第157話 自己管理がなってません

 大陸における人と魔物の歴史というのは、王国では重要視されていないが世界史的には重要なものである。俺も一応ながら、士官学校でさわりは習った。


 伝えによると魔物とは千五百年ほど前、天変地異によって天界と魔界が本来混ざるはずのない地上と一時的に混ざり合ったことで、両方の世界の力を浴びた生物が突然変異したものとされている。

 突然変異でこれまでの姿から狂暴かつ異様に変貌した生物たちは精神的に不安定で、更に戦闘能力が極めて高い者が多かった。しかも悪いことに、これは大陸の中心部で起きてしまったのだ。魔物たちは瞬く間に大陸全土に侵攻――あるいは暴走を開始した。


 これは天界、魔界双方にとって不測の事態だったらしく、急遽として天界は人が魔物との戦いに耐えられるよう強化の祝福を施し、魔界は魔物と戦う為の戦術や知識を人類に提供してこれに対応。双方からアドバイザーも駆けつけ、なんとか魔物への防衛体制を構築した。


 しかし、天界も魔界もできるのはここまで。

 そもそも本来交わるはずのない世界が交わったことで起きた大事件だ。両界が本気で埒を明けようと地上に介入すれば、二次三次と被害を拡大させてしまう……らしい。詳しいことは当時の人たちには理解の外の話だったそうだ。原因を作っておいて無責任な連中である。


 そして数十年にわたって人間と魔物の戦いは続き、やがて暴走していた魔物たちは生物としての本能を思い出して人のいない様々な場所を縄張りとして他の生物と住み分け、無節操に人里を襲ってくることはなくなった。

 これが魔物の発生とその顛末。

 そしてこの状態が現代に至るまで続いている。


 ちなみに天界の祝福も魔界の知恵も、あくまで人間が「いずれはここまで発展するであろう強さ」を底上げしただけであって、天界と魔界の物理的な力は人間に影響を与えていないそうだ。

 その後、天界と魔界は地上の統治者たちとともに同じ事件が起きないよう相互監視のための国際条約を結び、定期的に会合を開いている。この点については王族たるアストラエの方が詳しい話だ。


 なお、千五百年というと太古の昔にも思えるが、王国は建国から千七百年くらい経ってるし、宗国に至ってはもうすぐ四千年経つらしいので人類史的にはそう昔ではない。


 この話で重要な所は、魔物とは発生理由が異常なだけで、別に人類滅亡を担う尖兵でも悪の手下でもないれっきとした生物であるということだ。だからこそオークは無節操に繁殖するし、ヴィーラは人畜無害だし、ワイバーンは人間に飼い馴らされて家畜にできるのだ。


「で、読む本がワイバーン図鑑か」

「なによ、専門家じゃない私たちが図鑑とにらめっこしても時間の無駄だって言いたいわけ?」


 じろりとネメシアに睨まれた俺は、そこまで言ってないと首を横に振った。


 聞き取りが終わって一時開放されたネメシアに約束通り付き合うことにした俺は、彼女の部屋で読書にいそしむことになった。一度ワイバーンの習性の洗い直しをして、そこから原因を探るのだ。

 ノノカさんが成果を挙げられない以上、俺たちが本とにらめっこして何か発見できる確率は低い。だが、何もしないよりは健全な行動だと思う。原因が分からずともワイバーンへの理解は深まるからだ。


 当初は砦の食堂で読もうとしていたネメシアなのだが、「あのクリスタリア家の息女が男を連れまわしている」「あれは首狩りヴァルナじゃないか」と目撃者たちが騒いだりはやし立てたりし始めたので、急遽彼女の個室に移動することになった。


 いっそうちの騎道車で、とも思ったが、あっちはあっちで騒がしそうだし、俺の部屋で読むというのも彼女が嫌がりそうなのでやめた。どちらにせよ、ロック先輩との相部屋から解放されたとはいえ、広い部屋とは言い難い。


 周囲にからかわれて顔が真っ赤だったが、自室に連れ込んだという事実はもっと誤解を招くのではないかという懸念は指摘していない。言ったが最後、それはもう熟れたトマトの如く真っ赤な顔で騒ぎ出すだろう。どっちにしろ手遅れな気がするが。


あの子ミラマールが理由もなく飛べなくなる訳も、私の騎乗を拒否する訳もない。目視で確認できない問題なら、情報で勝負よ。もちろん付き合ってくれるわよね、責任者さん?」

「夕方までだぞ」

「原因が判るまで帰さないわよ」

「報告をしなきゃならんし、滞在許可が出てるとはいえ勝手にこっちの砦には泊まれん。そこは納得しろ」


 少しムッとした顔をするネメシアだったが、流石に本気ではなかったのか「真面目にやりなさいよ」と釘だけ刺してきた。


「まったく、私の部屋に入れるだけでも百歩譲っているというの……あら? というか平民の男を夜まで自室にって……」

「おーい、今はワイバーンだろ。時間は貴重なんだからとっとと始めるぞ」

「……え? わ、分かってるわよ言われなくとも! ふんっ、生意気なことを!」


 ……間一髪、思考を誘導することに成功した。

 あと二秒遅ければネメシアが勢いに任せて言った淑女にあるまじき発言に気付くところだった。どうしてこう、彼女は感情的になると迂闊なのだろう。そのうち変な男に言いくるめられて訳の分からない契約とか結びそうである。


 だが、騒がしいのはここまでだった。

 時間がないのも事実なので、すぐに二人で積み重ねられたワイバーンの本を読み漁る。ワイバーンの発見、生態、生息域、テイムされるまでの流れ、餌、特徴的な習性、種族的弱点……こうしてみると、その種族的な戦闘能力は極めて高い。


 ワイバーンはドラゴン族に分類されているが、そもそもドラゴンを見ること自体が大陸でも稀有である。たいていの場合、ドラゴンはその巨体故に僻地や秘境とされる場所に生息し、人里に姿を現すことはない。知能は魔物のなかでもかなり高く、現在確認されている最大の竜は尾から頭まで推定六十メートル。かつて討伐されたドラゴンを解体したところ、魔導機関に近い臓器があることも確認されている。ブレスなどの攻撃はこれを通して行われているようだ。


 しかし、ワイバーンの体内にある魔導機関的な臓器は体に比してかなり小さく、二つ存在し、構造も簡素だという。一つの臓器で可燃性の物質を生成し、もう一つで着火しているのが確認されている。帝国ではこのブレス構造を利用した竜火砲なる武器が開発されていたりするほど単純なので、似ているだけで別種なのではないかという説もある。


「……ねぇ」

「……なんだ?」


 ふと、本から目を離さずにネメシアが話しかけてきた。

 こちらも本から目を離さずに返答する。


「王子と、まだ付き合いあるの?」

「ああ。この前も厄介ごと持ち込んできやがって、散々手伝わされたな」

「そう……セドナとは?」

「ああ。この前逆鱗に触れちまって、アストラエと一緒に一日中ご機嫌取りだったな」

「そう……って、なにしたのよ貴方」

「だいたいアストラエのせい」

「二年少し経ったのに、全然変わってないのね、貴方たち」

「そうでもない。アストラエは婚約者との付き合い方とか色々考えてるし、セドナも……セドナは……なんかあった気もするが、そういえばアイツはちっとも変わらねぇな。俺は一応出世した。小さな変化に見えても、多分ちょっとずつ変わってる」


 なんだったっけ、セドナの悩み事って。出てきそうで出てこないので、そんなに重大な悩みではなかった気がする。それでも、向かう方向はそれぞれちょっとずつ違うと思う。


 交わったり、交わらなかったり。

 そんな未来の話まで悩むほど俺には余裕がないので、先のことなど想像もつかない。

 ネメシアはそれっきり沈黙し、俺も黙った。


 ページをめくる手が早まり、ワイバーンの生態の部分に到達する。

 生息区域は高所が多く、巣に砂を貯めこんで寝床にする習性がある。寒さにはさほど強くなく、ブレスの関係か湿度の高い場所や雨の多い場所を好まない。体力を温存するために狩りの時以外は寝ていることが多く、付近に生息する魔物を食べる。


 特に繁殖力の強い虫型の魔物はおやつ感覚でよく食べるため、魔物の抑制にもなっている。ここに目を付けた調教師が――ここから先はどうやら別の本の方が詳しく載っていそうだと思い、メモ書きをしながら飛ばす。


「……ねぇ」

「……なんだ?」


 また、ネメシアが話しかけてくる。


「コロニスとイシス、来月挙式するんだって」

「へぇ、コロニスがねぇ。あの浮気性野郎、思いの外身を固めるのが早かったな。ちょっと意外だ」

「貴方は他の同級生のこと、何か知らないの?」

「いつもの二人以外はそもそも疎遠というか、縁が繋がってないというか。オルクスの奴は前に会った限りじゃ変わらなかったが、聖靴なんて下っ端でもお高く留まってるからなぁ……あとは、あれだ。ヒュベリオ覚えてるか?」

「誰だっけ」

「平民騎士。仲が良くも悪くもないやつだったけど、いま王立記録書庫の管理やってるんでたまに会う。今度試験受けて四級書官から三級に上がろうとしてるんだとよ」

「ああ、あいつ。確かに口は達者な奴だったわね。三級……まぁ、下っ端の下っ端とはいえ平民書官なら早い方ね」


 懐かしい名ばかり出てくるが、士官学校での俺の友達の少なさときたら恐らく学校一だったと思う。だって二人だぞ。平民騎士ですら他の平民とで三人になるのに、二人って。数は重要ではないとはいえ、寂しい数だ。


 めぼしい個所を読み終わり、二冊目の本に手を伸ばす。

 ワイバーンは餌を提供する人間に懐き、その匂いを覚えることはあるため、仲間と認識させることは出来る。しかし仲間と同じ感覚でじゃれつかれ、死亡する調教師も一定数存在した。そのリスクを負ってまでワイバーンをテイムした理由は、ひとえに空を飛ぶ魔物を仕留める手段が少なかったことと、平野での圧倒的な強さである。


 森林地帯では視界の悪さと延焼のリスクが高くて使えないが、反撃のリスクが低い空中から急降下して爪で攻撃したり、ブレスでの牽制や空対地攻撃は目を見張るものがあり、竜騎士は非常に名誉ある職とされていた。


 なお、現在ではファミリヤ技術の発達により調教師がワイバーンに殺されるリスクは非常に低くなった、とある。確かに今日触れ合ったワイバーンのエカテリーナは俺に優しかった。


 ワイバーンは嗅覚に優れており、数キロ先の風上に獲物がいても気づくが、匂いを強く感じるという訳ではない。また、特定の植物のエキスに強いリラックス反応を示すが、これは含まれる成分に反応を示しているため、遠くから嗅いでも反応はない。このエキスはドラゴンには効果がなく、これもまたワイバーンとドラゴンが別種なのではないかという説に信憑性を――。


「……ねぇ」

「……なんだ?」


 俺より早く、すでに四冊目に突入しているネメシアが、また話しかけてくる。今度は彼女の頁をめくる手も止まっていた。


「ミラマール、私といない方が幸せなのかな」

「好かれてるのにか?」

「そうじゃない。ミラマールには個人的な好き嫌いとは別に、上手く乗りこなせる乗り手がいて、早くそっちに移させた方がミラマールの為なんじゃないかって……」

「問題の先延ばしだろ。原因不明のまま放置して、後になって重大な問題が発覚したらどうする」


 その点は、俺としてはもう割り切っている話だった。

 原因を特定しないことには、また同じ事が起きても対応できない。この場合、解明することに意義があるのであって、騎手の交代で解決を図るのは下策だ。もちろん、実務で言えば交代の方が効率がいいことは否定しない。

 だが、ネメシアは「違う」と首を横に振る。


「ミラマールに付き合わせて、こんなに調べて、もしこれで私のせいだったら……ミラマールに迷惑かけただけになる。二年も基礎訓練して、貴方たちと違って私は今年やっと騎士らしいことが出来るって……そう思ってた私の落ち度になる」

「二年働いたってミスはあるだろ。それはお前以外だってそういうものだ。迷惑くらいかけることはあるだろ」

「私はいいのよ、責められたって! でも、他のワイバーンたちはもう空を飛んで訓練してるのに、私のせいでミラマールだけ一か月も二か月も満足に空を飛べないでいるのよ!? あの子の乗り手として相応しくなるんだって、あんなに勉強したのに!! 私がミラマールの足を引っ張ってるくらいなら、私は――!!」


 叫ぶネメシアの肩は、震えていた。その瞳はもう本を捉えていない。

 先に空を飛ぶ同僚とワイバーンたちに置いていかれたことに対する嫉妬よりも、羨望よりも、ミラマールを導けなかったことへの強烈な自責。恐らくは自分の家柄のせいでミラマールの評価が不当に下げられそうになっている事への歯がゆさも、それに拍車をかけているのだろう。

 ぎゅう、と握りしめられた彼女の手が、触れていた頁をくしゃくしゃにした。


「ミラマールはいい子なのよ! 検査しても異常はなかったじゃない! 薄々感じてたわよ、私に原因があるんだろうって!! なのにこのまま原因が特定できなかったら、ミラマールは駄目なワイバーンだって言われて空を飛ぶ機会を奪われる!! そんなの嫌よ……それだったら、私が責任を取る……ッ!!」

「――心にもない事言うな」

「なっ!?」


 もう、聞いてられなかった。

 俺は本にしおりを挟んで立ちあがり、ネメシアの肩を掴む。


「立て。行くぞ」

「き、気安く触れないで!! だいたいこれから一体どこに行くって言うの!!」

「竜小屋だ。ほら、日が沈むまでそんなに時間がないんだから、急げ」

「訳の分からないことを!! 何で私が貴方の言う事なんて聞かなくちゃいけないの!? 気分転換したいなら一人で行きなさい……もう付き合うのが嫌なら投げ出して帰ったらいいじゃない!!」

「気分転換にはお前も連れて行くし、まだ諦めない。いいからついてこい、ネメシア。大切な話だ」


 俺は半ば強引に、彼女を竜小屋のミラマールの前まで連れて行った。

 その光景を竜騎士たちや砦の人間が見て騒いでいたが、鬱陶しいので黙らせた。


 まったくもう――この女は手前勝手なくせに、自分との向き合い方が下手すぎる。

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