第126話 半分が吹き飛びます

 騎士と酒は一見するとあまり結びつかないが、少なくとも王国の騎士はその大半がワインの銘柄や年代を当てられる程度にはそれを嗜んでいる。位の高い上流階級にとってワインの違いが判るというのは一つの教養のようなものなのだ。


 なお、平民とは違い本当に嗜む程度なので酔うほど飲む事は稀であるからして、酒浸りのロック先輩と同列に語ってはいけない。あの人は質より量という典型的なアル中だし。

 王立外来危険種対策騎士団でも酒はよく飲まれるが、それは特権階級のような上品なそれではなく、ただの酒盛りである。俺も酒は余り飲む機会がなく騎士団に入ったが、今では周囲に合わせて多少は飲んでいる。

 とはいえ、どうにも俺は酔うと謎の正義演説を始めるらしいので周囲に途中でストップされる事が多い。


 それに、今日の酒の席は酔っぱらう事ではなくセドナのナイショ話を聞くことだ。アルコールは少々舌の滑りを良くする程度が望ましい。


「という訳で一室設けた訳だが……」

「ヴァルナくん、前にこのお店に女の子を二人も連れこんだってどういう事なのかな?」


 笑顔で問うセドナの右手に握られたフォークがキリキリと音を立てながら変形していくのを何となく自分の未来に見立てて考えてしまうのは何故だろうか。


 そう、この店はいつだったかアマルテアとロザリンドから話を聞く為に連れ込んだ店なのだ。ここの店長の夫が元騎士団の人間なので融通は利かせてくれるのだが、その分身内と判断される人間には口が軽い事に定評がある。とはいえ、後輩の件を隠す意味もその気もないから別にいいけど。


「仲違いした後輩にちょっとアドバイスしただけだぞ」

「その二人は不機嫌なのにヴァルナくんの言う事だけは素直に聞いてたって聞いたけど、痴情の縺れじゃないと誓ってこの目を見て言える?」

「言えるし、友達の妄想力の逞しさに驚いている」


 セドナの目がカッ! と開眼して俺の顔を穴が空くほど見つめるが、何も変化がない事に気付くと今度は急に自分が言っている事が恥ずかしくなったのかすっと目をそらした。

 お前の目線は素直なのか素直じゃないのか分からんな。


「べ、べつに疑ってなんかないもん。ちょっと反応見ただけだもん」

「しかし痴情の縺れと来たか。セドナもそういう話は興味津々か?」

「言ってみただけだから! わたし、そんなはしたない話に興味ないからねっ」


 別に他人の恋愛事情に耳聡くなるのは年頃の若人にとっては健全なものだと思うのだが、俺の平民基準の判断とセドナの価値観がずれてる事など日常茶飯事なのでこの話は流す事とする。


「で? アストラエに話しにくい話ってなんだ。もしかして知らないの俺だけパターン?」

「そういうのじゃないけど……アストラエくんって時々鋭いから、もしかしたら自分に言いにくい話だって悟っちゃったのかもね」


 あの時のアストラエはまるでセドナにそれをするよう誘導しているようにも聞こえたので事情知ってたんじゃないかと勘繰ったのだが、そうではないらしい。確かにアストラエは時々鋭いが、セドナだって時々鋭いし、俺も時々鋭いと二人に言われる辺り、単に俺らが仲良すぎなだけじゃないかと思う。


 ともかく、セドナは何か言い出しにくそうに身じろぎし、自分で頼んだそこそこ高級なワインを一口飲んだ。そして何か言おうとして、まだ言い出せないとばかりにもう一口、更に一口、まだ一口、そしてとうとうグラス一杯全部飲み干してしまった辺りで俺はオチが読めた。


「おいセドナ、ワインおかわりは後にしろ。さもなくばこのまま飲み続けて酔っぱらって相談どころじゃなくなる」

「もう一口! もう一口で喋られるようになるから!」

「その厚かましさがあれば喋れるだろ! とっとと言え!」


 いつの間にか容疑者の取り調べみたいになっているが、グラスとワインを取り上げたあたりでやっと観念したセドナは脱力してしまった。上目遣いの視線がこちらに向けられる。


「あのね。笑わないでね?」

「笑わない笑わない」

「うん、信じる……それで、話なんだけどね。わたし、アストラエ君に婚約者がいるって初めて知ったの」

「俺も初めて知ったよ。考えてみりゃ不思議でもなんでもないんだけどな」

「うん、そう。王子だもん、不思議じゃないよ。不思議じゃなかったんだけど――その時、すごいショックだった。別にアストラエくんが隠してた事じゃなくて、もっと別の事」


 どこかもどかしそうに両指を絡ませながら、セドナは天井を見上げた。


「婚約者って事は、いつか結婚しちゃうよね。今はまだ騎士で王子で動き回ってるけど、きっと結婚したら公務とかも出来て、今みたいに気楽に遊べなくなるんだなぁって」


 今が遊びすぎ説もあると思うが、それについては言わないでおく。

 これ以上脱線させるとセドナも言いにくかろう。


「でね、アストラエくんの横に知らない女の人がいてさ。アストラエくんはその人が奥さんな訳だから、優しいアストラエくんは当然奥さんにも優しくして、一緒に手を繋いで歩いたりして、わたしと一緒にいる時間も減っちゃって……そう思うと、すごくモヤモヤした」

「……うん」

「それでね? そのアストラエくんがヴァルナくんにだけ婚約者の話をして、二人でどっかに行っちゃったって聞いた時ね……誰もいなくなっちゃったような気分になったの」


 セドナの指がテーブルの淵にある塩や胡椒の調味料入れをつまみ、三つ並べる。


「家にいた頃は勿論寂しくなんてなかったんだけど、今となっては二人と一緒にいる時、ヴァルナくんとアストラエくんに挟まれて笑っているわたしが一番楽しいの。二人の間にある一人分のスペースが私の一番居心地のいい居場所。片手を伸ばせば悪戯好きの王子様が、もう片手を伸ばせば面倒見のいい騎士様が……」


 と、別の調味料入れを二つ手に取ったセドナは三つの列を五つにし、真ん中を抜いた。


「……左右の二人に、わたしと同じかそれ以上に大切な人がいたら? わたしの居場所、どうなっちゃうの? 二人はわたしに向けてくれてた優しさとかを別の人に注いでさ。きっと注がれる人は幸せだと思う。わたしは幸せだったもん。でも時間は有限、向ける感情も半分こには出来ない」

「俺は、別にまだ婚約者とかいないぞ」

「いつかできるよ。ううん、作ろうと思えばいつでもできる。ヴァルナくん、国で一番の騎士だもん」


 抜かれた真ん中の調味料入れを宙ぶらりんに振って、セドナはまるで自分を惨めに思うような悲痛な目で残った二つずつの調味料入れを見つめた。


 学校の友人はかけがえのないものだが、その付き合いが永遠であることは稀である。ふとしたきっかけで離れた友情は、その思い出や気概までをも引き離し、いつか遠い年月をかけてふと思い出す――そんな話を、騎士団の先輩方から聞いたことがある。受け売りでしかないが、そこにリアリティを感じる限りは言葉に真実味を帯びる。


 セドナは青春の延長がそうでなくなり、自分が好きでしょうがない友達たちが自分以外の人間の方へ行ってしまうことで、自分の幸せが永遠に失われてしまう事を恐れている。


 生ける限りは年を重ね、時間の歩む先は常に一方だ。

 誰もがいずれ、現在を過去として新たな環境へ移らなければならない。

 しかしセドナは箱入り娘で、きっと家育ちの延長線で自分の父が出資者である学校へ行き、そしてその延長の感覚で騎士団にまでたどり着いてしまったのだろう。彼女はそんな勘違いをしてしまう程には優秀で、そして周囲に愛され過ぎた。


 以上を鑑みるに、俺の出したる結論は唯一つ。


(やだ、この子独占欲めっちゃ強くない……?)


 セドナの感情を要約すると、「アストラエくんの隣もヴァルナくんの隣もぜんぶわたしの物なんだからっ!! 他の女が近寄るなんて許せない!!」に限りなく近い。少なくとも彼女が今の三人の関係の延長を望んでいるという事は、これは間違いではない。恋愛感情がないのが余計に性質の悪い所で、自分は二人と結婚する訳でもないのに二人が結婚するのは受け入れられないというトンでもないわがまま娘である。


「アストラエくんがいくらいい人だからって、奥さんを放りだして同級生の女の子と遊んでばかりいたらいくら何でも邪推されるし、でもかといってもう一緒に遊べなくなるなんてそんなの……」


 これはまともに話を聞いていたら勝手に一人で泥沼に嵌っていくな、と思った俺は「王国最強スマッシュ!」とセドナの額にでこピンを放った。気もそぞろだったセドナがそれを躱せる筈もなく、「イタっ!」と額を抑えて恨めし気にこちらを睨んでくる。お前が睨んでも可愛いだけだ。


「何するのさヴァルナくんっ!」

「お前こそ何言ってんだ! お前なぁ……どんだけ俺とアストラエに依存してんだよ!? 友達が特別なのは俺だって同じだけどなぁ、いいか!? 例えばだぞ!? お前に好きな人がいて、そいつと結婚して俺一人だけ取り残されたとする!」


 というか現実的に考えて仕事と結婚してるレベルの俺がそうなる確率が一番高い訳なのだが、ここはちょっぴり見栄を張って例えばの話にしておく。

 みっともないプライドだと後ろ指を指して笑え。


「そりゃあ、青春の延長が終わっちまったのは寂寥感もあるだろうさ。しかし、出会って別れて成長してってのが人生だろ? 俺が騎士になるために士官学校目指したときだって、涙流して別れた友達の一人や二人はいる。お前は経験して来なかったんだろうが、こんな別れは当たり前の話なんだ」

「やだよぅ、そんなの。寂しいよぅ……」

「えぇ……」


 清々しいまでの説得失敗である。

 少量とはいえ酒の入っているセドナはどうやらちょっと感情的になりすぎているようで、既に目尻に涙を溜めている。特に間違ったことはしていない筈だが、そこはかとなく咎人になった気分である。


「ヴァルナくん……何かないの? アストラエくんがこのまま離れて行ったらヴァルナくんだけになっちゃうよ! ヴァルナくんが好きな人出来たって言ったらわたし……わたし嫌って言えないよぉ!!」

「話が飛躍しすぎて俺ついていけない……あーもう!」


 俺は話術は巧みじゃないし、まして泣きそうな女の子を慰める気の利いた言葉なんて頭にはまるで入っていない。端的に言うと、頭の隅では気付いていたけど言わずにいた言葉を放りだしてしまった。


「困ったらアストラエの側室なり俺の隣なり好きな所行けば何とかなるだろ! アストラエなら断らんし、俺が断らせん! 俺もお前の悩みに何かしらの決着が付くまで結婚はせん!! もうこれでいいだろ!!」

「…………………………う、うん。うん……うん?」

「だ、か、ら! お前は要するに俺とアストラエと離れるのが嫌なんだろ!? だったらどっちかにくっついちまえば居場所は俺とアストラエの間のままで済むだろ!?」


 二つずつ並べられた調味料入れの端を一つどかし、セドナが調味料入れを持つ手を掴んで間に落とす。順番にしてフロル、アストラエ、セドナ、俺。俺たちと王子が知己の関係であることなど王宮中が知っている事だし、そこそこ距離を計らえば……計らう前に、俺は何か言ってはいけないことを言ってないだろうか。


「えっと……そっか。アストラエくん王族だし、ヴァルナくん言い出したら守る人だし、えっと、でも友達で結婚……二人のどちらかをわたしが選ぶ……? どっちを? え? うん? 駄目、分かんない! 何を考えればいいのかさえ分かんなくなってきたよヴァルナくん!?」

「そうか。俺も訳が分からなくなってきた。よし、頭がこんがらがったときは飲むに限るな!」


 俺はセドナから取り上げたワインをグラスに注いでセドナに飲ませ、残ったボトルの中身をラッパ飲みした。セドナは本気で思考回路が限界だったのか、俺の言葉に何の反論もせずにワインを飲み干した。


 俺自身、もはや自分で言った恥ずかしい求婚もどきを忘れたい。本当に何言ってるんだ俺は。友達に対して「俺かアストラエかどっちか選べよ!」と迫ったようなものだ。紛うことなき恥ずかしい奴である。突発的に死にたい。しかしオーク撃滅を諦めてここで死ぬわけもいかないので飲んで飲まれる方を選ぶ。


 ワインボトルが逆さに傾き、喉の奥に流れ込む芳醇な香り、渋み、そして灼けるように熱いアルコール。セドナに二杯注いでいるとはいえそれなりの量だったので流石に一度で飲み切るのは無理だったが、そのアルコールが俺の思考を振り切った。


「追加注文!! ツマミのピザとなんかキツイ酒!! 氷も!!」

「蜂蜜酒とローストチキンも! アストラエくんに内緒で酒盛りだぁー!」


 こうして一人の独占欲強すぎ女子と女子の説得下手すぎ男の酒盛りは――。


「でさー! なんだったと思う!? 懐からえっちな本取り出して『これを読んでも我心空であらば極と至る』とか言い出してさぁ!! え? どうしたって? ぶん殴って本燃やしてやったよ!!」

「きゃはははははは! あはははははは!」

「先輩~、失礼しま~す……あの、副団長に頼まれて様子を……」

「お!? カルメか!? ちょうどいい、お前も飲んでけ!! あ、セドナぁ! こいつ俺たちの一コ下の後輩でさぁ!!」

「ひゃわぁ!? せ、先輩!? そんな強引に抱きしめたら……はう!? お酒臭っ!? キャリバン助けてぇ!」

「おーいカルメ、何をもたついて……ぅおう、何事!?」


 何やら人を若干増やしながらも飲めや歌えのどんちゃん騒ぎで――。


「正当な対価を伴わない労働とはこれすなわち不義であり、感謝や恩義を放棄する資本優先主義の血が通わないルールだ!! かくあるべしという信念とそれに払う敬意が揃ってこそ、騎士団システムは健全になる!!」

「いよっ、王国一! 出世頭!! あ、どっちも事実だったぁ! にゃははははは!!」

「先輩はれすねぇ……いっつもそーやってぼくのこころをもれあそんれぇ……ぐぅ」

「カオスだ……もぉ俺も寝ようかな、カルメと一緒に」

「やらしい……」

「やらしいぞキャリバン」

「やらしいんだぁ! あははははは!!」

「なんでっすか!? もうやだこの酔っ払い共!!」


 そして、夜が明けた頃には――。


「う゛ぁぁ……るな、くぅ……ふみゃぁ……」

「……んあ? 俺、昨日なにしてたんだっけ……というか何だこの部屋の惨事は!?」


 大量の酒瓶と料理の皿が山積みされた部屋で、無駄に幸せそうに肩を寄せていたセドナの寝言で目を覚ますのであった。部屋の端には無駄にはだけた服で色気を醸し出しながら無垢な寝息を立てるカルメと、上着を顔面にかぶせて大の字でいびきをかくキャリバン。

 それらの全てに対して心当たりがまるでない。

 二日酔いはなかったけど、記憶がいつも以上に消失していた。


 あと、支払いは後輩二人分を含めて四分の三支払い、手に入れた臨時収入の半分が財布から吹き飛んだ。これは流石にオークのせいではなく自分のせいか。ちくしょうめ。

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