第133話 公私混同です

 有識者との語らいというのは、話が通じるレベルの知識を自分が持っていれば楽しいものだ。俺にも最低限――というか、アストラエとセドナに挟まれて嫌でも叩きこまれた知識のお陰で大抵の話には平均のラインで付いていけるが、武術関連はそもそも語れる人と会えない。そういう意味で、このワダカンという男性との語らいは存外楽しいものとなった。


 ワダカンさんはパリットの師範というやつで、外見は三十代そこそこに見えるのに実年齢は四十を越えているらしい。若さと健康の秘訣たるパリットの鍛錬を毎日怠らないからだと朗々と語るワダカンさんの肉体は、彼の言葉が決して冗談ではない事を知らしめるようにしなやかな筋肉が浮き出ている。


「『氣』ですか。我らが修練前に行う瞑想と似ておりますな。あれも体の乱れを正すためのものだと昔から伝わっております」

「多分、近い考え方だと思います。俺のは大分我流が入っちゃってますけどね」

「ご謙遜を。我流で、しかもその若さであれほどの武の領域に至れる者などこの里にもおりますまい。いやはや、王国最強の名に嘘偽り無しですな」

「よしてください。いくら武術で強くなろうが俺は青臭い若造でしかありません」


 その後も話は大分盛り上がり、途中で軽く手合わせなんかもして完全に武術交流と化した会話は暫く進んだ。パリットは構えがかなり独創的だが、意外に合理的な動きも多くて奥深かった。

 それを十代の若者に教えているワダカンさんはこの年齢になっても向上心が強いのか、細かい所でも深く質問してきて大変だった。そのことを指摘すると、「教え上手になりたいんです」と苦笑いしていた。


 この地方では男はパリットを習得しないと成人になれない――それを前提に考えると、成程これは責任重大だ。自分の教え方が下手なせいで教え子を成人させられなかったら心苦しかろう。

 半ば興味本位で、俺はワダカンさんに質問した。


「……もしかして教え子にパリットを習得できない人が?」

「お恥ずかしながら。いいえ、正確にはいた、ですね。彼はもうパリット習得を完全に諦めて村の下に降りました。今は道通しをしています」

「道通しというのは、唯の道案内とは違うので?」

「大昔にこの山にいた案内人の事です。ここは修行の場でしたから、修行もせずに道を教えるだけの人を蔑んだ言い方ですよ」

「ああ、修行に落伍した……あまりいい話ではありませんね」

「ええ、まったく」


 宗教の修行とは自分を高める為のものであるのに、少しばかり上に登ったたけで上様気分――などと言えば怒られるかもしれないが、実際にはもっとややこしい由来がある気もする。ともかくそういった人々が現代ではそのような形で残ってしまっている。

 余所者の勝手な目線から言わせれば、悪しき風習という訳だ。


「このような役割が残っているのは悲しい事ですが、成人できない男にとってこの村で過ごすのは余りにみじめだ。故に外に居場所を求めるしかないのです。かといって生まれ育って家族もいる故郷からは離れきれない。そんな者が道通しになります」


 パリットは技を伝授された後、人が二、三人しか立てないような断崖の上で演武を披露しきることで習得となるそうだ。下に足場もない文字通りの断崖なので、落ちれば命はない。逆に、この死と隣り合わせの恐怖を超えて初めて男と呼ばれる。


 いや、ある程度年齢重ねて性別が男ならそれで大人の男でいいだろ、と思ってしまうが、それは所詮王国基準の物言いでしかなく、そういった理屈で男を語っている訳でもない。


「……彼は技の習得が周りに比べて遅れていて、もう成人になっていて当然の年になっても上達しませんでした。私はそんな彼に言葉と技術を尽くしてパリットを教えたつもりだったのですが……成人の儀の際、彼は演武の最中に足をもつれさせてあわや転落。辛うじて怪我なく終わりましたが、当然儀に失敗した人間が成人と認められるはずもありません」

「再度挑戦、というのはないのですか? 人間いつだってベストを発揮出来る訳じゃないのだし……」

「成人の儀は年に一度。失敗すれば年下の者たちと共にもう一年修行しなければなりません。これもまた、みじめなのです」


 年下には「年上の癖にまだ成人できてない」と言われ、同年代の者には「同い年の癖にまだ男ですらない」と言われ、世間からも「あいつはまだ成人していない」と後ろ指を指されながら一年間耐える――ワダカンさんによると、そういう事らしい。


 確かにそれは惨めに感じるのも無理はない。

 成人になった後も、もしかすれば言われるかもしれない。

 肩身が狭くなって外を求めるのだって分かる。

 ふと俺の脳裏を過ったのは、イスバーグでのブッセくんの不当な扱いだった。

 多分その差は、何を選択したかというそれだけなのだろう。


「彼は婚約をしていた女性とも別れさせられました。今でも気持ちは通じているのか人目を忍んでその女性と会っているようですが、愛が繋がっても親に断たれた縁はどうにもならない。私の教えが悪かったのだと思うのが師というものではないですか」

「俺の学業の師には一人だけ嫌がらせする為だけに教えていたのもいましたけどね」

「連れてきなさい、私が性根を叩き直します……!」

「や、大丈夫ですから落ち着いてください」


 残念、もう教職を追放されてとんと行方知れずです。

 というかワダカンさんもしかして見た目以上に激情家なのだろうか。

 うっかり一言漏らしただけなのに反応が劇的過ぎる。

 俺もこんな先生に習いたかった。

 人生通して教師とか師匠にあんましいい思い出ないもん。


「……どこの戦士にも苦労は付き物、か」

「貴方もそうなのですか?」

「騎士は身分の高い者がなるのが普通でして。私の家は農家ですから、身分の低い男と随分見下され、罵られましたとも。今この村に来ている騎士も殆どがそうした過去を持ちます」


 実際には、恐らく件の教え子の男とはまるで違う辛さだろう。馬鹿にされる対象として見られることと、そもそも人として見られないことでは話がまるで違う。

 それでも、辛いであろうことだけはどちらも変わらない。

 この差に優劣はなく、ただ心がどう感じるか――それだけがあるのだ。


「貴方の学校に連れて行きなさい。私が全員性根を叩き直します……!」

「や、都会じゃよくありますから落ち着いてください」


 取り合えず、ワダカンさんは多分クーレタリアの外に出してはいけない人だと思った。


 暫くの時間を置いて、まだ少し鍛錬場に残ると言っていたワダカン先生と別れた俺は、日が傾き始める山道に長い影を落としながら足早に山を下る。

 実は、「道通し」という蔑称はワダカンさんに聞く前に一度耳にしていたのだ。そう、犯人に心当たりがあると言った村長からだ。その時に聞いた話と先程の話は、大分印象が異なった。村長の話だと、都会に半端に染まったならずもの、といった具合に聞こえた。


『道通しの若い連中でしょう。まっこと碌でもない……村のしきたりに自分の怠惰を理由に反発し、中途半端に山の外に出た連中でしょう。基本的には名前の通り道案内と、後は外との商売の中継をしている運び屋のような者たちです。まったく、若いのも年長も何をやって……いや、元からそういう連中か。知らぬうち信用してたのがそもそもの間違いだった』


 村長の話だと道通しには「昔からいる軟弱者」と「反発したがりの馬鹿な若者」の二つがいるようだった。村長としては年長者である前者が後者の暴走を止められなかったと考えている口ぶりだった。それ以上は、村の恥部など喋りたくないと言わんばかりに多くを語りはしなかった。


『ともかく、道通しの若い衆と見て間違いないでしょう。外の知識を知っていて、この山道を荷物を抱えて移動するのにも慣れている。今まで労働に見合う対価はきっちり渡してきたつもりでしたが、まさかここまで愚かだとは……構いません、全員捕らえてください。もう同じ地で生まれた同胞とも思いたくはない』


 そう言って首を横に振りながら、村長はこの道通しが普段居住しているエリアや荷物運びの休憩所となっている山小屋の場所を教えてくれた。もとより運び屋替わりなだけあって、盗んだ荷物を運び出すのは大した手間でもないだろう。また、荷物を町などに運ぶスケジュールも決まっているからまだ盗品が山の外に出ていない可能性も高いという。


 道通しはいつも決まった日にしか村々に訪れない決まりになっているため、本人たちに聞き取りなどは出来ていない。しかし全員グルでもない限り、怪しい者の炙り出しは難しくはないだろう。何より道通しの長を務めている男は村長に頭が上がらない人間だという。


 このままいけば、逮捕して終わりだ。

 ワダカンさんの話を聞かなかったら、俺もそれで別に良かった。

 しかし、今は少し心境が変わってきている。この問題、想像以上に加害者と被害者双方の感情に覆われて見えていない部分が多い気がするのだ。


 今回の手口、当人たちがどこまで知っていてやったのかは知らないが、王都に話が伝われば間違いなく重罪となるだろう。魔物のふりという前代未聞の手口に、新たな法律の一つでも出来るかもしれない。それは法と社会の進歩の話だからいい。


 しかし、その事件に至った背景というものを、俺は考慮したかった。犯罪者を前に悠長な考えだとか、心の贅肉だとか、そういった批判に相当する事だとは分かっている。分かっているが、それでも俺はこのまま逮捕することを心のどこかで「妥協」だと思っていた。


「俺、いっつも単独行動してんなぁ。絶対指揮官に向いてないよなぁ」


 落ち着きのない自分に自嘲しながら、俺は今回も自分の立場を少々悪用してクーレタリアに探りを入れることを決意した。俺なりの、公平たれという騎士の精神をささかやな根拠に掲げながら、クリフィア以来の合法的公私混同お節介を始めよう。

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