第137話 まとめて案内します
空を見上げ、約束の正午はそろそろだな、と俺は一人ごちた。
「おっさん来んのかなぁ?」
「さあ。こればっかりは運命の女神にしか分からんものですよ」
「おっさん本人は分かるんじゃないの?」
「本人でも分からないから悩むんじゃないかと俺は思います」
「そういうもんなのかなぁ」
集合場所として選んだ山の上の修練場は、昨日もそうだったが今日も人がいない。オーク襲来以来、村と距離のあるここはオークに襲われれば孤立するという理由から誰も来ておらず、村で修練を積んでいるそうだ。俺はそこで適当な柱に寄りかかり、メラリンは適当な丸太の上で足をぶらぶらさせている。
「ワダカン先生もいいけど、メラリンさんは……」
「さんとか要らないよ。年上っつっても立場的には騎士ヴァルナの方が立派だもん」
「じゃ、お言葉に甘えて……事によってはメラリンも罪に問われるかもしれない事は、ちゃんと分かってる?」
「まぁね。でもアタシが言って、アタシが協力した事だし。きっかけ作ったのもアタシだから何も言い訳する気はないよ。自分に正直でいたくて音楽やってるんだから、それで自分に嘘ついたら音楽も嘘だよね」
口調も軽く、態度も軽い。しかしその言葉の節から感じられるのは、ミュージシャンとして譲ることの出来ないプライドなのだろうか。
ミュージシャンとは一種の世捨て人だ。
世を捨ててまでこれだと傾倒する道がある。
それを投げることと、自分の人生を捨てる事は、きっと彼女の中で直結している。
ある意味、俺の騎士道と同じようなものかもしれない。
まぁ、彼女が重罪に問われるかと言われると、実は結構微妙な話である。
酒の席で叫んだだけで教唆犯が成立するかという点が既に微妙だし、主犯格とは言い難いし。そもそも恋人を村から奪い取るといっても同意ある成人女性だ。現在の王国法では事件性が成立しえないかもしれない。
つまり、今回騎士団により王国の法で裁かれるべき問題というのは現時点で「オークのふりをして強盗行為を行った」点に絞られる。それ以外を厳罰にする必要性は薄い。計画に合意したターシャは勿論のこと、協力者といいつつクーレタリアで何日か他人のフリをしただけのメラリンも騎士団が頑張って態々立件するかは……ヤガラなら五月蠅く有罪だと言いそうだが、目零しして問題ない範囲ではある。
騎士団の守る秩序とは、そういうものだ。
保険もかけたし、彼女に関してはやれることはした。
弁護人ではない俺にこれ以上やれるのは、運命の女神の微笑みを期待することだけだ。
俺もメラリンを見習ってどっしり構えるか、と思い直した俺の視線が、ふと一つの場所に向いた。
修練場を少し外れたところには、断崖から突き出た地形がある。その先端は数メートルほどの幅があるものの、自然の生み出した歪な平面の淵から見えるのはまさに断崖であり、落ちたならば岩に全身を叩かれ絶命する事は想像に難くない。
そう、その場所はある意味今回の事件の全ての元凶と言えなくもない、成人の儀が行われる天然のステージである。
改めて見ると、ステージに続く足場も非常に狭く、風に煽られて転倒などしようものならその運命は先ほどの想像と同じ死に直結する。現地ではあそこを『シャクカの
余談だが、シャクカは性別不明の神だという。
俺の知る限り世界の信仰はほぼ女神信仰なので、こういう神はかなり珍しいと思う。
話だけを聞くと格式の高い場所と言うか、一種の聖地のようなもののように思える。だが実際には成人の儀の他、成人した後も自己研鑽を欠かさぬ人や村長は自由に瞑想などしていいらしい。
ちなみの女性の立ち入りの是非についてはワダカン先生曰く「知らない」とのこと。何故なら歴史上、女性でシャクカの額に行った人がいないからだそうだ。理由は簡単で、成人の儀をする必要のないクーレタリアの女性はそもそも近づく機会がないのだとか。だから考えたこともなかった、と後ろ頭を掻いていた。
まぁ、しかし考えてみれば当然だ。
誰が好き好んであんな怖い場所に行きたがるのか。
行きたがる人は相当なお転婆か怖いもの知らずに違いない。
「じゃーん! クーレタリア・オンステージ!!」
「って乗ってるし!! 危ないから戻ってきなさい!!」
「いやいや、面積的には普段やってるステージより断然広いし! わー、めっちゃ高い!」
メラリンは特になんの躊躇いもなく細い足場をととと、と歩いてシャクカの額でくるくる回ったり「やっふー!」と山彦を狙って叫んだりしている。普段どれだけ狭いステージにいるのかも気になるが、どうも彼女は高いの全然大丈夫なタイプらしい。
まぁ、細い足場と言われると不安に思えるが、平地に引いた白い線を沿って歩けと言われれば大抵の人はそれが出来る。失敗のリスクが体を鈍らせるのであれば、絶対成功するという確信があれば簡単にあの場所まで行けるのだろう。
「折角だから一曲歌うわ! 騎士ヴァルナに捧げるプライベートステージでーす!!」
「絶対に調子に乗って落ちないようにお願いするよ!?」
……絶対落ちないという根拠のない確信は自分には安心を与えるが、他人に安心を与えることなどない。危機感ゼロのメラリンには正直不安しか感じない。しょうがないので万一のときの為に一瞬で間合いに入れる場所に移動しながら歌を聞くことにした。
「千海万里を飛び越えてぇー♪ 国境役所を踏んずけてぇー♪ 王様女神も止められないような轟々ウネル僕らのJust Passion~~♪」
全身でリズムを刻みながらアップテンポに刻まれる四拍子の歌が、山に響き渡る。
抑揚やビブラートを多用する伝統的な王国音楽とも、吟遊詩人の寝物語のようなゆったりした語り引きとも違う、少なくとも俺は聞いたことのない音楽だった。伝統楽器や格式高い楽器の刻むゆったりとした音の似合わない、畳みかけるような言葉の羅列。少々落ち着きがない感じもするが、逆にその煩雑さが疾走感を生み出している。
これが、近代音楽。本人は「帝国の流行りとか取り入れてる」と言っていたが、耳が肥えてない故かアップテンポな歌詞が心地よく感じる。成程これは、いわゆる「音楽」というジャンルを深く愛する人には理解しがたい面白さがある気がした。
しかし、あんな断崖で結構な声量を発揮するメラリンは、心の底から楽しそうに歌っている。普段はギターを持っているらしいが、そんなものがなくとも彼女の歌の魅力が衰えはしないだろう。
「大人のユメに抑圧されると青い春の色が褪せてゆくけど♪ 檻の外には色が溢れていてー♪ Just Time……Just Way……シガラミ解き放つツバサの律動~~♪」
彼女は、自分が一番歌いたい歌を馬鹿正直に発信しているのだ。
そういう事を出来るのが、きっとミュージシャンなのだろう。
(……ただ、メラリンさん歌声がカッコイイ系じゃなくてカワイイ系だから微妙にミスマッチだな)
きっとクール路線を目指しているのだろうが、多分彼女に向いているのはもっとポップで女の子っぽい歌な気がする。まぁ、それも含めて彼女の魅力なのかもしれない。
と――修練場の入り口に人の姿が見えた。一瞬ワダカン先生かと思ったが、よく見れば若い。性別は男で、髪も短く刈っているワダカン先生と違って長髪を後頭部で束ねていた。精悍な顔つきと鋭い目にはどこか既視感を覚える。
一瞬何事かと不安を覚えるが、よく見れば彼は誘蛾灯に誘われるように歌声の方へとすたすた歩き、その目線は夢中で歌っているメラリンを探している。途中になってやっと俺の存在に気付いたような顔をした彼は、慌てて礼をした。
「あっ……し、失礼! 騎士ヴァルナ様ですね? 私はドラテと申します! 誰もいないはずの修練場から何やら美しい音色が聞こえてもので様子を見に来たのですが……」
「ああ、成程。じゃあ決して大声を上げたりしないように、ゆっくり『シャクカの額』の方を」
「え? ええ……、……」
「あー、やはりやめさせた方がよろしかっただろうか?」
「……天女がいる」
「はい?」
意味が分からなくて思わずドラテと名乗った彼を見ると、あの狭い岩場で気持ちよく歌っているメラリンに目が釘付けだった。口は半開きで放っておけば涎でも出てしまいそうで、頬は微かに紅潮している気がする。
……俺から見ればメラリンはちょっと奇抜な髪をしているが平均的な容姿の女性だ。しかし、異なる文化を持つ異なる人種の人には、それとはまったく違う姿が見えていることがあるという。聞いた話では宗国の女性の肌や髪の美しさに驚嘆した富豪が初対面の女性に求婚するという事があるとか料理班の乙女たちが言っていたのを前に聞いた。
いや、これ以上彼の態度については追及すまい。野暮すぎる。
「~~~♪ どもども、ご清聴ありがとうございま……お客増えてる!?」
「それはいいから。慌てず騒がず戻っておいで」
「はいなー」
なんとも気の抜ける返事とともに、ととと、と軽快に歩いてメラリンが戻ってくる。彼女は茫然と自分を見つめるドラテを不思議そうに見つめ、ああ、と手を鳴らした。
「流浪のミュージシャン、メラリン・リーコンだよ。初めまして、お客さん!」
「あ、ああ失礼。私はクーレタリアに住まうドラテと申します。先ほどの歌声、余りに甘美で聞き惚れてしまいました。さぞ名のあるみゅーじしゃんとお見受けします?」
「え!? え、ええモチのロン! その名を轟かすメラリンですとも!! ……たぶん、将来的に」
「……? 何かおっしゃいましたか?」
「いえなにもっ!」
消え入るほどに小さな声は、風の悪戯かドラテには聞こえなかったようだ。
それにしても、とドラテは目を輝かせる。
「まさかあの場所で歌を歌うとは恐れ入りました。私も嘗てあそこで成人の儀を行った身ですが、膝の震えを抑えるのに精一杯だったので……あそこに立った女性など一人しか聞いたことがない。素晴らしい心をお持ちだ」
「心を……? バランス感覚とかじゃなくて?」
「ええ。クーレタリアでは恐怖を我がものと受け入れる事は、心の強さであるのです」
俺やメラリンから聞けばあまり直結しない話に思えたが、ドラテは当然のようにそれを語る。それは、クーレタリアの文化の根底に横たわる思想の一つだった。
「人は生まれながらにして様々な恐怖を背負い生きるもの。子のうちはそれを大人に紛らわせてもらうものですが、いずれ大人になれば妻を持ち子を持ち、所帯を護る存在となります。そんな時に子や妻の不安、恐怖を受け止めて尚倒れない強い心を持つ為に、男子はあの岩の上で演武を行うのです」
「へー。アタシ別に恐怖は感じなかったんだけど」
「それはきっと、貴方はとうの昔に強い心をお持ちだったということでしょう。心の強さとは突っぱねる事ではなく深く受け入れる事にこそ神髄があります。全てを受け入れられるからこそ、貴方の歌声はあんなにも澄んでいたのかもしれませんね……」
俺はその時、理解しがたい文化の一つの真理を垣間見た気がした。
彼の語る強い心とは、誰しも求められることのあるものだ。言葉で言われないだけで、それは確かに子供が大人となることの本質とも言える。それを確かめる手段が成人の儀というだけで、大人観とでもいうべき思想の根底は、俺たちもクーレタリアの民も大差ない。
大差ないからこそ、余所者の俺は素直に成人の儀への不平を口にした。
「あそこで踊れるからって偉い訳でも、高い所が怖いから心が弱い訳でもないだろうに。人間の心の強さはそんなこと一つで計れるほど安いもんか……」
「あの恐怖を乗り越えられなければ、いずれ足踏みします」
「あれを乗り越えただけで将来足踏みしないってのは、ないと思うけどね。実際、村長の指示とは言え偽物のオークを前に足踏みしたんだろ?」
「それは――そう、ですね。父はよく道通したちを心弱き者と軽んじるような事を言いますが、時折その態度に言い知れぬ疑念を抱くことはあります」
思わず感情がにじみ出る事を言ってしまったが、意外にもドラテはそれを否定しなかった。思い付きでものを言ってしまう自分の口を戒めつつ、俺はドラテの話に耳を傾ける。メラリンもまた、自分のファンたちである道通しの話が少し気になるようだった。
「私には何人か兄弟がいるのですが、弟の一人は成人の儀に失敗して道通しになりました。父は今まで家族として接していた弟を家から追い出し、家族にも情けをかけないようきつく言い聞かせました。可愛がっていた息子をですよ? 村のルールと言われれば理解はしますが、父は殊更に道通しに辛く当たり……」
はぁ、とドラテはため息をついた。
「いえ、外から来たあなた方にこのような話をしても迷惑ですよね……」
「悩みは溜め込むだけでは解決できないこともありましょう。ところで、この村ではずっとそうなんですか?」
「亡き祖母の話では、先代村長の頃から風当たりが非常に強くなったらしいです。詳しい事は知りませんが、村長は里の規範ですからね。周囲もそれに合わせているようです」
「悪いジジイだ……むぐっ」
「メラリン、ステイ」
ワダカン先生の轍を踏まないようにメラリンの口を閉じさせる。
と――。
「その話は、私も初めて聞きましたね」
「あ、ワダカン先生……来てくれたんですね」
「せ、先生!? どうしてここに……!?」
事情を呑み込めないドラテをよそに、ワダカン先生を見る。
その恰好は今まで着ていた服ではなく、裾や袖がやたらと大きく仰々しい服に変わっている。何か、儀礼用の服――その推測を裏付けるように、ドラテが「儀服……?」と呟いた。装いも新たに覚悟を決めたような強い意志を湛える目が、俺とメラリンにまっすぐ向けられる。
「覚悟は決まりました。私はこの村の大人として伝えるべきことを伝える為に、二人を――いや、丁度いい。ドラテも含めて三人を
「え、私も? というか、どこにですか?」
「当然、私の教え子が……そして貴方の末弟がいる所ですよ」
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