第132話 最後はリリースです

 王国は、世界的に見ても有数に魔物への意識が薄い。

 生まれてから魔物を見ずに人生を終える事の出来る人間はお偉いさんか王国民、とは海外で時々使われるジョークである。それほどに王国という国は、魔物を対岸の存在として見ている。だから、オークへの成り済ましなどという冗談みたいな手口に引っかかることが出来たのだろう。


 オークの『ガワ』をどうやって手に入れたのかは分からないが、その薄汚く卑劣極まりない発想には軽蔑の感情しか湧かない。


「考えたねぇ。クーレタリアは閉鎖的な環境みたいだし、何より盗まれた家財や絨毯は家具職人や絨毯職人がこしらえた一級品。村の中じゃ大した価値じゃなくとも、外に出しちまえば高級品ばっかりだよぉ?」

「……下着は?」

「そりゃ、アレだよカルメ少年。潤い的な何某が欲しかったんじゃなぁい?」

「サイッテー。酔っ払いも含めて」

「ちょ、今のはオジサン悪くないよね!? 客観的推測に基づいたモノだよ!?」


 カルメが女子みたいなこと言っているが、それはともかく本当に腹立たしい話だ。仮にも国内最大の脅威であるオークを下賤な金儲けの為に利用し、人を脅して財を巻き上げるなど畜生にも劣る所業である。王国中のオーク被害に遭った人々に対して何の呵責も覚えないのだろうか。


 恐らく盗んだ品はオークションに流れたり転売を経て金持ちの家財へと加わるのだろう。それも、決して安くない代金を犯罪者の懐に滑り込ませながらだ。こういった『楽をして他人から金を巻き上げる』という根性もまた、非常に不快だ。


 真面目に働いているのに賃金の安い俺らに対して、この盗賊連中というのはそもそも働いてすらいない。どんな苦労をしようが犯罪行為が労働として認められる日など来ない。

 犯罪は犯罪で、罪には罰。

 変わる事のない法治の世界の法則だ。


「こんな幼稚で低俗な犯罪で俺たちを山に引っ張り出した報いを、俺たちは絶対に犯人共に受けさせなけりゃならん。そいつらが何を思って馬鹿な手口を思いついたか知らんがな……これは俺たち騎士を、その騎士を信じる王国民を、そして俺たち騎士団が仕える国王に対する最大の挑発行為だ」


 今では滅多にないが、オークによる人死にだって過去には多くあったのだ。それを、自らがオークに扮して山賊をする――連中は大したアイデアだと思っているのかもしれないが、それは命懸けでオークと戦う人間の感情を最も逆撫でする。

 本来、犯罪者の取り締まりは俺たち王立外来危険種対策騎士団の本分ではない。しかし、こうも悪質な輩であれば、いつぞやの偽ヴァルナ事件のように捕縛を躊躇うことなどありはしない。


「面白半分だろうが真面目だろうが、俺らを前にオークを名乗った意味を教えてやらんことには、騎士団の名折れだろ?」

「……確かに、五十年は豚箱で過ごして貰わないと割に合わない気分っす」

「おマジメ気取る訳じゃないけど、確かにこりゃとびきりキツーいお灸をすえてあげないとねぇ。他に馬鹿やろうとする犯罪者への見せしめにもなるし。ねぇカルメくんや、捕まえたらどうする?」


 本当に珍しく普段より怒りを剥き出しにしているカルメは、据わった目で愛用のクロスボウを肩に担ぎ、宣言するように告げる。


「ボクの狙撃で去勢します」


 それを聞いていた俺以外の男連中が、きゅっと内股になった。

 どうしよう、カルメの目がかつてなく本気だ。


 ともかく、その翌日には全員に事件の概要が説明され、オーク討伐作戦改め山賊捕縛作戦は進行を開始した。年上組や女性陣は幼稚すぎる犯行にげんなりしていたが、俺たち若い連中は義憤に燃えてかつてない士気の高さに達していた。


 ついでにノノカさんも怒り狂っていた。「オークのサンプルが取れないなんて聞いてないッ!!」だそうだ。そっちかい、と突っ込むのは素人で、そっちだよねーと納得するのが彼女の理解者である。

 その日のうちに彼女がカルメと『犯人去勢させる同盟』を結成した事は余談だろう。




 ◆ ◇




 まず犯人は何者かという事なのだが、これについては村長たちに心当たりがあった。というのも、この辺の複雑な地形を素人が重荷を抱えて走破するとは考え難いことや、村が戦闘をよしとしない事をあらかじめ知っていたかのような大胆さから、土地勘のある人間に違いないという結論に達したのだ。


 更にそこから運搬ルート、拠点、その他諸々を話し合った結果、早くも山賊の拠点が絞られてしまった。ここから更に偵察や、本当に身内ならば誰がそれを行ったのかなど、様々な調査が進められることとなった。

 また、今回は犯罪者の確保である為になるべく非殺傷で相手を捕らえる等の方針も打ち出された。


 つまり、どういう事かと言うと。


 俺はやることがないので暇になった。


「…………はぁ」


 悲しい。余りにも悲しい。

 あと少しで副団長になろうかという男が騎士団内で暇をしているとは。

 などと嘆いてみるも、実際の所は高山病慣らしの終わってない面子やそもそも非殺傷なので普段のデストラップの大半が使えないことで手の余る騎士もそれなりにいる。別段俺だけが暇をしている訳ではなかった。


 なので俺は現在山頂近くにある修練場に来ていた。

 村長に許可を得てちょっとした修行でもしようと思ったのだ。

 何気に、修行が出来る時間とは貴重だ。修練とはどちらかといえば肉体のコンディションをマイナスに落とさないためのものという側面が強いのに対し、修行とはより高みに至る為のものだ。必然的に時間に余裕のある時しか出来ない。


 ひゅるり、と春先とは思えない冷たい風が通り抜けた。

 やはり山は冷える。山の天気は変わりやすいというし、雨には気を付けよう。


 嘗ての信仰の名残かどうかは知らないが、この辺では男はパリットという武術を習うのが通例で、このパリットを習得できないと正式に成人したと看做されないらしい。しかも練習場は山の頂上に近く、しかも岩だらけで足場が安定しない。

 高所恐怖症の人には無理だろうな、と思う。

 これほど高い山で生まれて高所が怖い人がいるのかは疑問だが。


 パリットを習得できなければ男として認められず、大人に認められる役職にも就けなければ結婚も許してもらえない。だから男は死に物狂いでパリットを習得する。つまりこの村の男たちの戦闘能力は、多分素手なら騎士団の男たちより上である。


 個人的には武術なんて、なければなくていい生活を送ればいいと思う。もちろん強いと自衛にも役立つしなにより健康的だが、出来ない人に無理強いするのは違うだろう。クーレタリアの民とはそれほど壁を感じてはいないが、根底にある考え方まで壁がない訳じゃない。

 それが後になって面倒を呼び起こさなければいいが。


 閑話休題。俺がこれからするのは武術ではなく『氣』の方の修行だ。

 適当な岩の上に胡坐をかき、空の光を手で掬うような印を結び、へその前に置く。そして静かに目を閉じ、思考を消し、ゆっくりと、ゆっくりと呼吸する。


 何も考えず、ただ呼吸だけしていると、次第に精神が内部から外部へと向いていく。自分の体の熱や筋肉の動き、調不調、それらがやがて肉体から乖離して外の風、音、太陽の熱といった自然界を感じ取る感覚になってゆく。

 これは氣による気配察知の時の感覚の基礎だ。

 近くに生き物がいれば、この感覚で感じ取れる。

 ここはまだ入り口。もっと深く入り込まなければ修行でも何でもない。


 自然を一つの生命と考えるのならば、自分を感じるのと自然を感じるのは隣り合わせの事。そんな言葉を、かつて自分の師匠と呼べる人の一人に言われたことがある。言葉ではなく、感覚でしか分からないことだ。自然を感じつつ、やがて解かれた精神は全方位――自らも自然も感じられる領域へと浮かび上がっていく。


 そして、大きく息を吸い込む。

 瞬間、全身に熱とも違う『力』のようなものが流れ込み、体を満たした。


 外を感じる先程までの氣は『外氣』。

 いま俺の体を満たしているのが『内氣』だ。


 『内氣』については俺も正直よく分かってない。

 ここに至ったあたりで師匠がエロ本を取り出したためぶん殴って縁を切ったからだ。どっちにしろ旅人でそろそろ他所に行こうとしていた師匠は『そこまで出来れば十分』と極意の書とかも残さずどこかに旅立っていった。


 ただ、『内氣』は普段は人が霧散させている何らかの『力』を意識的に体に溜め込む力だというくらいなら知っている。多分、生命力というよりは自然に存在するエネルギー……魔法の原動力たる魔素に近い概念だと思う。


 これを宿すと、体が普段の限界を超えたポテンシャルを発揮するらしい。いや、どの程度違うのか俺には全く分からないのだが。だって『内氣』全開のまま動き回るのすげー難しいんだもん。師匠には「動けるお前がおかしいんやで」ってやんわり言われたけど。


 というわけで、俺の修行は『内氣』を維持したまま動き回ったりすることが出来るようになる事だ。究極に自分だけの時間なので、本当に年に数回くらいしかやる機会がない。


 体を循環する力の流れは、前にしたときより少し大きくなっている。

 手を閉じたり開いたりしながら肉体の感触を確かめた俺は、跳躍した。


「ほっ、よっ、はっ」


 数メートル先の岩の頂上から頂上へと飛び移る。

 自然を感じる力が高まっている影響で岩にどう着地すればバランスが崩れないかも感覚で分かる為、そのまま飛び回る。よしよし、調子がいい。


 一通り跳ねた後には地面に足を付き、疾走。

 パリットの修行に使うらしい地面に突き立てられた丸太や縄を潜り抜けていくと、力が過剰になっている分だけ最低限の動きというものを体に叩きこめる。こういった修行は確か、タマエ料理長に『王国護身蹴拳術習得・強化合宿』に参加させられた時以来だな。どうもあの拳法は『内氣』に近い概念がどこか含まれているので、源流を辿ると師匠の出身地が分かるかもしれない。


 体を動かすと同時に、内に溜めた『内氣』を次第に手に収束させていく。

 これは武術を習い始めて初めて出来るようになった。

 なんとなく気分が必殺技っぽくてかっこいいからやっているが、収束に時間がかかるのが残念だ。オーク狩りで気合溜めなんぞやってる暇はないので実戦では何の実用性もない。ぶっちゃけ剣で斬った方が早いからしょうがないね。


 ちなみにこのままぶっ続けで『内氣』を高め続けると更に強く……なったりはしない。溜める量の限界を超えると『氣』の維持も出来なくなるわどっと疲れるわ筋肉痛になるわで碌な事にならないので、基本はチャージ・セーブ・リリースの三段階である。

 という訳で、そろそろ一度リリースだ。

 お誂え向きに拳を打ち込む用っぽい的の絵がある丸太に、溜め込んだ掌底を叩きこむ。


「シッ!!」


 ドウンッ、と丸太から鈍い音が響き、掌底の当たった場所を中心とした振動の波が地面を揺るがした。一度に氣を放出した俺はひと段落とばかりに息を吐きだし、汗をぬぐう。

 たったこれだけの修行だが、実はもう一時間は経過している。ここいらでお茶でも飲まないと明日に響いたら困る。そう思って最初に座った岩の近くにある使い古しの鞄を拾った俺は、背後に声をかけた。


「俺の鍛錬って見ていて楽しい物なんですかね? その辺のこと、お茶でも飲みながら話しませんか?」

「いえ、お気遣いなく。むしろ私の方がいいものを見せてもらったお礼をしたくらいです」


 『外氣』を使った頃には既に近くで見ていた、地元の人らしき男がにこやかな笑みでこちらを見ていた。余りにも自然体なその気配は、そこにいることを知覚しながらも、それに違和感を覚えない程だった。


「不躾な目線を送って申し訳ありません。私はここでパリットの指導をしているワダカンと申します。宜しければこちらからも、お話をお聞かせ願って宜しいですかな?」

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