第156話 出した言葉は引っ込みません

 他人の弱みの話を気軽にするのも躊躇われるため細かい部分は搔い摘んだが、概ねその時にあったことを語り終わると、話に満足したのか料理班は後片付けを始めた。ドーナツは話の途中にすべて揚げ終えたようだ。

 奥義に対する茶々を入れて以降は聞き入っていたキャリバンが、口を開く。


「……え。あれで前よりマシになってるんっすか?」

「言うな」


 あれで前よりマシになっているのである。それでもげんなりしてしまうのは、酷かった頃の経験が体に染みついて条件反射的に避けようとしてしまうからなのだろう。今でも平民とか貧乏とか悪口を言いはするが、主としては俺個人の行動や言動に対する罵倒が主だ。存在そのものを否定されることはなくなった。


 まだ直接見たことのないスージーさんやコルカは「そんなに酷いの?」とキャリバンに聞いて、さっきの内容をそのまま伝えられて「うわぁ」と同情的な目になった。


「一応言っとくと、今日のは序盤からだいぶ飛ばしてた方だかんな」

「いや、正直何のフォローにもなってないっす」

「そんな煩くて面倒臭い女にどーしてちょっとでも好意を抱けるんですか、ヴァルナくんは……」


 コルカさんが口を尖らせるが、そんなに不満そうな顔で見られても困る。強いて言うなら、彼女がそれなりに繊細な心と高い志を持っていたから、だろう。内容はともあれ、正しくあろうと本気で思っているから彼女もああまで落ち込んだのだ。


 特権階級だから偉いのではなく、偉い存在であるよう努力するという彼女の精神性は、その後の俺の特権階級へのものの見方を少し変えた。皮肉なことに、いいイメージも悪いイメージも両方彼女から受けている。

 コルカとは反対に得心しているのはスージーさんである。


「ま、その話を聞いちゃうと私としてはそんなに悪く言えないかな……ちなみにヴァルナくん、彼女は他の平民騎士にもそんな感じだったの?」

「いや、きつい物言いはしますがもっと無関心というか、ドライな対応でしたね。俺はほら、セドナについた悪い虫扱いでしたし」

「……好きの反対は嫌いじゃなくて無関心ともいうし、案外構ってほしかったとか!」

「あー、構ってよオーラはちょっと感じますね」

「方法が稚拙すぎるでしょ……ヴァルナくんが構う必要性がないですっ」

「むしろもう本音を言っちゃったから逆に気兼ねなく近づいてくるようになったとか!」

「いや、絡んでくる頻度は流石にちょっと減りましたし、それ以降は本音とか特には……」

「自分の言いたいことだけぶつけて帰っていくとか一番迷惑じゃないですかー」


 さっきから明らかに変な探りを入れているスージーさんと、やけに辛辣なコルカ。コルカはもともと平民だし特権階級にいい感情はもっていないのかもしれない。まぁ、実態知ってれば好きになれと言われても無理な気がするけど。ネメシアの差別は根底に「住み分け」があるのに対し、他の特権階級――特に貴族連中の多くは安全な高所から下の人間をいたぶりたいという下劣な嗜虐心がある。


 ちなみにアストラエはそんな連中を「つまらん奴らだ」と退屈そうに一蹴し、セドナは「なんでそんなことするの……?」と心底悲しそうな顔をする。特権階級もいろいろだ。


「話をするって約束もしてるし、差し入れがてらドーナツ持って行ってくらぁ。料理班の皆さん、ありがとうございました」

「いいのいいの、ヴァルナくんも手伝ってくれたし。じゃ、いってらっしゃーい!」

「……そんじゃ俺もプロから話聞いとくっす。ワイバーンにビビりっぱなしだったからあんまし話聞けてないし、そろそろアイツも落ち着いたころだと思いますし」

「おう、報告は帰ってから聞くわ」


 ランチボックスに収められたドーナツを抱え、俺は再び竜小屋に向かった。よほど早く聴取が終わっていない限り、まだいるはずだ。




 ヴァルナが去っていく姿を見ながら、コルカがむくれた顔でつぶやく。


「……何でそんな人にまで優しくしちゃうかな、ヴァルナくん」

「なんだかんだで騎士道精神優先の人だからねー。内心ちょっと放っておけないと思ってるんじゃない?」

「苦手とも言ってたじゃないですかぁ……」


 きっとそういう問題ではないのに、ついそういう問題に捉えてしまう自分も少し腹立たしくて、スージーにぽんぽんと肩を叩かれながらコルカは自棄気味にドーナツを齧った。




 ◇ ◆




 俺が竜小屋に着いた時にはちょうどティーブレイクの時間だった。全員にドーナツをあげつつ俺も食べるが、ご機嫌取りがメインのためネメシアには料理班の作ったちょっと凝ったドーナツを多めにあげている。


「い、一応お礼くらいは言ってあげるわ……ふん」

「ほほう、これがドーナツ! うちの砦付近ではドーナツを売ってるお店がないんで食べたことがなかったのですが、これは美味しそうですねぇ!」

「あー、ノノカ分かっちゃった。ワイバーンたちの餌の方が消費量が多いから、人間のご飯が削られてるんですね?」

「いやーご明察! なに、研究院から提供された浄化装置のおかげでワイバーンたちのフンがいい肥やしになるので、野菜には困らないんですがね? それ以外はそこまで贅沢できないんです!」


 どうやら聖天騎士団にも食糧事情があるようだ。俺たち騎士団に提供した食料も、他騎士団の補給用であるため緊急時を除いて手はつけないのだという。

 うちの騎士団なんて本部に畑があっても食糧難なのに。

 いっそ浄化場を拡張して車の中で野菜を育てられないだろうかと思う。


 さて、件のワイバーンの不調だが、結論から言うと、専門家によるヒアリングは芳しい結果ではなかった。その時に考えうるあらゆる要素を探ってはみたものの、原因はいまいち判別できず、既に行き詰っているという。


「ワイバーンとのコミュニケーションを全部洗い出しましたけど、指導者の見解と重ね合わせても問題はなし。体調不良も今のところなし。心的要因も考えたんだけど、キャリバンくんの報告で余計にこじれたというか……」

「ああ、あれですか」


 それはドーナツを作りに撤収する前にキャリバンが確認したミラマールの心象調査の話だ。

 最初、ミラマールはネメシアの騎乗を嫌がり始めたという話であったため、彼女に対していい感情を持っていないのではないかと予測されていた。


 しかし、実際に確認してみるとミラマールはネメシアの登場にむしろ喜んでおり、体を触ることも許しているなど、騎乗以外ではむしろ彼女に懐いているような反応をしていたのだ。これはバネウスも意外だったようで、複雑な反面、少し安堵したような表情も覗かせた。


「つまり、私が一方的にミラマールに言う事聞かせようとしてるってわけじゃないことが証明されたわけね!」

「しかしそうなると、なぜ拒否するのかという部分が謎ですねぇ。そこさえ解明できれば事の真相はハッキリするのですが……」


 見たかとばかりに自慢げなネメシアに反し、バネウスは後頭部をぽりぽりと掻いてその鳥の巣のような頭を揺らしながら困り顔だ。関係が良好でなければ、良くはないがそれで話は早かったのだ。

 今回の調査で判明したのは、余計に原因の特定が難しくなったことだけとも言えた。


 リミットはあと二日。

 それ以内に問題を解決できなければ、俺たち王立外来危険種対策騎士団はオークの目撃例がある地域での広域調査に向かう。緊急事態ならば明日にも出ていく可能性もある。

 この進展の少なさはどうにも看過しがたい。


「これからどうします?」

「ノノカは時間ギリギリまで竜小屋でワイバーンの様子を見ます。ミラマールちゃんもそうですけど、学術的な勉強にもなりますしね。ベビオンくんは引き続き手伝ってくれますよね?」

「無論でございます、ノノカ様ッ!!」

(……ちょっとヴァルナ。この平民がノノカ教授を見る目が汚らわしいから捕縛なさい)

(犯罪には手を染めていない。被害者も被害届を出してない。見るぐらい勘弁してやってくれ。実際にはノノカさんの手のひらで踊らされてるだけだし)


 早速ゴミを見る目でベビオンを睥睨へいげいするネメシアを説得しつつ、嘆息する。今回ばかりは俺にできることなどネメシアに付き合ってやるぐらいしかなさそうだ。オークのことなら色々と知っているが、ワイバーンの調教など門外漢もいいところだ。

 俺が了承の意を示すと、ノノカさんは満足げに「アリガトっ♪」と頷いた。


「さて、そうと決まればドーナツを食べてしまいましょう。時間が経つと油が回ってしまいますし」

「今更ながら、ドーナツの匂いが染みついた状態でワイバーンの前に行ったら齧られちゃうのでは?なーんちゃって。人間なんか食べても美味しくないでしょうしねぇ」

「あ、聞いたことある。雑食の生物って肉が臭いんでしたっけ?」

「ちょっと皆様方、ドーナツを食べながらそんな血腥い話をしないで貰えるかしら?」


 変な方向に盛り上がろうとする俺たちに釘を差しながらネメシアはドーナツを齧る。よく見るとそのドーナツは俺が作って揚げたものだ。王都で買ったあの時のドーナツをイメージした、スタンダードな丸形ドーナツで、スージーさんに「手伝うだけじゃなくて最後まで自分で作った分も渡しなよ」と言われて作った。

 なんとなくそれを見ていると、食べたネメシアが美味しそうに微笑んだ。


「これ、美味しい」

「そうかい、そりゃよかった」


 俺が真っすぐ見つめていることに気づいたネメシアは、すぐさま恥じるように顔を逸らした。そんなに首を曲げていたら痛めるぞ、などと言おうかと思ったが、先にネメシアの論理の防壁が展開される。


「何を貴方が誇らしげに! 作ったのは貴方ではなく貴方の騎士団のシェフか誰かでしょう! 私の称賛と笑顔はその人に向けられたのであって、あなたに向けた訳では――」

「その形のドーナツ作ったの、俺」

「……嘘おっしゃい」

「だから嘘は言わないって」


 即席の論理防壁をけ破られたネメシアは、ドーナツを見て、俺を見て、もう一度ドーナツを見たのちに齧り、やがて耳まで真っ赤にして悔しそうに机に突っ伏した。


「悔しいけど美味しい……このネメシア、平民騎士なんかに笑顔までくれてやるとは一生の不覚だわ……っ」

「別に誰が作っても食べ物は食べ物だし、美味しかったら笑っていいだろ?」

「貴方が作ったことを見抜けてれば心の中でだけ誉めたわよっ! 何で私が貴方になんか本音を聞かせなきゃならないのッ!!」

「一応誉めてはくれるのね……ったく、ドーナツくらい意地張らずに食えというに」


 なお悔しいのかたしたしと足を踏み鳴らしながらもドーナツは素直に食べ続けるネメシア。他の特権階級なら手のひらを返してドーナツを踏み躙るぐらいしかねないのだが、結局食べちゃう辺りに彼女の人間性の本質が垣間見えた。彼女は判断を間違うと、取り繕うのではなく自分のミスを恥じるタイプなのだ。


 だからこそ俺は――ワイバーンの件でも、嘗てのように心のうちに自責の念を溜め込み過ぎていないか、少し心配していた。

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