第154話 たまの庶民の贅沢です
幸か不幸か、ワイバーンのミラマールが叫んだのはお尻に体温計を挿入されたことに吃驚しただけで、それ以降の検査では抵抗らしい抵抗もなかった。途中で退屈したのか、ベビオンが髪の毛を齧られかけたりキャリバンが鼻先で持ち上げられてお手玉にされかけたりもしたが、世話役のベテランたるバネウスが見事に防いでいた。
ついでにノノカ式ウンコチェックも入り、一時間ほどが経過した。
「うーん、体温問題なし。ウンコも若干ゆるいですが、これは単に例の訓練でのストレスのせいとも取れるので今の段階ではさほど問題じゃないですね。その他鱗のツヤ、口や唾液、爪の状態、眼球運動などここで見られる部分は全部見ましたが、異常はないですねぇ」
至近距離でふんふんとミラマールに匂いを嗅がれて鼻息を噴射されているのにノーリアクションでカルテに診断結果を書きこんでいくノノカ。ワイバーンの息は家畜ほどではないものの流石にちょっとは臭いのだが、そもそもウンコ弄ってる人なら悪臭程度では動じないのかもしれない。
キャリバンもミラマールの感情を注意深く感じ取ったのだが、体温計以外は別段動じている様子も嫌がる様子もなかった。プロにも一応ミラマールの臭いを嗅がせたが、他のワイバーンと比較しても個体差以上の違いは感じられなかったという。
ノノカ達の報告にバネウスは少し失望した表情で頷いた。
「そうですか……うちのワイバーン専属医師の診断結果と同じですね。いや、より詳細になっても異常がないとなると、やっぱりミラマールの能力の問題に発展しちゃいそうだなぁ」
「とはいえ、パートナーのネメシアさんに何らかの要因がある可能性は否めません。原因があるなら取り除くことで改善も……」
「ネメシアさんに非があるかもしれないと。どっちにしろ僕にとっては身内なので、いい気はしないのが本音ですけどねぇ……」
バネウスとしては、ある意味ネメシアに問題があった場合の方が複雑な気分だろう。彼女に原因があったのなら、それは周囲に居ながら過ちに気付くことも正すことも出来なかった指導者に問題がシフトすることもありうる。
しかし、この場合最悪なのは、原因が分からないまま問題が処理されてしまうことだ。原因が不明なままでは再発の防止も不可能だし、次に同じ問題が発生した際に再び探り直しになる。
「やりましょう」
「あ、先輩。もういいんで?」
「圧倒的に気は進まないが……ワイバーンと戯れて終わりってのもな。頼まれた以上は面子もあるし、やれることはやっておきたい」
ついにエカテリーナ(ワイバーン)に愚痴を零すのをやめたヴァルナの姿がそこにあった。相変わらず生気はないのだが、現実と向き合う気概は出来たらしい。一直線にノノカの下に向かってカルテを受け取り、内容を確認しながらノノカとやりとりする。
なお、ミラマールはヴァルナが近づくなりノノカの匂いを嗅ぐのをやめた。エカテリーナにかなり臭いを擦りつけられたせいだろうか。
「にしても、遂に件のネメシア氏とご対面か……平民に語る事は何もない! とか言われたらどうするよ、ベビオン」
「問題ない。ノノカ様は王立魔法研究院教授……仕事の優先権で言えば聖騎士団と対等の特権を持っている。いけ好かないヴァルナ先輩の命令は断れても、立場上ノノカ様の要求は断れん筈だ!」
「ああ、そういえば。一緒にいすぎて感覚鈍ってたけど、ノノカさんも十分権力者なんだよなぁ」
王立魔法研究院は王国直属と言ってもいい重要機関だ。学院の人間は平民より遥かに待遇がいいし、教授ともなると国王の任命を直接受けているので下手な特権階級より権威がある。しかも仕事の優先権や発言力は聖騎士団にも匹敵する。
いくらネメシアの気が強いと言っても、特権階級は立場の弱い相手に気が強く、逆らってはいけない相手には腰が低く、同格の相手とは波風を立てないというのが定番の反応だ。自分の立場にも関わりがなくはないのだから、無下にされる可能性は低い。
と――。
「な、ななななななな………」
不意に背後から聞こえた声に全員が振り返る。
そこにはアッシュブロンドの美しい髪を
機動性を確保した軽量の鎧。背に抱える槍。そして整った顔立ち。少しばかり吊り目気味の目は見開き、左手の人差し指はたった一人の人間を指し示している。
その場の三人はもしや、と思い、一人はあれ、と意外に思い、そして最後の一人はうへぇ、と苦虫を噛み潰したような渋面を作った。
「……なんでッ!! 田舎者の余所者の身の程知らずな愚か者のヴァルナが私のミラマールの前にいるのよぉぉぉ~~~~~~ッ!!?」
「あー、どうやらミラマールの様子が見たくて先に来ちゃったみたいですね……紹介します。彼女がミラマールのパートナー、ネメシアさんです」
開口一番ヴァルナの悪口を放ったその美人女騎士は、平静を保ったバネウスの紹介を思いっきり無視してほぼ走るような速度でツカツカとヴァルナに歩み寄って素の胸倉を掴もうとするが、ヴァルナが音もなく後ずさって外れ、唯でさえ吊り気味の目が更に吊り上がる。
「何で避けるのッ!! 捕まりなさいッ!!」
「何で掴まれなきゃならん! 俺は仕事でここに来てんだよ!」
「何で豚狩り騎士団が聖天騎士団の管理区画で仕事するのよッ!! よしんば仕事があったとして、アンタどうせ場を荒らすかワイバーンを盗む気でしょうッ!! 正義の名の下にここから叩き出してやるわッ!!」
「濡れ衣を何枚着せる気だ!? ……お前ヒラ騎士、俺は出世して今はこの場の責任者。上に話は通ってるし、この件に関しては叩きだすのは俺側。オーケー?」
「何で勝手に出世してんのよ!! あのヒゲ上司に幾ら掴ませたの!!」
「俺の出世にお前の許可がいるか!? だいたい平民に賄賂出す金があるかぁッ!!」
「何で給料少ないのよッ!! アンタ平民で豚狩りでも仮にも一応奇跡的に筆頭騎士なんだから賃金アップの直訴ぐらいしなさいよ!! 情けない、それでも男なの!? 来なさい、今からアタシがお手本を見せて……」
「お前は一体誰の味方だ!?」
何で何での波状攻撃からの、もはや初志を見失った叱咤。
この理不尽の権化、これこそが騎士ヴァルナの数少ないようで実は色々あるんじゃないかと思われる弱点の一つ。
「あーもう、いい。分かった。あとでお前の話にはいくらでも付き合ってやるから、今は騎士バネウスとノノカ教授の聴取に付き合ってくれ」
「……後で時間を取るのね? 嘘をついた暁には――」
「俺が今まで、嘘をついたことがあるか?」
「ちっ、ないわね。嘘をつけるほど頭が回る男じゃないもの。でも分からないわ、目を離した隙に悪い友達から変な知識を仕入れてるかも……」
「お前は俺の母親か。いや、俺の母親は放任主義だけどな」
終わらないぶつかり合い、というか練習用案山子に連打を叩きこむが如く一方的に噛み付くネメシアを前に、キャリバンとベビオンは顔を合わせて溜息をついた。
「成程、これはすごい
「いくらヴァルナ先輩の不幸とはいえ、流石の俺もあれには同情しそう……」
自分たちも特権階級の嫌がらせを散々受けて来たが、あれほど見境のない個人攻撃は初めて見た二人であった。
◇ ◆
結局、俺が一緒にいるとネメシアの話が脱線しすぎるという事でヒアリングはノノカさんに一任することとなり、俺は補佐に残ったベビオンを置いて騎道車に戻ってドーナツを作っていた。
「……一応聞いていいっすか、先輩」
「おう、なんだ」
「なぜドーナツを揚げてるんっすか?」
俺の目の前では普段ほとんど使わないフライヤーによって熱された油の中で踊るリングドーナツの姿がある。隣では料理班が生地をこね、俺が揚げたものは同じく料理班のコルカが砂糖などを塗して味付けしている。
ドーナツを揚げる理由は食べるからに決まっているが、俺が食べるためではない。
「ネメシアはああ見えてドーナツ好きだからな。早い話がご機嫌取りだ。幸い材料は聖天騎士団がくれてるし、料理班の皆が手伝ってくれるんなら下手な味にはならんだろ? 手伝う代わりにちょっとばかし分けて貰うのさ」
「多めに作ってティータイムして、あとは差し入れだよー! ささ、キャリバンくんには特別に揚げたてを進呈しよう! 熱いからフーフーして食べてね?」
料理班副長スージーさんがドーナツを差し出し、見物してたキャリバンは言われた通りフーフーと息を吹きかけて冷ましながら齧っている。「サクッとして美味いっす」と親指を立てるキャリバンだが、それは俺が揚げに失敗してちょっと揚げすぎたドーナツであることは黙っていよう。あれもあれで歯ごたえがいいし完成品の近似値だ。
「しかし意外というかなんというか……俺はドーナツ詳しくないんすけど、どっちかというと庶民の味っすよね? あの高飛車お嬢様が指を油で汚してドーナツ齧るところとか、正直想像つかないっす」
「まーな。でも士官学校時代はどうしても困ったときはドーナツで機嫌とったもんだ。後でセドナにバレたら自分にもよこせと強請ってくるから内緒でさ」
「ほうほう、なんだか甘酸っぱい青春の香りがしますなぁ? というわけで、ご機嫌を取るに至った経緯を含めて詳しく聞いていいかな?」
「えっ、正直嫌です」
「関係ないね。言え。でないとドーナツは保証しない」
「しょうもない上にやり口が汚い!? わかりました、言いますよ……」
人の過去話に対しては獣のように獰猛に食らいつく料理班の機嫌は損ねたくないし、助け舟をくれるタマエさんも今はいない。あまり思い出したくないし、気軽に言いたくない思い出だが、少しは語ることにしよう。
「あれは俺が士官学校に入って二か月の頃、セドナとネメシアは俺の剣術の腕がいいか悪いかで喧嘩したらしいんですわ」
あの二人の喧嘩にしては珍しく原因がはっきりしたものだった。尤もそれは俺が現場に出くわしたわけではなく人伝に聞いた内容でしかない。ともかくその時は珍しく水掛け論からの掴み合いにはならず、俺の剣の実力を試すことで決着が図られた。
「しかし、当時の俺は王国攻性抜剣術を半分ほどしか習得していなかった」
「さすが先輩、もうすでにおかしい話が飛び出てる。二か月で十二の奥義のうち半分を習得したって、俺とか二年やって習得認定五つっすよ?」
それはちょっと遅い方だと思うが、王立外来危険種対策騎士団全体で見るとまだ多い方かもしれない。ダメンズ先輩三人衆とかアマル以下の剣術技量だし。
「今とは比べ物にならないほど弱かったんだ。教官を打ち負かすのにも苦戦していた」
「ダメだこの人。教官を楽勝で倒すのが思考のデフォルトになってるよ。というか二か月の時点で倒してるよ」
「とにかく、今の俺ほど自信満々じゃなかったってことだ。あんまり茶化してくれるな」
ネメシアは俺が当時一番の腕と目されたアストラエより強いことも、教官を倒したことも、直接見たわけではないので眉唾物だと過小評価していた。セドナはそれが気に入らなかったようだが、どうしてもネメシアに俺の実力を認めさせたくなったようだった。
実力を認めさせるに際してネメシアが提示した条件は二つ。
一つ、次の中間試験にて剣術で一位の成績を修めること。
もう一つは、同じく中間試験にて『十一の型、
中間試験一位……これは今になって思えば陰謀めいたものも考えていたのかもしれない。王子を差し置いての一位となると教師側も忖度をするし、平民トップという結果を快く思わず判定が厳しくなることも計算に入れていたのかもしれない。それでも、実技試験で生徒の目がある以上、文句なしの動きをすればこれはなんとかなると踏んだ。
問題はもう一つ、『十一の型、
「啄木鳥……あの無駄に格好いいけど実用性が低い上に滅茶苦茶習得が難しくて、事実上の王国攻性抜剣術最後の鬼門と言われてるあの啄木鳥っすか!?」
「そう、あのオーク戦では絶対に使わないというかそもそも使えねーよ奥義ランキングにてブッチギリの一位を誇る啄木鳥だ」
料理班はピンと来ていないが、キャリバンが声を荒げるのも無理はない。
それほどに難題なのだ、この奥義の習得は。
『十一の型・啄木鳥』は簡単に言うと超高速の乱れ突きだ。敵を突き、剣を引き、更に突き、そして引きをひたすら繰り返すことで反撃の隙を与えない怒涛のラッシュを繰り出す。
問題はその突きと引きに求められる速度と正確性が他の奥義に比べて格段に難しいことだ。単純な動作ゆえに僅かな動きの無駄が奥義そのものに隙を生じさせて技が破綻するので、非常に高い完成度が求められる。しかも実戦ではそんなに使わないので習得が一番最後に回される奥義でもある。
「まぁ、ぶっちゃけその条件をクリアできなくても俺としては全然構わなかった訳なんだが、セドナが涙目で『絶対にネメシアをギャフンと言わせてっ!』と悔しそうに嘆願してくるもんで、しょうがないからやれるだけやるかと試験までの一週間に十一の型まで全部覚えた訳だ」
「いやぁ、いつの時代も女の子の涙は強力なんすね。そして俺は聞き逃しませんでしたよ。いま先輩は十一の型『まで』って言いましたよね?」
「ということは、その時点でほぼ王国剣術全部覚えちゃったんだー……頭がおかしいのか体がおかしいのか、それが問題だ!」
「あの、どっちもという可能性も……」
「シッ! 真実を口にすることが正しいことじゃないのよ!」
遠回しに貶された気がする。
何でうちの同僚はそういうことろで容赦ないのだろう。
とはいえ、流石の俺も十二の型までは無理だった。というかそれについては今でも何で習得できたのかわからない。ついでにこの頃は『裏伝』の存在も知らなかったし、やはり今と比べると相当な未熟者だった。
ちなみに何故十一の型まで全部習得したのかというと、セドナの『十一の型を』というのを勝手に『十一の型まで全部』と勘違いしたからだ。最初はなんて滅茶苦茶な条件突き付けてきやがるとか思いながらも、アストラエが付き合ってくれて夜も必死で練習したものだ。
なお、十一の型が様になったところでアストラエに「ところでヴァルナ、君から聞いた条件とセドナから聞いた条件が違うんだが、もしかして僕たちは勘違いで急ぎすぎたんじゃないのか……?」と言い出したところで事実が発覚。
これは流石に後輩に語るのは恥ずかしい話だ。アストラエも十一の型習得寸前まで気付いていなかったので友の恥まで晒すことになる。あの時の微妙な沈黙は、忘却の彼方に追いやりたい禁断の歴史である。
「まぁ、努力の甲斐あって俺は見事に両方の条件をクリアしたんだが……」
これにて一件落着、となるとドーナツと話が繋がらない。
すなわち、話はこれで終わらずに尾を引いたのだ。
「出来る訳がないと高を括っていたネメシアはセドナの想像以上に打ちのめされちまってな。翌日から部屋に引きこもってすすり泣き始めたんだよ」
それが、俺がネメシアという人物が本当はどういう人物なのかを知る大きなきっかけになった。
多分それがあるから、俺は彼女を嫌いにまではなれないのだろう。
ちょうどいい小麦色に揚がったドーナツをフライ揚げで掬い切って別の人に交代してもらった俺は、熱した油で火照った体を冷やすように水を飲みながら過去に思いを馳せた。
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