第162話 明日はきっといいことあります

 これを汚名返上の好機と捉えるのは、余りにも俗な考えかもしれない。

 しかし、既に憂いは取り払っている。


 何度も通った竜小屋の通路。普段は心の奥に圧し掛かる独り善がりなプレッシャーから苦痛を感じたこともあるが、今はただ急いで駆け抜けるだけだ。足音に気づいたパートナー、ミラマールは顔を上げ、クルルルルル、と歓迎するように鳴いた。


「ごめんなさい、急だけど出撃よ!」


 慣れた手つきでロープを解き、鞍の上に飛び乗る。

 一瞬だけミラマールの体が強張るのを感じる。

 これまで幾度も重ねてきた失敗が体に染みついているのかもしれない。


「大丈夫、もう貴方を惑わせる匂いはしないから」


 首筋を優しく撫でるその手は、使い古した手袋で覆われている。箪笥の中に仕舞わず、見栄えが悪くなってきたからそのうち捨てようと思っていた手袋だ。ミラマールは首を曲げてこちらを見て、手袋の匂いを嗅ぎ、興味が薄れたようにふい、と前を向いて歩き始める。

 いい子だ。自分が何をすべきなのか理解している。


 さぁ、ここからだ。

 この先での失敗は、今度こそ自己責任だ。

 背には本物の竜上槍。鎧は用意出来なかったが、王立外来危険種対策騎士団はそもそも鎧を着ずに戦っていると聞く。鎧がなくても出来るものは出来る筈だ。


「まずは外に出て最上階へ向かい、ヴァルナ達と合流します! さあ、あの男に竜騎士の何たるかを見せつけるわよ!」

「ギャウッ!! グオオオオオオオオオオオオッ!!」


 久しぶりに聞くミラマールの重低音の雄叫びが腹の底を叩く。

 ワイバーンが飛ぶときとは、すなわち戦うときだ。

 故に飛ぶとなれば否応なくワイバーンはこうして自らを奮い立たせる。


 ミラマールが竜小屋の壁際にある離陸用の大穴に向かって疾走し、巨体が加速していく。手に力を籠めず内股で体を支え、体を前に倒して空気抵抗を減らし、言いようのない高揚感に歯を噛み締める。


 次の瞬間、視界が蒼い空で満たされた。

 風が全身を撫で、閉塞感のある障害物が消え去る。

 この空を、私もミラマールもずっと求めていた。


 と、視界の端――竜小屋から数百メートル離れた場所に暴れるワイバーンが見える。が、ぐっと堪えて手綱を引き、進路を竜小屋屋上に変更した。手綱の動きですべてを察したミラマールが上昇する。


(既に偵察は出てる。私が行っても最悪邪魔になる。あくまでアルハンブラとサイラードの身の安全が優先なんだから、連携を崩す行動は慎まないと……!)


 自分なら出来ると思い上がらず、やるべきことを見極める。

 結果を求めるには、結果を導くための過程に私欲を混ぜてはならない。

 それが今、ネメシアが為すべきことだ。


 最上階の大きなスペースに入ると同時にミラマールが強く羽ばたきながら足場を踏みしめ、床を擦りながら減速して停止した。体を起こせばそこには先に最上階に向かったメンバーが、驚いた表情で待っていた。


「聖天騎士団第一訓練部隊、ネメシア・レイズ・ヴェン・クリスタリア! ミラマールと共に予備戦力として待機します!」


 無意識に、視界がこちらを見上げるヴァルナの方へ向く。

 どうよヴァルナ。この勇ましくも理知的な姿に見惚れなさい。


「おお、勇ましくも理知的な名乗り。騎士かくあるべきって感じだな」

「う、うっさいわねいきなりおべっかなんて。クリスタリア家の人間としては当たり前よこんなの、当たり前!」

「いいや、騎士としても当たり前だ。でも当たり前のことを当たり前に出来なきゃならんのが俺たちだからな。大事なことだ」

「……まぁそう言えなくもないけど。って、私のことは今はいいでしょっ!!」


 やっぱり見惚れなくていいかもしれない。

 素直に褒められると調子が狂う。

 主の不調を背中越しに感じたか、ミラマールが「さっきの勢いはどこへいったのか」と問うようにクル? と不思議そうに首を傾げた。




 ◆ ◇




 竜騎士かっけー、と、単純すぎる事を思う。

 なにせあの頑強な体つきで勇ましいワイバーンに乗り、身の丈より長い槍を構えた騎士だ。既にそれだけで馬上の騎士のような存在感と貫禄がある。もし幼い頃にこれを直に見ていたら十中八九竜騎士になろうとしたのではないだろうか。


 が、所詮それは見た目の印象だ。

 今の俺には転属を検討するほどの魅力は感じていない。

 それでもしばらく眺めていたい程度には壮観だったが、事態を収拾してからにしようと気持ちを切り替えて外を見る。


 アルハンブラと思しきワイバーンはまだ竜小屋の近くにいたようだ。既に包囲網が敷かれているようだが、迂闊に近づきすぎれば自分たちのワイバーンもモリョーテの餌食とあって付かず離れずの微妙な距離での牽制を強いられているように見える。


 と、偵察から戻ったワイバーンと竜騎士が一組こちらに近づいてきた。確か、さも自分は止めたかのような事を言いつつ実は何もしなかったらしい騎士だ。出撃後も彼は傍観者だった辺り、もともとそういう役目を負っているのかもしれない。


「騎士リュナークより現場責任者バネウスへ報告! アルハンブラは騎士サイラードを乗せたまま暴走状態にあり、騎士サイラードのコントロールを完全に離れています! 威嚇の鳴き声を発して我々のワイバーンも味方と見做していません! サイラードは振り落とされないよう姿勢を維持するので精一杯です!!」

「……やばいっすよ先輩。今のアルハンブラくんは多分、周囲を囲むワイバーンをモリョーテを横取りしにきたものと勘違いして臨戦態勢に入ってるっす!」

「モリョーテが逆に興奮状態を誘発しているのか……迂闊に近づけばブレスを吐きかねませんね」


 キャリバンが遠距離からアルハンブラの心情を読み取り、騎士バネウスが難しい顔で呻く。

 野生のワイバーン同士のブレスの吐き合いはよくあることで、表皮が鱗に覆われたワイバーンは少々のブレスでは怪我一つしないらしい。しかし今回ワイバーンたちの上に鱗を持たない人間が乗っている以上は、迂闊に攻撃を誘発させる訳にはいかない。

 いくら治癒師がいても、直撃を受ければ全身火傷の末の死を免れるのは難しい。いっそ落下死した方が楽に死ねるぐらいだろう。幸い距離をある程度取っていれば、それだけでブレスが放たれる可能性も避けられる可能性も大幅に高まる。


「となると、問題を解決するには例のモリョーテの排除をすべきか?」


 俺のつぶやきに騎士バネウスは首肯する。


「ええ、それが最良だと思います。モリョーテを取り払えば興奮が抜けて理性を取り戻す筈です。問題はどうやってそれを為すか。サイラードくんは竜騎士としては優秀な方ですが、あれほど暴れるワイバーンの上となるといつまで体力が保つか……」


 より詳細な騎士リュナークの報告では、いまだにモリョーテはアルハンブラの鼻先に釣り竿で吊るされたままだという。サイラードが自力でそれを取り外して捨てられればいいのだが、今の彼にそれを要求するのも、またそれを実行するのも極めて難しい。


 というかどうやって釣り竿を固定させてんだと聞くと、鞍に槍や式典用の旗を立てるための孔があるらしい。どうやら釣り竿はその穴にジャストフィットしてしまっているようだ。

 しかも、よく考えれば落とすのも危ないかもしれない。


「興奮状態のワイバーンならモリョーテを追うのに夢中になる余り地面に激突して乗り手もろとも死ぬ、って可能性もあるのか。槍で糸をちょん切るのも危ないな」

「確かに……しかも切ったあとのモリョーテを回収すればアルハンブラの怒りを買いますし、なにより回収した組のワイバーンが暴走する可能性があります」

「となると出来る手は……ワイバーンのブレスでモリョーテを焼き尽くす?」

「無茶よそんなの」


 未だミラマールに乗ったまま待機していたネメシアが口を挟んだ。


「ベテランのワイバーン乗りならともかく、ここにいるメンツは慣熟訓練一年以下の子もいるのよ?仮にベテランだったとしても、どう動くか予想のつかない興奮状態のワイバーンを相手に空中戦をして、しかも背中に乗ったサイラードに怪我を負わせず、風に揺られる釣り糸に垂らされた小さなモリョーテを離れた距離からピンポイントで貫くなんて出来るとお思い!?」


 的の動きは予測不可能、相手の動きも予測不可能。

 確かに、そこまでいくとカルメでも命中させるのは至難の業だろう。まぁ、その至難の業をやっちゃうのがカルメの鷹の目なのだが、さしもの彼のボウガンでもワイバーンの戦闘宙域には届かないだろう。


「騎士ヴァルナ、彼女の言うことはまさしくです。余りにも難しすぎる。別の方法を考えるべきです」

「とはいえ、別の方法なんてありますか? 俺にはもう、どうにかサイラードをアルハンブラから離させて空中キャッチで捕まえるぐらいしか……」

「体当たりで妨害されるリスクを考えればそれも危険に過ぎるわ! 確実性がない!」

「だが時間がない。ええい、どうする……!」


 確実性のない作戦を強硬すれば失敗のリスクを排除できない。かといってこのまま成り行きを見守っていても手遅れになる確率が高まるだけだ。アルハンブラはこちらが間合いに入っていけば警戒から威嚇のための攻撃行動に移るだろう。そうなると本格的にサイラードが危ない。

 どれを選んでも確実性に欠け、その欠けた部分が最悪の結果を引き起こす。

 オークと違い、空を飛ぶだけでここまで問題が困難になるものなのか。

 決定打が浮かばずに焦りと苛立ちばかりが現場に募っていく。


 と――その流れを変える声が上がった。


「……ノノカに考えがあります」


 我らが三大母神の一角にして国内随一の魔物学者、ノノカさんの頭脳が最適解を弾き出した。


「内容は時間が惜しいので移動がてら話します。ネメシアちゃん! ノノカとヴァルナを騎道車の、土を積んでるのが上から見える車両まで大至急連れて行ってください! ヴァルナくんはノノカが落ちないように支える係、兼助手!!」

「分かりました。おいネメシア、悪いが後ろ失礼するぞ!!」

「……ええーい、もう! 色々と言いたいことがあるけど時間がないっていうんなら、いいわよ! 鞍は一人用だから私の後ろに乗って、私の胴に、て、手を回してしっかり掴まりなさい!!」


 ここで他の特権階級ならゴネるところだ、と思いつつ、今は許しを得られたことに感謝してすぐさま用意する。ソコアゲール靴は邪魔なので脱がせ、ダボダボの白衣を利用してノノカさんと俺を白衣で括りつける。

 何をする気かは分からないが、こういった状況では俺よりノノカさんの方が遥かに優秀なのは今更疑うべくもない。


「バネウスさんたちは出来る限り相手を刺激せず、かつ逃げられないよう時間を稼いでください!!」

「間に合うのですか!?」

「サイラード君の体力次第ですが、最大限急ぎます!!」

「ヴァルナ、ノノカ教授! 今から離陸しますので舌をかまないようしっかり口を閉じて、お腹の下辺りに力を込めて! 内股でしっかりミラマールを捉えて!!」


 後ろにノノカさんの体不相応に大きな胸の感触、前には手入れを欠かしていないであろうネメシアの纏められた髪から放たれる清涼感のある甘い香り……などという役得を感じるどころか碌すっぽ認識する暇もなく、俺とノノカさんは人生初のフライトを経験することとなった。


(……あれ、そういえば今ベビオンって浄化場で待機してるんじゃなかったっけ)


 ノノカさんと密着して女騎士に掴まってる俺の姿を見せつけられるベビオン。その光景が彼の心にどんなダメージを与えるのか想像した俺は、諦めたように首を横に振った。

 少々心苦しくはあるが、人命救助が優先だ。

 心の傷は……その、なんだ。頑張れ男の子。

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