第167話 一つの壁を越えました

 生まれてこの方、運がいいのか未だに自分のせいで誰かを犠牲にしてしまったことはない。こんな仕事をしていれば、運悪くオークの犠牲になった人の家族恋人が掴みかかって罵倒してくるなんて珍しくもない、とロック先輩みたいな年長組はよく言っていた。


 まだ来ないと考えるか、いつか来ると考えるか。

 きっと備えていても、心構えと現実の経験は別のもので、愚かな俺はその時になってまた自分の知らない何かを知るのだろう。少なくともこれまでの人生は、いつもそうした経験の反復によって積み重ねられてきた。


 そういう訳で、俺は知らない何かの一つ、奪った命の責任について考えてみた。


「俺もオークの肉とか食った方がいいのかなぁ」

「なに気の狂ったこと言ってるのよこの馬鹿平民。いや、そこまでいくと唯の馬鹿ね。王国人の品位を問われるからやるなら国を追放されてからにしなさい」


 電光石火の速度でネメシアに罵倒された。その罵倒は王国内の品位に影響しないのだろうかとも思うが、この手の言い合いで彼女に勝てるビジョンが浮かばないのでその言葉は呑み込んだ。


「いやだって、奪った命に責任をって結構まっとうなこと言ってるなと思って……」

「鬱陶しいハエを叩き潰したとして、その命に責任とってハエ食べるの? 想像するだけで気色悪いし、絶対そういうことじゃないっての。だいたいどこの部族の風習とも知れないものを猿真似しなくとも、貴方の故郷の風習と王都の常識があるでしょうが!」

「……まぁそっか。言葉尻だけ捉えて考えるのもよくないな」


 バネウスの元上官が語ったという文化は、ただ言葉だけを聞いて知れるほど浅いものではない。俺がその言葉に影響受けてなんでも食べたとして、彼女の言う通り猿真似にしかならないだろう。何よりオークの肉をいちいち調理して食べるとか、同僚から本格的に気が狂ったと言われそうだ。

 思考の空回りにため息を吐くと、ネメシアが横目でじろっとこちらを見た。


「貴方は自分で奪った命に責任とってない訳?」

「少なくともオークの命を重く受け止めたことはあんまりない。というかオークってどんどん増えるから有難みも何もあったものじゃないし。後処理は丁寧にやってるけど」

「そういう事でしょ。王国には自然の摂理に喧嘩を売ってる魔物がずっといなかった。だから命を食べて責任をどうこうなんてスピリチュアルな慣習が発生し、現代も残ってる。無節操に繁殖するオークがいる時代にその思想は釣り合ってないのよ」


 それが一つの事実なのだろう。

 土の大地が石畳になって、石畳の道に馬車や騎道車が走るようになって、これまでにない新たな規範が必要になる。土の上で、かつ移動手段が乏しかったころには一切必要なかった道路の法律だ。新たな物や文明が敷き詰められると、その場所では旧来の慣習が当てはまらなくなる。


 聖天騎士団はオークと戦闘を行うことはまずないため、件の人は食べる為に狩るのではなく『ただ討伐する』という発想がなかったのだろう。増えすぎたものは殺さなければ害となるという事実に対して実感が持てないのだ。

 彼の理想を道理とするには相応の環境が必要であり、俺はその環境下にいない。

 必然、彼の理想と俺の理想はうまく噛み合わない。ジェネレーションギャップ的なものだ。


「結局俺には騎士道しかないのかねぇ……」

「ま、私としてはどうせ実践したところで最後には騎士道に戻ってきてたと思うけど?」

「そんなことは、あるな」

「何聞いたってやることは一つでしょ。私はミラマールのお肉なんて食べたくないからミラマールを死なせないし大怪我もさせない。ついでに周囲もそういう状況にはさせない。はい、終わり」

「実践できなかったら?」

「出来なかったときの事なんか考えないわ。私の心が一番望んでいる方向にがむしゃらに突っ走ってやる。貴方が私に指示した道よ」


 なんの話だろうと一瞬首を傾げ、思い出す。

 ミラマールをどうしたいのか、彼女を竜小屋まで引っ張っていったときに俺の言っていた話だろう。何故かこそばゆい気分にさせられるが、案外余計なことばかり考えがちな彼女には、頑なな指標の方が合っているのかもしれない。

 と、そんな俺たちの空気に茶々を入れる声が複数飛んでくる。


「また新しい女連れてやがる。小指の角ぶつけて悶え苦しめばいいのに」

「逆に小指が角を抉るに一票」

「角が道を譲るに一票」

「小指ぶつけた拍子に変化へんげが解けるに一票」

「いや、ヴァルナくんそもそも小指を角にぶつけないと思うけど。というか変化って、仮に解けたとして何が出てくるのさ」

「じゃ、何が出てくるか賭けようぜ! 何も出てこねーとかつまんねぇ答えは無しな!」

「ならお前の答えがつまんなかったら賭けはお前の一人負けな。おーいみんな! 今からこいつが抱腹絶倒のすげー面白いこと言うってよ!! ウケなかったら詫びとして金一封らしいからみんなで聞こうぜ!!」

「俺から金せびりたいだけじゃねーか!? あ、こらてめぇら群がってくんな! やらねーよ!? ビタ一ステーラもやらねーよ!?」


 暇かあんたら、と思いたくなるほどどうでもいい話に興じているのは恥ずべき我が先輩方。すなわち今、ネメシアは王立外来危険種対策騎士団の陣地たる騎道車、その近くに来ている。久方ぶりの休みを満喫するように日向ぼっこに興じる者、暇を持て余してぶらぶらしている者などバリエーション豊かな面々が、物珍し気にこっちを見ている。


 彼女をここに連れてきた理由は、作戦の特別功労者たるみゅんみゅんに会わせると約束していたからだ。何だかんだで彼女はまだみゅんみゅんの顔すら見ていないし。一応ながら事前に他言無用であることは伝えてあるから、真面目すぎるぐらい真面目な彼女ならヴィーラの情報をみだりに言いふらしたりしないだろう。

 その彼女は程度の低い先輩方の会話やあからさまなヴァルナに対する嫉妬の目線、自身への好奇の視線に辟易したようにため息を吐く。


「言葉を選ばずに言うなら、品のない先輩をお持ちね」

「品だけあるんじゃここの仕事は長続きしないからなぁ。それに、ああ見えても一度オーク狩りが始まると別人みたいにキビキビ動くぞ」

「ふぅん。想像できないわね」


 普段からしっかりしてる人でないと実戦の際もしっかりできない、とか思ってそうなネメシア。それもまた一理あるのだが、長期任務前提の俺たちは抜ける時に抜き、入れる時に入れるというスイッチを大切にしている。気を張りすぎると消耗が激しくなるのだ。

 環境と求められる仕事の違いだろう。

 そう言うと、ネメシアがからかうように笑う。


「一端の事を言うようになったのね。特務執行官殿の地位が板についてきたんじゃない?」

「その役職、同僚の八割には覚えられてすらないけどな」


 何を隠そう俺も頻繁に忘れるから――とは流石に口に出して言えなかった。


 話している間に浄化場に辿り着く。

 ネメシアはこの騎道車を丸ごと改修した土の浄化設備に若干のショックを受けているようだった。なんというか、カルチャーショック! と言う感じだ。俺が騎士団に入ってすぐのときも同じ気分を味わった。


「聖天騎士団の上層部が魔導機関を用いた飛空船を作ってるって噂は聞いてたけど、下の人間にはまだ関係のない話と思ってた……こんなに近代的な設備を車に積んで走ってるなんて信じられない」

「ここはノノカさんの邪魔さえしなけりゃ誰でも来られるぞ。そもそもメンテの為の研究院の技術者が常駐してるし。走らせるだけなら俺も出来るし」

「嘘……何なのかしらこの敗北感。ヴァルナのくせに、ヴァルナのくせに……!」


 グギギ悔しい……という顔で睨みつけてくるネメシア。

 どうやら最先端の魔科学技術と縁の遠い生活を送っている自分と比べてしまい、謎の敗北感に苛まれているようだ。別に使う必要のない場所で生きているなら知らないでいいと思うのだが。こいつも維持費を研究院が出さなければ数か月でうちの騎士団の予算を食いつぶすほど金がかかるので良し悪しだ。


 まぁ、そんな負の感情もみゅんみゅんを前にすればたちまち癒されること請け合いだ。

 選ばれし民しか経験できないみゅんみゅんセラピーを堪能させてやろう。


「……みゅん?」

「かッ……!!」


 さしもの堅物も、やはり一撃だったらしい。

 自らの心臓を押さえて立ち眩む姿を見れば、誰もが何かにハートを貫かれた様を幻視する。或いはもしかしたらネメシアは魅了に弱いのかもしれないが、ともあれここにまた一人、魔性のかわゆさに魅了された者が誕生した。


 美しき水色の御髪、くりくりとした宝石のような瞳、丸みを帯びた見事なまでの人型と魚の融合、どれをとっても可愛らしいどころか見るたびに美しくさえなっているような……ような……ん?


「あれ、みゅんみゅんちょっと大きくなった?」

「みゅーん!」


 昨日見た時より、若干だがみゅんみゅんのサイズ比率が違う。確信はないが恐らく十センチは成長している。どこか誇らしげに胸を張るみゅんみゅんだが、その胸も前より若干膨らみを帯びている気がする。


「流石先輩、気づいちゃったっすか」

「いやーノノカもビックリの成長です! ヴィーラの幼生観察論文に新たなページが追加されちゃいました!」


 と、みゅんみゅんと同じ部屋にいたキャリバンとノノカさんがやってくる。

 二人とも言っては失礼だが気持ち悪いぐらいニコニコ笑っている。


「どういうこと? 成長期なの?」

「ヴィーラ曰くっすね、昨日思いっきりワイバーン相手に魔力を放出したことで一気に成長が促されたらしいっす! ヴィーラは魔力を上手に操れる個体ほど成長が早いらしくて、今まであまり大胆に魔力を使わなかった分昨日ので反動が来たんじゃないかと!」

「みゅーん、みゅーあ!」

「魔力と成長がリンクするなんて神秘的すぎる事実、現行のヴィーラ研究じゃ聞いたこともない大発見です! しかもしかも!! なんとヴィーラちゃんの成長はそれだけに止まらないんですよ!!」


 水槽に張り付いてみゅんみゅんに見惚れるあまり口元から乙女液が漏れそうになっているネメシアを尻目に、キャリバンが水槽に近づいてヴィーラに声をかける。


「ヴィーラ、俺の名前は?」

「みゅう……あう、あぅ……ぅありわん!!」

「ヴィーラちゃん、ワタシの名前は?」

「ののぁ! ののぁ!」

「な……に……」


 その時、俺に激震が奔った。

 みゅんみゅんが――みゅんみゅん以外を喋っている。

 驚天動地大山鳴動、前古未曾有の大逆転。


 かなり発音は拙いというか舌足らずだが、みゅんみゅんは何が嬉しいのか耳をパタパタさせながら非常に楽しそうに二人の名前を呼んでいる。その姿が尊い。尊過ぎて、俺はもう駄目かもしれない。

 何だこの生き物は。存在自体が卑怯だろう。

 こんなの、もう逆らえないじゃないか。


 いや、駄目だ――とありったけの精神力を振り絞って、信念という名の焼けた鉄を心に流し込む。


 ここで負けを認める訳にはいかない。

 否、俺は負けてはならない。

 俺の背には騎士団の、王国民全ての目指す最強の肩書が、そして友との約束が掛かっているのだ。目の前の小さな魔性の童に、夢のない世界に現れた夢のような光景に、感動してもいい。震えてもいい。喜んでもいい。

 しかし、屈することだけはあってはならない。


 目を開けろ。

 前を見ろ。

 息を吸い、吐き出し、両足で大地を感じろ。

 己が何者で、何を為すかを心に問え。


 そこまで終えて凡てを感じることが出来たなら、そこがお前のいる場所だ、ヴァルナ。


「じゃあヴィーラちゃん、あの人の名前は?」

「みゅ……う、ぅあ……うぁるな! うぁるなー!」


 再度、衝撃。

 これは――この一撃は、受け流しきれない。

 膨大な、多幸感にも似た言語化できない感情の濁流が俺の心を吹き飛ばさんとする。


「――……」


 自分がどこにいるのかさえ分からなくなりそうな、抗い得ない災害の如き大きな力の中で、無力なりしかな俺は何の光も見いだせずに為されるがままに流されてゆく。灯台の光を見失った船乗りのように、何も、見えない。


 無明――「確か」と「未来」の一切が閉ざされた闇。

 俺は、何もできないと知っていたのに、その中でもがいた。

 何も見つからない。見つかったとして目は見えない。なのにもがいた。


 ふと、何かが心に触れた。

 何かも分からないそれはしかし、次第に大きく、強く感じられる。

 これは、この記憶は――。


『それでもお前は夢を目指すというのか、純粋すぎる少年よ』


『先のことなど、俺には分かりません。俺が何を変えられるか、俺には分かりません。でも俺のこの気持ちを、騎士への憧れを棄てる理由なんてない』


『ならば、構えよ少年。私からのささやかな手向け――刹那の如き時間だけ、君が夢に近づく手ほどきをしよう』


 これは、なんの記憶だったか。

 そうだ、これは師匠だ。三番目の師匠。

 すごく綺麗で、不思議な人だった。


 そうか、これは夢か。過去の残滓、或いは走馬燈のようなもの。

 過去の再現でしかないそれに、しかし俺は全神経を集中させた。

 一説によると、走馬燈とは過去の記憶の中から現在の危機を脱するための手がかりを探して垣間見るものだという。なれば必然、ここを於いて流れを戻せる可能性など皆無。


 思い出せ――。


『そう、その感覚を忘れるな』


 思い出せ。


『君は感じ取るセンスがあるな……私の指導はフワッとしていると弟子にはよく罵られるのだが』


 思い出せ!


『え? 私が綺麗だから攻撃を躊躇う? そうか? そうか……うん、いや別に嫌ではないが、なんだな。可愛いは正義とかまかり通してはいけないぞ。可愛いとか綺麗とかは、戦いや罪とは関係ないことだからな、うん。それはそれとして急だがお前にミートパイを作ってやろう。食べるがよい』


 これだ。確信と共に、師匠に心の中で感謝を告げ、瞳を開いた。


 この間僅か0.05秒。現実世界では瞬きのような時間の間に、俺の心は明鏡止水の如き平静さを取り戻していた。久しぶりにミートパイ食いたくなったけど。


「……みゅんみゅん」

「みゅう、うぁるなー?」

「これからもお前のこと、みゅんみゅんって呼んでもいいか?」

「みゅう? みゅー……みゅん」


 仕方ないなぁ、みたいなヤレヤレ顔でみゅんみゅんは頷いた。俺はそれに満足すると、「え、何でこの人急に賢者みたいな悟った顔してるの?」みたいな顔をしたキャリバンとノノカさんを置き、部屋を出て浄化場の屋上に行き、そこで無言のガッツポーズを天に振り上げた。


 俺の騎士道は、可愛いだけじゃ妨げられない。


 人生でもこれ以上ないほどに大きな危機を乗り越えた俺は、汗でびちゃびちゃになった手のひらを開き、太陽を掴むようにぐっと握りしめた。






「……なんだったんっすかね、あれ?」

「さぁ。ノノカもヴァルナくんのすべてが分かる訳じゃないですからねー。でもそこはかとなく嬉しそうだったので、まぁいいんじゃないでしょーか?」


 全くついていけずにぼーっと立ちっぱなしの二人をそっちのけで、ネメシアはヴィーラにルンルン気分で話しかけていた。


「私、ネメシア。ね・め・し・あ。名前呼べる?」

「ねーしぁ。みゅう、えぇしあ?」

「~~~~っ、可愛いぃ……! ああ、ずるいわ王立外来危険種対策騎士団! こんなかわいいコにいつでも会い放題なんて……!!」

「そんなお前に道具作成班限定販売ヴィーラブロマイドは如何かな!? 一枚につき百ステーラ、中身はランダムだ!!」

「あ、金持ちの匂いを嗅ぎつけたアキナちゃんが悪徳な商売をしようとしてる。アキナちゃーん、その子はヴァルナくんのお友達だからダメですよ~!」

「と、とと、友達じゃないわよあんな奴っ!!」

「なら尚更買いだぜ! ヴァルナブロマイドもあるぞ。一枚につき八九ステーラだ!」

「微妙に値段刻んできたっすね」

「みゅーん……(せこい……と言っている)」


 ――何はともあれ。


 こうしてワイバーン騒動は終息し、ヴァルナはまたこの騒動とその後を経て騎士として大切なことを学び、そしてネメシアという一人の竜騎士の運命が大きく変わることとなった。

 この雄大なる天地には、未だ人の知り得ないあらゆる経験が待っている。


 ちなみにこの後ネメシアはセット料金二千ステーラでヴィーラブロマイド十一枚、ヴァルナブロマイドを十二枚購入した。ヴィーラが四枚、ヴァルナは七枚重複し、流石に悪徳すぎることとブロマイドの種類や内容が不透明すぎるという苦情から重複分の代金は賠償されることとなった。


 ヴィーラの写真はともかく、彼女が残り五枚のヴァルナブロマイドを購入した理由は不明である。翌日、何でこんなの買っちゃったんだろうと写真の前で顔を真っ赤にした彼女の姿が確認されたかどうかは、定かではない。

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