第165話 世界が違って見えてきます

 結局のところ、今回の一連の騒ぎは全てがモリョーテによるものであると結論付けられた。


 これからモリョーテの持ち込みにはより厳しい制限が課され、保管庫も勝手な持ち出しが出来ない程度には厳重なものへと変わるだろう。ミラマールは今回の働きが認められて見事現場復帰が認められ、ネメシアは我がことにように喜んでいた。俺がそれを微笑ましそうに見つめているのに気付いて逆に怒られたが。

 まこと読めぬは女心と秋の空だ。


 騎士バネウスの責任問題だが、お咎めはなくなった。

 当初は責任を追及されそうにはなっていたが、結局のところ事を大きくすれば無断出撃したサイラードに飛び火すると考えたのか、称賛こそないものの責を追求されることもなかった。そもそもサイラードの父、レインズ・ニジンスキー砦長の職権濫用もあまり公にしたい話ではないのかもしれない。

 それに、懐かしの顔が現れたのも大きかった。


「いやはや久しいな、騎士ヴァルナ! 御前試合以来だったかね?」

「ご健勝そうで何よりです、ヴァン・ド・ランツェー聖天筆頭騎士殿」


 どうやら俺が砦に滞在しているのをどこからともなく聞きつけたらしく、大至急でここに向かってきたらしい。俺のことを随分買っているためか、話も俺の望む方向性にさりげなく流れを作ってくれた。

 しかし、このおっさんからはうちのくそジジイと似た気配がするので対応は塩モードで行う。しっしっ、こっち寄ってくんな。


「うーん態度が硬い、硬いぞ騎士ヴァルナ! いずれ我が娘婿となる間柄にその距離感は良くないな!」

「そんな予定をねつ造しないで下さい」

「えー、もう娘に婚約者だよって話しちゃったし~。ものすっごい喜んでくれてたし~」

「そうですか。存分に嘘つきだとお罵られになってください」

「取りつく島もないな……」


 丁度いい距離感こそが重要とつい数日前に学んだ手前であるが、彼の持ってくる話からは危険な香りしかしないので生憎と仲良くする気はない。自己防衛のために。


「ほれ、今回の件でちょびっといい感じに話を誘導したってことで貸し一つ。どうだ?」

「有能な騎士バネウスの不当な処罰を防ぎ、問題解決に貢献し、なおかつ将来有望な騎士を一人救助する手助けをしたので貴方に対しては貸し三つ。一つ引いてもこちらが貸し二つです」

「そんなの別に恩に感じてない、って言ったら?」

「俺も恩を感じてないので貸し一つ増加です」

「……はっはっは! いやー手強いなぁ君は。いいだろう、こちらの借り三つだ。そのうち頼ってくれたまえ!」


 快活な笑顔で自分に不利な条件を敢えて飲むことによって好印象を与えつつ、その借りの中で更に繋がりを得ようとする打算の塊であると俺は読んでいる。いや、むしろ既に裏でくそジジイと繋がっているんじゃないか?

 ああいった懐柔しようとしてくる手合いは本当に頭が疲れる。

 さっさとオークの頭を斬り離す作業に戻りたい。


 結局、騎道車に戻ったころには日が暮れていた。


「……という訳で、怒涛の展開に俺ぁもう疲れました」

「お疲れさん。ほら、今日の晩飯はいつもより豪勢なハンバーグ定食だよ」


 タマエ料理長の労いの言葉と共に、プレートに盛られたハンバーグの食欲をそそる香りが鼻腔を擽り、涎が湧き出るのを感じる。恐らく古くなった肉を格安で譲り受ける事が出来たのだと思うが、そういった機会なしにこのような料理が出てくることは少ない。


 ちなみにハンバーグにはオニオンソースがかかっている。何を隠そう俺はオニオン派だ。他にはトマトソースと東洋風ソースがあり、ドミグラスのような手間のかかるものはない。


 パン、オニオンスープ、そしてサラダの色合いを楽しみながら、さっそくハンバーグに手を付ける。

 ナイフとフォークでハンバーグを切ると、中から驚くほどの肉汁が湧き出る。強い抵抗なく滑らかに切り分けたその肉を口にすると、うっとりするほど優しい舌触りに乗った濃密な旨味が口の中で弾ける。


 美味い。料理班の料理はいつも美味いが、やはり疲れた日の肉料理は格別に美味く感じてしまう。実際、王都で同じだけの味のハンバーグを探すのは難しいだろう。肉の一欠片さえ惜しみながら食べてしまう。


「相変わらず美味そうに食べるねぇ、ヴァル坊は」

「美味いんだからしょうがないでしょ」


 残ったソースと肉汁までパンで掬い取って綺麗に完食した俺に、タマエさんは意地の悪い笑みを浮かべた。


「その肉、豚とワイバーンの合い挽きだよ」

「でぇぇッ!? うっそぉ!?」

「もちろん嘘だよ。ワイバーンの肉はクセはないけど硬くて手間がかかるからねぇ」


 いや、ワイバーンの肉を食べたらどうこうという話ではないのだが、必死こいて助けてきたワイバーンがその晩の食卓に並ぶという微妙にリアリティのある話に盛大に動揺してしまった。タマエさんは悪戯が成功したとばかりにからから笑っている。ひどい。


「使ったのは普通の牛肉と豚肉。ワイバーンの餌と兼用で仕入れてるのを融通してくれたのさ。ついでにヴァル坊の頑張りに応じてってことで余分までくれたから、今日はちょっとばかり奮発してハンバーグになったってこと」

「あぁ、そう……とすると、俺の頑張りの成果を皆が貪ってるように見えなくもないですね」

「余った牛でビーフジャーキー作ってるから完成したら分けたげるさ。それで満足しな。功労者組で集まって食べるといいさ」

「むっ、別に僻んでるんじゃいですよ。そんなに食い意地張っちゃいません」


 ちょっと心外だったので抗議の視線を送ったが、タマエさんは悪い悪いと軽く返すばかりだった。別に肉を貪るためにあれほど頑張った訳ではないし、言うほど周囲が肉を貪っていることに納得できない訳ではない。どいつもこいつも普段は一緒に苦労してる面子、たまの贅沢くらいは許されるだろう。俺も許されたい。

 しかし、タマエさんの考えたことは少し違ったようだ。


「いいんだよ僻んで。ヴァル坊はいつも民の為とか誰かの為とか言って突っ走ってるけど、働いた分の幸せを求めるのは当たり前のことさ。でないとひげジジイに無償奉仕してるようなもんじゃないか。あんまり安請け合いしてると仕事の価値が軽くなる。あたしはねヴァル坊、あたしの料理しごとを安く見るような奴には料理は作らない主義だよ」


 仕事を安売りしすぎると、本当に安く買い叩かれることもある。

 まさに俺たち王立外来危険種対策騎士団こそ、一歩間違えればそこに行きついてしまう。


「あんた、今回のワイバーン騒ぎは本当に給料に見合った仕事だったかい? 頑張るのも仕事に一生懸命なのもいいけどね、ヴァル坊。あたしは筆頭騎士だか最強騎士だかって肩書またたびにあんたが無理に酔わされてないか、心配だよ」

「タマエさん……」


 齢40歳となるタマエさんの顔は、まるで我が子が働きすぎていないか心配する親の顔だった。俺の両親は何を伝えてものほほん面してちっとも心配してくれないのにこの落差よ。アレ、なんかタマエさんの優しさに涙出そう。


 タマエさんは時々、騎士としての俺の在り方に疑問を呈するような根幹的な問いを投げかけることがある。


 お前のその判断は本当に正しいのか?

 その思考、その行動は本当に望んだものか?

 問われるとすぐには答えられずに己を振り返る必要があるような言葉。それは先ほどの悪戯みたいな嘘と違い、惑わすのではなく己を顧みさせようとしているのかもしれない。

 そして、その質問を受けるたびに俺は己を顧みて、やはりこの道が選んだ道だと確信する。


「大丈夫ですよ、タマエさん。今回は俺よりも肩書きに振り回されてる同級生をちょいと手助けしただけですし、迷惑も多少はかけてやりましたから」

「……ならよし!」


 迷惑かけるのはよくなくないか、と言った後に思ったが、たまにはいいだろう。

 世の中、すべて間違いも無駄もない道を歩めるほど人間はゆっくりしていないのだから。

 なお、ひげジジイには積極的に迷惑をかけるべきであるという真理については一ミリも揺らいでいない。これはもはやコスモの真理である。




 ◇ ◆




 翌日、俺は空を飛んでいた。

 もちろん自力でアイキャンフライしている訳ではない。


 俺は空を飛ぶ体技を習得してもいなければ背中から突然羽が生えて舞い降りし者的な存在になるとかいうこともない。先輩方の間では実は生えるんじゃないかと実しやかに噂が流れているが、そんなにジッと見つめても生えないからいい加減アマルは嘘に気付くべきだと思う。

 なんであんなに期待の籠った目が出来るのだろう。

 俺が嘗て幼少期に持っていたのに士官学校で失くしてしまった輝きである。


「あんたも少しは苦労してんのね……」


 後輩の愚痴話を聞いて多少は同情的な目を向けてくれるネメシア。

 人に羽が生える訳ないと断言する常識力に目頭が熱くなる。

 だってうちの騎士団ノリで勝手に盛り上がるんだもの。


 ちなみに余談だが、アマルの士官学校卒業時の剣術成績は十三位。これは奥義習得数が圧倒的に少なかったことと、戦術を覚えるまでの負けの積み重ねで低めになっている。ロザリンド曰く、実戦での強さならば五位くらいになってもおかしくなかった、と如何にも不満気に頬を膨らませて文句を言っていた。

 シチュエーションや力関係は全く違うが、どこか友達の実力が過小評価されているのに腹を立てる某令嬢セドナを想起させる。かわいい後輩だな。


 現在、俺はネメシア駆るミラマールに相乗りして空を飛んでいる。

 問題もひと段落した所で、機嫌のいいネメシアが「平民では絶対に叶わない特別なフライトに相乗りさせてあげる」と誘ってきたのだ。曰く、昨日は風景を楽しむ余裕はなかっただろうから、空の景色を知らずにワイバーンに乗ったと思って欲しくない、だそうだ。


 なお、お誘いの際に「ミラマールの上で嫌らしいマネしたら叩き落とすわよ。え、私とミラマールのどっちにって? 両方よ両方」とさりげなくげんなりポイントを挟む手際は流石だと思う。


 まぁ、彼女からのせっかくのお誘いだし、景色も改めて見たいと思ったためにこうして承諾した訳だ。念のためにと俺たちの数十メートル後ろを付き添いのワイバーンもいる。乗っているのはワイバーン出撃騒ぎのときに俺に謝りに来た子だ。


「それで、如何かしら平民騎士さん。選ばれし戦士にしか拝見を許されないこの光景は?」


 自慢話をするように誇らしげな彼女の言葉に、俺は今一度周囲を見渡す。


「なんというか、圧巻だ。綺麗とかじゃなくて、見える光景のスケールが違う」


 俺は平地に住んでる人間だ。王宮の上階から下を見下す光景でも物珍しい。そんなスケールの小さい世界で生きる俺にとって、この天と地の狭間はまったく未知の光景だった。


 上に広がる蒼穹は、視界に障害物が映る地上から見上げたそれとは別物だ。

 手に届きそうな雲、見上げれば際限なく広がる蒼に瞳が吸い込まれる。太陽が燦然と照らすこの空間はまるで夢の中のようで、その気になれば際限なく上を目指せる気がしてくる。


 視界を少々落とせば、日常では全く見ることのない地平線がどこまでも広がる。

 考えれば、地平線など絵画と本の世界でしか知らなかった。世界や大地がどんな形をしているのか、地図から感じる立体感と現物とでは印象や雄大さがまるで違う。


 見下ろす地上はあの巨大な竜小屋がまるで模型に見えるほど遠い。

 自分が足をつけて走っている世界が、まるで別物である。自分が通った道や砦を上から発見できると、こんな形だったのかと何故か妙に嬉しい気分にさせられる。


 総評としては、こうだ。


「すげぇ」


 語彙力を死蔵させる、自分でも子供かよと思う言葉だ。

 でも、今の俺の心に広がる気持ちを表現するには、余りにも言葉で説明できる感覚が少なすぎ、しかし感動や興奮は大きすぎる。故に、俺はすげぇとしか言えなかった。

 ただ、ネメシアはそのレベルの低いコメントに難癖をつけることはなかった。


(……そんなに嬉しそうに喜ばれるとからかい辛いっての。まったく、そんな顔されたらこっちまで顔がにやけちゃうわよ。ずるいわ、それ)


 タマエさんには割に合う仕事をしろと言われたが、こんな光景を見られる役得は他の仕事では絶対に得られないだろう。しかもその光景を見せてくれるのは、俺が問題解決を手伝った一人と一頭だ。

 騎士冥利に尽きる恩返しに感謝しながら、俺は暫く童心に帰ったように空の景色を見つめ続けた。

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