第149話 オーク殺しも誓います

 記念すべき、もとい、忌避すべき今年度第一のオーク討伐は、王都より東の森での事となった。今年もオークを殺して殺して殺しまくって市民の安全を守る仕事が待っている。

 既に調査に入った工作班は、今までより少々減った人員を綺麗に回して既に調査を進めている。元々ファミリヤの導入とノウハウ取得で去年の末には仕事速度が結構早くなっていたので、本当にファミリヤ様々だ。


 そういえば第二部隊にもファミリヤ使いがいるらしいのだが、一体どんな人物なのだろう。大陸でもファミリヤ使いは重宝されるがこちらほど希少でもない。案外あちらの方が優秀な動物たちが揃っているかもしれない。

 軽く素振りをして時間を潰す俺の少し先では、机に地図を敷いて何やら書き込んでいる工作班たちのせわしない会話が行き来していた。


「どーもこの辺、地図では分かりませんがかなり起伏やくぼみが多いです。移動に注意ですな」

「だがその分、罠を仕掛けたり指向性を持たせやすくはある。よし、去年の五月頃にやった罠と同じ方向性でいいか」

「起伏は多いが丘や山のない平坦な土地なのが助かるな。決行は朝、どうやっても分散するから遊撃班には泥かぶりやってもらうか」


 さぁて、突然だがロザリンドに試練の刻が近づいて来た。


 泥かぶり。それは遊撃班伝統の待ち伏せ戦法で、体に泥や落ち葉を塗りたくって体臭を消しながらオークの逃走ルートで待ち伏せし、やってきたオークを皆殺しにしていくというものだ。状況に応じて罠の合間を抜けたオークも狩らなければいけないので結構な重労働であり、オーク誘導がどうしても大雑把になる森では必須の役割と言えるだろう。


 つまり、半ば遊撃班に入るのが決まっているロザリンドには泥を被ってもらう。

 そりゃもう髪からつま先まで満遍なく泥に塗れてもらう。

 泥パックなんて高尚なものではない。

 普通に蚯蚓みみずとか混ざってる泥だ。


 さぁ、ロザリンド・クロイツ・フォン・バウベルク。

 どーせ人生の中で泥遊びという言葉すら聞いたことのないお高く留まった女騎士よ。

 その麗しき御身を泥に塗れさせるだけの覚悟ありや。

 そして彼女の反応如何では「もう嫌ですわー!」と父上に泣きつき「許さんぞ豚狩り平民共がァァァーーーッ!!」となるのでそれだけは防ごうとフォローの準備だけは万全にしてある。

 三大母神の皆さま、後でお願いします。


「というわけで、組み立て式防水コンテナの中に泥を用意した。かすり傷とかある場合は先にフィーレス先生に塞いでもらえよ。化膿すると大変だからな」

 

 ちなみに泥塗り前は、女性はサラシ着用か軽量レザーアーマーで胸や股を隠す事が義務付けられている。塗りやすいように水分多めの泥だからスケちゃったら大変、らしい。もちろんスケずともスケベ共は泥まみれの女性騎士に興味が隠せないが。

 コーニアはちょっと面食らっている程度で、アマルは予想通り平気な面をしている。


「泥遊びとか弟たちとやって以来だなぁ~……というか先輩方がもうすでに塗り始めてる!!」

「おら泥玉喰らえやッ!!」

「うわっ、バカヤローコノ危ねぇだろ! 俺は泥塗らない係だっつの!!」

「どーせ泥水香水ふっかけて土臭くなるだろ!」

「そーれ! ばっしゃーん!」

「キャッ! このぉ、やったなぁ! ……泥に沈め」

「ちょちょちょ頭掴んで泥に沈めるのは流石に仕返しとしてやりすグボババババババッ!?」


 とてもではないがいい大人たちとは思えないほど低俗でやんちゃな泥塗りである。毎度毎度こんな調子なので誰も気にしない。あと泥に同僚の頭沈めてる先輩、流石に息継ぎさせてやってください。それ以上は殺人事件です。

 コーニアは嫌そうに、アマルは何も考えずにどぼーんと用意された泥に突っ込んでいる。さぁ、問題のロザリンドの姿やいかに。


「これが泥遊び……あの『ふんたぁクン奮闘記』の定番! 嗚呼、貴族でいる限り永遠にこの泥に飛び込む事は叶わないと半ば諦めていた幼少期の夢が今、目の前に!」


 夜空を煌めく星の如く目をキラキラさせていらっしゃった。

 というかお前、『ふんたぁクン奮闘記』愛読者かよ。


 ……そういえば特権階級ってたまにそういう変な憧れ抱いてることあるよね。セドナとかいつどこで聞いたのか枕投げに憧れてたし、アストラエも王都名物ポラリスアイスの中にある「当たりもう一本」を交換せずにケースに入れて自室に飾ってるし。


 ちなみにポラリスアイスはさっぱりしたミント風味のアイスと濃厚なチョコアイスを螺旋を描くように混ぜて固めたアイスバーだ。魔法科学の導入によって生まれた王国最初のアイスで、お財布に優しい価格と嘗てない甘味が王都中を激震させた。俺としてはチョコアイスのねっとり感がそんなに得意じゃないのでミントだけのアイスの方が好きだが。


 ともかく、泥遊びに憧れていたロザリンドは泥に夢中だ。

 手を突っ込んで「冷たい!」「ねとねとする!」「土の臭いがする!」と何を当たり前のことを、と言いたくなる事を興奮気味に叫んだ後に、大胆にも全身でダイブした。丁度今の泥まみれの彼女と、最近出た新作アイス「チョココート・ミント」が重なって見えた。


「肌に纏わりつく感触、これは確かに不思議ですわっ! これがふんたぁクンを勝利に導く天然最強ステルス装備! そう、これは必要な戦略行為なので決して遊んでいる訳ではない! 遊んでいるように見えても決して遊びではないのです! それー!」

「べふぅっ!? あー、やったなロザリー!! ふふん、弟や妹たちを幾度となく号泣させてきた私の泥球豪速球を見せてやるわ! てやー!」

「まだ泥を塗り切れていないコーニアを盾にしますわ」

「テメッ……ぶへはぁッ!? 思いのほかガチガチに固められた泥の塊が肩甲骨にッ!?」


 なんだか、こうも簡単に泥を被られると心配していた自分が馬鹿みたいに思えてくる。ため息を吐きながら俺も泥を被った。

 泥を被ったせいで服の内側に眠る筋肉のラインがくっきり浮き出て、ロザリンドとアマルがチラチラ視線を送ってきている。ウブだなぁ。セドナなんかすぐ慣れたのか筋トレ中に脇腹を擽ってきたぞ。オルクスがそれを見て歯ぎしりしてたけど。


「……ちょっと待ちなさいアマル。貴方サラシどころか下着も付けていないのではなくて?」

「えっ、サラシって晒すって意味じゃないの?」

「……お、おバカーーーーーッ!! ヴァルナ先輩! 至急レザーアーマーをッ!!」


 神業と言っていい速度で周囲の男性陣の目に泥をばらまいて視線を封じ、なおかつアマルの胸部をがっちり腕で押さえたロザリンドに、俺はこんなこともあろうかと用意していた予備のレザーアーマーをそっと差し出した。

 幸か不幸か、アマルの胸は大平原であるため逆に分かりにくく、ロザリンド以外には気付かれなかったようだ。コーニアはむっつり何かを考えては首をぶんぶん横に振っていたが。



 ――さて、泥が過ぎれば後はそれほど心配していなかった。


 いくら腕が立つにせよ、新人は最初のオーク退治では見学と決まっている。

 まず後方から、やがて援護部隊の動きを知り、最終的に矢面に立つ。

 今回は群れが小規模なために新人たちは比較的近くから待機している俺の様子を見ていた。


 新人の近くにはロック先輩。酒飲みの屑だが、あれで緊急時の判断能力はかなり高いので新人への指示を一任している。実際、あの人はいい加減に見えて新人の育成能力がある。反面教師の意味も含めてだが。


 今日はサポーターに別の遊撃班の先輩、サマルネス先輩を隣に連れている。

 サマルネス先輩は多才な人で、実務から些細な事までいろんな技能を習得している。しかし人を動かすリーダーとしての才能はなく、本人も誰かの指示で動く方が性に合ってるという。その分チーム単位での行動では遊撃班の副長的なポジションを取ることが多い。


「オーク接近、三匹……いや正面三匹、遅れて二匹! 行け、ヴァルナ!」

「久しぶりにこいつに出番をやるか。初志が大事……っと! 行きますッ!!」


 腰から剣を抜き放つ。

 本当に久しぶりの、王より賜った愛剣だ。

 嘗て任務で酷い傷を帯び、鍛冶屋のゲノン爺さんに直してもらった思い出の直剣は、爺さん曰く修理ついでに一度打ち直したらしい。その刃は絶妙に調整され、俺の剣技に馴染みながらも以前に受け取った新たな剣と同じだけの切れ味に向上している。


 体を低く落とし、神経を研ぎ澄ます。

 まだ少しばかり肌寒い森に響き渡る振動を、掌握する。


 オークの逃走ルートは一見して気付けないほど緩やかな傾斜となっていて、オークは登る側で騎士団は坂側にいる。その傾斜がこちらの姿を絶妙に隠匿している。ならば、傾斜を最大限利用した奇襲を仕掛ける。


 既に森中で罠や戦いが勃発して聴覚情報が当てにならないオークたちは、生き残るためにただ我武者羅に森を走る。逃げる先に、恐ろしく低い姿勢で疾走する騎士の凶刃が手ぐすねを引いているとも知らず。


 大地を踏み締めて加速し、加速し、オークの移動速度と自分が相手の視界に入るタイミングを逆算する。サマルネス先輩の援護は必要か、必要ないか――今の位置取りならば、手を煩わせるまでもなし。

 低く疾走していた体を一気に起こし、矢の如く跳躍して一気にオークの前に躍り出る。


「ブギ――」

「七の型、荒鷹ッ!!」


 ザガッ!! と断ち切る音。

 美しく弧を描いた回転斬りは、悲鳴を上げる暇も与えずオーク三頭の頭を皆断した。そのまま地面に足が着いた頃、やっとオークたちは自分が斬られたことに気が付き悲鳴を上げようとして、それが不可能であることを知り絶命した。


「ブギャオオオオオッ!!」

「ギャギャギャアアアアアアアッ!!」


 辛うじて、悲鳴を上げながら戦いのポーズを取ろうとする時間が残り二匹のオークには与えられた。しかし、空を裂いて急襲する猛禽類のように俊敏な王国攻性抜剣術は、たとえ迎撃の時間を与えたとて、抵抗を許さず鏖殺する。


 懐に納められたもう一本の剣を抜き放った俺は、両手を交差させながら剣を腰だめに構え、今まさに棍棒を振り上げようとするオーク二匹の懐に入り、双刃を煌かせた。


「三の型――両翼飛燕」


 すれ違いざま左右に放たれた斬撃は、ゾバァッ!! と左のオークの心臓を脇腹ごと、右のオークは脇から首にかけてを両断し、オークはその巨大な体躯を大地に投げ出して絶命した。

 全五匹、致命傷にて即死。

 討伐所要時間は接敵してから四秒。


「……うん、去年の初めよりは手際がよくなったかな。前は確か七秒だった」


 嘗ての自分を今の自分が越えているか、確認できたのは僥倖だった。

 さて、回収用の旗を立てて次のポイントに向かわなければ。




「奥義を二刀流で放ちやがった……ハハッ、あいつ上限ってモンがないのか?」


 斬撃が余りにも鋭すぎて切り裂いた刃に血の一滴も付着していない剣を納刀するヴァルナの姿を見て、サマルネスが渇いた笑いを漏らす。ヴァルナが当たり前のように行った奥義は、当然ながら両手で放つことなど全く想定していない奥義である。

 つまるところ、本人は「両翼飛燕」などと誤魔化しているが、剣術としては「新奥義」に相当する別物だった。


「オーク、凄い怖かった。でも先輩がスゴ過ぎて印象吹っ飛んじゃった…」

「嘘だろ……王国最強なだけじゃなくて二刀流まで使えるのかよ! か、カッコよすぎる……! 俺の憧れ……!」


 アマルとコーニアが口々に感想を述べる中、ロザリンドは何も言わなかった。

 いや、言えなかったのだ。ヴァルナの戦う姿を見て、感極まって何も言葉が出なかった。


(運命……この時代に生まれ、特権階級として生まれたから知ることの出来た最果ての騎士。わたくしは……わたくしは、間違っていなかった!)


 ロザリンドはこの日、ヴァルナの下に来たことが自分の剣の道の運命だったのだと強く確信し、改めてヴァルナの下でオークを屠りながら剣を極める事を深く誓った。

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