコーニアに近づく。


「話分かった?」

「何となく……でもちゃんと合ってるか自信ないや。コーニアさん、おさらいで一度確認させ……コーニアさん?」

「……………」


 ブッセが異変に気付いたのはその時だった。

 コーニアが動かない。目は開いているがどこか虚ろに虚空を眺め、口元には儚い微笑を浮かべるばかりで言葉をも発さない。途中まで話が書き込まれていた筈のメモ帳はだらりと下がった腕に辛うじてぶら下がっている。


 それはまるで魂が既にそこにいないかのようで――。

 現実を認めたくないかのようにブッセは頭をふる。自分の想像など勘違いに決まっていると言い聞かせながらも、心のどこかで恐ろしく冷たい方程式が解に向かっていくのを自覚しながら。


「コーニアさん……コーニアさん? 嘘ですよね、僕をからかっているんでしょう。僕知ってるんです、都会の人はそういう悪戯をするんだってことぐらい知ってるんですよ?」

「ブッセ君」

「また都会のお話を聞かせてください。また勉強を教えてくださいよ。しょうがない奴ってぶっきらぼうに言いながら、いつも最後まで付き合ってくれるじゃないですか。僕もイスバーグのお話しますから。ですから……」

「ブッセ君、彼はもう」

「だから、コーニアさん……」


 もはや声に悲壮感を隠せていなかった。そんな筈はないと頑なに思いこもうとした少年の手がコーニアの肩を揺らし、そして、彼の手に引っかかっていたメモ帳があっけなくぱさりと床に落ちた。人一倍努力をする彼が決して管理を怠らなかった、あのメモ帳が。


「寝かせてあげよう。彼は今、とても疲れているから」

「嘘だ……こんなの嘘ですよ……!」


 呆気なさ過ぎる、別れの言葉すらなかった残酷な現実にブッセの頬を滴が伝い床に落ちるのとほぼ同時に、コーニアの体は力なく床に投げ出された。


 彼が負けず嫌いで、ことブッセの前で醜態を晒すまいと不用意に頑張らなければ。 

 トロイヤ・リベリヤ・オスマン三兄弟の話を無理に聞き続けなければ。

 或いは、こんな悲しい結末は訪れなかったのかもしれない。


 騎士に憧れた反骨の男。

 王立外来危険種対策騎士団道具作成班所属、騎士コーニア――ここに没す。



 一分後、気付け薬で無理やり眠りから目を覚まさせられたコーニアは「何であの三人の会話を無理に聞いたんだ! 自己管理がなってない!!」と後からやってきたザトー副班長に本気の説教を食らい、ひどく釈然としないもやもやを抱きながらトイレ掃除の罰を与えられた。


「納得いかない。すげー納得いかない!! なんで真面目に話聞いたら怒られるんですか、ヴァルナさん!!」

「いや、実際最後まで聞いて君ぶっ倒れたじゃん。実害あること証明されたじゃん。用量用法を守らないとこうなるんだから、危うきに近寄っちゃだめだよ。アマルを見ろ、三人に話しかけられて五秒で立ったまま寝始めてるぞ」

「それはそれで大問題じゃないかと俺は思うんですがねッ!?」


 それは一理ある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る