第164話 皆の為の一人です

 アルハンブラとサイラードは無事に救出された。

 アルハンブラはもはや飛ぶ気力もないほど消耗してしまっていたようで、暫く竜小屋の下層で養生することとなった。モリョーテの成分を至近距離で嗅ぎ続けた結果、自分でも自制できないほど興奮してしまっていたらしい。ノノカさんと騎士バネウスの見解では、あのまま飛び続けていれば最終的にはアルハンブラが体力を使い果たして死ぬ可能性すらあったらしい。


「猫にとってのマタタビって要するに危ないおクスリですからね。過剰摂取は死のリスクを伴います」

「はぁ……俺が焚きつける形になっちゃってるなぁ。やっぱり気分に任せて物を言うと自分に返ってくるものかぁ」


 正直、ネメシアのことで気が立っていたとはいえ余りにもずけずけと物を言い過ぎたと後悔している。自分では自制心のあるつもりでも、やはり自己評価とは全面的にあてにできる代物ではない。


 なお、みゅんみゅんを無断で作戦に持ち出したことについて、キャリバンは彼女の入った樽を抱えながらかなり恨めし気な目で睨んできた。これについては申し訳ないとしか言えない。今度同じことが起きないよう、道具作成班に噴霧器を作ってもらおうと思う。


「この子に怪我の一つでも負わせたら、いくら先輩でも俺は立ち上がるっすよ」

「いざというときはみゅんみゅんだけ空中に放り出してファミリヤに回収してもらう手筈だったんだが、不確定要素のある作戦に参加させちまったことは、本当に悪かった」

「……あの、みゅんみゅんを放り出す状況って?」

「俺が死ぬか空中に放り出されるとき。まさか心中させる訳にもいかんだろう、騎士として」

「死ッ……」

「み、みゅう……」


 キャリバンとみゅんみゅんはドン引きしていた。

 なんか変なこと言っただろうか。

 無害魔物をむざむざ死なせてまで生き残るというのは騎士じゃなくて唯の屑だと思うので、守り通すのが筋だろう。もちろん俺は死ぬ気は欠片もないが、流石の俺も自力で空は飛べないし、着地はどうにか出来ても衝撃でみゅんみゅんが死ぬ可能性があったので保険は必須だった。


「私の耳がおかしくなったのかしら、あの高高度から落下して着地するって言う馬鹿平民がいる気がするんだけど」


 なぜかネメシアまで頭のおかしい奴を見る目で見てくる。

 いや、これが平常運航だったような気もするけど。

 むしろこの目の方が初対面より遥かに好待遇とは一体全体どういう事なのだろう。


「やったことないけど裏伝五の型、鸛鶴こうづるで衝撃分散すればギリ大丈夫だと思う。流石に膝壊れるかもしれんから試す気はないけど」

「当たり前よこの馬鹿っ! 非常識男っ! しかも裏伝なんて勉強してたの!?」


 そういえば彼女には言ったことがなかった。

 まぁ裏伝なんてあれば便利なだけで必須じゃないし、覚えるのも楽じゃないからおすすめはしない。ちなみにアストラエとセドナもいくつか習得している。アストラエはともかく剣術下手くそのセドナがイケてる辺り、彼女は実に片手剣に向いていない。


 閑話休題。

 俺が焚きつけてしまったサイラードも疲労困憊ながら無事帰還した訳だが、彼を待っていたのは生還を喜ぶ声ではなく先輩騎士の荒々しい出迎えだった。


「騎士サイラード、歯を食いしばりなさいッ!! ……指導ッ!!」


 鬼の形相の騎士バネウスが振りかぶった拳がサイラードの左頬に叩き込まれ、サイラードはもんどりうって倒れた。思わず非難がましい目で彼をにらみ返したサイラードだが、そんな彼の想像を絶するほど騎士バネウスは怒っていた。


「な、何を――」

「何をしたのか、貴方は自分で分かっているのですか……!?」


 温厚な性格にしか見えなかった騎士バネウスの激しい怒りに、周囲もざわめくばかりで止めに入れない。騎士バネウスはサイラードの目の前まで歩いて近づき、厳しい口調で叱咤する。


「騎士団の備品、それも取り扱い注意のモリョーテを無断持ち出し! 竜小屋に持ち込みが禁じられている不用品、釣り竿の持ち込み! そして上司の指導なしにそれを用いてワイバーンにモリョーテを嗅がせながら飛行するという無謀極まりない行為! 挙句、他所の騎士団を巻き込んでのこの騒ぎッ!! すべて貴方の軽挙妄動が原因ですッ!!」

「お、俺はただあのヴァルナってやつに――」

「ただもでもも、事ここに至っては聞く耳を持ちません!!」


 俺も自分の責任を主張しようかと前に出ようとしたが、凄まじい剣幕の騎士バネウスに睨まれて思わず足が止まる。タマエ料理長が本気で怒ったときに匹敵する強烈な威圧感を前に、これは口出しできないと俺は悟った。

 流石に彼が怒りに任せてサイラードをタコ殴りにし始めたら止めるけど。

 サイラードも一応疲労困憊だし、本当に死にかねない。


 騎士バネウスはそのままサイラードの襟首を掴んで無理やり立たせ、引きずるようにアルハンブラの前に連れて行く。


「見なさい、アルハンブラの弱々しい姿を!! これをやったのが貴方です!!」

「ぁ……アルハン、ブラ」


 サイラードの目の前には、疲れ切って浅い息を漏らすアルハンブラの寝そべった姿がある。ほかの騎士が口元から水を与えているが、疲労が溜まり過ぎたか上手く呑み込めず、半分以上が下に零れてしまっている。


 アルハンブラの瞳がサイラードを見やる。

 恨みも憎しみもなく、ただ困惑があった。

 アルハンブラは半ば理性が飛んでいたため、何故自分がこうも疲れて横たわっているのかが理解できないのだ。どうしてこんなに疲れているのか問いかけるような瞳に、サイラードは言葉が出なくなる。


「万が一モリョーテが途中で落ちてアルハンブラがそれを追えば、地面に激突して首の骨を折り、死んでいた所です!! そうでなくてもホバリングはワイバーンにとって負担が大きい! 空中で力を使い果たせば落下死、それを免れても翼が折れて空を飛べなくなりかねない!! 飛べなくなったワイバーンがどうなるか、知らぬ貴方ではありますまい!!」

(……どうなるんだ、ネメシア)

(走れなくなった馬、乳の出なくなった牛と同じよ)

(……そう、か。そうだよな)


 考えてみれば当たり前だ。牛なんかより余程養うのに手間がかかるワイバーンの数を遊ばせる理由も余裕もない。前に王都で期間限定のワイバーンステーキを見かけたことのある俺は、それ以上何も言えなくなった。

 思えばネメシアも、心のどこかでミラマールがそうなる事を恐れていたのかもしれない。


「……事情は聴きました。騎士ヴァルナに騎士ではないといわれ、ミラマールの不調の原因を調べることでその鼻を明かそうとした、と。別にその行動自体を咎める気はありません。プライドを捨てろとは言えない。しかし、その手段がアレですか!? アルハンブラの命を危険に晒すのが!?」

「……俺の命はどうだっていいってのか」


 鈍い音が響き、周囲が思わず顔を顰める。不貞腐れ気味に呟いたサイラードの頬にもう一発拳が叩き込まれたのだ。草原を転がった彼を騎士バネウスは掴み上げた。


「騎士が命を懸けるのは当たり前でしょうがッ!! 問題はその命の懸けどころと、それに無駄に巻き込まれる者がいないかということですッ!! 貴方はまだ分かっていない! 運が悪ければ、貴方はアルハンブラに全く謂れのない殺しの罪まで着せる所だったのですよ!? 己の判断で仲間を死なせ、あまつさえパートナーに同じ罪を背負わせようとしていたのですッ!!」

「す、少し試してすぐ終わる気だったんだ……」

「その少しが既に危険だと何故思い至らなかったのですッ!!」

「それは……」


 言葉が出ず、サイラードは茫然とした顔で沈黙する。

 その沈黙の理由は明白、今になって考えれば危険だということは解り切っているからだ。


 なぜネメシアとミラマールの訓練は中止されたのか?答えはネメシアとミラマールに命の危険があると判断されたからだ。そしてネメシアとミラマールのそれと同じ状況を再現しようとするならば、そこにも当然命の危険がある。

 にもかかわらず、彼は周囲の制止を振り切って無謀な検証に挑み、死にかけたし死なせかけた。


 厳しい言い方をすれば、何も考えていなかったからこうなった。

 いや、或いはそれにもかかわらずこの程度で済んだのだ。


「ワイバーンの生死は騎主たる竜騎士に全て委ねられています。二つの命を背負っている。そしてワイバーンも貴方がた騎士も育成には決して安くないお金と手間と、そして計り知れない愛情が注がれている」


 騎士バネウスはそういいながら、実際にはお金も手間も屁とも思っていないだろう。

 彼と出会ってまだ短い時間しか過ごしていないが、時折キャリバンと動物について語らっていた彼は本当に楽しそうだったし、着陸したアルハンブラの命に別条がないと知ったときは膝から崩れ落ちて安堵していた。

 我が子も同然の愛。彼はワイバーンにそれを惜しみなく注いでいる。

 だからこそ、彼は憤怒の形相でサイラードに烈火の如く怒る。


「君がその愛を、命の重みを安く見積もったことが私には我慢ならないッ!!!」

「……ぃま、せん」

「謝罪など今は聞きたくもありません。騎士ヴァルナ、騎士ネメシア、そしてノノカ女史。申し訳ありませんが今すぐ砦に向かって報告をしましょう」


 俯きながら震える声で放たれたであろう謝罪を拒絶し、騎士バネウスは肩を怒らせて砦へ戻っていく。ネメシアは戸惑いながらもそれに追従し、ノノカさんは「先に行ってるね」とソコアゲール靴で伸ばされたリーチによって俺の肩をポンと叩いた。

 俺がサイラードに何か言いたげだったことを悟って、さりげなくこの場に少し残る機会をくれたんだろう。相変わらずあの人は、幼く見えても大人だ。


 サイラードは大粒の涙を零して、言葉にならないうめき声をあげながら俯いている。

 周囲の友人たちも、なんと声をかけるべきか迷っていた。

 俺もまた躊躇った。躊躇った末に口を開く。


「……今回の件、結果的に俺が焚きつけた形になってしまったことは、すま――」

「うるせぇッ!!」


 謝罪は拒絶された。言葉選びを誤ったか、と自分の察しの悪さに辟易していると、サイラードは拳を振り上げて草原の大地に叩きつける。べすっ、とキレの悪い音が鳴った。その音の間抜けさが気に入らないとでも言うように、サイラードは更に力を込めて数度大地を叩き、自分の無為さに打ちのめされたように蹲った。


「お前が……お前が謝ったら、ぐっ、同情してるみたいじゃねえか!! ヒック、同情された俺は一体……えぐっ、俺は……惨めじゃねえかッ!!」

「――……」

「悔しいんだよぅ……俺より経験が浅くて小馬鹿にしてたネメシアが、アンタと一緒に俺を助けたんだろ……騎士バネウスは自分が処分されんの覚悟で俺とアルハンブラ助けるって決めたんだろ……俺はッ!!」


 迸る激情を抑えきれずにサイラードは俺を見上げて慟哭した。


「俺は、お前なんか大した事ねえと思ってた!! ネメシアより俺が上だって思ってた!! 騎士バネウスが何を言おうが関係ねぇって思ってた!! ……でも今は逆だ!! 俺が一番大した事ねえッ!! 俺が……うう、ッぐ、わぁあああああああああーーーーーーッ!!!」


 泣きじゃくりながら地面の草を毟り、土を抉り、嗚咽を漏らすサイラード。

 慰めの言葉では、彼はもう聞き入れようとしないだろう。

 だから俺は、敢えて「正しい側の人間」の態度を取ることにした。


「そう思うんなら這い上がってこい。今までの倍努力して、今までの十倍人に優しくなれ。いつか無茶する仲間をぶん殴ってでも止められるような男になれ。それでやっと騎士になる」


 それはただ俺が追及しているだけの騎士道でしかない。

 士官学校の教えでもなければ騎士団の不文律でもない。今でも各聖騎士団の中には自分が偉くて平民は下民と思って、そう振舞っている者など山ほどいるだろう。だが俺はそんな連中を真の騎士と認めることはしてこなかった。心が腐敗すると、内包する真実もぐずぐずになってしまう。


 だがサイラードは泣いている。

 己の不甲斐なさに真剣に向き合えばこそ、「こんなことぐらいで何マジになってんだ」とへらへら笑って責任逃れをすることが彼には出来ない。だったら、自分が満足できるまで自己研鑽するしか、彼が彼を赦せる道はない。


 サイラードは泣きながら頷いた。

 何度も何度も頷いた。

 俺はそれを見届けると、彼に声をかけられずにいる聖天騎士団の仲間たちにも声をかける。


「お前らも今のうちに努力しとけ。でないといつかネメシアかサイラードに真面目にやれと殴られるぞ」

「え、あ……」

「誠心誠意努力しますっ!!」


 一部は戸惑い気味に曖昧に頷き、一部は元気のよい返事をする。少し冗談めかしたが、言っていることは本気だ。彼ら今回、空中で十分すぎるほど働いたが、そもそも仲間が無謀なことをやろうとしているなら殴ってでも止めてやるのが友達、或いは仲間だと俺は思っている。


 一人で解決できない問題ならば、集団で解決する。

 それが騎士団の最大の強みだと、俺は今も信じて疑わない。

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