第121話 神の悪戯です
腹の探り合いにおいて多弁を用いて捲し立てるという手段は下策である。自分では情報で攻めているつもりでも、相手の取り方一つでは「ここまでは知っていて、ここからは知らない」という現状認識の材料を与えてしまうだけであるからだ。
だから探りを入れたいなら表面上は何の関係もなさそうな話をしながらじわりじわりと誘導していくのが基本的だった。しかし時には時間をかけていられない時というのもある。
故に、ロマニーはド直球な手段に出た。
テーブルの上に『あからさまな証拠品』である資料や糸をコトリと置き、にこりと笑い、「不用心ですよ? 次回からお気を付けくださいね」と言った。そのような形式の、これは奇襲である。探りは入れないし、何も責めたり聞いたりしない。ただその一瞬の情報を叩きこみ、動物実験のように反応を観察する。
利用したようで悪いが、ロマニーはノマという世界一可愛いと信じて疑わない妹と長時間空間を共にしたアマンダに僅かな気の緩みがある事を確信していた。そのような空気を読めたからこそ仕掛けることが出来た。
一瞬の勝負。気配一つ、表情筋の震え一つ、血管の収縮一つさえ変化があれば察するロマニーの超人的な察知能力がアマンダに降り注ぐ中、彼女が浮かべた感情は――。
「……お見通しですか」
――諦め、或いは開き直りだった。
少し予想外だったと言えば、そうだろう。
もっと上手く誤魔化すような物言いと表情が取れないほど、世間の波に揉まれていない女性には見えなかった。恐らくその選択肢を選んで取り繕う事も刹那に考え付いた筈だ。それでもなお、彼女はあっさりと自分の手の内を認めた。
では犯人は彼女だ、と考えられる程ロマニーは楽観的ではない。例えばだが、小さな罪や不手際を認める事によって、より大きな過ちから目を逸らさせるというのは話術に長けた人物なら息をするように平気で行える事だ。
或いはこれは言葉の招待状であり、予め用意したロジックの舞台にこちらを招き入れた可能性さえある――と、全力で警戒した。
そこまでは多分、良かった。
「まさかフロレンティーナ様の暗殺予告をした男の脅迫で用意した偽装証拠がこんなにも早く偽装であることが発覚してしまうとは……私も半信半疑でしたが、アストラエ王子の英知はフロレンティーナ様のおっしゃる通り人知を超えていらっしゃいますね」
(全然話噛み合ってないんだけどぉぉぉーーーーッ!?)
ありとあらゆる予想が出来損ないの紙飛行機のように明後日の方向へ旅立っていき、全然見覚えのないルートがいきなり目の目に構築されていた。ノマは完全に話の流れについていけずにしきりに「? ……??」と首を傾げている。とてもかわいい。
しかし侮ることなかれ、ロマニーはメイド長である。
この程度の危機、乗り越える術は体に染みついている。
妹の可愛さも予想外の事態も押し殺した彼女は、最善の手を打った。
「ええ、それは勿論。わたくしの仕える主ですので」
「……そも、最初から小手先の技で誤魔化そうというのが土台無理な話でした」
「そう自分を卑下することはありませんよ。
内心の動揺を全て精神力で抑え込んだロマニーはごく自然な笑みで知ったかぶった。聞かぬは一生の恥? そんなものは実像と虚像を織り込んだ五十点の回答である。その場を乗り切れればリカバリーの効く土壇場など情報戦では山ほどある。
少なくとも百聞は一見に勝る力を持っているのは確かだ。
「え? え? ちょっとお姉ちゃん、何の話してるの……?」
おどおどしながらノマが問いかけてくるが、ロマニーはそれに答えない。というか彼女自身も全然話が分からないから答えられない。何やら暗殺予告とか王子の英知とか非常に危険や矛盾を孕んだ言葉が聞こえてきているが、今ここでツッコめば「え?」「え?」とコントのように聞き返す羽目になる事は自明の理である。よってスマイルで押し通す。
幸いにして、アマンダはいい感じに勘違いしてくれているようだ。
ならそのままいい感じに勘違いし続けて情報を漏らしまくってもらおう。自分が予想しすぎて空回っていることに気付かないアマンダさんは肩の荷が下りたかのように開放感のある表情で、謎のヴェールに包まれた話の真相を語り出す。
「そろそろ犯行予告時間ですが……恐らくあの男はフロレンティーナ様の横に王国最強の護衛が付いていることまでは掴めていないのでしょう。私も全力を尽くして彼女を守る策を考えましたが、全て崩された上に脅迫まで受ける始末でした。しかしその苦しみも昼に終わる。アストラエ王子の全てを見据えた一手によって」
(……つまり、フロレンティーナ嬢が暗殺者に狙われて、防ごうとして失敗して、この証拠品は彼女に責任を押し付ける為の相手の脅迫で、彼女たちの中ではそれに気付いたアストラエ王子がヴァルナ様を呼んだと思っている……?)
瞬間、廊下からタァン、と何かを踏み鳴らすような音がした。
その音の正体が「真打登場ってな感じで外で待っているから!」などと言って部屋に踏み入らずに外で盗み聞きしていた不埒な王子のそれであることに、幸運にもアマンダは気付かなかった。
「暗殺者だと!? 全っ然聞いてないし初耳だしヴァルナには僕のことを守ってもらう予定だったんだがぁッ!? くそっ、本業暗殺者相手に一人で慣れない護衛は流石のあいつも……間に合えよッ!!」
アストラエは窓を開け放ち、何の躊躇いもなくそこから跳躍した。
ちなみにこの窓のある場所は屋敷の三階に該当し、まともな人間ならばそのまま落下して骨の一つや二つ折ってしまうか、当たりどころが悪くて死ぬこともある高さだ。
尤も、それはあのヴァルナと友達をやっているアストラエが「まともな人間」に入るかどうかという議論を差し引けば、であるが。
「ヴァルナには届かんがなぁッ! 足の速さはあいつに次いで王国次席なんだよ、僕はぁッ!!」
屋敷から庭にある石柱までおよそ直線十五メートルを弓矢のような正確性と速度で移動し、着地し、そこからヴァルナが全速力の時に使う歩法――裏伝八の型・踊鳳で更に跳躍。アストラエの姿はあっという間に二十メートル以上先にある屋敷の塀の向こう側に消えた。
◇ ◆
フロレンティーナ改めフロル嬢のカミングアウトに、俺は素っ頓狂な声をあげた。
「暗殺者ぁ?」
「ええ。恐らくアストラエ様はそんな事を伝えるまでもなく貴方ならば護衛をこなせると思っての事なのでしょうが……何というか、貴方を見ていると不安にさせられるので念のため」
(いや、むしろアンタから暗殺されるのを防ぐノリで呼ばれたんですけど)
どうしてくれるアストラエ、本当の本当に割に合わない仕事になってきたぞ。護衛と暗殺阻止って、確かにやることは基本同じだけど難易度が違い過ぎるだろう。暗殺ってそもそも今判明したなら対策の取りようもなくないか。
とりあえずジュースに毒ってのはないと思いたい。俺も死にかねんし。
「毒殺はありません。何故なら今回、暗殺者側は殺害方法まで定めて来ていますから」
「はぁ。方法指定までして来るとは何というか、奇特な暗殺者ですね」
「ええ、相手にとっては七年越しの復讐です。前回の失敗を活かし、より確実な暗殺を計画したのでしょう」
「七年越し……ええと、最近聞いたな。そう、確か貴方が王国に来てアストラエと出会ったのが七年前なんでしたっけ?」
「流石にそれは王子から聞いていましたか。手間が省けます」
そう、確かアストラエが子供特有の残酷さで彼女をこれ以上なく酷い目に遭わせた頃だ。悪夢の王国来訪の後に暗殺計画があり、この人はそれを切り抜けたという事だろうか。七年越しの暗殺者。小説のサブタイトルにありそうな響きであるが、彼女が言えば嘘臭さは感じない。
「忘れもしない七年前……わたくしはまだ見ぬ婚約者に淡い期待を抱かずにはいられない子供でした」
「しかし夢は儚くも破られた、と。それも他ならぬ――」
「そうです。他ならぬ――大陸最悪の暗殺者、スパルバクスからの『死亡宣告』が届いたことによって!」
「アストラエの所為……え??」
「……? 今なにか仰いまして?」
フロル嬢が不思議そうに首を傾げるが、ちょっと待って欲しい。
暗殺騒動があったのは王国に着く前だったというのか。だとしたらフロル嬢は恐らく世界不幸番付で上位に食い込めるくらいには不幸な女性である。暗殺と王子のダブルパンチ……悲恋系物語に登場する悲劇のヒロインに比類するほどの運の悪さだ。
恐らくアストラエへの恨みは相乗効果。
どんな恨み節が飛び出しても不思議ではない。
俺は恐る恐る、なるだけアストラエの話題を遠回りするように言葉を選ぶ。
「い、いや。その……あれですよ。暗殺者スパルバクスって、余り王国では聞かない名前なので」
「でしょうね。しかしそれはこれまで王国が外交に並々ならぬ力を注ぎ、敵を作らずにいたというのもあるのです。それが証拠に、暗殺者スパルバクスは大陸で多くの政治家、著名人、果ては冒険者までをその手にかけてきました。最も人を苦しめる残虐な手段――毒殺によって」
(毒……なんか俺って毒に縁ある人生送ってるなぁ)
オークの毒、ノノカさんの大好きな
と、それはさておきスパルバクスである。
曰く、当時には三十年以上も裏社会に名を轟かせる暗殺者であったという彼――実際には彼女かもしれないが――が暗殺した要人は数知れずとのこと。
この暗殺者の最大の特徴が、犯行前に必ずターゲットに犯行予告を送る事らしい。予告文には蜘蛛のような虫の印とスパルバクスの名が必ず記載され、予告を受けた者は誰もが必死で犯行を防ごうとあらゆる防衛手段を用いるが、結局は全てのターゲットが予告通り毒殺されてきた。
そしてその三十年間の間、一度たりとて足取りや身体的な手掛かりを掴めた者はいなかったという。
話が本当ならば、犯行成功率100%の凄腕かつ天才的な犯罪者だ。
しかしながら、腑に落ちない点もある。
「犯行予告、七年前に受け取ったの?」
「ええ」
「でもフロル嬢、生きてますけど。まさか七年後に殺しますとかいう悠長な内容だったんですか?」
「そんな訳ないでしょう。彼の七年前の犯行は、恐らく歴史上初めてですが、失敗したのですよ。他ならぬアストラエ王子の天才的な対応によって!」
瞬間、今までどこか不貞腐れるような曇り顔だったフロル嬢の顔にぱぁっと明るい生気が満ち満ちた。対する俺は脳裏にクエッションが満ち満ちるばかりである。彼女は一体彼の悪行をどう……というか、何だと思ったというのか。
「ええと、アストラエが貴方にしたことと言えば顔面パイ投げ……」
「あの時にわたくしが食べようとしていたパイには毒が入っていたのです! それが証拠に後で護衛がこっそり廃棄したパイを調べたところ、ベリーに極めて類似した色と形状の毒虫が確認されました! そう、アストラエ様はそれを見越して敢えて毒なしのパイを食べさせようと投げてきたのです!!」
「カメムシの煮汁を飲ませたのは?」
「宗国に伝わる虫の薬膳です! 王国に辿り着くより前、既にわたくしの体には遅効性の毒が入っていましたが、あの薬膳によって見事に解毒しました! まさか毒の種類まで予測して解毒までするとは、嗚呼なんという博識っぷり!」
「ドレス破いたのは?」
「あの後確認すると、あのドレスは自力で脱ごうとした瞬間に毒針が刺さる工作がされていたのです! 暗殺者に監視されている可能性を考慮した最善のメッセージですわ!」
「池にも突き落して……」
「死角から猛毒の虫が接近していたのを気付いて寸での所で突き飛ばしたのです! 神懸かり的な対応力です!」
「アルゼンチンバックブリーカーは?」
「情けない事にあの時のわたくしは腰の具合が少々悪かったのですが、あの荒々しくも優しいマッサージによって背筋がシャキッと! 王子という身分でありながら整体知識まであるとは、慈愛と向上心が止まる事を知りませんッ!」
興奮からか頬を紅潮させたフロル嬢は、もう見た事がないほどに夢中でアストラエの最低最悪の嫌がらせを全力で美談に変換していく。現実と真実が分離するという世にも珍しい現象を垣間見た俺は、運命の女神の余りにも偏り過ぎた仕事っぷりに抗議すべきだと素直に思った。
どうやら本気らしい。
しかも自分で根拠まで発見しているらしい。
そんな事アストラエも知らねーよと言った所で絶対信じてくれないだろうと予想できるぐらいに、どうやら彼女はアストラエにベッタベタに惚れているのであった。
もはやこうなると煙でいぶされたのも靴を踏んずけられたのも、さっきから頻繁に登場する毒虫とトラップで補完されているのであろう。しかし確か言い訳のしようがないくらい酷い「髪の毛に芋虫事件」が手ぐすねを引いて話のオチを待っている筈だ。
「あの芋虫は何とわたくしの体に這わされた毒虫の天敵だったのですッ!! 虫を以てして虫を制する生物学知識にわたくしはもう感服するしかなくッ!! しかし殺し屋に狙われている中でお礼を言う訳にもいかず、感動の涙を堪えることで精いっぱいでした!!」
「あぁ、うん。アストラエ様バンザーイだね」
もう他になんにも言えねえ。しかもカメムシは多分本気で有害な虫は避けるぐらいの知識がアストラエにはあるし、アルゼンチンバックブリーカーに関しても怪我しないようギリギリの手加減をした筈である。
アストラエの優しさ一割、奇跡的な勘違いミラクル九割で構成された真実が彼女にとっての現実らしい。
最早運がいいのか悪いのか。
アストラエ、お前って神に愛されてるよ、多分。
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