第122話 遠からん者は音にも聞いてください

 フロル嬢のアストラエ賛歌が一通り終わったのち、やっと平静を取り戻した彼女と俺は打って変わって真面目な話をしながら町を歩いていた。


「お父様の政敵が送りこんだ刺客であることは間違いありません。しかし、娘が弱みであることを周囲に知られれば、その隙は政治家としての致命傷になりかねない……幼いながらそれを感じたわたくしは、お父様に頼らず何とか暗殺を潜り抜けようとしました」

「貴方、果敢というか無謀と言うか……もうちょい大人を頼りましょうよ。暗殺されて一番傷つくのはどっちにしろお父さんのモルガーニ卿でしょうに」

「……それでも、知っていてむざむざ死なせた方が残酷だと思ったのです。どちらにしろ相手は暗殺成功率100%の怪物。アストラエ様の天才的な察知能力によって助けられなければ、わたくしは今頃王国で躯を晒している所です」

(天才的じゃなくて奇跡的の間違いだって言っても信じないだろうなーこの人)


 ほう、と悩ましいため息を吐くフロル嬢は今も昔も割と無謀な人であるようだ。そういう独断専行は後で周囲が大変な事になるのでアストラエと結婚した暁には是非とも過去の愚行として永久封印して欲しい。


 騎士団に入って以来いい思い出が少ない事に定評のある俺だが、中でも独断での行動はトップクラスの厄ネタというイメージが強い。一年前に同級生が独断でオークと戦った結果腕に後遺症が出来て騎士辞めたという大事件の所為だ。救援間に合ってなかったらアレ普通に死んでたんだもの。

 あいつはあわやの所で命は助かったが、彼女のそれは「九死に一生? 勝率10%もあんの? 破格じゃん……」と真顔で言える程の大ピンチである。


 しかし、気まぐれなる奇跡が唐突な大盤振る舞いを始めたせいで暗殺者スパルバクスは予告期間内にフロル嬢を殺しきれなかったという致命的な失敗を冒してしまった。犯罪者なので同情の余地など皆無なのだが、ここまでアストラエに妨害されたのを考えるとつくづくツキのない奴である。


 この話は結局父であるモルガーニ卿から隠しおおせたらしく、更にどこから漏れたかスパルバクスが暗殺に失敗したという噂も瞬く間に大陸に伝播。以来、七年間もの間、暗殺者は沈黙を保ってきたという訳だ。


「彼の者にとって、恐らくこれは汚名をすすぐ最後の機会なのでしょう。奇しくも七年越しに嘗ての忌まわしき失敗を喫した時と今は、同じ状況です」

「それは確かに。同じ婚約者に会いに王国へ船で向かい、歓待を受ける……ここでリベンジせずにいつするか、って程におあつらえ向きではありますね」

「そう、だから当然王子もこのことに気付いて貴方をわたくしの護衛に加えたのです。護衛全滅まで見越したうえで!」

(見越してたのは見当違いな未来だって言っても信じないだろうなーこの人)


 ほう、と遠い誰かを想うようなため息を吐く猛烈勘違いお嬢様を前に、俺は乾いた笑みを浮かべるぐらいしかリアクションが思いつかない。そう、昔と同じくアストラエはそんな事欠片も気付いていないし、俺が彼女の護衛とされたのも完全に偶然である。

 この言い知れない気まずさ、伝わって欲しい。


「しかし、わたくしも最初からそれを期待していた訳ではありませんでした。なにせもう七年前の話……それにまたもや王子に世話になり切るのも将来の妻としては恥であると思い、出来得る限りの対策をしました。しかし敵もさるもの、妨害も熾烈でした」


 なんでも、暗殺者の妨害は間接的なものが多く、馬車の馬をやられたり、護衛が食べる筈だった食べ物を先回りで潰されたりととにかく疲弊させるような妨害をひそかに、しかも断続的に仕掛け続けたらしい。暗殺者さん必死過ぎるぞ。


「護衛も全員が手練れだったのですが、皇国から船にたどり着くまでの間にすっかり疲弊させられてしまいました。万全の状態ならば全滅にまでは至らなかったのに……」

「それで全員妙に疲れた顔をしていたのか……アマンダさんはこの事を?」

「全部知っていますよ。それどころか、私が殺された暁には罪を被るように脅しまで……彼女は両親を人質に取られていますので、敢えて逆らわせる真似はわたくしがさせませんでした」


 人質。恐らく拉致されているとかそういう話ではなく、暗殺者はアマンダさんの両親の名前とかどこに住んで何をしているのかとか、そういった話を全部調べ尽くしたのだろう。つまり、お前が邪魔すればいつでも大切な人を暗殺出来るぞという遠回しな脅しだ。


(って事は、あの人が意味深に任せたって頼んできたのは、俺が頼りの綱だと思ったからか……うう、暗殺なんぞみすみすさせる気はないが、妙なプレッシャー……)


 急に胃の奥がキリキリしてきた。

 拝啓お父さまお母さま、息子は海外の要人を暗殺から守ってます、敬具。というかこれ、失敗すると下手すりゃ本物の責任問題になって騎士団除籍まであり得るのではないだろうか。

 ハメたなアストラエめ。

 任務内容がハイリスクローリターン過ぎて帰りたくなったぞ。


「っと、そうだ。犯行予告には時間と殺害方法まで書いてあったんですよね?」

「ええ、犯行予告時間は正午。町の時計台を見る限り、あと数分といった所ですわ。殺害方法は――刺殺です」

「え、そこ毒じゃないんだ……いや、毒付きの刃か?」


 フロル嬢の暗殺方法を聞く限りでは毒虫や毒針などとにかく毒を用いまくっているように思えたのだが、どうも今回は違うらしい。

 それとも実は毎度毎度殺害方法は違うのだろうか。

 暗殺者というよりは快楽殺人者が好みそうな話である。


「いえ、わたくしの知る限り、死因まで明記された犯行予告はこれが初めてです。そしてこれまでの被害者の大多数が不自然死、或いは毒殺です。恐らく不自然死も表面上そうと分からなかっただけで毒殺なのでしょう」

「検死解剖やってないの?」

「しませんよ普通……だって殺害されるのは殆どが高い身分の人ですから、死体とはいえ弄られるのは家族が嫌います。スパルバクスの暗殺は一度に一人だけ……家族は残されるのですから」

「あー……確かに俺も死んだ後には検死されたくないですね。する側だし」

「は? 騎士ではなくて医者なんですか貴方?」

「いえ、騎士ですよ? それが証拠に解剖できるのはオークと獣だけです」


 フロル嬢がひどく理解に苦しむ顔でこちらを見ている。

 冷静に考えるとノノカさんに付き合いすぎて何の医療知識もないのに解剖は出来るようになってる俺がおかしいのか。しかもオークと人間の内部構造はかなり類似しているので人間の解剖も出来るかもしれない。

 解剖騎士ヴァルナ……サイコホラーの敵役みたいで嫌だわ。


 それはさておき、検死解剖されない理由は他にも医者が近くに居なかった場合ご遺体が腐っちゃうから無理なのもあるとか。その他、見た目では死因の分からない症状の毒を使っている場合は死因不明で済まされる事もあるみたいだ。王国は医療技術も大国の中では上の方なので、俺の感覚が世界的には少数派(マイノリティ)なのだろう。


 それはそれでいい事だ。

 少数派な平和、結構ではないか。

 なので、多数派マジョリティな危険にはご退場願おうか。


 さっきからガラにもなく集中力全開で感知し続けている周囲の「氣」に、揺らぎがあった。

 快適な旅行先という場を演じる、空気の読める通行人げきだんいんに交じり、一人だけ違う気配、リズムを放つ明確な異物だいこんやくしゃ。こんな時ばかり、氣などという胡乱気な力を習得していてよかったと思える。


 まぁ、前のイスバーグで氣のこと暴露しちゃったんで今度から夜間任務と洞窟探索は間違いなく先陣切らされ……って、よく考えたら戦闘力の問題でいつも先陣切らされてたから関係ないか。

 どっちにしろコキ使われて俺は涙がちょちょぎれそうである。


 さあ、迂闊なる暗殺者よ。

 近づかなければ刺突は出来んし、弓矢の類も俺は反応出来るぞ。

 どう攻め、どう俺を掻い潜るのか――それを見極めたうえで、俺はお前の最大の障害として立ちはだかろうではないか。


(来いよ、暗殺者。迎撃の用意は終わっちまったぞ)


 剣に手をかけた俺が乱れる気配の先に意識を集中させたその刹那、それは現れた。


「フロレンティーナ様、護衛殿! 急ぎの連絡にございます! 聖盾騎士団からの報告にて、不審な賊が捕らえられたとの事!」

「……って、あり? 王国の伝達?」


 走り寄ってくるのは、どう見ても王国の人間である。屋敷で見る正装で身を整えたその男は全速力で走りながら近づき、大声で言伝をこちらに叫んでいる。


 聖盾騎士団は内偵系の仕事に関してはプロだ。

 この町の住民に負けず劣らず普通の人間のフリをして周囲に溶け込める。

 そんな彼らが暗殺者なる不審者を見つけるのは、単純に考えれば俺が暗殺者を見極めるより簡単な事でもある。報告を受けたフロル嬢は思わず口元を手で覆った。


「不審者が……という事は! まさかアストラエ様は護衛を囮に真犯人を捕らえる為に策謀を巡らせ、蜘蛛の糸に絡める側である筈のスパルバクスを逆に糸に捕らえたという事ですの!? 嗚呼、アストラエ様はなんという……」


 これは酷い。酷い茶番劇である。

 俺はなんだか猛烈な脱力感に苛まれながら肩を落とし――。


「第三の型、飛燕」


 ボッ、と、風を引き裂く踏み出しと共に剣を鞘に入れたまま突き出して、伝令の男の脇腹を容赦なく抉った。先端が彼の腹部にめり込み、筋肉と骨が軋みを上げる衝撃に構える事さえできなかった男は驚愕に目を見開いたまま吹き飛んだ。


「連業、裏伝二の型――紙鳶しえん


 加速の全てを体勢移動で瞬時に踵に圧縮し、加速の反対方向に思いきり蹴飛ばす。足から背筋にかける筋肉が一つのラインとして繋がるような感覚と共に、天地が逆転して空が下に見えた。簡単に言えばこれは宙返りだ――『どんな加速をつけていようが出来る』という一点と、空中で体勢を立て直して着地と同時に攻撃に移れる訓練までしてやっと裏伝習得と認められる事以外は。


 そして反転する視界と世界の中で、俺の目と氣による気配察知だけは『異物』を決して見逃さない。宙返りで彼女の背後まで飛んだ俺は極めて冷静に、かつ正確に、鞘に収まった剣を地面に突き立てて減速し、綺麗に着地した。


 突き立てられた地面と剣の間に、テニスボールより一回り大きな体を持った気色の悪い蜘蛛がどてっ腹に穴を空けられて躯を晒していた。その前足は、まるで二本の鋭いナイフをはめ込んだように鋭い鈍色の光を反射させている。


「うわー、体液となんか毛みたいなのが鞘にかかってるし……気色悪ぅ」

「あ、え!? な、何故伝言のお方が、ああ!? き、騎士ヴァルナ!? いつの間に後ろに!?」


 混乱を極めて前と後ろを交互に見て狼狽えるフロル嬢には、何が起きたかさえよく分かっていないようだ。全開の速度だったので武人でもない素人には何が起きたのか理解しにくいだろう、と他人事のように思いながら、俺は血払いのように剣を鞘ごと振る。速度に置いていかれた蜘蛛の体液と体の破片が、吹き飛ばされた男の横にべちゃりと叩きつけられた。


「俺の蜘蛛が……!? な、何故……何故俺を、攻撃……げふっ、ごほっ!?」

「違和感しかなかったからだよ。お前さん本当に殺し屋なのか?」


 腹のダメージからか咳を抑えられない男が脇腹を抑えてこちらを睨むが、俺に言わせれば随分とお粗末な接近だったというのが本音だ。


 まず、不審者が捕まったからって何故フロル嬢と俺に大至急でそんな事を伝えるのかという点からして不審であるし、屋敷で見る正装をした人というのは、逆を言えば屋敷で仕事する人であって、外では別の服装の人が仕事をしている。絶対にない、とは言えないが、この時点で訝しむには十分だ。

 そして最後に、俺にかけた言葉が致命的なミスだった。


「何が護衛殿だ。この国の役人と騎士の関係者で俺をそう呼ぶモグリがいる訳ないだろ……」

「な、なんだと!? その年で国の騎士と役人全員に顔を覚えられているとは、貴様まさか王子の血縁の者だったのかぁ!?」

「そんな数奇な珍説あるかドアホ! アストラエ爆笑必至の勘違いしてんじゃねーよ!」


 見当違いも甚だしい。

 あの残念なイケメン王子と俺に血縁などある筈もない。

 俺の家には俺のへその緒だって残ってるし、何よりも絶望的に顔と性格が似てない。共通項など騎士で男でトラブルに縁があるくらいの……待て、待ちたまえフロル嬢。そういう事だったのかみたいな驚愕の表情を浮かべて更なる勘違いの坩堝に沈んでいくのは流石に困る。あんた天然に過ぎるぞ。


「……はーぁ、顔が知れてないのは知ってたけど今回はそれが役に立った訳だ。いいですか、フロル嬢。この王国で騎士ヴァルナと言ったら、そいつはやんごとなき血筋とかお偉いさんの御曹司とかそういうのじゃなくて、もっと分かりやすい存在なんです」

「もっと分かりやすい……? では一体、貴方は……?」


 本当は、こういう事を自分から名乗るのはとても嫌なのだが、時と場合によってはやむなし。暗殺騒動以上に痛む胃とあんまり聞かないで欲しいという矛盾した羞恥心を抱えながら、俺は若干ヤケクソ気味に剣を鞘から取り出し、その切っ先を天高く掲げた。


「王立外来危険種対策騎士団所属、騎士ヴァルナ! 我こそは王国に於いて比類なき高みに座する者……王国最強の騎士であるッ!!」


 え? それ自分で考えた前口上かって?

 ……整備士のライが三日三晩悩みながら考えてくれたのを暗記しただけだよ。


 え? わざわざライに頼んだのかって?

 ……全然頼んでもないのに「三日三晩悩んだんですよ!」って言いながら目の下に隈作ってこの前口上書いた紙渡してきたライに、俺はエルボーかまして失神させて医務室で一日寝かせたよ。いや、八つ当たりとかじゃなくて「こいつとうとう働きすぎて頭おかしくなったんだ」って危機感覚えたんだもん。

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