第160話 用量用法を間違えました

 モリョーテとは、モリョーテ目モリョーテ科の広葉樹だ。

 大陸・宗国の一部に自生しており、その後ワイバーンへのリラックス効果が確認されてからはごく一部の地域に植林されたが、それほど木として強い種ではないため人の手入れが必要で、自然に定着したものは殆どない。一般人には「ただの木」と認識される程度の、素人目にはその辺に生えている木と違いが分からないような普通の植物だ。


 ネメシアの言った通り加工向きの木材ではなく、そもそもワイバーンを知らない人は存在も認知していないような木なので、市場にはワイバーン用以外は出回っていない。現在のところ王国でモリョーテを輸入しているのは聖天騎士団のみである。


「しかしモリョーテと来ましたか……その可能性は完全に除外していましたねぇ。ノノカ反省!」

「まぁ検証してみないと何とも言えませんでしたけど、どうやらこれは……」

『ク、クー! クウ、クウゥ~!』


 俺とノノカさんの目の前では、騎士バネウスの持つ棒の先に括りつけられたモリョーテの木材を前に盛大に涎を垂らしてモリョーテを舐めながらゴロゴロ転げまわるワイバーンの姿があった。これはミラマールともエカテリーナとも違う子である。


 その目はとろんと蕩けて如何にも気持ちよさそうであり、ぶんぶんと振り回される尻尾が壁に激突して罅が入っている。これ以上は危険と判断した騎士バネウスがモリョーテを引くと、快楽に溺れすぎて疲れたのかワイバーンはそのまま寝転んで休み始めた。


「モリョーテは、怒りで興奮状態になったりパニックを起こしたワイバーンを沈静化させるために一定量備蓄されてるものですが、沈静化とはモリョーテの成分で気持ちよくなり、それがすぐに引くことで一種の気付(きつ)けをするという使い方です。結構昔からあるものではありますが、現在ではワイバーン種そのものが人間に慣れてきたことでほぼ使わなくなってたんですよねー……しかし、本当にクゥクゥ鳴いてる。何気に大発見ですよ、これは!!」

「これであとは彼女の部屋からモリョーテに類するものが出てくれば確実なんですけど……ま、その辺は派遣したメンバーを信じますか。主にフィーアさん」


 騎士団随一のファンタジスタなら、もしかすれば今頃既に偶然発見しているかもしれない。あの人の豪運は俺なんかよりよほど凄い。


 先輩方から聞いた話だが、何年か前に騎士団の活動資金が本当に底を尽きそうになる事件があったらしい。そんな時フィーアさんは「しょうがないなぁ」と言いながら王都から見て西側の海沿いにある賭博街ルルズに旅立ち、一週間後に一千万ステーラという大金を持って帰ってきたことがあるそうだ。一週間の内訳は距離から逆算して六日間は移動になる筈なので、彼女の豪運はギャンブルでも大爆発するらしい。

 そして彼女は足りない出費をその一千万ステーラを切り崩して騎士団を救った。


 ちなみに資金が底を尽いたのは翌年度予算が齎される三か月前だったため六百万ステーラ程余ったのだが、フィーアさんはひげジジイ渾身の嘆願を振り切ってこれを全額王立魔法研究院に寄付。当人曰く「悪銭身に着けず」が座右の銘らしく、ギャンブルで楽して儲けた金はすぐに使いきって手元に残さない主義らしい。


 儲けが出ること前提に語ってる辺りが凄まじい。ちなみにその後のジジイが転んでも唯では起きぬと裏で色々やった結果が騎道車の優先配備だとする説もあるようだ。


 閑話休題。ワイバーンの涎にまみれたモリョーテを取り外しながら、騎士バネウスは本当に嬉しそうに笑っていた。


「原木でこの反応ですし、ワイバーンが一番集中しているのは空を飛んでいる途中です。少量でもモリョーテの成分を近くに感じれば、フラついても無理はない。はぁぁ……良かった! ミラマールのせいじゃなくてよかった!」


 ひゃっほい、と飛び跳ねて喜ぶバネウスに苦笑いが零れる。まだ原因が確たるものにはなり切ってないうちからはしゃぐのは気が早い思うのだが、それだけミラマールの行く末を気にしていたという事だろう。


 多分これから聖天騎士団にはモリョーテの所持が厳しく制限されるようなルールが策定されることになる。そうすればミラマールとネメシアのような問題ケースは二度と発生しなくなる。もう彼女たちの世話を焼いてやる事もないだろう。


 バネウスに気が早いなどと思っておきながら自分も同じことを考えていることに気づき、首を振る。案外こういうときが一番油断しがちなのだ。予想外の事態にも一応備えておかねばなるまい。差し当たってはノノカさんの話を聞こう。


「どうですかね、ノノカさん。モリョーテが原因という事前提で話を進めてますけど……」

「……」

「ノノカさん?」

「ほへ? 何ですかヴァルナくん?」


 一瞬だけ、何か真剣な顔で考え事をしていたように見えたノノカさん。しかし今は普段の彼女の顔だ。口に出さない以上はこの場に関係ないか、憶測の域を出ないことでも考えていたのか。彼女は研究者としてよくそういった顔をするので、特には気にしなかった。


「いえ、今回の件。モリョーテ原因の線で進めてますけど、まだ確定ではないじゃないですか」

「そうですねぇ……でも現状それ以外には考えられませんし、理論に筋が通っている以上は反証となる証拠が出てこないと議論にもなりません。慌てず騒がずお昼を待ちましょう!」


 ノノカさんもそういう考えならば、専門家でもない俺に出来るのも待つことぐらいだ。フィーアさんたちが吉報を持ち帰り、ネメシアに不当に絡まれない日々を取り返すことだけ願い、俺は竜小屋で待つことにした。




 ◇ ◆ 




 一方、ヴァルナたちがいる階より更に下の階で、ちょっとした騒ぎが起きていた。


「おいサイラード! サイラードったら! マジでやる気かよ!?」

「やめときなよ! こんなことしたら流石に怒られるって!」

「つーかさ、単純に危なくね? やっぱ一度見直そうぜ」


 彼らはワイバーンを駆る聖天騎士団、その若い衆だ。

 先日にネメシアをからかっていた男女の集団である。


 彼らの訓練は本日は休みであり、本来なら彼らは休日を謳歌したり自主練で槍を振り回しているべき時間だ。ワイバーンへの騎乗は自主練には含まれず、行うには事前の承諾が必要だ。

 とはいえ、それほど承諾を得るのは難しいことではない。

 事実、若者たちに止められている男、サイラードは本日ワイバーンに騎乗しての自主練習を許されている。彼の家系は昔から聖天派であるため、親の威光が多少は効く。


 そのサイラードは、荒れていた。


「うっせ! 王国最強だか何だか知らねぇが、騎士じゃねえなんて言われて黙ってたらそれこそ男が廃らぁ!!」


 原因は先日、ネメシアをからかった際に共にいた騎士ヴァルナに侮辱されたからだ。正式に騎士に認められた相手に対して「お前は騎士じゃない」と言うも同然の物言いをされたのは、プライドの高い彼にとっては最大級の侮辱だった。


 サイラードは別に、ネメシアを毛嫌いしていた訳ではない。

 彼女が彼女なりに悩んでいるであろうことに想像がつく程度の思考もあった。

 しかし彼女にそこまで親身になる気も別になかったので、ヴァルナがネメシアを励まして彼女が立ち直るならそれはそれでいいんじゃないかと気楽に思って、ちょっとからかっただけだった。


 ところが、それに対してヴァルナは「悩み苦しんでいる人間を嘲笑っている」と指摘。そんなつもりで物を言っていなかったサイラードは、直後のヴァルナから感じた言いようのない迫力に気圧され、その場で何かを言い返すことが出来なかった。


 サイラード以外の同僚たちの反応は大別して二つ。

 お気楽派は「そんなにマジになることじゃない」、と放置。ネメシアのことを快く思わない人間もここには含まれ、ヴァルナが何を言おうが自分たちは自分たちのルールで動けばいいという考えだ。

 それ以外は「確かに無神経だったかもしれない」、と少し反省していた。不思議なことにこちらにもネメシアを快く思わない人間が含まれており、その上でヴァルナの言うことに完全ではなくとも理解を示している。


 良くも悪くも一歩引いた目線で物事を見る者が殆どのなか、肝心のサイラードはというと、ヴァルナに対する怒りを抱えていた。

 理由は様々あるのだろう。よく知りもしない人間に偉そうにされたとか、こちらの物言いを一方的に悪のように扱われたとか、様々だ。問題は、その怒りをどこに向けて放出するかである。


 ヴァルナへの物理的復讐――これは論外。それこそ騎士として堕ちた行為だ。

 正々堂々と訓練で勝負――これも難しい。相手は聖天騎士団最強のヴァン・ド・ランツェーでさえ一撃も当てることが出来なかった剣術の腕だ。勝算がない勝負は除外する。

 口で反論――あまり意味を感じない。ヴァルナの言うことは間違いと断するほど根拠がない事ではないし、水掛け論になればそれまでだ。


 よってサイラードがヴァルナへの怒りを慰める方法は一つ。

 それは、ヴァルナより早く問題を解決する。つまり騎士である証を行動で示すことだ。


「見てろよあの野郎……今に発言を撤回させてやらぁ! そして謝ったあいつを、あの時と同じように相手にせずに砦でメシ!! これで決まりだ!!」

「馬鹿お前、ムキになりすぎだって! そりゃ俺もちょっとムっとはしたがよ! 小屋の備品の無断持ち出しはマズイって!」

「そうよサイラード! だいたい、その釣り竿につるした網袋に入ってる木片が原因って本気で言ってるの!?」

「本気だっつの! 散々調べまわしたが、もう可能性はこれしかねぇ! モリョーテの匂いで集中力を欠いたんだよ!!」


 それは幸運だったのか、それとも後から見れば不幸だったのか。

 サイラードは偶然にも幼い頃、父に連れられてやってきた竜小屋でワイバーンにモリョーテを与えた記憶があった。酔っぱらったようにゴロゴロと転げて鳴くワイバーンの記憶は今まで忘れていたが、ワイバーン不調の原因を考えるうちにふと思い出したものだった。


 小屋にいるうちはなにもなく、空を飛びだしてから出る異常。

 それでいて病気や体調不良ではない故に原因の特定が困難。

 昨日から今日の朝まで徹夜で考え抜いたサイラードは、もうこれしかないと思った。


「あいつが訓練中にフラつく姿は散々見たんだ! モリョーテを飛行中にワイバーンの鼻先に吊るしてバランスを崩したら、それで原因は決まりだろッ!!」


 意外なことに、彼の理論は最善とは言わずとも概ね正しかった。

 ただ一つ、彼に誤算があったとすれば――モリョーテの香りが食前酒なら、モリョーテの原木は樽一杯の酒であるということ。そして香りは酒と違って摂取するのは一瞬であるということだ。

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