第134話 パンクしそうです

 世の中、往々にして「敵」なるものは誰かが作ったものである場合が多く、善悪の境とは世間が思う以上にあやふやなものだ。


 確かにどの時代、どの文明でも悪と称されるものはあるが、悪が悪と呼ばれていなかった時期というのもある。疑う余地のない悪とは、そう見つけられないものだ。オーク以外。


 例を一つ挙げる。百年以上前の王国では貴族の食卓にはゲロを入れる壺が置いてあったりしたのだが、こいつはなんと贅をつくした食事を味わいつくす為に胃の中身を放り込んで「胃が空になったからまだ食べられるぞ!」という現代からすると狂気の沙汰な文化だったりする。


 しかしこいつは普通に汚いし食材がもったないという理由で廃れていき、オーク襲来辺りで一度起きた食料流通麻痺によって完全に廃止された。悪しき慣習は滅ぶべくして滅んだわけだ。


 しかしながら、これを実行してた贅沢貴族共は、それを悪と思いながら続けていた訳ではない。選ばれし者にしか実行できない究極の贅だと思ってやっていたのだ。その無自覚こそが悪だと言われれば話は拗れるが、逆を言えばちょっとしたいちゃもんで善悪の境は拗れるもの。民衆の声や権力者の一声がそれを悪と決定付けたとして、それが万人の悪とはなり切らないのが現実だ。


 という訳で、万人の悪とはなりきらないかもしれない山賊道通したちと接触を図る俺の前に「悪」の壁が立ちはだかった。いや、副団長からの許可は怖いくらいあっさり貰えたので組織面では体裁を保っている。


 問題は、クーレタリアの現地民の殆どが道通しを敵と認識してしまったことと、道通しも俺たち騎士を味方とは思わないであろうことだ。この村から争いなく道通しの人間と接触する仲介役がいない限り、俺が道通し達と平和的に接触することは難しいだろう。


 となると、村長に接触禁止を言い渡されてもなお繋がりのあるような誰かがいれば……。


「そう、そんな都合のいい……なんか成人の儀がダメだったせいで別れたけど気持ちの通じ合ってる恋人同士みたいな人の協力が都合よく得られればとですね……」

「つまり、昨日話した教え子の恋人を紹介しろと?」


 昨日会ったばかりのワダカンさんは、難しい顔をした。決して女をたらし込みたい訳ではないことは説明したが、それにしても誤解を招きそうな言葉である。


「……一生出られない牢屋か処刑台か、そのどちらかにお弟子さんが送られるかもしれない状況なんです。無論、二人の恋路については周囲には黙っておきます」


 実際問題、オークに扮した犯行はヤガラの耳には既に届いている情報なので既に芳しくない状況ではある。落としどころを見つけるにしてもとにかく時間がない以上、件の彼女とその恋人の男が俺に見つけられた唯一の線だ。これをモノに出来れば大きい。


 しかし、これは村の決定と違う道筋を指し示しているものでもある。パリット指南役という決して軽くはない役割を担うワダカンさんにこれを要求するのは――。


「分かりました。上手い事彼女の母に話を通します。少し時間を頂けますか?」


 思いのほか、ワダカンさんの返答は早くて迷いがなかった。


「お願いしていいんですね?」

「ええ。元とは言え弟子の不祥事に私が知らぬ顔はできませんよ。すぐ話を通してきます」


 真面目な人だ。直に教えた分余計に他人事ではないのはそうだが、恐らく今回の実行犯の殆どが自分の元弟子であろうという責任感もあるだろう。その心中の多くを察するにはまだ俺とワダカンさんの交流は少なすぎるが、心強い味方になってくれそうだ。


「ちなみにどうやって説得するんですか?」

「彼女の母親は娘が新しい婚約者を拒否し続けている事を気にかけているので、都会の男はどうかとそれっぽいことを言って勧めてみます。上手くいけば一時間とかからないでしょう。大丈夫、私は村の女性に婚約者候補を斡旋する仕事もやっているので! ……という訳で、後で婚約者候補のフリをお願いしますね!!」

「えぇー……ぜ、善処はします」


 グッとガッツポーズを決めて微笑むワダカンさんの作戦は確かに有効だ。

 それは分かるが、騙される母親に申し訳ないとか思わないのだろうか、この人は。




 ◇ ◆




 クーレタリアの身分制は、どうやら村長一強ではないらしい。

 村長が最大権力者である事やその威光の強さはある程度把握していたのだが、実際にはその下に位置する「まじない師」と「指南役」もまた、かなり大きな社会的地位を有していた。まじない師とは都会でいう医者の事であり、そして指南役とはワダカンさんだ。


「これで婚姻を、とまで言うつもりもありませんが、いつまでも彼女が家に籠り切りというのもよくない。そこでこちらのヴァルナ氏です。少し手合わせをしたのですが、もはや儀を行うまでもなく立派な武闘家だ。彼のような逞しい男と話をして、少しばかり外を歩けば、彼女の失恋の傷にもひとつ区切りがつくと思うのですが……如何でしょう。一日ばかり私に任せてもらえませんか?」

「まぁ! ワダカン先生のお墨付きだなんて、騎士様はご立派なのですね! ええ、ええ、私ももう娘にどうしてやればいいか困り果ててまして!」


 テーブルの向かいの椅子に座ってそう饒舌に語るマダムがワダカン先生に出したお茶と茶菓子は、いっそ軽食に分類する程度には豪華だ。俺にはない。余所者に出す物はねぇ、という差別ではなく、一定の身分の人にしかおもてなししない文化性らしい。

 小太りのマダムは困ったように頬に手を当てて仰々しいため息をついた。


「もうお隣も親戚も婚約は済ませてあるところばかりですし、娘も器量のいい方なのだから望めば婚約はいつでもできるのですが……これがもう、誰の名前を出しても嫌だ断ると頑なでして、最近では拗ねてしまってか部屋からもあまり出てこない始末でして……」

「それは、思った以上に深刻ですね」

「成人の儀もこなせなかった情けない男に、どうしてそんなに恋慕を抱くのだか、親としてはさっぱりですわ。崖から落ちかけるだなんて、情けないったらありゃしない」


 その言葉に、ワダカンさんは何も言わずに微笑んだままだった。ただ、俺はマダムから見えないテーブルの下のワダカンさんの手が、自分の服をきつく握りしめたのを横目で確認した。俺から言えることなど、何もない。


 クーレタリアの女性の価値観から言わせると、それはダメらしい。

 そして当事者はよくても親がダメと言えばダメで、婚姻を結ぶ適齢期も過ぎつつあると。この辺は自由恋愛という思想が近代のものである王国ではそこまで珍しくもない――そして割とどうしようもない話だ。


 とにかく、いくつかの事が分かった

 失恋のショックで引きこもっている女性の名はターシャ。

 村の男達の間でも評判のいい女性だという。


 嘗て婚約者だった男、バズスとは幼馴染で、昔からドジだったバズスを見て笑いながら手を貸している、そんな関係だったらしい。ただ、母親の側からするとバズスと仲がいいのは結構だが、婿として迎えたいほどいい男とは思えなかったらしく、婚約を許したのもターシャの強い要望に押し負けた形だったらしい。


 そして、バズスは成人の儀に失敗。

 母親からすればそれ見た事かという話なので、婚約はすぐに解消された。その後もバズスとターシャは一緒にいたが、成人の儀に失敗した笑い者と後ろ指をさされる事が辛くなったバズスは道通しとなり、ターシャもその日からすっかり元気がなくなっているんだそうだ。


「おまけにこの騒ぎでしょう? ほら、オークが何とかって。実は嫁入り道具に玄関の近くに置いてた大箪笥も持っていかれちゃいましてねぇ。それもあってか、ここ数日は怖がって完全に部屋に籠ってしまっていて……」

(道通しの話はまだ耳に入ってないのか。男衆は皆聞いてる風だったが……)

「ご飯は食べてるし水浴びもしてるようですけど、そこまで傷心しなくてもねぇ……」


 「箪笥じゃなくて娘の心を持って行ってくれるいい男はいないかしら」などと冗談めかしてこちらに期待のまなざしを向けるマダムに、「誠心誠意努力しますね」と愛想笑いする。愛想笑いとは残酷なもので、前向きに検討しますとはしないという事である。都会の大人が編み出した実に小賢しい技術だが、使っている手前あまり悪くも言えない。


 こうして俺はワダカン先生の口利きによってターシャ氏の部屋の前までやってきたのであった。


「ターシャは基本的にはたおやかで優しい子です。私を通せばひとまず話くらいは聞いてくれる筈。では、失礼して……ターシャ、こんにちは! ワダカンです、お久しぶりです!」


 彼女の部屋の扉を軽くノックしながらワダカン先生が快活な声を投げかける。彼の村での地位の高さは先ほど見た通り。これは今後の進展に期待ができそうな……。


『誰ですか。知りません。帰ってください』

「え」


 ドアの中から聞こえた声は、たおやかさからも優しさからもかけ離れた不機嫌と猜疑心丸出しだった。まさか『誰ですか』とまで言われるとは想像だにしていなかったらしいワダカンさんが固まる。


「た、ターシャ? やだなぁ、村の指南役である私の名前も忘れてしまったのですか? それにしても今日は少し声がいつもと違う気がするんだけれど、もしかして風邪でも引いているのかい?」

『関係ないでしょ。会いたくないし、話もしたい気分じゃありません。帰ってください』

(あれ、なんか……?)

「……ターシャが、グレてしまいました」


 いっそ強烈なまでの拒絶意志を前に、ワダカンさんの膝が震えている。普段の彼女との対比がよほどの衝撃だったらしい。どうしたのだろう、遅めの反抗期だろうか。二十歳を過ぎてからの反抗期というのもあるらしいのであり得ない話ではない。

 だが、俺はそれとはまったく別の可能性を視野に入れていた。ハンドサインで一度ワダカンさんにドアの前からどいていただき、俺は一種の確信をもってドアに告げる。


「今出てきたら剣皇ヴァルナの直筆サインプレゼント。特権階級連中の一部しか持っていないレアモノだぞー」

『嘘ぉマジで!? こりゃ演技してる場合じゃねぇー!!』


 瞬間、バァン! と扉が開き、中からクーレタリアの民族衣装を着た美しい女性――ではなく、俺には馴染みの深い王都付近の今風ファッションに身を包んだ女性が飛び出てきた。年齢は二十歳程度だろうか、最近王都でときどき見かける前髪が斜め一直線に切り揃えられた髪は、黒髪の多いクーレタリアの女性には似つかわしくなく地毛の金髪に蒼のメッシュというかなり前衛的な色合いに染められている。

 これはまた予想以上にパンクな子が出てきたな、と思っていると、彼女は俺の方をみて「うぎゃー!?」と変な悲鳴をあげた。それは怖がっているとかではなく、ただ単純に予想外過ぎたのだろう。


「騎士ヴァルナ本人ーーーーーッ!? え、ちょ、こんな山奥に騎士ヴァルナってどゆことなん!?」

「あー、やっぱり。何となく喋り方に王都訛りがある気がしたからもしかしてと思ったけど……ま、とりあえず握手しましょっか。俺は騎士ヴァルナです。貴方は?」


 最早疑うべくもない。

 どういう経緯で入れ替わったのかは知らないが、彼女はターシャではない。

 というか俺の顔を知っているって事は特権階級出身でほぼ間違いなしの都会っ子だ。パンクな見た目の割に感性は人並みなのか、唐突な出会いに動揺しつつも突き出された手をおっかなびっくり両手で掴んだ女性は、どもりながら告げた。


「あの、あの……その、初めまして! メラリン・リーコンって言います! 気持ちミュージシャンしてます! っていうか、マジこれどういう状況なの……?」

「それは俺も聞きたいですし、とりあえず一旦部屋のなかに入って話しましょうか。ワダカン先生も……」

「ターシャが声も髪の色も名前すら変わるレベルでグレて……ッ!? お、親から貰った名前まで変えるとは何事ですかぁぁぁーーーッ!!」

「先生、声と髪の色と名前が変わったらそれは別人です。あと顔もチェックしてください」


 ワダカン先生がメラリンさん≠ターシャ氏であると正しく認識するまで、十数分の時間を要した。この人、もしかして思い込みの激しい人なんじゃないだろうか。そのうちタチの悪い詐欺に引っかかりそうで無性に不安になってきた。

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