第166話 いのちの名前を聞かせてください
ネメシアとのフライトはとても楽しかった。ぶっちゃけ「ネメシアと一緒にいて楽しいとか気が狂ったかヴァルナ!」とアストラエには言われそうだが、風景に感動した訳だし、今回の件で若干彼女との距離感も近まった気がする。
「なにニヤけてるのよ気持ち悪い。変な妄想してるなら自分の部屋でやりなさいよ。それとも何? 貴方もしかして女の子と握手とかしたら手を洗わないでおく系の汚らわしい人種?」
「いや、フライトが楽しかったんで余韻に浸ってる。本当ありがとな、ネメシア」
「うう、なんでコイツこういう時滅茶苦茶素直なのよ……ていうか! 別に私がやらせたいと思って誘ったんだからお礼を言われる筋合いないし! 感謝は受け取るけど!」
ここで「勘違いしないでよね!」などと最近王都で密かに流行りつつあるらしい小説ヒロインみたいなことを言わず素直に受け取っちゃう辺りに人の好さが隠し切れていない。というか昔と比べてあんまり隠さなくなった。俺も彼女に必要以上に苦手意識を持ち過ぎていたのかもしれない。
その後の余った時間、俺は聖天騎士団の他の訓練をたっぷり見学した。編隊飛行などの訓練、ワイバーンの手入れ……竜上槍の訓練なんかはちょっと参加させてもらったが、もともとそんなに槍が使えないので使いこなせなかった。なので途中からは剣対槍での模擬戦に洒落込んだ。
ガーモン班長との模擬戦はよくやるが、聖天騎士団の槍術は彼のものとはかなり違い、「有利なリーチ差と間合いで攻撃する」という槍という武器の特性を最大限に活かすものだった。王国の槍術もそういった部分は当然あるのだが、槍がダメなら捨てて剣使えという剣至上主義みたいなものが根底にあるので、その辺の判断基準の違いも面白かった。
武人としての武術ではなく組織としての武力行使を突き詰めた考え方は、今後何かの参考になるかもしれない。
「って満足そうに頷いてるけど……」
「こ、この人数で槍を使っておいて全滅させられるとは……不覚とさえ言えねぇ」
「あ、あたしの槍が踏み台にされた……」
「認識改めるわ。正面から戦ったら王国最強ヤバイぐらい強いよ」
勿論訓練だからといって負けてやる訳はないので、こっそり混ざっていた聖天筆頭騎士も含めて綺麗に全員倒しておいた。
「訓練兵に紛れて完璧な奇襲を仕掛けたのに見切られるとはこのヴァン・ド・ランツェー無念なり……」
「おいこら筆頭騎士。プライド捨て過ぎだ」
「ヴァン筆頭騎士、失望しました」
「だって負け越したままとか悔しいじゃんっ!?」
じゃん、じゃねーよこのオヤジ。
というか、もしかして俺に闇討ちが効くか試しただろ。同じく負けたネメシアさえこのプライド捨て過ぎ騎士をゴミを見る目で見ている。卑怯だからというよりは、いい年こいてみっともないことするなという感じだ。
そして、その光景を離れた場所から食い入るように見つめる視線。
先日の事件の当事者、サイラードだ。
表向きお咎めはなかった彼だが、現在はパートナーであるアルハンブラの療養もかねて1週間の訓練禁止令が出ている。少し意外なことに、今は自分から騎士バネウスの手伝いを買って出て、現在も訓練後の後片付けを手伝いながらこちらを見ている。
いや、率直に言って睨んでいる。俺が憎いというわけではなく、俺から少しでも強くなるための情報を引き出して、いつか見返してやろうという目だ。彼はどうやらそういう道を選べたらしい。
……より醜い道を選んだ連中を山ほど知っている身としては、できればそのままの志を保って欲しいと願うばかりである。少なくとも俺を貶める方向に向かっていった同級生たちは、その殆どが成績下位に凋落していった。
槍使いと言えば、ガーモン班長の弟ナギをふと思い出す。あれとの闘いは実に清々しい決着だったが、彼は今頃何をしているのだろうか。久しぶりに会いたくなったが、再びクリフィアでの任務でもない限り会うのは難しいだろう。
訓練が終わって数人にサインをねだられつつ、そろそろ騎道車に戻ろうと思っていると、訓練場に一人の人物がやってきた。騎士バネウスだ。
「皆さん、昨日の疲れもあるでしょうにお疲れ様です。ヴァンさん、ちょっとお時間いただいていいですか?」
「ん?どうした、何か連絡か? ……ふむ、そうか。なら敢えて止めまい。全員、集合!!」
本日の教官を務めていたヴァンに近づいた彼は、挨拶を交わしてなにやら話し、ヴァンが全員に集合をかける。俺も団員ではないが、一応ついて行ってみる。
「すみません、突然。昨日のことがあって、やはりこの話を一度しておくべきだと思いまして……愚かな先達の後悔と、心ばかりの忠告です」
それは、騎士バネウスが長らく黙して語らなかった過去の悔恨。
彼がまだ竜騎士としての適性を持っていた頃の話だった。
「当時、僕も皆さんと同じように竜騎士としての訓練に励んでいました。自分で言うのもなんですが、新人の中では優秀な方だったんですよ」
「え……でもバネさん前に『適正がないから乗れない』って……今もワイバーンに乗ってはないし」
「ええ、今はありません。無くなっちゃったんです、適正」
自嘲するような笑みに、質問した若手騎士も思わず口を閉ざす。
「……若かりし日の僕は、向こう見ずでした。空を飛ぶのが楽しくて、来る日も来る日もワイバーンを飛ばしていました。他の子より少々技術の覚えが早かったので、曲芸飛行を勝手に試して教導騎士に怒られたり、充実してました……それが傲慢と負担の押し付けによって成り立っていると知っていれば……いえ、なんでも」
「話し辛いなら俺が話すぞ。あんまり無理はするな」
「いいよ、ヴァンさん。自分で話せる」
(あの二人、付き合い長いのか……)
ヴァンとバネウスさんの間にある距離感の近さに、二人の関係性が微かに垣間見える。言われてみれば二人は年齢が近いように思える。ヴァンが今回の件で多めに譲歩したのは、もしかすれば――。
「忘れもしません、今でも時折夢に見る運命の日……あの日は嵐が近いのか、午前までで訓練を終わらせてワイバーンを暫く飛ばせないという決定が下っていました。僕にとって数日でも空が飛べないという感覚は耐えがたく……その憂さを晴らすようにいつにもましてワイバーンを酷使しました。そして回転宙返りを決めようとした瞬間のことでした」
空を見上げたバネウスさんは、まるでそこに過去を垣間見ているようにメガネの奥の瞳をすっと細めた。
「背後から、突風が吹いたんです。皆さんご存知でしょうが、空を飛ぶ生き物にとって追い風は最も危険で飛行を妨げる風です。僕とワイバーンは、宙返りの途中にその風をもろに受け、バランスを崩しました」
キャリバンから聞いたことがある。鳥の羽は正面から空気を受けることで空力を発生させているので、人間のような地上の生物と違って追い風が不利に働く、と。空力という言葉自体が彼の師であるリンダ教授の受け売りらしいが、それはワイバーンとて例外ではないようだ。
「僕の考えうる限り、最悪のタイミングでした。それは僕が落ちたということではなく……風の影響でワイバーンがロールしてしまい、一瞬どちらが上でどちらが下か判らなくなってしまったのです」
「……ッ!!」
「……どういう、ことでしょうか」
周囲が息を呑む中、俺は間抜けにも質問した。
恐らく、ここにいるメンバーの中で俺だけがその言葉の意味を正しく理解していないと感じたからだ。間抜けなりに知らないことは学ばなければならない。
上は上で、下は下。それが俺の感覚で、それが判別できなくなるというのが想像できない。この質問にはヴァンが答えた。
「こればっかりは竜騎士でないと共感できぬ感覚だろうが……空でバランスを崩すと、つける足場がない。下を見ようにも空ばかりが見えることもあり、平衡感覚が狂ってしまう。平衡感覚を失ったまま飛ぶのは、崖の淵を目隠ししながら歩くようなものだ」
一瞬それの何が危ないのかと思ったが、そういえば普通の人はそんなことをしたら崖下に落ちる。「俺ならノーミス余裕です」なんて空気の読めないことは言えないので必死に分かった風の顔をした。
……俺が目を瞑ったままでも戦えることを知っているネメシアは若干冷たい視線を送っていたが、これは流石に勘弁しろ。俺が悪い訳じゃないだろう。
「天地を見失ったのは数秒……私はとにかく必死にワイバーンに指示を出しました。上昇するように羽ばたけと。それが――運命の分かれ目でした」
翼で飛ぶ生き物が上昇するには風を切りながら翼を上向きにして揚力を得るか、羽ばたくかの二つに一つ。これも確かキャリバンから聞いたし、ネメシアからも空を共に飛んでいる際に聞いた。羽ばたけば普通、上に飛ぶだろう。
大地と平行に飛んでいるのであれば、だが。
「上を向いていない状態で羽ばたけば余計にバランスが崩れるだけです。一瞬の判断ミスは挽回できず、僕が気付いたときには既に地表まで僅か十メートル。体勢を立て直すにはあまりにも加速し過ぎ、遅きに失しました。不時着の体勢を取るので精一杯……僕はワイバーンと共に地面に叩きつけられました」
「ワイバーンは……どうなったのでしょう」
「地面に落ちた衝撃で意識が朦朧としていましたが、僕はあの子の生死を確認しました。衝撃で翼がひしゃげ、足も骨折していましたが、生きているのに安心した僕は意識を落とし……目が覚めたのはそう、二日後でしたね。奇跡的に、僕は膝の骨折以外は軽症で済みました」
その骨折も治癒士の尽力で数日で接合した、と騎士バネウスは語った。そしてその後数日間、なぜあんな無茶をしてしまったのかたっぷりと自分の行動を悔いた。迷惑をかけた全員に謝って周り、リハビリし、体調も戻ってきた。
そんなある日、当時の竜小屋の管理騎士だった人物がバネウスの病室にやってきたという。
「退院の前祝いだと言ったあの人は、肉のワイン煮込みを一人前持ってきました。病室の食事に飽きつつあった僕は、管理騎士もこんな計らいをするんだと意外に思いつつお肉を食べました。とても美味しくて……でも、なんだか食べたことがなくて、ちょっと繊維質で固めで新鮮な触感でした。綺麗に完食したのを確認した管理騎士は、美味しかったかと問いました。頷くと、彼は続けて僕にこう言ったんです」
『それはワイバーンの肉だ』、と。
「……その意味を理解するのに一分はかかりました。僕はたっぷり考えたのち、違う答えであって欲しいと願いながら、ワイバーンの名前を聞きました。僕の……僕のパートナーの、名前でした」
痛いほどの沈黙が、場を支配する。
騎士たちはある者は絶句し、またある者は口元を押さえていた。
呼吸を忘れてしまいそうなほど、残酷な真実だった。
「翼も足もワイバーンが飛行するには必須です。しかも最悪なことに、翼の骨は一度折れると治ったとしても変形し、飛行能力がなくなってしまう。いくら騎士団でも飛べなくなったワイバーンを介護する余裕はありません。僕がのんきにリハビリしている頃には既に殺処分が決定し、その一部を彼が譲ってもらい、持ってきたんです」
「何のためにだよ。嫌がらせじゃねえか……」
騎士の一人が苦々し気に呟くが、騎士バネウスは首を横に振った。
「彼の住まう地域では、自分が殺した獣の肉は必ず自分が最初に食べるという風習があったんです。つまりですね、あのワイバーンを殺したのはお前だと伝えに来ていたんです」
「そ、それは違うんじゃ……殺したのは殺処分の決定と執行を行った人たちじゃないんですか!?」
「いいえ、私です。調子に乗って難易度の高い飛行を、しかも危険だと分かっている日に断行しなければ、あの子は墜落せずに済んだ。あのとき、パニックになったとき、僕があと少しでも羽ばたくなんて指示を出さずに状況を見極めていれば、こうはならなかった……僕はその場で食べた肉を吐き出しそうになりましたが、彼が無理やり飲み込ませました。吐き出してしまえばあの子は本当に無駄死にだと」
「……命を殺すことは、命を頂くこと。この島の原住民の間ではよくある考え方なんだ。責任とれって事だったんだろうな。俺は正直その考え方を押し付けたアイツは嫌いだが」
「言わないで、ヴァンさん。あれは当然の報いだったんだ」
ふん、とヴァンが不快そうに鼻を鳴らし、騎士バネウスがたしなめた。
「……既に何度か教導の合間などに説明は受けたでしょうが、ワイバーンの命は騎手が握っています。今回の騒ぎで僕はサイラード君を怒りましたが、サイラード君だけでなく、ここにいる全員がワイバーンの命を危険に晒す可能性を持っています。それは未熟だからではなく、命に対する責任が皆にもあるからです」
それは遠回しに、過去の己がその責任を軽視していたことへの自責が含まれているように、俺には感じられた。
「今回は奇跡的にアルハンブラに再度チャンスが与えられました。ミラマールの件は、まさに命の責任を取ろうと足掻いた結果の復活だと僕は思っています。だから、君たちは絶対に僕のようになってはいけません。どんなにワイバーンの騎乗技術が高かろうが、責任を持てない人間に命は任せられないのです」
今回の事件、俺は最初から最後まで考えっぱなしだった。
そしてまた、新たに考えることがこうして目の前に浮かび上がってくる。
俺はこれから人を率いる時、今回のように責任を胸に抱き続けられるのだろうか。脳裏をよぎる不安を読み取ったかのように、騎士バネウスは柔らかな、しかし耳の奥にしっかり残る強さを持った言葉を贈る。
「責任を持ちなさい。ワイバーンを愛しなさい。騎士としての助言はヴァルナくんが昨日言っていましたので、僕から言えるのはそれだけです」
「最後に一つ聞いてよろしいですか?」
「何でしょう、ネメシアさん」
「ワイバーンの名前を……お聞きしても?」
おずおずと呈されたネメシアの疑問に、そういえば、と気付く。騎士バネウスはずっとワイバーンの名前を呼ばなかった。ワイバーンに対して愛情深い彼が、当時最も信頼を寄せていたであろうパートナーを名前すら呼ばないのは、確かに不自然だった。
騎士バネウスの返答は早かった。
「私にあの子の名前を呼ぶ資格はありません」
微塵の躊躇もない、重く、自戒的な一言を以て、嘗ての失敗者の忠言は締めくくられた。
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