第123話 近くば寄って目にも見てください

 暗殺者スパルバクスは、この暗殺に全てを賭けていた。


 暗殺者としての矜持は勿論、この暗殺さえ成功すれば後の事などどうとでもなれとさえ思っていた。そのために王国内へ入り込む前に婉曲な方法を用いて護衛を疲弊させた。


 あまり直接的な事をし過ぎれば別の勢力に気取られるが故に神経を使いっぱなしの作戦だったが、積み重なる疲労を睡眠で回復させきれない程度には体力を削り続けた。もしこれで護衛に犠牲者や脱落者が現れれば別の護衛が追加されるかもしれない為、本当にギリギリの匙加減を続けてきた。


 王国に渡ってからのルートについてはある程度用意が出来ていたため、下見まで済ませる事が出来た。流石に王族の使う屋敷となるとセキュリティ上の問題があったが、それはフロレンティーナの従者であるアマンダを脅迫する事で大幅に楽になった。

 無論それを鵜呑みにせず、屋敷の内部を『ファミリヤを使って』偵察した。


 王国はまだ対魔術の技術に関しては素人もいい所だ。魔法先進国ではファミリヤと術者のリンクを強制的に外す「ファミリヤ返し」という防犯があるが、王国はまだそこまでの用意はなかったらしい。代わりにメイドや使用人の視線を掻い潜るのが大変だったために口が裂けても楽とは言えなかった。変装による侵入も、忙しくなる来訪当日まで出来なかったくらいだ。

 聖盾騎士団の監視を掻い潜るのは流石に骨が折れた。

 可愛すぎて口説き落とそうとしたメイドの件はまだ少し未練がある。


 護衛全滅の手筈は、ファミリヤの犯行をアマンダに被せつつ、アマンダ自身にも間接的に犯行に加わってもらった。やけに素直だったのは少々気がかりではあるが、あの女もそこまでモルガーニ家に義理はないという事なのかもしれない。


 気がかりと言えば、王国側の追加護衛が一人だったことも不審には思っていた。アマンダに王国側護衛を突っぱねるようには言っていたものの、実際にはいないというのは立場上無理だろうとも考えていた。しかし十数人程度ならこちらの実力で掻い潜れると確信していたのだが、実際には若く冴えない雰囲気の騎士が一人だけ追加されていた。


 なんでも王国側の王子が追加したらしい。

 王国第二王子アストラエ――あれもまた、暗殺者スパルバクスに消えない傷を与えた者だ。ある意味では生き延びたフロレンティーナ以上に罪深い。スパルバクスの秘儀を次々に看破して、暗殺を防ぎ切って見せたのだから。


 だからこそ、この暗殺は成功させなければならなかった。

 嘗て自分が救ったつもりの婚約者、それも相応に成長した麗しき皇国の華を、自国の領土内で無残にも散らせる。王子を直接狙う事も考えたが、より大きな後悔と絶望を与えるならば、やはり殺害対象はフロレンティーナを於いて他になかった。


 嘗ての愚にして古い手口である毒殺は最早用いない。

 確実に心の臓を穿ち、治癒士でも回復不能な傷を以てして絶命に至らしめる。

 今度こそ逃れられない死を与え、今一度暗殺者スパルバクスの名を轟かせる。


 その為の蜘蛛。

 その為の変装。

 その為の――。

 その為の――。


 勝負の趨勢とは、こと暗殺では、準備の段階で全てが決している。今回の勝負――もはや依頼の枠を超えて矜持のみになったこの暗殺の勝敗は、決していた筈だった。


 勝負は二重のトラップだった。直接近づき、不審者捕縛の知らせで気が抜けて自然に護衛と合流し、隙を見て一突き。それが失敗すれば自慢の蜘蛛の出番だった。


 スパルバクスの連れてきた蜘蛛はシザー・スパイドルといい、一部のダンジョンにのみ棲息する魔物だ。特徴は金属化した鋭い二本の前足で、俊敏で獰猛かつ糸も硬い厄介な魔物だ。群れで行動し、ひとたび張った巣に生物がかかれば骨ごと前足で砕いて全身をバラバラにする。鎧を着こんだ人間でさえこの群れに襲われれば一分と持たず絶命し、餌となるだろう。

 これをテイムしてこの王国に連れてくる事こそが、最大の難関だったとさえ言える。


 これまでスパルバクスがこなしてきた任務の中でも最も対象の護衛が少なく、成功確率の高い作戦。すべてがあと少しで報われるはずだったのに、なのに、運命はあと一歩の所でいつもスパルバクスを袖にする。


「王立外来危険種対策騎士団所属、騎士ヴァルナ! 我こそは王国に於いて比類なき高みに座する者……王国最強の騎士であるッ!!」


 たった一人のイレギュラーの雄叫びが、端的な事実をスパルバクスの目の前に叩きつけた。


 王国の人間でない事を一瞬で見破られて目にも止まらぬ攻撃で吹き飛ばされ、失敗した時の為に背後から回り込ませていたシザー・スパイドルが跳躍した瞬間に潰された。スパルバクスには分かる。シザー・スパイドルはあの男が攻撃しようとしている事に気付いて急いで跳躍した。その跳躍の途中に『空中で剣の鞘を叩きつけられ』、そのまま地面まで落とされ、潰されたのだ。


 三星アリオトクラスの冒険者でさえその速度に追いつけないとされたそれを、空中で平然と潰して見せたのだ。二点同時なら絶対に勝てると信じた作戦を、二点同時に堂々と叩き潰したその男に、もはやスパルバクスは認める事しか出来ない。


 まさに神業、暗殺者でさえ見惚れる超速絶技。

 王国最強とは別の男の称号だった筈だが、その手際は虚言と笑うには余りにも現実を引き摺っていた。


 目の前の男、ヴァルナは油断も高揚も隙もなくこちらを見据え、腰から針金を取り出す。


「状況からして暗殺者当人、或いはその協力者とお見受けする。よってお前を騎士権限で拘束する! 要人暗殺未遂の意味を噛みしめつつ、神妙に縛に就けッ!!」


 その言葉から感じる圧の強さたるや、まるで齢二十にも届かない若者とは思えない。それだけの鍛錬、実力、誇りを以てして、彼は伝説の暗殺者を峻酷しゅんこくに見下ろしていた。


 しかし――しかし、舐めるな。

 スパルバクスの執念を、暗殺者としての最後を賭けたこの唸る熱を舐めるな。

 暗殺者スパルバクスは、一度狙った獲物を二度と逃さない。

 その為の『三つ目の策』、それが今度こそフロレンティーナを穿つ。最初からこの時の為に、気配を殺して近隣の邸宅の陰にずっと張り付いていたそれが、瞬時に致命の刃となって飛び出した。


 刹那――そう、刹那の時間さえあれば、十分だった。


「――! この気配はッ!!」

「気付いたか、化け物め! だがもう遅いッ!!」


 一度目は反応できようが、こちらを捕らえる為に接近しきった今では容易に反応出来まい。この勝負、獲った――!!



「――ぉおおーーーーいヴァルナぁッ!! 加勢に来たぞッ!!」



 それはまさに、運命の女神の悪戯だったのだろう。 

 蜘蛛はまさか自分より遥かに速い物体が自分に接近してきていることなど思いもせずに身を躍らせ、石畳を高速で移動していた。これほどの速度、馬の脚を以てしても踏み潰す事は出来ない速度だった。


 しかし、蜘蛛にとって何よりの不幸。それは――馬をも超える速度でいきなり人間の足が頭上に迫っていた事である。シザー・スパイドルは移動速度が速い反面、金属化した前足が邪魔をして方向転換の速度には少しムラがある。故にギリギリでそれに気付けたとしても、躱す事ができなかったのだ。


 ずぶちゃっ、と汚らしい水音を立て、最後の策が天へと旅立つ。


「うおっととぉ!? 着地地点に果実か何か落ちていたせいで一瞬転ぶかと思った……いや、その程度は些事な事! それよりヴァルナ! 我らの不朽の友情に誓い、このアストラエ! 暗殺者討伐に馳せ参じ――ん? なんだこの微妙な空気は?」


 切り札のシザー・スパイドルは王国第二王子の高貴なる靴の底に磨り潰され、もはや金属化した前足以外は何の形だったのかも不明な緑色の汚いシミのラインとなった。


「やっぱりアストラエの気配か……そのまま進むと蜘蛛踏み潰すぞって伝える間もなかったな」


 スパルバクスは、あんまりにもあんまりな現実を前に声もなく泣き崩れた。




 ◇ ◆




 アストラエが殺人蜘蛛を踏みつぶしたその瞬間、確かにその場の空気が凍った。

 いや、後ろにそんなものが近づいていた事に気付かなかったフロル嬢は愛しのアストラエが蜘蛛を踏み潰してしまった事にも気付いていないようだが、少なくとも俺と暗殺者っぽい奴の空気は瞬間凍結した。その寒さたるや、浄化場の冷凍倉庫すら凌駕する速度だった。


 アストラエは人より運のいい男ではあるが、俺の知る限りこんなミラクルを引き当てるレベルではない。というかそんなミラクル引き起こせる奴は俺の周囲では一人しかいない。

 誰かと言えば、雪山の洞窟探索ですっ転んで魔法薬『レムナーレ』をぶちまけた結果思わぬ調査の進展に扶助したフィーア先輩である。あの人見た目はポヤっとしてるけど失敗したら全部が後の大成功に繋がるし、ギャンブルやらせると鬼が裸足で逃げだす程の豪運を発揮するのだ。

 本人は「悪銭身に着けず」という不思議な主義を持っているらしく、給料以外の金はどんどん散財しているが。


 ともかく、俺はここで内心ははぁん、と思った。

 そこはかとなく世界の法則の一端を垣間見た時の賢人気分である。

 俺は目の前で泣き崩れる暗殺者の首筋にタマエ料理長直伝奥義「アテミ」を叩きこんで昏倒させ、何事もなかったように大仰に両手を広げてアストラエに笑顔を向けた。


「おお、アストラエ! お前の言った通り伝説の暗殺者スパルバクスが出てきたので護衛として対応したが、最後はいい所を持っていかれてしまったな! 流石はフロル嬢の未来の旦那、素敵で天才な王子様だ!」

「は? 何か変な物でも食べたかいヴァルナ? というか暗殺者の事なんで知って……」


 アストラエがなんか言ってるが無視だ。


「まさかまさか、正午に暗殺するという予告を絶対に実行する為に背後からもう一匹接近してきていた殺人虫相手に、靴を汚す事すら厭わず叩き潰すとは! お前のフロル嬢への愛は最早万人が見ても一目瞭然の深さだ!」

「いや、君なら普通に反応出来て潰せてたろ……というか僕、蜘蛛を踏み潰したの!?」


 まだなんか言っているが俄然無視である。


「さぁアストラエ! 二度目の暗殺の恐怖に気丈にも立ち向かったフロル嬢を抱きしめ、愛の言葉を贈って安心させてやるんだ! 全てを見抜き婚約者に気を回しながら俺を遣わしたアストラエよ! 大丈夫、今なら! もう何もかも帳消し!」

「え? 今なら帳消し……、……!!」 


 素晴らしいぞアストラエ。俺の言葉の最後の一言二言で、とりあえず俺がどういう展開を望んでいるのかは察したらしい。こんな時だけアストラエの察しの良さが心地よいと思えるのである。まぁこいつ察してて敢えてスルーしたり脱線させたりするの多いけどさ。何度ぶん殴ろうと思い実行したことか。

 とにかく事情を察せばアストラエの保身は早かった。


「やぁ、フロル! 暗殺者も万策尽き果て、彼の妄執もどうやら今日までと見えるな! 時刻も正午を過ぎ、暗殺は失敗! 君は晴れて何の憂いもなく僕との優美な一時を過ごせるという訳だ! まぁこの程度、僕にとっては朝飯前のちょちょいのちょいなのだがね!!」

「あ、アストラエ様……まさか御身自らわたくしのために……!! あの時と同じですね……っ!」

(あの時ってなんだ!? ヴァルナ、ヒントプリーズ!!)

「ええ、七年前に王子が貴方の為に体を張って悪辣な暗殺から身を守り続けたあの時と同じですね!」

「そ、そうともさ! 我が愛しの婚約者の為ならばこの程度の危険など、危険の内にも入らぬなぁ!!」


 そしてこの即興トーク力の高さである。俺の言う事が意味分からないとかいいつつ一言一句記憶しているアストラエは今、前提情報皆無のままこれまでに俺の出したヒントのピースを脳内で猛烈に繋ぎ合わせて一つのストーリーをでっち上げている最中なのだ。更に「今なら恩着せ放題だべ」という俺の遠回しなメッセージも受け取ってかフロル嬢の背中に手をまわして急接近中だ。


 近づくのも怖がって本人のいない所で震えあがっていた馬鹿王子の姿はどこへやら、自分が優位に立っているのを良い事に普段の積極性に加えて女性へのサービス精神まで全開のようだ。


 惚れた男に急接近されみるみる頬を紅潮させながらも、どこか夢見心地のように恍惚とした表情を浮かべるフロル嬢と、アストラエの全力で動揺を隠しおおせた王子スマイルが接近する。心なしか二人のオーラによって周囲が美しい庭園の薔薇で覆われている幻覚さえ見えてきた。


「わたくし、アストラエ様に与えられてばかりで、命まで……ああ、ここまで大きな借り、もはや一生をかけても返しきれませぬ!」

「何を言うんだい、フロル。一生かけて返して貰うさ。僕への惜しみない愛としてね。そして、僕もまた一生君へと愛を注ぎ続けよう……」

「それではいけません! そんな、心に収まりきらない幸せと愛が溢れてしまいますの……」

「溢れさせればいいさ。僕たちの幸せは、僕たちを囲う父上や母上、部下、友人、全ての人々の幸せにもなるのだから……そうだろう、愛しのフロル? たとえ君が逃げたって、僕はもう一度君の心を射止めて伴侶として見せるさ、フロル」

「アストラエ様ぁ……」


 瞳を潤ませるフロル嬢をアストラエは大きく、躊躇いもなく抱きしめた。

 それはまるで部隊演劇の主人公とヒロインが結ばれるシーンのように優美だった。


「……成程なー。こいつら『こうなる』運命にあるんだわ、多分。極めて理不尽かつアホらしい事に。というかアストラエの奴、即興演技にノリ過ぎて着地点見失ってるだろ。誰がそこまでやれと言ったよ? 別に俺なーんにも困らないからいいけど」


 勘違い馬鹿王子と勘違いおとぼけ姫が着地点のない泥沼のいちゃつきを見せつける中、俺は現場に残った虫の死骸を袋に詰めつつ暗殺未遂男をきつく縛って詰め所へと向かった。多分これで、全部丸く一件落着だ。

 え? 護衛任務続けなくていいのかって? 必要ないだろ馬鹿らしい。

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