第142話 負けないことが克つことです

 オーク殺しは殺すことより殺した後の始末の方が大変だというのは騎士団内では周知の事実だが、それはひとえに有毒な血の問題による。そして血の回収を念頭に置かなくともよい例外もまた存在する。


 一つ、血の回収が容易な場所、或いは回収の必要性が薄い場所。

 そしてもう一つ――緊急時にて速やかにオークを撃滅せねばならない時――言わずもがな、今もそれに含まれる。


 倉庫に突入した時、既に四匹のオークが倉庫内に侵入していた。外にはまだ八匹いるのを気配で察知する。中の道通し達は腰を抜かしながら顔面蒼白で後ずさり、皆を庇うように前に出たワダカン先生は教え子を守るためにオークの前に立ち塞がっている。しかしその表情はもはや死を覚悟していた。


 大陸の人間ならともかく、王国民は魔物と呼称される存在のことを見た事さえない者が殆どだ。故に、王国の民はオークを目の前にしたとき、想像を絶する恐怖に体を雁字搦めにされる。


 自然生物であることを自ら否定するような、無数の疣に塗れた緑色の表皮。

 どのような自然生物より醜悪で凶悪な顔面。

 岩か何かと見間違えるほどに巨大で屈強な肉体。

 恐らくクーレタリアの民は、目の前にいるオークが実は冬眠明けでやせ細っていると聞いたらすぐには現実を受け入れられないだろう。あれで痩せているなんて考えられない――そう思う筈だ。『初めての魔物』というのは、それが大人であれ子供であれ、性別や実力に関係なく、恐ろしいものなのだ。


 そういう意味では死を覚悟しながらも教え子を守ろうとするワダカン先生というのは本当に凄い精神力を持っていると思う。教師かくあるべし――とまで高望みはしないが、彼を立派と言わないのなら王都にいる教師のほぼ全員が教師失格レベルだ。生徒に面倒ごとを擦り付けようとしたロッソ教官、主にあんたのことだぞ。


 ともかく、俺がここにいる以上は怪我人など一人たりとて出させられない。地面深く、深く深く足の裏を突き刺すようにギリリ、と踏み込み、足のばねを解き放って弓矢のように身を放つ。ゴウッ、と風を切る音と共に道通したちを通り抜け、三度のステップでワダカン先生の背後から正面まで追い抜き、煌めく白刃を振り抜く。


「七の型、荒鷹ッ!!」

「ブギュッ……!?」


 半円を描く横薙ぎの一閃がオークの首を斜めに両断する。

悲鳴を上げる喉を切り裂かれた哀れな魔物は体と頭の繋がりを失い、血の飛沫を巻き散らしながら背後に崩れ落ちた。仲間の惨殺死体に混乱するオークたちを、俺は剣を血振りしながらオークを観察する。振った血の一部が足元に飛んできた道通しが情けない悲鳴を上げるが、構う余裕はない。


「兵士タイプか。奥にいるのは兵士長、そしてボス。体力なし。退路あり。武器無し。別働隊の有無は……問題ないか」

「ヴ、ヴァルナくん……助かりました」

「それが俺の職務です。それより道通したちを荷物の上にでも避難させてください。今から騒がしくします」

「私も加勢をします!」

「駄目です。オークの体格と筋肉を人間の格闘技で仕留めるのは難しいし、相手は集団だ。はっきり言って俺一人の方が安全です。なので貴方は道通しの安全だけ考えていてください」


 振り返らずに断言する。

 十一対一という数よりも、防衛対象が多い方が厄介だ。

 後ろから何か言いたげな呻きが少しだけ聞こえたが、返答は肯定だった。


「分かり、ました。皆さん、荷物の上に避難を!! あの高さならオークでも簡単には手が届きません!!」

「はっ、はい先生! メラリンさん、どうか先に上へ! 俺らは後でいいですか……」

「うっひょー! 生オーク狩りッ!! しかも剣皇ヴァルナの殺陣たてッ!! こんなん瞬きできんヤツやんね!!」

「観戦ムードになってるーーーッ!?」


 ……そういえばメラリンは帝国に留学してたから魔物狩りとか見た事あるのか。呑気なのはいいが見物人気分で居座られると余計に迷惑なので、パズスが興奮で足をばたつかせるメラリンを無理やり上に引っ張って上がっている。と――。


「ブ、ブ、ブギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 仲間を殺害されたことによる怒りか、或いは罠に嵌められた事を悟ったのか、オークが凄まじい咆哮をあげて倉庫内に突入してきた。すぐさま迎撃の体勢を取るが、オークがこちらではなく後ろでもたつく道通したちに目線を合わせているのに気づき、舌打ちしながら倒れたオークの死骸を渾身の力で蹴り上げる。


 宙に浮く、痩せてなお推定体重百四十キロはある図体が最初に突っ込んできた一匹に激突させる。瞬間、身を屈めて右サイドから迫るオークの足めがけて地面を擦りながら足を放つ。


「裏伝六の型、火喰ひくいッ!!」

「アギャアッ!?」


 超低空で全身の加速を乗せた爪先が回し蹴りの要領でオークの足先の関節に叩きこまれ、バギャッ、と鈍い音がした。普通ならオークの骨の太さからして蹴った側の足が折れてもおかしくないが、鍛えた体とブーツの爪先に仕込まれた鉄のフレームはそんな失敗を許さない。砕けたのはオークの足だ。裏伝は攻撃を前提とした技ではないが、火喰は珍しく足払いという攻撃的な側面を持つので、応用すればこんなこともできる。


 軸足を砕かれオークの体が傾いた瞬間に横っ飛びに跳躍しながら同じ要領で左側を通り過ぎようとしたオークの膝裏に、今度は体重を乗せた踵を叩きこむ。骨が割れ筋肉や神経を破壊され、オークはもんどりうって倒れる。そのまま刃を迫らせ首を撥ねるが、最初に倒したオークの背後から押しかけてきた別のオークの腕が迫り、そちらに対応せざるを得なくなる。


 ここが俺とオークしかいない空間ならば、翻弄しながら一匹ずつ仕留めてお仕舞いだ。しかし一匹を仕留める間に数匹のオークがバラバラに動いて護衛対象を襲うのでは全く勝手が違う。恐らくはメスオークの皮を被った道通しが上に登っているのだろう、荷物を登ろうとしたりタックルをかまそうとするオークまで出てくる。


「ちっ……メスオークの皮持って来ればよかったッ!!」


 幸い荷物は重量もあり高さ四メートルは積まれているので、オークでも容易に道通したちに攻撃を仕掛けることは出来ない。とはいえ不安定な足場でもあることを考えると楽観視も許されない。


 どうする。

 どうすればいい。

 いつも先輩方に作戦立案を任せがちな頭を振り絞って考えながら持てる最大の速度でオークを妨害し続ける。しかし何匹か足を止めたものの数が多すぎた。一匹が積み上げられた荷物を掴んで体を上に登らせていく。


「しまっ――!!」

「く、く、来るんじゃねぇぇぇ~~~ッ!!」

「ブギャアアアアアアア……アッ!?」


 肝が冷えたその一瞬、しかし、俺以上に動揺で目を見開いている者がいた。

 それは、荷物の上で腰を抜かしていた男がばたつかせた足。それが偶然蹴り飛ばした荷物だ。相応の重量を持ち、他の荷物と少し趣の違う木箱は支えを失って落下し――オークの鼻柱を強かに打ちのめした。


「ボッギョオオッ!? ブ、ブギュウ!!?」

「え? お、俺がやったの……?」

(あ。そうか、その手が!)


 俺はマヌケにもそこでやっと現状を打開する策に気付いた。

 そう、俺は人を使う人間になるのだから『使えばいい』じゃないか。


「おおい、上の皆さん!! とりあえずオークが上ってきたらその辺の荷物投げつけて撃退してくれ!! その間に俺がオークを仕留める!!」

「荷物……って、この辺の荷物は村から略奪したやつだよね?」

「嫁入り道具のタンスもあんだけど……」

「オークに殺されるか犯罪で手に入れた品にしがみつくか!! どっちが先生や家族に恥じない生き方か考えろ!!」


 答えなど俺からすれば一つしかない。

 しかし戦いをしてこなかった、そして戦いのステージにすら成人の儀という悪習によって立たせてもらえなかった彼らの恐怖を和らげるにはもう一押しがいる。

 恐怖――崖の上で踊る恐怖とオークに攻め立てられる恐怖。

 どちらが上かなど人によるが、俺の騎士道とは戦いへの恐怖を使命にて黙らせるものだ。


「オークに立ち向かうには勇気が必要なんじゃない! オークという恐怖に勝たなくてもいい! ただ負けなければいい! ここには村のルールなんてないし、君らがいるのは『シャクカの額』の上でもない!! やりきらなくても耐えきれば、それが恐怖に打ち克つってことだッ!!」


 恐怖を乗り越えるとか、恐怖に克つということは、恐怖を感じなくなることではない。村の成人の儀の本質にあるのもそうだ。恐怖を感じない事ではなく、恐怖を受けたうえで何をするか。思いついたとしてそれを実行できるか。

 手足の震えを、憶する心を何を以てして鎮めるか。

 その答えは空元気でも苦し紛れでも、何でもいいから「行動する」ことにある。


「わ……分かった!! ようは荷物ぶつけてやりゃあいいんだろッ!!」


 道通しの誰かがヤケクソ気味に叫んで近くにあった木箱を掴み上げ、登ろうとするオークに投げつけた。


「へ、へへっ! 俺たちがいったい何日荷物運びしてると思ってんだ! この高さから下の奴に箱を投げ渡させりゃ百発百中なんだ!!」

「なんだ、そうか! その要領でやりゃあよかったんだ! ほれ、喰らいなッ!!」

「ブギョオッ!?」


 最初は数人でやったそれは、やがて全員での投擲となり、いくら登ろうとしてもオークの顔面や指に直撃させて突き落す鉄壁の迎撃兵たちになった。むしろ成人している筈のワダカン先生とドラテが置いていかれているようなものだ。メラリンも嬉々としてその辺のものを投げつけているが、もはや彼女一人抜けても問題ないほどに容赦なくかれらの投擲はオークを阻んでいた。


「……なんだ、みんなオーク狩りに参加できるんじゃないか。村の連中よりよっぽど骨があらぁ」


 下手をすればその辺の格闘家よりも頼りになる投擲技術にくすりと笑みを漏らしながら、俺は荷物投擲に四苦八苦するオークの背後めがけて刃を解き放った。




 ◇ ◆




「……とまぁ、なんやかんやで熱血な雰囲気になっていますが? 実際のところ丸腰で狙われて負けるなと言われても、言われた側は困る訳です」


 淡々とした女性の声。

 それはたった今、背後から喉を貫かれて息も出来なくなっているオークの背後から聞こえていた。


 そのオークは、群れの動きとは違うルートで倉庫にある匂いの元へと向かっていた。先に倉庫に入っていったオークの方から同胞の血の香りがした時点で、中は安全でないということぐらい分かっていた。だから倉庫をぐるりと回り、反対方向に来ていた。


 そこにいたのは変わり果てた姿になったメスオークと他の同胞たち、そして倉庫の入り口でおろおろする目障りで憎らしい二匹のニンゲン。


 オークはその二匹を殺して食おうと思った。

 手始めに美味そうなメスのニンゲンに手を伸ばそうとして――不味そうなオスのニンゲンに割って入られた。なんともみっともない、小鹿のように震えるオスのニンゲン。その行動に意味を見いだせなかったオークは邪魔者を排除しようと手を振り上げ、その瞬間、背後から何者かに喉を貫かれた。


 背後を振り返るより早く、背後からの刃が心臓、動脈、他いくつかの内臓を骨を避けながら傷つける。もはやオークはそれ以上意識を保つことすら出来ず、絶命した。


 そのオークを仕留めた女性は、独特の意匠と曲線の剣に付着した血をポケットから取り出した紙ですぅ、と拭い、腰の鞘に納めた。


「とはいえ、恋人を前に尻尾を巻いて逃げ出さなかったのなら、まぁ男として及第点くらいはあげていいでしょう。えらいでちゅねー」


 微笑を浮かべながら少年――ターシャを護ろうと身を挺していたパズスの頭を撫でる女性。そこはかとなく小馬鹿にされている感があるのは、彼女の上から目線と元来持ちあわせた性格の悪さ故なのかもしれない。


「まったく、ヴァルナときたら。別動オークがいるのを察知しておいて私に仕事を押し付けるとは、いつからそんな生意気な判断をするようになったのやら……ま、気付かれていた私の未熟と言えなくもないですがね――ああ、言い遅れました」


 その女性は、月光を反射する眼鏡をくいっと上げて、二人にこう名乗った。


「私は王立外来危険種対策騎士団所属、騎士セネガと申します。本日は事態の収拾のお手伝いをさせていただきに来ました」

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