第141話 覚えていなさい

 人間というのは不思議と父親より母親の言葉に耳を貸すもの、とは言うが、家族とも自由に会えない道通し達には母親以外の言葉も相当に響くものだったようだ。少なくない道通したちが落涙し、嗚咽を漏らしている。

 多分、彼らの心の中で答えは出ていると思う。

 それを形にするのに、少し時間がかかるだけだ。


 その晩は倉庫で一夜を明かすことになった俺は、貰った牛ダシのスープを飲みながら空を眺める。王都の町は夜になっても一部は光が灯っているが、こんな山奥になると倉庫以外には全く光が見えない。恐らく騎士団がどこかで野営をしている筈だが、山の起伏のせいかそれも確認できそうになかった。


 吸い込まれそうなほど透き通った暗闇に浮かぶ星を眺めていると、今日のことを色々と思い出させられた。


「家族からの手紙を渡して己を見直させるなんて、俺には思いつきもしなかったなぁ」


 長年教師をやってた人の判断を教育素人の俺が思いつく筈もない、と言ってしまえば簡単なのだが、俺ももうすぐ上司という立場になる。上司と教育係はまったく別の役職ではあるが、それでも教育の内容を全く知らずに上司になる訳でもない。俺も少しは人を導く努力をしなければいけなくなる。


 これでも新人には色々と教えてきたつもりだが、それもあくまで更に上の立場の人間の指示ありきだ。自信のほどは、殆どない。というか恩赦からの内政ルートの可能性ある事を考えると、むしろもう現場に立つ時間そのものが減るかもしれない。


 じゃあ恩赦なんか求めるなよ、と周囲には言われるかもしれないが、やっぱり俺には彼らがそれほど重大な罰を受けるべき存在とも思えない。その「思えない人」に何もせず牢屋に送り込まれるのを黙って見ている俺など、絶対に嫌だ。


(恩赦の内容、何書くかなぁ。取り合えず元は上にいた副団長か、セネガ先輩あたりに手伝ってもらうか)


 この一件、いくら俺の要求と言えどひげジジイは彼らの減刑を騎士団方針にすることに首を縦に振らないだろう。オーク狩りの騎士団がオークを間接的に利用した犯罪者に弱腰など、世間の一部熱狂的支持層から熱の冷める者が出てきてしまう。

 だから俺個人のコネでどうにかするしかない訳だ。


 と、倉庫から二人の人影が出てきた。事件を始めた悪意なき犯人、ターシャとパズスだ。


「ど、どうも。隣……いいですか?」

「ン、いいよ。むしろ俺が余所者だし」

「ありがとう、騎士様。ワダカン先生から一通り話は伺いました」


 軽く一礼して微笑むターシャ。その様子は、なるほど二人の逢瀬さえ見ていなければたおやかな女性にしか見えないだろう。パズスは相変わらずどこか自信なさげだが、なんとなくカルメに似ている気がする。多分、根は強い意志を湛えた青年なのだ。


「あの、こんなことを貴方に言うのもどうかと思ったんですが……僕たちはこのまま計画通り逃げる事にしました。予定は色々と変わっちゃって、もう確実なものではなくなっちゃいましたけど……ターシャと一緒に村の外に出て、一日でもいいから遊びたいんです」

「それはまた、些細なようで大きな願いだ。まぁ、騎士たちはまだ接近されている事に気付かれてないと思ってるから無理ではないな」

「騎士様は、過ちを犯した者は捕らえるのがお仕事でしょう? 見逃して宜しいのですか?」

「そこんところ、俺もよく分からない。君らが逃げるのに周りは納得してるの?」

「納得した上で、自分たちが囮になるなんて言い出してる先輩もいます。僕はそこまでしてほしくない。僕が言い出した事ですから。逆に、家族の言葉で出ていく覚悟が決まった人もいるんで」

「ただ、みんなそれぞれの選択に納得しているようです。私たちも、もう後は見ません」


 気丈というかなんというか、ターシャはまるで高貴な身分の人間を思わせる気高さを感じさせる。聞いているとこちらの背筋が伸びる感覚だ。そんな彼女を以てして、それでも寄り添いたいと思わせるのがパズスという男なのだろう。

 俺は急に、正しいことだけが騎士なのか、と疑問に思った。


「……そもそもが村長の情報を頼りにした作戦だ。もしも囮になった人たちが『パズスとターシャなんて知らない』と頑なに言い切ったら、二人はオーク事件に全く関係がないのかもしれない」

「騎士様?」

「それが誘拐でもなんでもなくただの駆け落ちならば、村長が何を言おうと騎士が追いかける事件じゃないのかもしれない。分かる人にだけ分かっている真実があっても――いいのかもしれない」

「それは、少なくとも僕らには違うと思います」


 不意に、パズスが話を断ち切るように、確固たる意志を持った声で断言した。


「悪い事をしたっていう僕と、悪い事をしたっていうターシャ。その時だけ罪を忘れて遊んだり生活したり、愛し合ったりは出来ると思います。でも、完全に罪を忘れることは出来ない。もし皆が真実を隠し通したとして、それでも罪はきっと僕らに圧し掛かるから……」

「パズス……そう、よね。多分そうなったら、私もあなたもずっと自分は罪人だと思って生きていかなければならなくなる。きっと牢屋に入るのと同じくらい苦しいことよ」

「うん。だから騎士様。僕らは逃げますけど……我儘ですが、必ず僕らを捕まえてください。逃避行は、泡沫のような間だけあればいいです」

「そう、か。そこまで言われちゃうとなぁ」


 俺としたことが、随分と自分に甘ったれた事を考えたものだ、と苦笑する。

 罰せられてこそ開放される何かもある。

 でなければ懺悔などという言葉はない。


 パズスは多分母親似だが、これは下手をすると父親より根は頑固なのかもしれない。自分で自分の犯したことを忘れられないから、それにケリをつけられるのは事実を知る俺だけなのだ。そう頼まれれば、断る道理などありはしない。


「あい分かった! 騎士ヴァルナ、罪人は必ず全員捕らえよう!」

「よかった。騎士様はとても優しくていい人です。先生が気に入ったのもよくわかる」

「そうね。パズスがいなかったら私、騎士様に惚れちゃってたかも」

「え、えええぇぇぇぇ!?」

「ふふっ、メラリンさんの話の仕返しよ。一番は貴方なんだから、そんな情けない声出さずにどしっと構えてなさい?」


 可笑しそうにころころ笑うターシャと、その言葉にほっと一息ついたと思ったら「……え? 嘘って言わなかったってことは本当にそう思ってるんじゃ?」とまた不安そうに眉を八の字にしてターシャに笑われていた。中々の小悪魔だな、彼女。


 どこか緊張感のあった空気もほぐれ、俺も自分のやることが定まった。

 今日はよく眠れそうだ――あ、魔除けの木鈴忘れてきた。まぁいいや。


「ところで、ちょっと気になってたことがあるんだけど聞いていい?」


 一度頭がすっきりすると、俺には一つだけどうしても不思議に思える疑問が浮かんだ。これまで何気に一度も騎士団での議題にも挙がらなかったが、今になって思えばどうして最初にその疑問を思い浮かべなかったのか不思議にさえ思う。


「オークの皮をかぶってオークのフリしてたんだよね?」

「はい。これなら村の人間の目を欺けると思って」

「本物の皮使ってるの?」

「え? はい、本物ですけど。これです」


 パズスは倉庫外の箱に無造作に詰めてあったそれを引っ張り上げて、こちらに広げて見せる。不快感を催すいぼに薄気味悪い緑がかった色彩。目の部分が窪んでいるが、それは間違いなく本物のオークの皮だった。少し触らせてもらったが、相当上手になめされている。着やすいように関節部は切られているが、つぎはぎでもなく一匹のオークから加工された上質な逸品だった。


 で、そんな皮の何が疑問なのかというと。


「こんなもんどこで手に入れたんだ? この精度のオークの皮なんて、よほどの好事家でもないと持ってないぞ」


 そう、そもそも王国内にオークの皮なんてほとんど出回っていない。いや、世界的に見てもオークの皮が商品として流通することなどまずない。だってその辺に掃いて捨てるほど繁殖してる愛嬌もない害獣の皮なんて、それこそノノカさんみたいな特殊な人か重度のモンスターマニアぐらいしか欲しがらない。イコール市場価値ほぼゼロ。


 加えて、オークの皮は毛がほとんどないので心臓や喉を切ったら縫合痕がまる分かりだ。綺麗な皮を作るには当然ながら綺麗に殺さなければいけない訳で、そんな手間をかけてまで市場価値のないものを作り出す意味がない。


「生きたままガスか薬で殺して皮を剥いだのかなぁ。確か昔に金策班が同じようなもの作ったけど、利益上がんなくて完全受注制にしたんだ。そんな超レア物を複数手に入れるなんて滅茶苦茶難しかったろ?」

「いえ、まぁ、あの……実は、仲間がですね」

「うん」

「去年の暮れ、サボり中に偶然冬眠中のオーク集団を発見しましてですね」

「ほうほう」

「宴会芸用のサプライズに使えると思ったらしく、その場で皮を剥いで加工したものの、着心地が最悪だったということで倉庫の隅で埃を……」

「ふーん」


 ターシャは眠っている動物の皮を剥がしたという蛮行にあまりいい印象を持たなかったのか少し顔をしかめている。パズスもそれは同じようで、なんとも言いにくそうにもごもごと喋っていた。

 その行動にはいろいろと問題があるのだが、一つ、ほぼ無意識にある予感を覚える。

 俺はオークの皮を箱から全部引っ張り出して一つずつ局部を確認した。

 その中の一つだけ、他と形の違うものがあった。


「あのさ、これメスの皮だよね。オークの中でもメスオークは特に、オスを惹きつける匂いを消す特別な加工が必要だったりするんだけど……した?」

「は、初耳です。多分、してないかと……」

「……」

「え、えへ……へ……まずい、ですか?」

「いや、まぁ、どうだろ。去年の冬に加工したんなら流石に大丈夫かも。専門家じゃないから何とも言えないけど」

「……」

「……」


 断言できない現状に、得も言われぬ沈黙が漂う。

 俺が大幅な信頼を置く最強の未来予測機関、第六感が「これ絶対あかんやつやで」と耳元で囁く。しかしまぁ落ち着き給え第六感くん。オークが冬眠から目覚める時期が今だとしても、既に覚めているとは限らないしここまでくるとも限らないし、何より既に加工から数か月経過してまだオスを呼び寄せるという学術的データは存在しない訳であってだね。運命の女神さまも流石にそこまで意地悪しないって。


 ――と、倉庫内から聞き覚えのある声、もとい『鳴き声』が聞こえた。


『ブギッ』

『……あれ、裏口からオークの着ぐるみが?』

『おい誰だよオークの皮なんか持ち出して。今しんみりしてるところなんだから悪ふざけはやめろ』

『でも、ここ全員揃ってる筈じゃ……』

『あ、もしかして騎士ヴァルナかパズスじゃねコレ? 外にあったオークの皮を来てドッキリをして気を紛らわそう的な!』

『なるほど、流石メラリンさん、良く分かりましたね!』

『ブギッ?』

『……ん? あれ? なんか……おかしくないか?』

『どこがだよ?』

『関節隠してたはずなんだけど、なんか完全に繋がってるっつーか、そもそもなんか皮かぶってるにしては身長高くね……? 二メートルくらいあるぞ?』

『それのどこかおかし……んん? あれ? 言われてみると目のところも肌のハリもなんか違うような……?』

『ブギィ……』

『というかこれ、ブギブギ言ってるけどオークの鳴きマネなのか?』

『いや、俺らオークの鳴き声どんなのとか知らないし』

『ブギ……ブギギ……ブギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

『ッ!! 下がりなさい皆さん! 後ろに何人も控えている! これは偽者ではありませんッ!!』


 ワダカン先生の怒声、メンバーの悲鳴、阿鼻叫喚の倉庫内。


「……運命の女神ぜってぇ泣かすッ!!」


 第六感くんが『言わんこっちゃない』と目元を押さえて首を横に振る中、俺は剣を引き抜いて全速力で倉庫内に突入した。 

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